2018年12月19日水曜日

四章 六十五話 経過と時間切れ キャロル17歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 父上が出立し、当主代行の日々が始まった。

 安定しているアングラード領においても、小さな問題は常に起きている。
 朝から書類を見て、対応を練って、当主印を押す。初めは一つの書類にも随分と時間が掛かったが、十日も経つ頃には、それなりの速度で片付くようになっていた。

「ジル。ケリセア領の資料を取ってください。領策からは、南部休耕地の活用案を抜いて貰えますか?」

「かしこまりました」

 ジルが揃えた資料を読んで考え込む。父上よりも見事に務めると見栄を切った手前、結果はきちんと出しておきたい。

「楽しそうでございますね」

 いい案が思いついた私のペンは、紙の上を軽く滑る。

「はい! やっぱり、文官の仕事が私は好きです」

 微笑ましそうに見つめるジルに、笑顔で答える。書き終わった資料を、机で叩くように揃えて渡す。今日の分はあと二つだから、昼前には全て終わるだろう。

 嵐の日から二週間。父上たちがヴァイツ王都に辿り着いた一報は、未だ届いていない。
 続きの書類を手に取りながら、国政管理室に顔を出すか考える。

 真っ白な鳥が壁を抜けて、私の頭上を一巡した。差し出した手の上に乗ったのは、少し小さなハルシアだ。優雅に笑う人を思い出すと、ハルシアが凛とした声を奏でる。

「ごきげんよう、ノエル。如何お過ごしですか? 帰って早々ですが、一つお願いがございます。明日、カリーナを誘って聖女の元にお茶に来て頂けませんか?」

 カミュ様とカリーナと聖女とお茶会。ハルシアが消えるよりも先に、私は返事の為の術式を書く。

「カミュ様。私は元気です。喜んでお受けします。カリーナに連絡をしておきますね」

 答えを告げながら、カリーナに手紙をしたためる。男性から女性にお誘いをする時は、伝達魔法は使わない。使者を立てて書状を送るのがマナーだ。

 白い鳥が消えるのと同時に、黒い鳥が壁を抜けてカミュ様の元を目指した。

 翌日の昼過ぎには、カミュ様が我が家に迎えに来てくれた。上位の大公が、馬車を仕立てて迎えに来る事は珍しい。
 馬車のドアを開けると、懐かしい笑顔が私を迎える。

「ノエル。誘いに応じて頂いて、ありがとうございます」

「いいえ。ご足労頂き、申し訳ありません」

 慌てて首を振る。小首を傾げてから、流麗な動作でカミュ様が向かいの席を促す。
 座ると同時に、馬車は滑らかに走り出した。次に向かうのはカリーナの屋敷だ。

「互いに王都を離れた期間があったので、ノエルとは一番お会いできませんでしたね」

 懐かしそうにカミュ様が目を細める。最後に会ったのは夏の始め、帰郷の季節に入る前だ。綺麗に切り揃えた髪は以前と変わらないのに、会うたびに大人びていく。

「いつ王都に?」

「十日ほど前に。色々ございましたが、無事に聖女を連れて戻る事ができました」

 帰還の時期は、国政管理室の厳しい予定と一致する。楽な行程ではなかった筈だ。
 
「聖女の体調は、もう落ち着かれましたか?」

「思っていたより早く安定致しました。でも、なれない環境に塞いでおります。一人だった彼女には、誰かと出会う事が慰めになるかと思うんです。今日は宜しくお願い致しますね」

 黒曜石の瞳を揺らして、カミュ様が穏やかな笑みを浮かべる。変わらない優しさに、口元が綻ぶ。
 
「はい。公になるまで、私も一人が寂しかったです。カリーナと一緒に、お気持ちに添える様に頑張りますね」

「ありがとうございます。大人しく臆病ですが、心の美しい女性です。気にかけて差し上げて下さい」

 慈しむような笑顔でカミュ様が聖女の事を語る。
 聖女はカミュ様を愛していると、アレックス王子は言っていた。カミュ様は聖女の事を、どう思っているのだろうか。

 見つめると、カミュ様が少し困った表情を浮かべる。促すように手を差し出されて、私もまた困惑する。友の恋心を問い質すのは、なんだかとても気恥しい。

「あの。うーん。聖女はカミュ様をお慕いしていると聞いたのですが……」

 そっと眼差しを伏せて、カミュ様が沈黙する。濡れたように美しい前髪が、眼差しの奥に浮かべる表情を邪魔する。

「ノエルは恋をされた事はありますか?」

 突然の問い掛けに、思わず口ごもる。答えを私が見つけるより早く、カミュ様が言葉を繋ぐ。

「私は、分からないんです。焦がれるような思いが、足りない気がするんです。アレックスは唇も、指先も、頬も、一総の髪すら、愛しく恋しいと言います。彼なら愛しい人に、焦がれる眼差しで、真っ直ぐ愛を注げるのでしょう」

 カミュ様の言葉に、溺れる様な愛を思い出す。熱のある眼差しと、必ずどこかに触れる指先、絶えず落とされる唇、思わず頬に朱が上りそうになって俯く。

「アレックス殿下は、少し真っ直ぐが過ぎると思います……」

「確かに、そうかもしれません。でも、私は彼の恋に憧れてまいりました」

 顔を上げたカミュ様は、馬車の外を悲し気に見つめた。

「聖女は私を愛して下さっているのに、私は自分を抑えてしまえる。愛しいと思う気持ちは私の中にあるのに、比べて別のものに思えてしまう」

 カミュ様が自分を抑えたのは、選びたくても選ぶ事が許されなかったからだ。その状況の中では、寄り添うことが精一杯だと思う。

「状況も違いますし、愛情の持ち方も、示し方もそれぞれだと思います」

 私の言葉が届いていない様に、表情を変える事無くカミュ様が口を開く。

「……出来る事をして差し上げたいと、側におりました。でも、私は状況の中で、手を広げただけなんです」

「優しさを向け続けた。それではいけないのですか?」

 否定するように首を振って、カミュ様が小さなため息をつく。

「アレックスは、可能性があれば迷わずに踏み出します。諦めても、諦めていないんです。羨ましくて、同じではない自分をもどかしく思える事がありました」

「辛いのに側に居続けるのも、大変な事だと私は思います」

「そうでしょうか?」

 激しく求める愛があって、寄り添うように与える愛がある。

 カミュ様の横顔には、押さえきれない感情が時折過ぎた。今も、静かなの眼差しに零れるような熱が浮く。その瞳に誰かを重ねて胸が痛む。

「カミュ様。苦しいのに与え続けられる優しさは、どこから生まれるのでしょう?」

――隣で見る辛さを知っていますか? 

 赤い風鞠は、ジルの手で今も私のベットの天蓋を漂う。舞踏会の晩、バルコニーの屋根、私の背をアレックス王子に向けて押したのはジルだった。

 想い合うべきと定められた二人の側で、叶わぬ想いを抱いて側に居続けたカミュ様。思いはまだ、胸にあり続けて褪せる事はない。
 
「苦しそうな彼女を、少しでも救って差し上げたかった。いつか、彼女の幸せが見たいと思いました。側に居れない事よりも、側に居る事を求めるしかなかったんです……」

――貴方の望むままに致します。だから、お側に居させてください。

 胸のうちを確かめるように襟もとを抑えて、心にあるものを拾い上げる様にカミュ様が呟く。
 進み続ける事も強いけれど、立ち止まって守り続ける事もまた強い。
 
「ノエル。この気持ちを、愛と呼んでも良いと思いますか?」

――私は貴方を愛しております。貴方が望む限り、家族として……

 真剣な眼差しで私を見つめてカミュ様が問う。その言葉にはっきりと頷く。
 私が縛った大切な人の言葉が重なって、胸がひどく痛む。

 何かを解くような吐息を落として、大輪の華が開くような笑顔をカミュ様が浮かべる。

「もう一度、自分に問うてみます。あぁ、少しアレックスに腹が立ってきました。彼の愛は眩しくて羨ましいのに、同じ場所に並ぼうとすると影を落とす。彼は本当に狡いと思いませんか?」

 笑って言った言葉に、笑顔を返す。
 カミュ様の答えは想い合う幸せに繋がって、新しい約束が生まれるかもしれない。

――貴方の幸せが、私の幸せなんです。

 でも、心の一番奥で私が私を責める。返せない愛は残酷で、誰かを愛する姿は酷い仕打ちだと嗤う。
 ジルにとっての私。ジルにとってのアレックス王子。私とアレックス王子の答えが、ジルの幸せだとは思えなかった。

 馬車がゆっくり止まって、カリーナの屋敷に着いた。約束をしたのは私なので、迎えの為に馬車から降りる。屋敷の外で待っていてくれたカリーナが、私を見つけて頬を紅く染める。

「ごきげんよう、カリーナ。お待たせしてしまいましたか?」

 近づいて声を掛けると、落ち着いた彼女には珍しく慌てたように首を振る。

「いいえ。たった今、日差しに誘われて外に出たばかりですわ」

 胸の前で手を合わせる姿が可愛くて、思わず笑みが零れる。カリーナはいつも少しだけ、私を本当の男の子にしてくれる。
 エスコートの為に、そっと手を差し出して跪く。

「一緒に過ごせる事を嬉しく思います。お手に触れても宜しいですか?」
 
 優雅な一礼を取って、カリーナが整えた指先を私の手に載せる。その指先に軽いキスを落とすと、頭上で蕩けるような溜め息が落ちた。

「ノエル様に迎えに来て頂くなんて、夢のようです。宝物の思い出が一つ増えました」

 馬車に向かって、エスコートする私を見つめてカリーナがうっとりと微笑む。
 最近は良い感じだと、ラザールからの自己申告では聞いている。なんだか少し、邪魔したくなってしまいそうだ。

 聖女の屋敷に向かいながら、ディアナについて説明する。聖女の条件に、カリーナが僅かに眉を顰めた。敏い彼女は不満を漏らす事はしない。だた、瞳の奥に小さな怒りだけを湛えて、悲し気に一度だけ首を振った。

 火属性の強い土地は、王都の中心から少し離れた郊外にある。自然に囲まれた景色の中に、見慣れない屋敷が見え始めた。

「まぁ、コーエン風のお屋敷ですわ」

 カリーナが楽しそうに声を上げる。
 窓から見えるのは、王都に珍しい木の風合いを活かした建物と、自然そのままの風情を残した庭園。厳しい選択を迫るけれども、国政管理室なりに心配りはしているようだ。

「家具もコーエン風なのかしら? 私、コーエンの家具がとても好きなんです」

 カミュ様が満足げにカリーナを見て頷く。カリーナを選んだのは絶妙な人選だと思う。貿易で栄えるミンゼア辺境伯令嬢のカリーナなら、国中の品に触れて育ってきた。当然コーエンの品だって知識がある。

 馬車を降りて私達を迎えたのは、聖女の両親であるレヴィ伯爵夫妻だった。
 カミュ様の紹介で私とカリーナが名乗る。アングラードの名を聞いた時、レヴィ伯爵はやや複雑そうな表情を見せた。国政管理室が厳しい要求を重ねた所為で、私の印象も良くないようだ。

 日差しの心地よい居間に通される。
 最初に目に入ったのは赤い髪じゃなくて、今日のカリーナよりも真っ赤になった聖女の顔だった。歩くと、右手と右足が一緒に動いてしまっている。
 心配していたら、聖女は案の定バランスを崩して倒れそうになった。カミュ様が手を伸ばして、抱き寄せる。魔法に掛けられたように、聖女の顔が美しく綻ぶ。その顔に何かを見つけたように、カミュ様が笑い返す。

「ノエル。少しだけ見方を変えたら、何かが違う気がして参りました」

 聖女の髪を撫でて、カミュ様が私を見て小首を傾げる。一つの恋が少しだけ動き出した。

 カミュ様から離れた聖女が私達に向き名乗って、また簡単に赤くなる。

「ディアナ。私の級友です。アングラード侯爵の子息であるノエルとミンゼア辺境伯ご令嬢のカリーナ・ミシリエです。ノエルは国政管理室の方たちと、雰囲気が全く違います。安心して下さいね」

 聖女は私の事は怯えたように見つめたが、カリーナには嬉しそうに頬を緩ませる。

「わ、わ、わた、わた、く、し――」

 緊張しすぎた聖女の言葉は、どんどん絡まって、嬉しそうだった頬も強張ってしまう。そんな聖女の手をカリーナが取って、優しく微笑む。

「気軽なお茶会の席に、改まった挨拶は不要ですわ。ディアナ様、甘いお菓子はお好きですか?」

 カリーナの言葉にディアナが慌てて頷く。ディアナの手を取ったまま、カリーナが私の方を向き直る。

「ノエル様と私、二人揃って甘いお菓子を買ってしまったんです。マロネとリモネ、どちらがお好きかしら?」

「あっ、マロネ……がす、すきです」

「私もですわ。そういえば、コーエンのマロネを使ったお菓子は何だったかしら……」

「グラシエ、ですわ……お、おさ、けの効いた」

 カリーナは途切れないように、二択か確実に応えられる問いかけを繰り返す。愛らしく繋がれた手が、時々優しいリズムを刻む。その度にディアナの口調は、滑らかになっていった。

 その手腕に呆然とする私とカミュ様に、目配せするようにカリーナが一瞬見る。私たち二人は、その意味が分からずに内心でやや焦る。そして、女の子である私より先に、カミュ様が答えを出した。

「楽しそうですが、席に着きませんか?」

「まぁ、恥ずかしい。初対面なのにお話がしやすいので、つい話し込んでしまいましたわ。ディアナ様、座ってもっとお話致しましょうね?」

「はい。私もとても楽しいですわ、カリーナ様」

 こうして始まったお茶会は、カリーナのお陰でとても和やかに楽しく過ぎた。
 マナー、所作、会話選び、そして空気の読み方。優秀なのは知っていたけど、令嬢の世界でのカリーナは抜群の能力がある。この国で一番の令嬢は、聖女の心もあっという間に掴んだ。

 カリーナに引き出される様に、緊張をといていくとディアナは魅力的な女性だった。真っ赤な髪に、真っ赤な瞳は情熱的なのに、話始めると少女のような可愛らしさがある。

 会えて良かったと心から思う。彼女の存在の儚さや悲しさに胸が痛んで、彼女なら祈れる事を羨んだ。心にあったやもやした思いが、目の前で触れ合うと自然と溶けていく。

「さ、最近、発表された宮廷恋愛小説はお好きですか?」

 瞳をか輝かせてディアナがカリーナに問いかける。私もその本は大好きだった。その本に出てくる王子様は、アレックス王子によく似てる。会話に加わりたくて思わず口を挟む。

「あの、私も読んだことがあります。とても面白い作品だと思います」

「ノエル様も読むのですか?」

 驚いたような声をカリーナが上げて、ディアナが目を瞬く。

「はい。寝る前には、流行ものの本を読むようにしているんです。恋愛小説なども目を通します」

 建前とし流行ものと言っているが、恋愛小説は大好きで完全な趣味だ。どの登場人物が好きか、どのシーンが好きか、男の人の感想が知りたいとカリーナとディアナが矢継ぎ早に問いかける。

「主人公と王子の再会のシーンは好きです。ディアナ様とカリーナは?」

「私は出会いのシーンが好きなんです。目を奪われるような出会いが私の理想です」

 そう言って、私を見つめてカリーナが頬を染める。

「わ、私は、幼馴染が心情を吐露するところに泣いてしまいます」

 少し前のめりになって、ディアナが語る。幼馴染は影ながら献身的に支える登場人物だ。少しだけカミュ様と重なって、思わずカミュ様を盗み見る。物語を一人知らないカミュ様は、不思議そうに私たちの会話を見つめていた。
 
「物語というのは、何処かで自分を重ねたくなるそうです。カリーナもディアナ様も、誰に重ねているのでしょう?」

 揶揄うように尋ねれば、二人とも顔を見合わせて赤くなる。

「では、ノエル様も重ねてらっしゃるのですよね? どなたに思いを馳せるのかしら?」

 少しだけ頬を膨らませて、カリーナが逆襲に出た。赤くなる事はなかったけれど、言葉に詰まる。
 アレックス王子を想いだして、小さく唇に人差し指を当てて秘密と答える。私の真似をするように、カリーナとディアナも唇に人差し指をあてて含み笑いを漏らした。
 
 楽しい時間が過ぎて、カリーナはディアナと次の約束をした。今日だけのエスコート役の私が、その約束に加わる事はない。いつか、私にキャロルの名が戻ったら、私も誘ってもらえるだろうか。好きな人の話に花を咲かせて、愛らしい時間を過ごす。そんな未来には自然と顔が綻ぶ。

 少し興奮したディアナと別れて、彼女に友として寄り添うと約束してくれたカリーナを送る。
 カミュ様と二人になった馬車は、私の屋敷を目指していた。

「今日は有難うございました。あんな風にはしゃいだ表情は、初めて見ました」

「カリーナの手腕です。ルナも気付けば、姉の様に彼女を慕っていました」

「ルナ……」

 懐かしそうにカミュ様がその名を呟く。ルナがドニの腕の中で、私たちに未来を告げてから一年以上過ぎていた。

「また、会えるでしょうか? 聞きたい事がたくさんあります。ドニも教会の人も皆ルナを待ってます」

 私の言葉にカミュ様が頷く。
 ルナの言葉を思い出して、沈黙する私たちを馬車の振動が急かす。穏やかな一日の先、愛しい未来に辿り着く前に、私たちには終わらせなくてはいけない事がある。

「カミュ様、一つ私からもお願いをさせて下さい。新しい選択は、アレックス殿下より聞いてます。地下渓谷に向かう時は、私を一緒に連れて行って下さい」
 
 アレックス王子は、連れて行かないと言った。気持ちはちゃんと分かっている。でも、地下渓谷に同行する事を諦めるつもりはない。

 暮れゆく光を受けてカミュ様が、ゆっくりと首を振る。

「ノエルは連れて行きません。アレックスから聞いていませんか?」

「皆は連れて行っても、私は残すと言われています。納得がいきません。私はお役に立てます」

「存じております。ノエルは、私よりも強いでしょう。でも、私もノエルを残したいと思います」

 カミュ様はよく小首を傾げる。今も、困ったように愛らしく髪を揺らす。もう何度も見てきて、それが癖だと知ってるのは、友として一緒に過ごしてきた時間の証拠だ。

「嫌です。ずっと一緒でしたよね? 公になってから、ずっとです。僭上ですが、友だと私は思っています」

 花が綻ぶようにカミュ様が笑って、綺麗な手で私の手をゆっくりと取る。

「はい。今もこれからも我々は大事な友です。クロード、ドニ、ユーグ、ディエリにも無二才がございます。ノエルは中でも多方面に秀でてる。それに、皆がノエルなら信じる事ができるんです。最後の希望になって下さい。貴方が控えているなら、どんな結末でも望みが繋げる気がするんです」

 宥めるように優しく手を叩きながら、請うようにカミュ様が私を見つめる。「どんな結末でも」その言葉が示すのは決して良い結果じゃない。

「嫌です。共にありたいです」

「決断を変える気はありません。怖いんです。失敗する事が、私もアレックスもとても怖い。だから、貴方を残したいんです。他の誰でもなく、貴方がいてくれる事が、私達を振り返らせません」

 優しく心の強い友の願いは、時にアレックス王子の言葉よりも私の中に重い楔を打つ。
 向けられた瞳に、友の信頼を見つけて言葉を繋ぐことができずに俯く。

「ノエル。貴方を私達が残して、希望にすることを許して下さい。辛いでしょうが、離れた場所で次につなげる道を求めていて下さい」

 友が私に向ける信頼の可能性。私がそこにいる事の可能性。二つを秤にかける。

 全てを話すべきなのだろうか? 突拍子もない真実は、信じてもらえるのだろうか?
 世界は私の知らない時間に進んでいる。私の持つ秘密には、提示できる根拠が何一つなくなっていた。今、口にすれば真実でも、私の我儘に映ってしまう可能性がある。

 目が合ったカミュ様の美しい笑顔に、私は小さく頷いてしまっていた。

 駆けていく窓から、柔らかく切ない赤が差し込む。落ちる沈黙は、優しく悲しい。告げる根拠のない事にもどかしい思いを抱えた私の手を、カミュ様は諭すように優しく叩き続けた。


 父上の出立から二十日がたった頃、国政管理室から遊びにおいでと連絡がきた。
 差し入れを作る時間も惜しくて、屋敷にあるお菓子を搔き集めて出掛ける。

「こんにちは! 父上は無事ですか?」

 国政管理室のドアを開けると、変わらない雰囲気で皆が迎えてくれた。

「室長もギスランも騎士団も無傷だよ! こちらの計画通りに進んでるから、大丈夫だよー」

 緊張が解けて、ほっと胸を撫で下ろす。座り込みそうになる私を、副室長が不安げな眼差しで見つめる。

「ノエル君、大丈夫? 帰って来る前から心配してたら、最後まで持たないよ?」

 問いかけに、慌てて首を振って笑って見せる。

「大丈夫です。二週間で着く場所に、二十日も掛かってたから、心配してたんです」

「ああ。うちは秘密が多くてごめんね。実は、武装兵が襲撃を繰り返しているヴァイツの地方都市の視察をしたんだ。武装兵をこっちで掃討したいって、ヴァイツ王に申し出たかったからね」
 
 その言葉に思わず首を捻る。武装兵が動き出して二か月近く経っていた。とっくに討伐は終わっていると思っていた。

「ヴァイツは見誤ったんだよ。基本は訓練もされてない庶民の寄せ集めだけど、指揮をしているのは学園で教育を受けた貴族だ。盗賊を相手にするのとは違うのに、被害がでたら追うような行き当たりの戦略を繰り返した」

 ヴァイツという国は好戦的だが、戦略に長けた国ではない。騎士の教育を受け、魔法を効率的に使いこなす貴族の戦略に踊らされているのだろう。

「早馬を出したら、ヴァイツ国王から討伐許可はすぐおりたよ。ギスランと八割の兵は、国境に近い都市に討伐の為に引き返した。室長と二割が王都には移動したんだけど、視察の分遅れが出ちゃんたんだよね」

 同行する兵が少ない事を心配していた私は、その言葉に眉を顰める。

「作戦のうちだから大丈夫だよ。大崩落を見越して、ヴァイツはうちが兵を避けないと見てる。数の余裕と自信を粉々にしてやろうと思ってさ」

「どうやってです?」

「武装兵を潰す罠は、視察の時点で仕込んだ。で、ヴァイツ王の承認が出た日のうちに、一日で壊滅させた。戦略の違いなんだけどね。ヴァイツは力の差まで疑って、心理的に追われ始める。更に室長達が移動の間に、刺客を徹底的に潰していった」

 武装兵の壊滅は、準備をすれば可能だと思う。来るものをただ追えば苦戦するけど、罠を仕掛けて招くなら違う。徹底的な戦略と作り上げた土俵で、指揮官である貴族を狙い打つ。残された訓練を受けてない者は簡単に片付くだろう。
 
「あとで、壊滅の戦略を見せて下さい。刺客の対応はどうしたんですか?」

 こちらは更に少数での勝負だ。父上は第二騎士団は少数戦略に長けてると言っていた。計画通りなのだろうけど少しは心配になる。

「ヴァイツは使者を開戦の為に殺す。けど、国章をつけた国賓を、白昼堂々と殺す事は流石にしない。昼間はゆーっくりと国賓として休んで、夜に移動ね。最高の闇魔法の使い手を、夜陰に乗じて襲うなんて阿保だよねー」

 私も闇属性だから、夜の優位性はよく理解してる。暗闇しかない夜は、普段ずっと魔力が動かしやすいし、感覚も鋭敏になる。間違いなく夜の間、全属性の中で闇魔法は最強だった。

「父上が国最高とは聞くのですが、魔法を全力で使っているのは見た事がないんです。そんなに強いんですか?」

「必見だね! 若い頃に室長は騎士三十名を、一瞬で潰してるからね! 国最高っていうより歴代最高でもいいと思うよ。特に大規模なのは得意だから、少数で多数を圧倒するのには最適なわけ!」

「じゃあ、予定通りヴァイツに対して優位に立てたのですか?」

 私の問いかけに副室長が満面の笑みを浮かべる。

「先の先のまで用意は万端だ! 既にヴァイツはワンデリアという災難の土地の為に、マールブランシュ王国を敵に回す事に消極的になっている。一応、進軍された時の為に、国境の町に待機中のギスランも罠を仕掛けてくれてる。このまま脅して、不可侵条約になるように動く」

 ヴァイツの動きが人と人の争いなら、これで起きる前に止められる。でも、他に新しい芽が生まれる事はないのだろうか?

「これで、人と人の争いは終わりなんでしょうか?」

 私の言葉に国政管理室が、一瞬水を打ったように静まり返る。

「ノエル君はいいねぇ! 大丈夫。こちらも警戒は、きちんとしてる」

「そうですか……。父上はいつ帰ってきますか?」

「ごめんね。はっきりと教える事はできないんだ。でも、室長を信じていてあげて、あの人は怪物だから。数日後には調印の為に、国王が王都を出る。副室長と半数が同行して、室長と交代する予定だよ」

「数日後ですか? 年境の行事はどうされるのです?」

 この国は一年が終わる時に、年の境を祝う行事がある。春の建国祭と違って、華々しさはない。けれども、国王が城門から民に姿を見せて手を振り、花火があがって、楽団の演奏もある大きな行事だ。

「アレックス殿下がやる! 調印後に国王が急いでも、日程が厳しい。国王には中崩落が続くワンデリアで、不安払拭の為に行事を行ってもらう。ノエル君、ここの手伝いに来る?」

「いいんですか? 王族関連行事ですよ?」

「うん。国政管理室も半分は調停に行くから、人手不足だし。ノエル君なら大丈夫。手伝ってくれるなら、手配はするからね?」

 申し出に大きく頷く。いつも、お世話になってる国政管理室のお手伝いができるのは嬉しい。それに、国王の代わりに、民に応えるアレックス王子を見るのは楽しみだった。


 国政管理室の後には、ユーグの研究棟に向かった。
 占拠している一番奥の研究室で、机を挟んだユーグは顔を伏せて熟睡中だ。

「いつ寝たんですか?」

 少し濃すぎるお茶を出してくれたユーグの従者に問いかける。

「一刻はたっているので、そろそろ起きると思います。ユーグ様の休憩の睡眠は、ほぼ一定なんで確実です」

 息をしていないぐらい静かな寝顔を覗き込む。ユーグと最後に顔を合わせたのはいつだろう。ドニにも随分あっていない。

「ユーグ、痩せました。シュレッサー伯爵にちょっと似てます」

 そう零すと、ユーグの従者が苦笑いを浮かべる。

「屋敷にも暫く帰っておりません。旦那様もエルヴェ様も心配してます」

 みんなが一生懸命に頑張っている。なのに、私達の未来には何の保証もない。

 溜息を堕とした瞬間、ユーグが金色の瞳を開ける。ゆっくり半分だけ体を起こすと、ぼんやりとした眼差しで私の髪に手を伸ばす。

「ノエル? 夢かな? ずっと、君に――」

「ユーグ様!! 現実ですよ!! 現実!!」

 従者の大きな声に、弾かれたように背中を伸ばしてユーグが瞳を瞬く。それから、従者を見て不本意そうな表情を浮かべる。

「時には現実じゃなくて、夢に浸かりたい時があるって知ってる?」

「さぁ? 夢より真実の方が、我々には大事と認識してました」

 従者が肩を竦めて、ユーグのお茶を入れるために背を翻す。不機嫌な表情のまま、背伸びをしたユーグが夢から覚めた瞳を私にむける。

「おはよう、ノエル」

 お茶が来るより先に、ユーグが怪しげな自作回復薬を一息で飲み干す。その目の前に国政管理室から持ってきたお菓子をいくつか並べてあげる。

「こんにちは、ユーグ。ちゃんと固形の食べ物も食べてますか?」

 少しやつれた顔をじっと見つめると、ユーグが嬉しそうに唇をなめる。

「最後に食べたの何時かな? 国政管理室は糖分好きだよね。僕としては、糖分より回復薬の方が、手っ取り早いと思うんだけど?」

 ユーグの為に、お菓子の一つを開けて差し出す。国政管理室のお菓子の取り過ぎもどうかと思うけど、シュレッサーの回復薬頼みもどうかと思う。

「で、久しぶりにどうしたの? 忙しいんじゃないの? 僕はかなり忙しいよ」

 開けたお菓子は素直に食べてくれた。二つの目のお菓子を開けて渡す。ひな鳥の餌付けをしている気分だ。

「忙しいですよ。なので、本題に入ります。ユーグはルナの事をどう判断してますか?」

 口を動かしながらユーグがすっと目を細める。ルナについてユーグからはっきりした報告を貰った事がない。でも、たくさんの情報を持つユーグが、答えを模索していない訳ない。
 
「国政管理室は、百の可能性があったらどうする?」

「百の対策を見つけます」

「探求者はね。百の可能性があったら、百の根拠を探す。そして、たった一つの真実を見つける。ルナの事に関して、僕は彼女が語った瞬間にも、消失する瞬間にも立ち会ってない。だから、まだ真実には辿り着けてないんだ」

 半分になったお菓子をユーグが口に放り込む。三個目のお菓子を開けて渡すと、素直に受け取る。

「なら、ユーグが見てる可能性だけでも、教えてください」

「嫌だ。今はもう、僕の答えは真実として扱われる。簡単に口に出したい内容じゃない」

 その言葉に私が見ている可能性と、ユーグが見ている可能性が重なる事を確信する。

「私は、魔物の王の対極の存在と思ってます。過去と未来を知って、あり得ない力を持っていました。彼女が憂うのはこの国です。そして大崩落を強く意識している」

 ユーグが私を通り越して、ずっと奥を見つめる眼差しをする。

「それは口にしない方がいい。言葉は時に混乱を招く。可能性だけなら認める。だけど、幾つかは別の方法で答えが出てしまう」

「確かに、答えを他に見出す事もできます。でも、精霊の子が一晩で突然変わるなんて、あり得ない事がたくさん起き過ぎています」

 私の言葉に、ユーグがきっぱりと首を振る。見つめる眼差しはとても厳しい。

「不思議な状況を説明するのには、絶対の根拠が必要だ。僕が死んだ母に会ったと言ったら、君は信じる? 巨人の足跡を見つけたと言ったら? 未来を視れると言ったら? 過去の記憶を引き継いでいると言ったら?」

 もしもの幾つかかは、友の言葉ならと言って信じる。でも、幾つかは笑って「夢でもみたの?」と言うだろう。 
 私が私の秘密を皆に告げたらどうなるのか。きっと同じだ。

「ねぇ、ノエル。この国の歴史の中で、あり得ない事が嘘だった事がどれ程あると思う? それに踊った人がどれ程いると思う? 時には真実じゃない結論に、誰かが追い詰められてきた。ルナは、あまりに俗で人に近い。真実じゃなかった時に、彼女と国が払う代償を考えれば、僕は断定できない」

 ユーグの言葉に目を閉じる。簡単に結論づけるには、余りにも大きな存在とルナを私は結び付けている。
 「おかえり」と書かれた教会の大地に書かれた文字。答えが歩き出したら、ルナは二度とそこには戻れない。

 私の頬を軽く叩く指の感触に慌てて目を開ける。乗り出したユーグの顔が、とても近くにあった。私の肩を引き寄せて、ユーグが耳にそっと唇を寄せる。

「僕は君に甘いよね。誰にも秘密だよ。対極の可能性があるのなら、僕は彼女を「光の女神の本体」じゃなくて、「欠片」なのだと考える」

 ゆっくりと体を離してユーグが笑う。
 魔物の王は封じられていても、零れた力から自らを模した力の欠片を動かす。光の女神をはその身の全てを泉に変えた。でも、僅かな力を残していたら? 力の欠片は何かを模して世界に残る。
 
「とりあえず、僕と君だけの秘密。彼女がいない以上、誰であるかは方針には影響を及ぼさない。君の時みたいに、彼女を待つドニが傷つくのを見たくないんだ」

「私もです。誰にも言いません。ユーグ、ありがとう」

「どういたしまして。ねぇ、君にも解けない秘密があるんだけど、いつ教えてくれるの?」

 私の中を探る眼差しに戸惑う。心の奥で、根拠を持たない真実を告げるか迷う。

「解けない秘密って何ですか?」

「君が僕の属性を知っていた事」

 大きく息を吸って、吐き出す。
 出会ったばかりの時にユーグと私を繋いだ契約は、私が示せる唯一の根拠かもしれない。どう告げればいいのか。
 私が前世でこの世界をゲームとして知っていて、ユーグのシナリオを見て知っていたという言葉は理解されるのだろうか。
 
「ユーグ。未来の筋書きを知っていたと言ったら、どうしますか?」

 計るように見つめた眼差しが、緩やかな弧を描く。

「半分信じるけど、半分は疑う。君はいつも手探りで頑張ってきた。知ってるなら、もっと楽だった筈だと思う。ついでに、この先に起こる事も教えられる筈だ」

「ですよね。私の秘密は、まだ秘密です。ユーグとの契約に、私の秘密を教えるというのはありません! これは、私の切り札です」

 明るく笑って、冗談だと言う。
 私は開けようとした心の扉から、手を離して鍵をかけた。

 その後、久しぶりにユーグとゆっくり話をした。演習場で頑張っているドニの話、それから学園内の派閥の調整に奮闘するラザールの話を教えてもらう。

 ご飯が食べたいから帰ると言い出したユーグと共に、馬車寄せに向かう。陽はすっかりと落ちていた。
 ユーグにも、お願いをしようと思って立ち止まる。

「ユーグ。新しい指針は聞いてますか?」

「知ってる」
 
 そう言ってから、いつも通りに私に抱き着く。ここにいるのを確かめる様に、私の腰をユーグが叩く。

「ノエル。時間が足りないんだ。出来る事はまだあるのに、寝るのも、食べるのも惜しんでも間に合わない。満足できない僕が、不安にならない為に君は希望でいて」

 カミュ様と同じ意味の言葉に、唇を噛む。友の言葉に私はいつも、声を失いそうになる。

「……私だって、一緒に――」

「これも秘密。君は残る。僕たちは行く。君からしたら、勝手なのは分かってる。でも、皆が望んだ答えなんだ」

 ユーグが私を残して自分の馬車に乗り込む。後悔を残したような眼差しで、微笑んで手を振る姿にまた動けなくなった。

 残る事を悲しいと思わず、次を考える事に全力を尽くす。皆が望むなら応えたいとも思う。だけど、シナリオが私を排除するための流れじゃないと言い切れるのか。
 今消えてしまいそうな細い月と同じぐらい、皆の望みは心細かった。

 そして、年境の行事を迎える日がやってくる。
 誰もが新しい未来を祝う日。それが、最期の始まりの日になる。





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