2018年12月23日日曜日
前章 五話 その罪は覚えがありません! ★ 貴方なんて冗談じゃありません! 婚約破棄から始まる入れ替わり物語
黒の装束と布で顔を覆う二人組が、私達に向けて剣を構える。
舞踏会の夜に強盗なんて!
助けを呼ぼうと、開きかけた口を閉じる。
今の時間は、レナート王子のいる会場に警備が集中している。泣きそうで人気のない通路を選んだから、周囲に騎士の姿はない。
「まずいです。助けを呼んでも、誰にも届かないです」
「騎士を呼びたいなら魔法は? 僕としては貴重なこの状況を、もう少し見てたいんだけど」
危険な状況を見ていたいとかやめてほしい。半ば呆れながら、私は自分の考えを口にする。
「魔力検知が出来る範囲に騎士がいなければ、刺激するだけになりませんか?」
「確かにね」
黒ずくめの者達をじっと観察する。剣はこちらに向けているものの、すぐにこちらに飛びかかって来る気配はない。だからと言って、睨み合うままでいても仕方ない。
「ローランド男爵。とりあえず、前が駄目なら後ろに逃げませんか? 後方はなら舞踏会場の方角です。ある程度まで進む事ができれば、魔法に騎士が気づく可能性が上がります」
「謎の黒ずくめと追いかけっこ! 興奮するね!」
危機感のいまいち薄いグレイの隣で、高いヒールの靴をドレスの中で脱ぐ。こんな事になるのなら、わざわざ履き直す必要なんてなかった。
グレイが私の手に軽く触れて合図し、私達は一斉に振り返る。すぐに走り出すつもりだったけど、一歩も進むことが出来ずに固まる。
別の黒ずくめの者が、背後にもう一人現れたからだ。
「挟み撃ちされちゃったよ」
嬉々として呟くグレイに、非難の眼差しを向ける。
そんな悠長な事を言っている場合ではない! これってかなり危険な状態だ。
「剣は持ってますか?」
私の言葉にグレイが、腰に下げた繊細な細工の剣を軽く叩く。
「今日のは切れ味の悪い飾り物。売り込みで持ってきた品だから、抵抗ぐらいはできるけど切る事はできないね」
「腕前は?」
「自分一人なら時間は稼げるかな。君を守る自信はない」
その言葉が聞ければ十分だ。
「一人なら頑張れるんですね。では、私が助けを呼んできます」
切れ長の瞳を見開いたグレイから、新たに現れた黒ずくめの者に視線を移す。そして、令嬢らしい怯えた表情を私は作る。
「一体何なのですか? 私達は何もしないから、何処かへ行ってください!」
予想はしてたけど、答えは帰って来なかった。私はその場にふらふらと、恐怖に耐えかねたという風情で座り込む。
「ディルーカ伯爵令嬢? 腰が抜けちゃったのかい?」
頭上で慌てふためくグレイの声が聞こえるけど、返事はせずにふんわりとしたドレスに体を埋める。ドレスの中で脱いだヒールを足で押しやって、差し入れた手でそれぞれ両手に掴む。
今でこそ立派な?令嬢だけど、私は田舎育ちの狩猟経験者だ。そこらの男の人よりも、身の軽さには自信がある。
男の私に向ける気配に緩みを見つけて、おもむろに立ち上がるとスカートをたくし上げて駆けだす。
まずは靴の片方を顔に向かって思い切り投げる。
「うぉっ、くそっ!!」
顔に勢いよく飛んできた靴を手で振り払った男に向けて、間髪入れずにもう一つ投げつける。
「もう一つ差し上げますね!」
続けて投げた靴は、苛立たし気に剣で一閃される。帰りに履く靴がなくなった! 小さく舌打ちしてながら十分近づいた距離を確認して、私は重心を下げて足から男の体の横に滑り込む。
すれ違う瞬間、男が大きく目を見開くのが見えた。
令嬢は優雅でお淑やかにだ。私がこんなことするとは考えてもみなかっただろう。
完全に擦り抜けてから、身をよじって跳ね起きと、私は中庭の通路を会場に続く扉へ向かって駆けだす。グレイの事は置いてきてしまったけど、振り返って確認する余裕はない。自分の身なら守れるという言葉を信じよう。
扉まであと数歩という所で、地面がぐにゃりと歪んだ。慌てて足を止めると、土が大きく盛り上がってアーチを塞ぐ。土属性の魔法だ。別の棟の扉へと顔を向けたけど、そちらも土の山に塞がれてしまう。
「ディルーカ伯爵令嬢、大丈夫?」
後ろからグレイの声が聞こえて振り返ると、二人組の一人と剣を切り結ぶ姿が見えた。
「大丈夫です!」
そうは叫んだけれど、大丈夫とは言い難い。さっき横をすり抜けた黒ずくめの者が、もの凄く殺気立った雰囲気で近づいてくる。
「貴方たちは何なんですか?!」
返ってくる言葉はやはりない。何だかおかしい。違和感が私の胸に広がる。
「目的を言ってください!」
もう一度、男に向かって問いかける。
この黒ずくめの者は、さっき『くそっ!!』って一言漏らした。少ししてやられた程度で殺気立っているし、気が短く感情的なのだと思う。だから、上手く煽れば口を滑らすかもしれない。
いつでも軽快に動けるように両手でドレスを思いっきりたくし上げると、黒ずくめの者が顔を背けた。
意外な動作に驚いて、何の所為かと自分を見下ろす。
白に青色リボンのふわふわ可愛いドレスの下に、色気も可愛さもない焦げ茶色の着古したズロースが見えた。付き侍女には、履くのをやめろって確かに止められた。でも、下着なんて見せる事ないし、これが温かくて履き心地が良いからと選んだのだ。それを今、本気で後悔する。
「こんな事になるとは思わなかったんだもの! すけべ! 見ないでよ!!」
色気も何もないが、一応はあられもない姿といえる私から目を背けた男に叫ぶ。
「すけべですって? 貴方が自分で見せているんでしょ!」
私の言葉に黒ずくめの『男』が顔をこちらに向けて言い返す。思いの外、言葉遣いがきれいだった。強盗だとは思えない確信が広がる。
「だから、見ないでよ! それから、か弱い令嬢に乱暴が許されると思っているの?」
「見たくて見ているわけじゃない! そんな色気のないズロース!! あと、君の動きは全然か弱くない!」
「……すけべ! おたんこなす! 何が目的ですか?」
「……」
男が黙り込む。
「何が目的ですか? 乱暴者! すけべ!」
「っ……」
「何が目的ですか? すけべ! おこりんぼう! すけべーーー!」
顔を隠した黒い布から覗く茶色い瞳を、男が耐えかねたようにぎゅっとつむる。
「……大人しくしてろ! 危害を加えるつもりはない」
危害を加えるつもりはない? ここまで対峙しておいて、その言葉はどういう意味か。
「じゃあ、何故? すけべ……」
ちょっと言い過ぎな気がして、最後の悪口の音量は少し下げた。でも、ちょっと遅かったようだ。男がカッと目を見開いて、地面を滑るように私の足を薙ぎ払いに来る。
「きゃあ、っと、っと!」
大きく跳ねて後ろへと飛び退いて避ける。男は体をそのまま回転させて、流れるような動きでお腹に向かって続けて蹴りを入れてくる。
これも横に大きく避けた……つもりだった。たくし上げたドレスの端が、男の足先に引っかかって蹴りの勢いに掴まる。振り投げられるような形になって、私は生垣の方へと飛ばされる。
「きゃあああ!――ったい」
運よく生垣の中に突っ込む形になって、怪我はせずにすんだけど全身は葉っぱだらけだ。
「リーリア、大丈夫かい?」
目の前にグレイが現れて、私に手を差し伸べて引き起こす。
「うん、有難う。ローランド男爵」
「グレイ。グレイでいい」
そう言って私を抱き寄せたグレイが中庭を後ずさる。
「グレイは大丈夫なの?」
「あぁ、なんとかね。でも、剣が弾き飛ばされて、丸腰になってしまったよ」
確かに、グレイの手にはもう剣はない。左からはすけべな黒ずくめの者が、右手からはグレイが対峙した二人組が徐々に距離を詰めてくる。
「グレイ。大人しくしていれば、危害を加えるつもりはないって言われたんです」
「へぇー。それって強盗の常套句じゃない?」
その問いかけに首を振る。それはもう絶対にない。
「強盗ならば目立たずに逃げ去りたい筈です。ここまで執拗に対峙するなんて絶対にない。何か他の目的が――」
「じゃあ、怨恨かな。結構心当たりはあるよ。僕は新鋭の芸術家で名が売れているから、男にも女にもそこそこに恨みを買っている。リーリアだって、さっきまではレナート王子の婚約者だった」
私の言葉を途切って、グレイが怨恨の可能性を挙げる。
確かにレナート王子の婚約者だった間は、色々な令嬢たちから嫉妬されていた。でも、今はもう違う。
忘れていた痛みを思い出して、ぎゅっと唇を噛み締める。
「その一番大きな理由は、もう無くなりました。ですから、グレイの所為かもしれませんね」
「傷ものになったら、貰ってあげるね。君は面白いから!」
こんな状態なのに冗談を言って笑うグレイにため息をついてから、もうそんなに距離のない黒ずくめの者達を睨みつける。
グレイも丸腰で退路は塞がれている。できるのは、時間を稼いで見回りの騎士が来るのを待つ事ぐらいだ。
「魔法は使えますか?」
グレイに尋ねると、周辺を確認してから答える
「『水』が使える。だけど、魔力量はそこまで多くないよ。三人まとめて倒せとかは無理だからね。リーリアは使えるのかな?」
「『火』です。使えると言えば使える。でも、使えないと言えば使えない。『魔法』はあまり得意じゃないです。なので威嚇程度しか出来ないと思ってください」
『魔法』はどうしても苦手だった。力の加減やコントロールに、馴染むことが出来ない。
「僕が水の壁を作って、リーリアが彼らの足元を狙う」
グレイが人差し指を前に出して小さく回す。くるりくるりと回る度に、噴水の水が吸い寄せられるように集まってきて、あっという間に私たちを守るように水の壁ができる。
私も自分の魔力を指先に集中させる。ゆっくりと魔力を練る様に指を回して、近くの火を魔力と馴染ませて呼び寄せる。
ランプの一つが音を立てて割れると、私の魔力と混ざった火が指先に集まる。握りこぶしぐらいになる度に、指を払って黒ずくめの男たちに向かって放つ。
何度かは思う通りに上手くいった。黒ずくめの男たちも足を止めて、その場が膠着する気配を見せた。
でも、突然複数のランプが割れて、光を失った周囲が急に暗くなる。次の瞬間、私の手元の火が突然人の頭を超える大きさになってしまう。
「リーリア! 強い! 火を集めるの勢いが強すぎる!! 離せ!」
集めていた魔力を停止すると、大きな火の塊が一人の黒ずくめの男にまっすぐと向かっていく。
威嚇だけのつもりだったのに、これでは怪我をさせてしまう!
「避けて!!」
叫んだ私の視線の先で、黒ずくめの者が手首を一閃させて強い風が吹く。
私の『魔法』が軌道を変えて、黒ずくめの者から逸れた。
「とんだじゃじゃ馬だな! 少し躾けてやろうか?」
吐き捨てるように言う声は、さっき私と対峙した黒ずくめの者だ。彼とは何だか嫌な縁があるみたいだ。
件の黒ずくめの『男』が私に向けて魔力を練り始めた次の瞬間、パンと弾ける音と共に一本の木に火が付いた。
激しい音を立てて、一本の木が魔力を含んだ強い炎に飲み込まれていく。
「くそっ! 流石にこれは人が集まってしまう!!」
よく喋る黒ずくめの『男』が大地を蹴ると、アーチを塞いでいた土の塊がバラバラになって崩れ落ちる。
「引くぞ!!」
別の黒ずくめが初めて声をあげて叫ぶと、あっという間に彼らは身を翻して北棟の方へと駆けて行った。
今日は一体どれだけ運が悪いのか。
小さな不運から始まって、ジュリアに因縁をつけられて、異国の王族のクリスにとんでもない頼みごとをされて、レナート……と色々あって、最後の最後に黒ずくめの者達に襲われて……。
その場に思わずへたり込むと、東棟の方から物々しい声が遠くに聞こえ始める。
きっと木が燃える煙に気づいた騎士が動き出してくれたのだろう。
「グレイ。どうやら助かったみたいですね」
「そうだね。創作意欲が刺激されちゃったよ。悪いけど、後は君に任せて僕は失礼させてもらう! 君の棄てられ話をネタにするのは、別の機会! さよなら、リーリア」
いうが早いか、グレイが駆けだす。その背に向かって叫ぶ。
「二度と来ないで下さい!」
グレイの背が消えると、私は燃え盛る木に近づく。
まだ誰も中庭に居ないのを確認して、扇に魔力を込めて文字を書く。古い古い遠い昔の文字を幾つか記し、それを最後に丸で囲む。それから、手の平にも同じものを少し変えて書くと、ゆっくりと魔力を流し込む。
扇に書いた文字が魔力で淡く光る。こぽこぽと小さな音がして水が溢れ始めると、扇を燃える木に向かって投げこむ。
「火を消して」
呟いて一段と魔力を強く流すと、扇から木を飲み込む程の水が溢れて、炎が瞬く間に全て消えた。
『魔法』は苦手。でも、『魔術』なら私は得意だ。
地図にもない忘れ去られた小国だったアルトゥリアには、何処の国とも繋がりがなくて『魔法』の知識が長く入ってこなかった。だから、代わりに古の『魔術』が発展して、今も私達に残っている。
『魔法』みたいに自由に動かす事は出来ないけれど、『魔術』は何かを生み出す事が出来る。誰かと協力して使う事もできるし、これはこれでとても便利な力だ。
だけど、セラフィンで『魔術』は禁忌とされているから、人前で使う事はきつく止められている。
「扇、ダメになっちゃった。 気に入ってたのに……」
溜息を吐いて肩を竦めると、東の棟のアーチから騎士服に身を包んだ人たちが出てくるのが見えた。
この木の事はどうやって説明しよう……。
強盗みたいな人の話をして、ここで争った事も話さなくてはいけない。あぁ、また令嬢らしくない話が一つ増えてしまう。グレイに残ってもらえばよかったな。
厳しい顔をした騎士が、真っ直ぐ向かってくるのを見ながら叱られる事を覚悟する。
「リーリア・ディルーカ伯爵令嬢ですね」
「はい」
騎士長の徽章をつけた人が私の名を呼び、私は簡易の礼を取って返事をする。
瞬間、騎士たちが私を取り囲んで剣を抜く。
どういう事? 何故、私が騎士に剣を向けられているの?
「あの木が燃えた事は、きちんと説明します。色々――」
「リーリア・ディルーカ伯爵令嬢。貴方にソフィア様襲撃の嫌疑がかかっています」
はぁあああ?!って、叫び声を必死で飲み込む。
ソフィア様って、レナート王子の新しい婚約者の名前だ。ソフィア様が襲撃? それって誰かに襲われたって事?
「あの。さっきまで――!」
「動くな!!! 動いたら切るぞ!」
黒ずくめの者達の事を話さなければと、踏み出した私の首筋に刃が当てられる。
声には、脅しじゃない本気の響きがあって、冷たく鋭利な感触に足がすくむ。
小さく深呼吸をして、心を落ち着けてもう一度ゆっくりと言うべき言葉を繋ぐ。
「私は、襲撃については何も知りません。先程まで、この中庭で不審な人たちに襲われていたんです。木が焦げているのも、庭が荒れているのもその所為です。グレイ・ローランド男爵も一緒でしたので、確認してください」
騎士長が小さく首を振る。
「その言葉の真偽は、後ほど調べます。ですが、今は受け容れる事はできません。我々は貴方を捕らえる理由を持ってここに立っています。貴方が『魔女』の眷属『虚鬼』を使って、ソフィア様を襲うのを見たと申し出た使用人がいます」
『虚鬼』それは年に数回、現れる恐ろしい者の呼び名だ。
普通に生活していた人が、いきなり変貌して周囲の人を襲い始める。何故おこるのか、本当の事は誰も分からない。ただ『虚鬼』への変貌は『魔女』の所為だと言われていて、分からない事だから誰もがとても怖がっている。
「嘘……。そんな事はあり得ない」
うろたえる私を真剣な眼差しで見つめて、騎士長が再び口を開く。
「ディルーカ伯爵令嬢、貴方の言葉をこの場で否定するつもりはありません。しかし、貴方にはレナート王子の件でソフィア様を襲う動機があります。裏付ける証言もある以上、反論なさってもここで私達の行動が変わる事はありません」
視線を動かして周囲をみれば、取り囲む騎士の視線には敵意と嫌悪と恐怖があった。
今日は本当に運が悪い。でも、これっきりにして欲しい。これ以上の悪い事なんて想像できない。
二度三度深呼吸をして心を決める。
「わかりました。今は捕らえられる事に同意いたします。ですが、清廉な騎士の方々の前で、もう一度言わせてください。私はソフィア様の襲撃は知りません。舞踏会場を出た後は、この中庭におりました。その際に不審な人物を目撃し交戦しております。グレイ・ローランド男爵が全てを証言できる筈です」
私の言葉に騎士長がはっきりと頷いてくれる。
「ご協力感謝します。意識を失う魔法を使いますが、よろしいですか?」
その言葉に目を閉じると、騎士長が額に手を伸ばす気配がした。
額に魔力で文字が書かれると、私は真っ暗な闇に包まれる様に意識を失った。
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