2018年12月4日火曜日

二章 三十四話 御前試合 キャロル13歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 新国王の宣誓式が行われ、アレックス王子は王位継承権が一位となった。カミュ様は大公なので三位のまま据え置かれる。継承権二位の座は空席となった。
 宣誓式の後は速やかに国政の新体制が発表となる。新宰相はベッケル公爵、副宰相に前国政管理室長ボルロー伯爵、父上は国政管理室の室長と順当な繰り上がりで落ち着く。ギスラン書記官の机の下の情報戦も、切り札使用後の父上の弁舌も、みんなが作った書類も全てが上手く作用した。結果、以下の人事も概ね国政管理室の思惑どおりの布陣となったそうだ。

「糖分と愛の力は最強だよねー」

 後日中庭で会った時にギスランはそう言って笑うと、私にお菓子を一つくれた。
 この人事でバスティア公爵家が国政の中心から名を消す。まだ有力な地位に多くの者が残るものの、求心力の低下が社交界で囁かれるようになった。
 悲しみの中にも新しい風が吹く。安寧の王アーノルド・マールブランジュ前国王の国葬は無事に終わった。

 そして、三か月の月日がたって、翌年の準備に忙しい私に一枚の手紙が届く。王冠を抱く女神の封蝋は勿論アレックス王子からだ。久しぶりの手紙に心躍らせて開封する。

「ジル、この手紙を燃やして、届いていないことにはできませんか?」

 半分まで読んで頭が痛くなった。内容は私とディエリの手合わせの件に関する事だ。私から書状を受け取ったジルが一読する。

「騎士団の練習場にて御前試合とは、随分お話が大きくなりましたね」

「大きくなり過ぎです! この顔ぶれ! 全く余興ではないです!」

 悲しみにくれた貴族たちを慰撫する余興として、来週開催が決まった6組の試合。最終試合は新近衛団長ヴァセラン侯爵と新騎士団長ゴーベール伯爵。余興にしては迫力がありすぎる組み合わせだ。他出場者も今回人事で特に飛躍した者の子息や甥などの関係者がずらりと並んぶ。これを国王が観覧するとなれば、単なる余興ではなく新体制の名前を売るのが真の目的なのは明白だ。

「ノエル様は一試合目でディエリ様とですね。参加者の中で唯一、国政の中心から遠い方です。御前試合に含まれた意義を考えると、負けるわけにはまいりませんね」

「負けませんが……、御前試合なんて聞いてません……この顔ぶれって注目度が高い方ばかりだし……」

 責任重大。その言葉が頭の中に思い浮かぶ。子供の試合だし、一試合目がだし、一応余興なわけだし、観覧者は少ないよね? 頭を抱えて掻きむしる。ぼさぼさになった髪をジルが撫でるようにして直してくれる。
 お腹が痛くなりそう……、お腹が痛いからお休み許されるよね? 子供だし。手紙の焼却処分を決めて、上目づかいでジルを見上げると首を傾げる。私のおねだりが来るのに気づいてジルが苦笑いを浮かべた。
 おねだりを口にする前に、屋敷が揺れる程の大きな音を立てて部屋のドアが開けられる。片手を頬に当てて夢見る乙女の笑顔を浮かべた母上が現れる。その手にある手紙も、封蝋は王冠を抱く女神だ。ジルのため息が横から聞こえた。

「ノエル様、同じ書状が奥様宛にも届いてしまったようです。書状の焼却処分も、病欠もは不可能かと存じます」

 御前試合は勝ちましょうね、と母上が私の手をとる。私の強制出場が確定した瞬間だった。
 この後の一週間は、人生で最も必死で過酷な練習に明け暮れた。練習三日目の素振りの途中に、私は心から決意する。二度と私と対戦したいと思う人物が現れないよう、全力で叩き潰す。こんな思いはもう、御免です! 


 御前試合の会場に集まる貴族を眼下に見つめる。練習場に入れない人も出そうな列ができていた。多くの人の目的は新人事で躍進した家との繋がりづくりだ。子供の試合には興味はさほどない、心の中でそう言い聞かせる。
 控室として当てられたのは二階の騎士たちの休憩所、対戦相手とは同室にならないよう控室は二室用意されている。窓から見える人たちの頭に呪文をかける。石ころ、木のみ、石ころ、木のみ。ジワリと手の平が湿っぽくなるのはこの部屋が暑いからで緊張のせいじゃない。

「ノエル、大丈夫か?」

 振り返ると、防具を付けて準備を始めたクロードが心配そうな表情で私を見つめる。クロードは私の次の試合に参加する。相手は新しい作戦戦略室室長の子息で学園で二年生になる人物だ。かなりのの格上になる。

「クロードこそ、三年も上の人だけど大丈夫ですか?」

「ああ。楽しみだ。頭の切れる戦い方をする人物らしい」

 本当に剣技に一途だと思う。ずっとクロードとは三年間剣を合わせてきた。最近は私が勝てる事は殆どない。私が弱い訳ではなく、まっすぐにその道を究めようとするクロードの力も技量も同年代の子を遥かに超えているのだ。楽しみだと笑うクロードの瞳の力強さに、自然と彼なら勝てるという気持ちが湧き上がる。クロードの笑顔はどんなときも信頼を寄せる事を許してくれる。

「勝てます。友としてクロードの勝利を信じます!」

「ああ。絶対に勝つ。頭の切れる戦い方はお前が教えてくれた。任せろ」

 本当にこの人はかっこいいと思う。いつも自然に人を認めて、自信を分けてくれる。クロードが私の友でよかった。握った手の汗が引いていく。私もクロードのお陰で強い相手と戦うことを知っている。だから、私も勝つ。

「顔洗ってきますね! 戻ったら、私も支度にかかります」

 控室を出る。隣の第二休憩室は、それぞれの対戦相手の控室になっている。その前の廊下で、私に敵意のある眼差しを向ける一団から、負けろと囁く声が聞こえる。ディエルの関係者なのだろう。こんな場所にまで取り巻きを連れてくることに呆れる。
 ジルを伴うと囁きを無視して洗面室に向かう。陰口には随分慣れた。煌びやかな社交界には真っ暗な感情が日の当たらない所で渦を巻く。渦は知らぬふりをするのが一番だ。音だけでこちらに向かうことは殆どない。向かう力があるぐらいなら、こんなところで渦なんて巻かない。
 勢いよく出した水で顔を洗う。冷たい水に、冬が終われば春が来るのだと思う。でも、春に思いを馳せるのはまだ先だ。今は勝つことに集中する。濡れた手で頬を叩いてから、自分の両頬を片手て押してみる。大好きな人が私にさせる顔はちっとも可愛くなくて、自然と笑みが零れた。
 すっきりした気持ちで部屋に戻ろうとした私に、一団が足を出す。想定内の古典的な嫌がらせ。僅かに止まってから、その足を思いっきり踏みつける。

「失礼。突然出てきたので、うまく避け損ねました」

「いてぇ! くっそ!!」

 随分前に見たことのある気がする顔だ。凄い顔で私を睨みつける表情に見覚えがある。一体どこの誰だっただろうか? 思い出せないから多分親しくしている人物ではないと思う。

「倉庫番の子のくせに、ディエリ様に勝てるとおもうなよ!」

 思い出した。ガエル・ベカエールだ。10歳の頃より大きくなって、頭一つ分私より大きい。顔も大人になったのに、やる事がちっとも昔と変わってない! ディエリ様とよぶなら、今はディエリの取り巻きの一人という事だ。以前同様、彼に容赦はいらない。

「勝つのは私です」

 威圧を込めて冷ややかな笑顔を浮かべて、私は宣言する。怯んだように顔をこわばらせてガエルが一歩下がる。

「姑息な真似をする相手には決して負けません。貴方のお気に入りを勝たせたいなら、ここで私に挑んでみてはいかがですか? 私に傷の一つでもつけれたら、きっと喜んでもらえる筈ですよ。ただし、返り討ちは覚悟してください」

 一緒にいた他の取り巻き達も一瞥すると、次々と顔を背けていく。小さく笑ってから私は背を向けて歩き出す。私の背に向けて絞りだされる怨嗟の言葉。

「絶対、お前なんか引きずり降ろしてやる! バスティア公爵がこちらにはいるんだ!!」

 求心力を失ったとはいえ、バスティア公爵家が悪い根を深くつなげる相手は多くいると父上が言っていた。その根の行方は枯れて消えるのか、腐って害をなすのか、どちらになるのだろう。

 人がひしめき合う騎士団の練習場の舞台の側面の貴賓観覧席から、御前試合の開催を告げるアントニー・マールブランシュ国王陛下の声が響く。アレックス王子と少し似た透明な声質は聞くものの心に届く響きがあった。側にはクロードの父であるヴァセラン侯爵が白い近衛騎士の制服で控える。左右を埋めるのは王族と新体制で国王に近い者たち。父上と母上もそこに並んで座っていた。
 出場者が跪いて国王に礼を取ると、国王の言葉に静まり返っていた会場が再び歓声に包まれる。満員御礼。余興とは思えない人数の観覧者だ。出場者は左右の待機場所へ移動する。貴賓観覧席のアレックス王子とカミュ様から最後尾の私たち声が降ってくる。

「ノエル、クロード。私に必ず勝利を献上しろ」

「頑張ってください。勝利を信じておりますよ」

 微笑んで送り出すのは信頼の証。振り返って二人の瞳に私たちはしっかりと頷き返す。
 待機場所につくとクロードとお互いに装備を確認しなおす。騎士団に入る前の者は軽い胸当てと兜の着用が決められていて、それ以外は自由だ。私は追加は脛当てのみの軽装にしている。あまり重くして動きにくいのは私の戦い方に向かない。クロードの方は籠手や肩当もきちんと着用して騎士らしい装備だ。

「ノエルは、軽い装備だから接触には注意しろよ」

「クロードは、装備に頼り過ぎないようにね」

 向き合って注意しあう私たちに一般席から、癖のある艶っぽい声が降ってくる。

「ノエル、クロード。ただいま」

 見上げるとユーグが楽しそうに微笑んでいる。最後に会った時より少し伸びた髪が、また少しユーグを艶っぽく見せる。

「おかえりなさい、ユーグ」

「マグマ洞の研究は終わったのか?」

 私たちの言葉にほんの少し首を傾げてから、不満そうな顔をする。どうやら研究は不本意な結末だったようだ。

「うちの探求者が遊びにきて悪戯したせいで、コーエンの洞が一つ吹き飛んだ。すごく不本意だけど、これは管理者の僕の責任になるんだってさ。今日は、始末書を出しに戻って来たんだけど……君たち面白いことしてるね? すごく楽しみだよ。勝ったら僕たちシュレッサーがご褒美に花火を見せてあげるよ」

 ユーグとシュレッサーの花火はなんだか少し怖いけど楽しみだ。勝つのを待ってて、とクロードと私が返せば頑張ってね、と楽しそうに手をひらひらと振ってくれる。

「第一試合! ディエリ・バスティア、ノエル・アングラード。 両者前へ!!」
 
 立会人に名を呼ばれて壇上に上がり、指定の位置で止まる。本物の剣を使うこの勝負は、相手に致命傷を与えることは許されない、寸のところで止めるのも技量だ。確実に入いる位置で止めた致命打を立ち合い人が有効として判断すれば、制止の声を上げて勝敗が来まる。
 
「両者、礼!」

 ディエリの緑の瞳が真っすぐに私に向けられる。今日は侮蔑の色はない。お互いに立礼を取るとそれぞれ剣を構える。ディエリの剣は騎士の剣だ。高く構える姿勢は騎士の基本の型。私も二本の剣を眼前に交差するように構える。まずはディエリの動きを見極める事に徹する。

「始め!!!」

 声と同時に激しい剣戟が響く。ディエリの斬撃をしっかり剣で受ける。早くて重い一撃。クロードと速さなら同等、重さはやや軽い。同年代ならトップクラスの攻撃だ。
 スピードに乗せてディエリが連続して叩きこんでくる。二撃、三撃、四撃……、五撃目を二つの剣を使ってがっちり受け止める。膠着した剣を押し返して跳ねのけると攻撃に転じる。今度は受ける力を見せてもらう番だ。
 利き手の右の剣を少しだけ抑えたスピードで外に払う。追いかけるように、違う角度で左手の剣を打ち込む。角度を変えながら連続させた攻撃にしっかりと付いてくる。ややスピードを上げた三撃目は体をそらして躱された。反応が早いと思った。そして早くて柔軟な動き。バランスの良い剣筋はバスティア公爵家らしいと言える。
 でも速さは私の方がディエリよりも上だと確信する。続けて連続して追い込んでいく。剣戟の音が高く何度も響いた。

「ちっ。早いな。重さもまずまずだ……」

 忌々しそうにディエリは漏らすと、弾くように私の剣を押し返した。そのまま斜めに切りつけてくる。うまい返しだ。僅かに身を引いて間合いからはずれた視界にディエリの手元が映る。
 指先に力を込めて僅かに引く。その動きを私は知っている。母に完敗した日に見たのと同じ、この流れは突きだ。引いた体は反転する余裕はない。ディエリが踏み込む足の動きより早く、両手の剣を前に戻して受けることを選ぶ。

 耳障りな剣の響きに、観客のどよめきが続く。ディエリの突きを正面から刃で受け止めた私が後方に吹き飛ぶ。転がる様に受け身を取って大きく離れる。距離を取って安堵した私の前方に、半分におれた刃が転がった。

「……」

「さて、二本の剣が一本になった。どうする、ノエル・アングラード?」

 少し顎を上げて満足げな笑みをディエリが浮かべる。


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