2018年12月19日水曜日

四章 六十一話 西方と模索 キャロル17歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




  馬車を降りて、中庭に出て早々に父上に出会ってしまう。アレックス王子の件で、父上は私が城に顔を出す事にいい顔をしない。
 互いに一瞬だけ顔を顰めてから、外向きの笑顔に変える。
 父上は舞踏会では見た事のない貴族の男性二人とディエリ、ギスランが一緒だ。
 二人の貴族は父上よりも年嵩で、一人は質素な装いで良く日に焼けた無骨な印象の人物。もう一人は反対に太陽に当たった事もないような色白の気難しそうな人物だ。
 一礼してから、挨拶の為に近づく。

「アングラード侯爵、ご家族ですか?」

「ええ、私の息子になります。ご挨拶をさせて頂いても宜しいですか?」

 二人の男性に尋ねて承諾の頷きが返ってくると父上が、私に目顔で挨拶を促す。
 屋外なので、その場で二人に対して立礼をして名乗る。

「初めてお目にかかります。ノエル・アングラードと申します。宜しくお見知りおきください」

 顔を上げると、武骨な男性が鋭い眼光を向けて返礼を返す。

「辺境伯を賜っている、ボードワン・オーリックだ。学生ではバスティア公爵と並ぶ俊才と聞いている。会えたことを嬉しく思う」

 やや低い声で短くはっきりとした話し方は、隣国ヴァイツと諍いの絶えない国境を守る辺境伯に相応しい力強さがあった。言葉に謝意を示す為に軽い礼を返す。

 彼がオーリック辺境伯で、バスティア公爵であるディエリがいるなら。三人目はワンデリア西方の貴族で現宰相のベッケル公爵の関係者だろう。
 最後の一人が、私に上から下まで値踏みするように不躾な眼差しを向けて、やや紫がかった唇を開く。

「子息にしておくには、勿体ないですね。私は宰相を務めるベッケル公爵嫡男、ファビオ・ベッケルです。父が役職上、王都にいる事が多いのでワンデリアの領地は私が管理を任されています」

 差し出された手を礼をしてから握る。生気に欠ける雰囲気とオーリック辺境伯の半分ぐらいの体躯のせいで老けた印象だが、近くで見ると案外父上と変わらない。
 オーリック辺境伯が顎髭を撫でながら、目を細めて私とディエリを交互に見る。

「この世代も実りが多いな。次代の王の周りが充実するのは良いことだ。陛下の世代も、アングラード侯爵と近衛騎士のヴァセラン侯爵は同級で、上の世代にはシュレッサー伯爵やボルロー伯爵、下にはバルト伯爵と実りの多い世代だった。よく切磋琢磨するといい」

「有難うございます。いづれはバスティア公爵と並べるよう研鑽を積みたいと思います」
 
 友好を全面に押し出した私の笑顔は、ディエリに無視される。それをファビオが青白い顔を僅かに歪めて口の端を上げて笑う。
 
「親と子は常に比べられます。目立つことは容易だが、超える事は難しい。既に注目を集める君たちにはそんな心配は余計なお世話でしょうかね」
 
 ディエリが面倒そうに舌打ちをする。父上達と同じ世代でありながらオーリック辺境伯が名を上げなかった事も含めると、ファビオに対する評価は高くないのだろう。
 柔らかい笑顔でやり過ごすと、父上が外向きの優美な笑顔を三人に向ける。 

「オーリック辺境伯、ファビオ様、バスティア公爵。先に行って頂けますか? 息子がここに来たと言う事は、家からの火急の用だと思いますので」

 頷いて中央棟に歩き出す三人を一礼して送り出す。
 暫く離れてからディエリが振り向いて、忌々し気に睨む。睨む為だけに振り向く必要はない。ディエリは協調性をもっと身に着けた方が良いと思う。

「さて、ノエル。今日はどうしたんだ? 忙しい時期だから、あまり出入りするなと言ったはずだぞ」

 父上がため息交じりに私に尋ねると、ジルが僅かに進み出て手にした荷物を主張する。荷物が母上の手による差し入れだと気づいた父が、途端に相好を崩す。
 
「母上からの差し入れと伝言を持ってきました。頑張って下さい、です」

「ありがとう。今日は帰ろうと思ってたんだ! じゃあ、ノエルはさっさと帰りなさい」

 簡単には懐柔されてくれない父上に、頬を膨らませて抗議の意思を示す。
 父上が頑なに私を城から離したがるなら、状況は思うようには進んでいないのだろう。
 元に戻りたいとは望まない。望む事で零すものがあまりに大きいと知っている。
 でも、未来で隣に立ちたい。文官として隣立つ事を願う私がアレックス王子の為に出来るのは、他の事態での進展を見出す事だ。ユーグからも情報はある程度入って来るけれど、詳細までは難しい。今日は絶対に国政管理室に入って資料を見せてもらいたかった。

「いいじゃないですか、室長! 皆も喜ぶし! 最近ご無沙汰だったから、ノエル君が好きそうな資料が山ほど溜まってるよー。 さあ、お兄さんが国政管理室という楽園に招待してあげよう!」

 ご機嫌な様子で私の手をとったギスランの頭を父上が叩く。その父上を私は膨れた顔のまま上目遣いに見つめる。狸には躱される事も多いが、上手くいく時もある主張方法だ。

「ギスランは休憩したいだけだろう? まぁいい。西方の会議が終わったら今日は帰るから、一緒に帰るか? 国政管理室で大人しく資料を読んで待っていなさい。最近の情勢が知りたくて来たんだろ?」

「はい! 父上大好きです! バスティア家の取り締まりが気になってたんです! 学園の中で噂が飛び交ってますけど、何か操作してますよね?」

 噂の出方の激しさから意図的に毒にならない情報を蒔いているのは明らかだった。それなら、何かを隠しているか、不都合な事実を抱えているか、どちらかだ。

「子狸ちゃんは、勘がいいね! 室長、資料は僕が占有中なんで、やっぱり送ってきまーす」

「狡いな。今からあのクソガキのいる会議で私も疲れるんだが……」

 中央棟に向かって父上が踵を返すと、ギスランがスキップしそうな歩調で私の手を引いて文官棟に歩き出す。

「子狸ちゃんは、室長にも甘えてあげてるかな? さっきの顔はいくら狸でも可哀そうだよ」

 一瞬だけの表情をしっかり見ているギスランは、お気楽そうに見えても鋭い。

「もう十七ですから、そこまでは甘えません。ギスランさんこそ、恋人に甘えてますか? 国政管理室は忙しいから今に愛想を尽かされますよ。早く結婚したらどうです?」

「んー。結婚ねー、白紙に戻しちゃった。僕、失恋中なのよ!」

 祝杯の時に話していた令嬢を、ギスランは射止めた。しっかり者の恋人はちょっと癖のあるギスランには丁度いいと、国政管理室の人たちも最近までよく冷やかしていた。

「どうしてですか? 前に来た時はそろそろ結婚を申し込むって言ってたじゃないですか?」

「まぁ、この国の向かう方向を決めた僕達には、色々やらなきゃいけない事があるんです。大人の責任ってやつだね。一応、室長、副室長に続く凄い人だからね僕は!」

「通達がたくさんの人を巻き込んだからですか? ギスランさんが責任を感じるなんて意外ですし、らしくありません!」

 前のめりになって言った私に、ギスランが苦笑いを浮かべる。
 一見穏やかなのに、仕事での判断は父上と同じぐらい冷徹で容赦がない。以前、私に無理やり音を拾う魔法具を渡してきたような人だ。厳しい判断をお調子者の口調で軽く言う。そして引きずる様子は見たことない。

「僕の評価に異議あり! まあ、責任は感じてないけどねー。でも、いい加減な仕事をしてるわけじゃないよ? 問題には全力で取り組むし、事後のフォローも完璧。ただ、僕らがするのは個人への配慮じゃなく、国の最善への判断だからね。一つ一つに責任を負い続けてたら潰れる。だから、知らない人への感傷には浸らないってお兄さんは決めてるだけ!」

 個人より国の最善を選ぶ。父上にも似たような割きりを感じる事はある。
 最善がすべての人にとって最良にはならない。それは解っていても、私にはまだその割り切りが、すんなりと飲み込めない。

「おっ、若者の眼差! 納得できないって書いてある。国管にくれば必ずぶつかる壁は、まだ君には少しだけ早いよ。うちの新人が漸く今、自分の考えの岐路に立っているところだ。それに、行きつく所が同じとは限らない。似てる僕と室長だって少し立ち位置がちがう。ノエル君はどう判断するように育つかな?」

 その言葉に首を傾げる。今の私の手には見える者と知っている事しか乗っていない。国政管理室の人たちはもっと大きなものを、もっと大きな何かに乗せて零さないように選んでいく。
 私の頭に手を乗せて、ギスランが滅茶苦茶に搔き乱す。

「僕の結婚の話ね。今は平穏だけど、確実に災いが起きる。僕らはこの国の頭脳だから私の部分は持てない。それに、手足になる人を動かすからすごく忙しいの。終わるまでは他の事に関わる余裕はないわけ。どう? お兄さんかっこいいでしょ?」

 少し尊敬のまなざしを向けかけた私に、また衝撃的な一言をギスランが落とす。

「後片付けまでやったら、どのくらいかかると思う? 多分、数年は吹っ飛ぶ。僕の彼女さ、いい年齢なのよ。待ってもらったら、おばあちゃんよ! まぁ、結婚式するなら若い方がいいでしょ! 僕も彼女も! って言ったら、噴水に投げ捨てられたよー」

「最低です!! ギスランさんが!!」

 また、少しカッコいいとか思った私の気持ちを返して欲しい。どうしてこの人は、いつも最後まで尊敬を向けさせてくれないのか。
 腹が立つので握られていた手を振り回して離す。女の人にそんな発言をするギスランは酷すぎる。怒る私をみてギスランが嬉しそうな顔をする。

「うん。最低だって思われたなら良かった。まぁ、彼女にはいい人が見つかる事を願ってるよ。側に居て彼女を一生守れるような男が現れてくれたらいい。僕の事はお終い。ところで、ノエル君さ、室長にちゃんと甘えてあげな。大切な人ほど、後に後悔が残る。後悔は先には出来ないからね」

 感傷的な空気の理由を問いかけようとした瞬間、ギスランが走り出して国政管理室の扉を開く。

「皆! 天使を連れてきてあげたから、僕に感謝! ソレーヌ様の差し入れ付きだよー」

 煩い歓声が響くから、ドアを閉める為に私も走る。
 国政管理室に入ると、いつも通りの機関銃のようなお喋りが迎えてくれる。

「ノエル君! いらっしゃーい! 久しぶりだね!」

「天使降臨! 相変わらず室長の息子なのが残念な美人だね」

「お土産、早くだして! 糖分! 糖分!」

 一応挨拶をしてから、ジルに指示して父上の机の端に母上の差し入れを置く。ここに置いておけば、皆さん勝手に食べに来てくれる。
 ギスランが一抱えの書類を父上の机に乗せてから、母上の差し入れを口に放り込む。

「一応、通達の件、それからバスティア公爵の取り締まりの件、あと聖女関連の進捗でいい?」

「はい。必要なら皆さんにも教えてもらうから大丈夫です!」
 
 もう一切れ差し入れを口に入れると、ギスランが手を振って出ていく。見送ってから席に座ると、早速他の人たちのお喋りに巻き込まれる。

「ノエル君。最近、遠慮なくなってきたねー」

 相変わらず、しゃべりながらも皆の仕事のスピードが落ちる事はない。

「え? そうですか?」

 他に座るところもないし一番備品も勝手に使えるので、最近は父上がいなければここが私の定位置になりつつある。

「室長の机で遠慮なく情報取集、どんどん室長化してきてるよ?」

「ノエル君が座っている方が目の保養だけど、来るたびに黒くなってる気がする!」

「それにさ、私たちとお喋りしてくれないしね。読むばっかりで寂しいなぁー」

「そう、そう。冷たいなぁー。おじさん達の事、便利な図書館の本ぐらいにしか思ってないのかなぁー」

 お喋りに付き合えというプレッシャーをかけられる。
 やれと言われれば読みながら喋るのも、書きながら喋るのも、考えながら喋るのも、ここの人たち程上手くはないが出来る。でも、かなり頭を使うから、どうしてもお菓子を食べたくなる。

「皆さん。ノエル君はまだ学生ですよ。僕たちみたいに同時に幾つもこなすなんて難しんです。そっとしておいてあげましょう。どうぞ、ノエル君。君のペースで色々学んで行ってくださいね」

 優しく私のフォローをしてくれたのは国政管理室の新人君だ。こないだまではお喋りすると仕事のペースが落ちていたのに、今日は見事に両立していた。
 張り合うつもりはないけれど、庇われる程できないわけじゃない。
 父上の机の一番上の引き出しを開く。ここはお菓子の保管場所だ。
 
「いいですよ。お喋りは大好きです!」

 母上の差し入れを一つ口に放り込めば、頭脳と要領の戦闘開始だ。

 私をお喋りの相手に定めた国政管理室の皆さんの会話は、ディエリの話題に移る。

「ディエリ君って、可愛げないよねー」

「こないだ駒取りゲームしたけど、戦略がえげつなかったわ」

「ディエリは奥の手を隠すのが好きですね。御前試合でもここぞの突きに苦しめられました」

 やっぱりディエリは協調性が必要だ。ここでも可愛げないの大合唱が起きている。

「あー。あったねー。ノエル君、負けると思ったのに大逆転!」

 適度に耳を傾けて、最初に手にした通達に関するレポートを読み進める。

 レポートにはちゃんと国政管理室の文章が載せてあった。シュレッサーの調査結果から二年以内に大崩落が起こる事、全貴族に後方支援を願う事が書かれている。特に中位以上の魔力があるものは、積極的に魔物の討伐に参加する様に促していた。
 至って普通の文面には国の雰囲気を変える程の力は感じない。学園で感じた熱気の秘密を探す。

「ディエリ君の眉と眉の間の皺は標準装備?」

「標準装備ですね。笑った顔を見たのは五本の指より少ないです」

「貴重だねー。ちょっと今度何かしかけてみようか?」

 国政管理室がディエリに対しての悪戯の計画を立て始める。タチの悪い内容に思わず心の中で手を合わす。

 通達の開封には対象者の魔力が必要で、指定された人物が揃わなければ読むことが出来ない。基本は家族だけの組み合わせだが、時には家族以外の組み合わせで発送されている者もいた。
 魔力を流した通達は簡易誓約に繋がる。誓約の内容は文面の口外の禁止。通達開封から一定時間たつと、書面に刻まれた魔法により通達はその場で消失する。

 思わず感嘆のため息が漏れる。これは、通達じゃなくて国政管理室と貴族の密室での真剣勝負だ。
 一緒に読む人選から文面まで徹底的に国政管理室は罠を仕組んだ。必ず読んだ人たちがこちらの希望に沿うように。

「そういえば、ディエリ君の情報を作戦戦略室室長のバルト伯爵と騎士団長のゴーベール伯爵に室長が流してたよ」

「ディエリは武官専科にいるから作戦戦略室はいいかもしれませんね。適材だと思います!」

「バルト伯爵は乗り気だけど、ゴーベール伯爵は微妙そうだった。こき使われる未来が見えたんじゃない?」

 作戦戦略室は言わば騎士団の頭脳にあたる。あらゆる作戦を一手に引き受けるからディエリにはよく合う。卒業後、故郷に帰らないのであればラザールも向いているだろう。

 発送した貴族のリストを見る。組み合わせはよく考えられていた。見栄を張り合う関係の貴族の組み合わせには、煽るように金策を促す文を送ったのだろう。横に「金」の文字が書かれている。
 「功」「熱」「臆」「反」「従」「脅」など、文面の傾向を示すと思われる文字は生々しい。
 父上とギスランは、国政管理室の中でも多くの人に文章を書いていた。そして、「脅」「反」がやたらと多い。すごく大変だった筈だ。今日の帰りは少しだけ父上に甘えて、たくさん褒めてあげたい。

「ノエル君、今読み終わったのは何?」

「通達です。皆さんの文章が見られないのは残念です」

「あー。その言い方だと、何やったかは気付いてるんだね」

 父上よりやや年嵩の副室長が穏やかに眼を細める。凄く優しい人だけど、この人は「脅」の文章が多かった。多分、「脅迫」に近い文章を作ったのだろう。

「一応、基礎文章で送った事になってるから、書き損じも全部処分してしまったんだよね。あっても見せないけどね! おじさん嫌われたくないからね!」

 可愛いく片目をつぶって見せた副室長の隣で新人くんが深いため息をつく。

「私なんてストレスで胃に穴が開きそうなのに、みんな平気で怖い事を書けるんですよ。特に室長とギスランさんなんか本当に楽しそうでした」

 思い出して複雑な顔になった新人くんを見てると、父上を褒めるのは程々にした方が良いように思えてしまう。次に手に取ったのはバスティア公爵家の取り締まりに関するレポートだ。

 取り締まりを受けたのは隣国ヴァイツとの貿易商団。王都からオーリック辺境伯領を繋ぐ街道のうち、今回はバスティア公爵領を抜ける道が使われていた。摘発はオーリック倉庫、バスティア領東側、王都本部の三カ所で同時に行われている。
 摘発された積み荷から武装兵が見つかったのはオーリック辺境伯領の倉庫で、国境を超える直前の積み荷からだけだ。バスティア領の積み荷からは、身に着ける前の武器や防具しか出てきていない。本部の積み荷にも人は含まれなかった。一斉に三カ所ディエリが踏み込んだ理由は、どこか一つだけなら言い逃れを許す可能性があるからだ。

「そういえば、オーリック辺境伯とも駒取りゲームをしたんだよね」

「あの人はうちの苦手な戦い方をするだろう?」

「どんな戦い方なんですか?」

「力押し。最初から全力で真っ向勝負。下手に策略を打つと食われそうになる」

 罠の準備を仕掛けているうちに攻め込まれて、焦るのが思い浮かんで思わず顔が綻ぶ。
 さっきの挨拶でも思ったが、武人らしいまっすぐな人柄なのだろう。

 オーリック辺境伯はこの件では厳しい状況に立っていて、国境の管理から一時的に身を引かされている。代りに補佐という名目で、国境の管理を委譲されたのはバスティア公爵家だ。今回の功績が認められてと言われているが、実は理由はそれだけじゃなかった。

 積み荷に人が加わったのはオーリック領内で、積み荷の中身は国境を越えようとしていた。
 貿易の管理や検査もオーリック辺境伯の管轄になる。だが、あの風貌と雰囲気通りオーリック辺境伯が力を注いでいるのは国境の守護で、商売や貿易に関してはやや疎い。
 その為、検査や国境の通過の細部については、バスティア公爵、ベッケル公爵とほぼ分担して行われている。
 武装兵の積み荷が見つかった倉庫の所有者はベッケル公爵の一族で、国境通過を認める書類はオーリック辺境伯の印が使われた。
 オーリック辺境伯も、宰相であるベッケル公爵もこの件については知らなかったと語っている。だけど、疑いが晴れるまでは国境の管理は任せられない。結果、唯一無傷のバスティア公爵が一手に引き受ける形になった。

「んー。オーリック辺境伯は真面目なんだよね。貿易関連の仕事は苦手だけど手を抜く人じゃない。個人的には白だと思うんだけどねぇ」

「状況的には早く白だと分かって、国境警備に戻したいな。バスティア公爵家も悪くはないが、年季が違う。あの場を知るのは、やはりオーリック辺境伯だろうね」

「まぁ、シュレッサーに頼んだ書類の真贋確認待ちだな。ただ、まだ返事がない所を見ると判断が難しい事態なのかもしれない」

 読んでいる内容と語られる内容が一致してくれるのは、ありがたい。話に聞き耳をしっかり立てながら、母上の差し入れをつまむ。さっきまで、父上の引き出しのお菓子を食べていたから、酸味が強く感じられて口の中がすっきりする。

 既に武装兵という積み荷の幾つかは国境を越えてヴァイツに入っていた。
 摘発を受けると、流入後に姿を隠していた兵が動き出した。武装兵の数は中隊には満たないものの小隊を超える数になっていてヴァイツ内で、マールブランシュ王国の国旗を掲げて略奪を繰り返しているらしい。
 ディエリは情報を掴んだ時点でかなりの兵の流出が分かっていて、摘発を優先したのだろう。
 
「バスティアが黒幕と疑う声があるから、オーリック辺境伯の復帰が早いと落ち着きやすいんだけどね」

「バスティア公爵家を疑うんですか? 私がディエリならもう少し流出させてから挙げます。数が中途半端です。ディエリは功を焦って失敗するタイプではないです」

 私の言葉に国政管理室の人たちが目を瞬かせてから笑う。武装兵の殆どは金で雇われた庶民のようだ。訓練された兵とは違う。分隊の人数は超えていても、騎士団の分隊と同じ働きは決してできないであろう。
 多分、戦い方は戦略よりも数頼みになる。

「うん。僕らもノエル君と同じ様に考えてる。バスティア公爵家を黒幕と疑う声は、再び表舞台にたった事に対するやっかみだよ」

「オーリック辺境伯が復帰しても、しばらくはバスティア公爵家には国境の警備に協力してもらう事になるだろう。ヴァイツも面倒な国だからね」

 ヴァイツは好戦的な国だ。小さな事を発端に、これまでも何度も小規模な衝突が起きている。大規模な衝突に発展しないのはマールブランシュ王国に国力があるのと、隣接する最初の侵略地がワンデリアという危険地帯で目先のうま味がないからだ。
 でも、ヴァイツには火は簡単につく。レポートには国政管理室が隠している真実を告げる一文があった。

 ヴァイツの騎士団に編成の動きあり。少数の武装兵に対する規模にあらず。交戦を見据えた準備が求められる。

 大崩落に向けて準備を進めてる今、この情報が出ればあらゆる方向に影響を及ぼすの必至だろう。

 そこで、思考が一つの可能性に辿りつく。

「だからさ、――――。――。」

「でも、――――――でしょ?」

 国政管理室の会話が一瞬遠くなる。

 人と人の争いを国内だけに限定する必要はない。
 国内でその芽が潰れたらどうするか。他国を巻き込めばいい。
 もしそうなら大崩落までの時間も少ない

 今できる事は、交戦を止めてジルベール・ラヴェルと支援者の黒幕を抑える事だ。

 一連の動きなら、既に話のどこかに彼らは介在している。
 国境を通したオーリック辺境伯か、倉庫を用意したベッケル侯爵か。

「すみません! 教えてください! オーリック辺境伯ってどんな人です? 反旗派ですか? 中立派ですか?」

 会話を遮った問いに、お喋りがぴたりと止まる。国政管理室の一人が新人君に目配せをする。

「オーリック辺境伯は、どちらかと言えば中立ですね。賛成派と呼ばないのは、政策に対して興味がないからです。それでも、オーリック領内は騎士団の仕組みとよく似ていますから、実力主義への抵抗はありません」

「はい! 不足! もう少し!」

 新人君の回答にダメ出しが入る。小さく咳払いをして国管の中堅が口を開く。

「多くの中央の人間はオーリック辺境伯の無実を確信してる。彼の一族は国境を守る事に誇りを持っているからだ。それに、オーリック辺境伯は国王即位に際して、絶対の忠誠を誓った。今回の件の調査も誰かが金で買収されたか、騙されたかで起きた事を一番に仮定して進めてる」

「では、ベッケル公爵はどうですか?」

「ほら、新人! 次は頑張れ!」

 再び中堅に急かされた新人くんが、テストに緊張する子のように一度目を閉じてから口を開く。

「ベッケル公爵は現宰相です。副宰相からの持ち上がりとはいえ、よくやっていると評価されています。また、改革にも前向きです。改革の弾みにと次の当主は、ご子息と一族の優秀な者を競わせて決めました。今、僕が書いているこのレポートなんですが、倉庫を契約した一族の者は捕縛されていて、金で買収された事が分かっております。お咎めなしとは言えませんが、侯爵の潔白はほぼ晴れていると言えるでしょう」

 ベッケル公爵の疑いが既に晴れているのであれば、オーリック辺境伯が黒幕の可能性は一段上がる。

「では、ファビオ様は?」

 公爵領の管理を任されていると言っていた事を思い出して尋ねる。中堅どころが笑いながら促すと、新人君が苦笑いを浮かべる。

「室長に似てますね。ファビオ様にも及第点は差し上げられます。功績もなく、優秀な御仁ではありません。でも、宰相殿が賛成派の一族から選別なさった方です。選別の際は僕が視察に行きましたが、きちんと試験されてました。今年度の領地経営の方針も改革の意志をよく取り込んで良い出来です」

 それでも尚、違和感は拭えなかった。状況はオーリック辺境伯がジルベール・ラヴェルを支援している流れに傾いてるように見えている。でも、何かが腑に落ちない。

「ノエル君は、何にそんなに拘っているのかな?」

「はい。この件は大規模崩落前の人と人の争いではないんでしょうか?」

「良いところに踏み込めたね。こちらも織り込み済みだから、安心していいよ」

 あっさりと返ってきた返事に安堵する。さすがに国の中央が見落とす事はなかった。

「やはり、今の状況ならオーリック辺境伯が怪しい事になりますよね? でも、なんだか納得がいかないんです」

「ファビオ様なら納得がいく?」

「うーん。今の話を聞くとファビオ様にも落ち度はないように見えます。初見の人柄でオーリック辺境伯の方が信頼感があったから、こんな風に思ってしまうんでしょうか……」

 国政管理室の人たちの顔が楽しそうに私を見つめて、資料を新たに机に重ねていく。

「その感覚は大事だよ。私たちも同じ様に感じてる。何かが違うんだよね。ジルベール・ラヴェルのやり口である書類の偽装や誰かを生贄する気配は随所に感じられる。でも、この絵図には偽物感がある!」

「尻尾が見えないと言う事は、手の中で踊らされている可能性もある。僕らも真相が見えなくて、今も調査は続けているんだ。折角だし、ノエル君も少し調べてみようか? よい演習になると思うよ」

 ギスランに借りた最後のレポートを横目で見つめる。見たい気持ちと見たくない気持ちが拮抗する。
 新しく積み上げられた書類を手に取って、聖女に関する書類を一度遠ざける。
 見て何かを知って悲しむより、私ができる事を、人と人の争いを避ける方を手伝う方が皆の役に立てる筈だ。

 どのくらい積まれた資料を読み続けただろうか。気が付くと新しい資料も全部読み終えてしまった。
 ファビオ様が作った今年の領地経営の資料も読んだ。派手なところはないけれど堅実で、頑張る人を後押しする内容には好感を抱いた。

 ジルベール・ラヴェルを支援するのは一体誰なのか。ワンデリアのオーリック辺境伯、ベッケル公爵子息のファビオ様。どちらかの可能性が高いのに、どちらにも少しずつ影を落として、どちらにも尻尾はない。

「そういえば、ヴァイツとの状況はどうなんですか? 交戦する可能性はあるんですか?」

「あっ、そ、それですね。えーと、――」

 突然の質問に新人君が慌てて言い淀むのを、副室長が遮っって教えてくれる。

「今、調整中だね。これが他国を巻き込んだ大崩落の人と人の争いなら、戦う前に絶対に止めたい。でも、詳しくは今は教えてあげられない。国家機密ね」

 その言葉に頭を下げると副室長が、小さく頷いて自身の書類に目を落とす。優しく受け入れてもらえているから、私も気軽に情報を求めてしまうけれど本来は許されない勝手だ。
 中庭で見たディエリの背中が少し眩しいと思う。既に彼は侯爵として表舞台で戦う事が許されている。

 最後に残ったレポートは聖女についてだ。見たくない情報なら閉じられるように、恐る恐る開いていく。最初は聖女自身の情報で胸をなでおろす。

 聖女の名はディアナ・レヴィ。コーエンに住む子爵の長女。年齢は私たちより二つ上だった。
 カミュ様とユーグが尋ねるまで17年の間、その身を守る為に家族としか触れ合うことが許されなった人だ。性格の記述に書かれたメモ書きに眉を顰める。

『 極度の人見知り。臆病で積極性に欠ける。現状は聖女として表舞台で使える状況ではない。
  王都に二回の移送を試みるも体調不良を理由に失敗。魔力は中位程度とみられる。減少状況から楽な移動とは言えないが、回復薬なども用意して計算上は死に至る事はあり得ない。彼女の一番の原因は精神的なものであろう。
  私見だが、国の状況を説明し王族にも手を焼かせても、改善が望めない状況には非常に苛立ちを覚える。現状ではいざという時に聖女が、泉につくことすら果たせない。生きるか、死ぬか? 何人が救えて、何人が犠牲になるか? 
  国政管理室としても、強引な手段を提案する段階に入っていると考える。
  国政管理室 レオナール・アングラード』

 厳しい言葉を綴っていたのは父上だった。
 その下に、走り書きでギスランが書いたと思われる兎の絵がある。吹き出しには、他に聖女はいないんですかね? の文字。更にその下に父上の走り書きで、精霊の子がそう何人もいてたまるか、と書かれている。
 走り書きはこのレポートが使われた会議で、こっそり書かれたものなのだろう。

 父上はリオネル叔父様が精霊の子に殺されてから、今もまだ剣を持っていない。
 精霊の子という存在に、気付かぬうちに厳しい眼差しを向けてしまっていないだろうか。

 二枚目には移動の詳細が書かれていた。
 王都まで火属性の宿泊地を経由する最短距離のルートは、走りづめで馬車で七日の旅だ。領地周遊を経験して知っているが、馬車の旅は決して楽ではない。
 ましてや、人見知りの彼女が知らぬ人に囲まれ、更に魔力がどんどん減っていく状況は過酷な旅だ。

 一度目は、帰郷の季節の終わり。アレックス王子が同行して移動する事になっていたが、直前に体調を崩している。
 二度目は、一月後にカミュ様が同行しているが、王都まで残すところ半分で引き返している。
 三度目は三日後だ。今回は引き返す事は許されないと書かれていた。
 
 三枚目を捲ろうとして止める。続けて見るには、見たくない事、知りたくない事が多すぎる。

「ノエル様、お疲れではありませんか? 中庭でしたら旦那様と行き違える事はないでしょう。気分転換に散策されてはいかがですか?」

 私を気遣うジルの声に頷いて、読み終わったレポートを纏めて立ち上がる。
 騎士団との調整資料も見たかったが、今はとても疲れた気分になっていた。

「お散歩してきます」
 
 国政管理室の人たちの明るい声に見送られて、外に出ると空は綺麗な夕焼けだった。

 夕日で少し赤く染まった噴水の前で足を止める。水に触れると一足早い冬の冷たさがある。

 茜色に色づく中庭はいつも寂しい。
 冬になりかけの冷たい空気も人をより寂しくさせる。
 
 聖女様が王都に来る。アレックス王子と共に一度は戻ろうとした。ならば、二人には戻れるだけの気持ちが芽生えていたのだろうか。

 手の平で水を掬って、空に向かって踊る水の向う側を見つめる。そこには、バルコニーが見える場所があって、過去に二度会いたいと思って見上げたら、アレックス王子が居てくれた。

 出来る事をしなくては行けないと、水面の水を指で弾く。
 望んでいる姿はジルを傷つけると、また水を弾く。
 アレックス王子を私が望むのはダメだと水を弾く。
 どうして、私は聖女になれないのだろう。弾いた水は水紋を書くけれど答えはくれない。
 思う事を放棄して水を弾き続ければ、自然と眼差しが噴水の向うの景色を求めた。

「ノエル様、指先が冷えてしまいますよ」

「はい。でも、こうしているのが今は気持ちがいいのです」

 噴水の向うに立って、バルコニーを見上げる事は許されないし、勇気もない。ここで水面を弾きながら、水のカーテン越しに影を探す。

 でも、水の向うのバルコニーには人影すら過ぎらない。息を吐いたのは安堵か落胆なのか、自分でも分からなかった。

 最後にもう一度、冷たい水を指先に感じながら目を閉じる。私に手を振る笑顔はすぐに思い出せた。
 見つけて、嬉しそうに笑う空色の瞳が愛おしい。

 水音が掻き消した足音とその声を耳にしたのは同時だった。
 
「君は誰を探している?」

 背中でよく透る声が私に問いかけて、剣を握る人の少し硬い指先が私の頭にそっと触れる。
 振り返らなくても、直ぐに誰だか分かった。

 貴方を想って、探していました。
 声にならない声は、吐息と共に胸を落ちる。胸の前で抱えるように握りしめた冷たい指先が、あっという間に熱を帯びていく。

「殿下が、どう……して?」

 答えずに問いかけた私の髪を指が絡んで弄ぶ。振り返らなくても、アレックス王子が後ろで微笑むのが分かる。

「君こそ、どうしてここにいる? 私が会いたいと願うと、いつも君は現れるね」

 優しい声にゆっくりと振り返る。久しぶりに会うアレックス王子は僅かに髪が伸びていて、前よりもずっと大人びて落ちついていた。でも、笑顔は以前と変わらないままで、優しく私を見つめる。

「殿下も……」

 私が会いたい時には、いつも現れてくれます。

 今はもう、決して告げてはいけない言葉だ。言葉を飲み込んだ私の髪から、アレックス王子の手がおちる。僅かに髪を引っ張られる感触が消えて、アレックス王子の表情からも笑顔が消えた。
 真剣な眼差しが大事な事を告げるのだと私に教える。

「最後の願いを叶える約束は必ず守る。だが、君の王にはなれない」

 真っ赤な夕日がワンデリアのある西の彼方に吸い込まれていく。
 叶う願いと叶わぬ願い。アレックス王子が天秤にかけたのは何なのだろう。
 ただ呆然と私は夕日が映る空色の瞳を見つめていた。




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