2018年12月17日月曜日

三章 四十二話 中規模崩落戦 ノエル14歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 この場を去る者は一人もいない。既に全員がここを去れば、傷つくものが出る状況を理解していた。
 
「時間がないな、急ぐぞ! ギデオン編成を頼む」

 護衛騎士の一人が駆け寄る。五人の騎士の中でも一番年長で落ち着いた人物だ。私たちも追従して耳を傾ける。後方でアーロン先生の指示でビセンテ先生が回復薬と剣を取りに急いだ。

「腕の立つ者を前衛に置きます。殿下とカミュ様の従者もお借りしてよろしいですか?」

「構わん。私とクロードは使えるか?」

「いえ。技量は申し分ございませんが、実戦経験がないのは厳しいです。今回は後衛をお願い致します。後衛は前衛の戦闘が有利になる様に、後続の集団へ魔法攻撃をお願いします」

 アレックス王子が頷いて、ギデオンが質問を続け編成を練っていく。私はジルを見て、ジルは私を見つめる。ジルは私の従者になる前は騎士だったから、前衛に立てる技量がある筈だ。私は速度を落としてジルの隣に並ぶ。

「ジルは騎士の方のお手伝いをしてください」

「……私はノエル様をお守りします」

 ジルの気持ちは分かってる。大切だと、家族のようだと言ってくれた失いたくない気持ちはわかっている。でも、前衛に立てる人物が少ない今は、私以外の誰かの為にジルの力が必要だ。

「私はもうジルから何も失わせません。だから、見知らぬ誰かが、誰かを失わないように私の為に戦ってください」

 失う事が誰にとっても辛い事をジルは知ってる。誰かの喪失感と自分の喪失感を天秤にかける言葉は酷いかもしれない。でも、私は私たちで抱えられるものは守りたい。目の前で零れ行くものを見るのはつらい。強く目を閉じて逡巡するジルの手を取る。

「お願いです。私、怖かったらジルを呼びます。痛くてもジルを呼びます。呼んだらジルは来てくれますよね? 私が呼ぶまで私を信じて、一緒に誰かの為に戦ってください」

 小さく息を吐いて目を開ける。明るい未熟なオリーブの色はジルが前を向いてくれている証拠だ。

「お望みのままに。何かあれば必ず呼んでください」

「はい、約束です! 久しぶりに私に騎士のジルを見せて下さい」

 右手を左腰に当てる浅い礼、それは従者の礼ではなく騎士の礼。アーロン先生が剣を携えて私に並ぶ。

「ジルで間違いないか? 気になっていたが、面差しがあまりに変わっていて、声をかけるのを躊躇っておった……」

 アーロン先生は学園では最古参の共通学科の先生だ。ジルが在学していた時も彼は講師としてこの学園にいたのだろう。多くの生徒を育て続け、今もジルを気にかけていた講師の目は優しい。ジルがその視線に懐かしそうに目元を綻ばせて応える。

「お久しぶりでございます、アーロン先生。ご挨拶をせず、申し訳ございません。私は変わりましたか?」

「笑顔を見せたことがなくて常に怒った顔をしていた君が、別人のように優しい面差しになった。君の主と一緒に講師室に今度お茶を飲みに来なさい。今が幸せなら本当によかった」

 演習用の剣を受け取るとアーロン先生に伴われて護衛騎士の元にジルが向かう。私も、アレックス王子の隣に戻る。

「君の従者は元騎士か?」

「はい。私のジルは強いです。だから私も負けません」

「……そうか。生徒の編成だが二人一組にする。左にクロードとカミュ」

 二人が頷く。この二人なら光属性と水属性だしバランスも良い。

「もう一組、左にドニとラザール」
 
 風と火の組合せは上手く使えば相性が良くて広範囲に影響できる。ドニは剣技は弱いが魔力は高い、ラザールはどちらも卒なく高いから任せられる。

「中央だ、ユーグは私と組め。勝手はするなよ」

 ユーグが口の端を僅かに舐める。光属性と炎属性。剣技も魔力もアレックス王子は格段に高い。ユーグも魔法の知識が豊富だし、ポケットには色々入っているから安心だ。

「従者の組み合わせが入る右はディエリ、ノエルと組めるな?」

「殿下のご命令であれば、どなたとでも組みましょう」

 ディエリが恭しく礼を取る。私もディエリも同学年では剣も魔法を上位五人に入る。手薄なところを守れと任された配置だ。
 ディエリに手を差し出すときちんと握り返してくれるが、すごく痛い。やり返したいけど、腕力だけは勝つ自信がない。悔しいから、せめて平然と微笑んで見せる。

「カリーナ、ルナは二人で組んで後方に控えろ。誰かが崩れた時の支援と万一取りこぼした魔物の対処に当たってくれ」

「アレックス王子、私できます。一緒に戦えます!」

 ルナが声を上げる。ルナもカリーナも魔力は高い。でも剣を持って、魔物と対峙することは出来ない。

「認めない。後方に待機せよ」

 尚もアレックス王子に食い下がろうとするルナの手を、カリーナがしっかりと握る。

「ルナ。後方支援も大切なお仕事になります。皆さんが逃した魔物を私たちできっちり殲滅いたしましょう」

 驚いた表情でルナは優しい笑顔のカリーナとその手を何度も見比べる。戸惑ってから、アレックス王子に頭を下げ一歩引く。

 地下渓谷の淵にから深い谷底を見下ろす。噴煙が上がる真っ暗な渓谷の闇の向こうに、何かが蠢くのが見えるのは決して見間違いじゃない。再びビセンテ先生が赤い魔力で術式を刻む。

「中腹に早い者が十体から三十体の程度の固まっております。崖路をまっすぐ来るものが殆どですな。五十を超える辺りの一団がやはり手こずることになりましょう」

 アレックス王子とギデオンが頷く。ルナとカリーナは少し離れたところに移動を始め。護衛騎士5人、王族従者とジルは一段低くて広い場所に滑る様に崖路を降り始めた。そこが最前線になる。
 後衛の私たちも二組で広がって配置についた。私とディエリは右手側中央。右手全体を俯瞰して前衛より低い位置への魔法攻撃と、前衛を突破した魔物にとどめをさす。
 片方だけでも剣を抜いておこうと柄に触れて、手が汗をかいていることを知り慌てて拭く。
 
「貴様でも緊張するのか?」

 顎を少し上げて、緑の目が見下したようにこちらを見る。変わらぬその態度が今は心強い。ディエリがポケットから小さな缶をだし、手の上に乗せた白いものを口に放り込む。御前試合の後、床に散らばった白い粒を思い出す。

「それ……」
 
「甘くないぞ。菓子だ。口に放り込んでおくのが好きなんだ。跪くならやろうか?」

「結構です」

 鼻で笑うとディエリはその口にいくつも白い菓子を放り込む。それから、別のポケットから小さなものを取り出して投げる。

「蜜玉だ。甘いものは緊張した子供に最適だろう? 食ったら跪け。怯えて足を引っ張るな、交代で術式を書いていくぞ」

「食べませんから、跪きません。魔法は私からいきます」

 前衛に立つジルの背が見える。私たちの魔法が前衛の成否のカギだ。失わせないと約束した。そして、失わない。この戦いで、誰かが誰かを失う事もさせない。
 呼吸音が聞こえるぐらい静まる私たちの元に、魔物の呻きと咆哮が届き始める。その異形があらわになって、思わず歯を食いしばる。
 本当の闘い。命がかかる。個人戦じゃない。失敗は許されない。だから……心臓の音が早い。呼吸が浅い。まだ何もしていないのに、自分がこんなに弱いと思わなかった。

「聞け!」

 魔物の唸りと咆哮をはじく様に、よく透った声が響く。中央でアレックス王子が剣を掲げた。まっすぐ前を向く怯えのない顔を見つめる。

「護衛騎士。久々の戦闘だ! 我が前で武勲を上げる準備はあるか!」

 五人の騎士が空気を揺るがすような雄たけびを上げる。

「従者よ。己の主を守りぬく気概があるか!」

 静かにそれぞれの従者が、主に美しい従者の礼をとる。ジルの笑顔が柔らかい風になって胸の不安を吹き飛ばす。

「師よ。我ら生徒にその教えを見せる時ぞ!」

 アーロン先生と、ビセンテ先生が腕を上げる。

「友よ、同級の者よ。われらが初陣だ。その名を上げる機を逃すな!」

 思いっきりお腹の底から叫ぶ。怖いとか色々考えていた事なんて、全部どこかへ行ってしまえ。馴染んだ十の声が思い思いの雄たけびを上げた。吹き飛べ、弱い自分。全部吐き出して体の底から強くなる。

「駆けつける騎士より早く倒し、民の安寧を守り、欠ける事無く共に祝杯をあげよう!!」

 アレックス王子の最期の声に応える全員の雄たけびと、魔物の先陣の咆哮が重なる。それが戦いの幕開けとなった。
 前衛が最初の魔物を次々と切り倒す。倒れる代わりに絶命した魔物は属性の靄になって消えていく。
 戦場での騎士の戦い。御前試合の剣技とは違う、返す太刀で次の魔物を無駄なく捉える技術。紙一重の剣技に目を見張る。ジルも強い。誰とも違う独特の剣筋で次々と魔物を切り捨てていた。

「八番方向、クロード」

 後衛で低くて大きなクロードの声が聞上がる。狙いが重ならないよう、前衛で番号を振り分けて、声を上げて対応するよう示し合わせていた。八番方向の前方に押し流す水の濁流が生まれる。
 私とディエリも先に一つの集団の動きを見つける。いけ、短く言ったディエリの声に重なるように、声を上げる。

「三番方向、ノエル」

 闇の属性の中級魔法の術式を素早く書いて、今までに無いほどの魔力を乗せる。大きな球状の闇が一つの集団の上に生まれて、潰すように落ちていく。自分の放った魔法で魔物が数体が消滅して前衛が対処できる数になった事を確認しディエリと代わる。

 友の声、先生の声、従者の声が次々とこだまするように続いた。

「二番方向、ディエリ」

 ディエリが続けて土属性の魔法を放って、土の壁が現れて魔物を飲み込むように崩れていく。最初の魔法は計画通りにその役割を遂げた。繰り返される魔法と、剣をふるう前衛の姿に無理はない。滑り出しに僅かな手ごたえがある。

「ノエル、同じクラスの魔法でも魔力の消費が違いに気づいてるか?」

 白い菓子を口に放り込んでディエリが言う。書き始めた術式はまた新しい魔法。毎回違う魔法を発動しているから、同じクラスの魔法でも消費の違いがある事には気づいていた。

「はい。乗せ方というか効率が大分違いますね」

「出来るだけ、早く。効率がいいのを見つけろ。いずれ、もたなくなるぞ」

 言った側から魔法に魔力を予想以上に持っていかれる。これはかなり効率が悪い。
 ディエリの言葉の意味通り、たった今魔法を放った場所を新しい魔物が覆う。本格的に集団に差し掛かったようだ。ディエリと肩をすり合わせるように入れ替わる。

「三番方向、ディエリ」
 
 途切れることなく次の術式を書いておいて入れ替わる。たった今、ディエリが放った場所にまた、魔物の大群がいた。

「もう一度、三番方向。ノエル」

 魔物の足元に影がうごめき。その半身を飲み込む。その上を覆うように次の魔物が踏み潰していく。

「四番、五番方向、アレックス」

 広範囲の上位魔法に切り替えてアレックス王子が使う。広範囲だけでも消費が激しくなるのにクラスを上げると更に消費が激しくなる、心配してそちらを見るとユーグの後ろにいくつかの回復薬が転がっていて、カリーナとルナがそれを配り始めていた。

「魔力の回復薬を配る。層が厚くなってきたから、必要に応じで切り替えろ!」

 アレックス王子の指示が飛び、カリーナが回復薬を届けてくれる。手早くカリーナが術式を書き始める。

「危険になれば、私はここには参れません。一度だけ、お手伝いさせてください。一番、二番、三番、四番方向、カリーナ」

 今までで一番大きな広範囲の上位魔法が魔物を一度大きく押し戻す。前衛はかなり楽になったが、カリーナは一度で随分魔力を消費したはずだ。

「後方へ下がります。ノエル様、ディエリ様、皆様にご武運を」

 そう言って、素早く後方に下がる。カリーナのお陰で最初の魔物の壁で崩れかけたリズムを立て直す。

「ディエリ。私が二区画ほどの広範囲魔法に切り替えます。魔力切れに備えて、ディエリは一区画を維持してください」

 広域魔法に切り替えて持ちこたえる。だが、層が厚くなった無数の魔物の群れの行軍には追いつかなくなる。今は、押し寄せる波を散らすより、抑えるのが精一杯の状況だ。

「前衛、魔法使用。後方は今より更に前方の集団を狙え!」

 ギデオンの声が響くと、前衛の護衛騎士が剣を振るいながら複雑な術式を書き始める。まだ私たちが習う事のない。強力な広範囲の上位魔法がつぎつぎと放たれる。

「すごい……」

「さすがに護衛騎士だな」

 ジルも、引けをとらない魔法を次々とはなって剣を振るう。押されかけた、前衛が一瞬で魔物を押し返す。でも、その時間は長く続かない。五百を超える圧倒的な数の魔物の対応は、分隊を僅かに超える人数の即席の私たちには重い。
 倒しても、倒しても押し寄せる魔物を留めるのが厳しくなる。前衛は崩れはしないものの、術式を書く余裕すらなくなる程に、剣を振るわねばならない状況になりつつあった。
 唇を噛む。体の中心で黒い靄が小さくなったまま戻らなくなってきた、魔力の枯渇だ。
 前衛の間をすり抜けた魔物が、数体こちらに上り始める。

「ノエル、魔法を中断しろ回復薬を飲んで剣で前衛の援護だ! 一時的に魔法は引き受ける」

 ディエリの指示に従って、渡されていた回復薬を口に含む。僅かに体の中が熱くなるの感じながら、剣を抜く。

「前方二体。ノエル、前衛援護します!」

 前衛と中盤の間の狭いスペースに滑り降りて、魔物に向き合う。後ろでディエリが広域の魔法を放つ。アレックス王子とクロードが同じ様に前衛をすり抜けた魔物の対処に出る声を上げるのが聞こえた。
 魔物は異形だ。人より一回り大きい体に、獣と人の間が混ざったような体躯。呻くような咆哮を上げて、こちらに向かってくる。でも、対峙する背中に冷たいものが滑り落ちるのは、怖いからじゃない。異形であっても命あるものを切るからだ。気持ちを振り絞る様に重ねた二本の剣を打ち合わせて響かせる。

「負けません!!」

 まっすぐに飛び込んでくる魔物の動きは決して複雑じゃない。力任せに振り下ろされた腕を一閃して、利き手でその腰を払う。僅か一瞬の勝負。手応えと共に魔物が黄色い靄となって消えていく。
 更に左の崖を登ろうとする魔物に切りかかる。長い爪に刃を弾かれて、頭を狙って腕を振るわれる。迫る腕を腰を落として躱して、下から切り上げる。

「傷なんて絶対につけさせません!」

 痛かったら、呼ぶと約束した。失わせないと約束したから、怖いなんて考えない。ただ勝つことだけを考える。水色、赤色、倒すたびに魔物が靄になって消えていく。周囲の魔物を一掃してから崖を駆け上がる。

「ディエリ、魔力が回復したので変わります」

 前方で何度も広範囲の土魔法が展開されてたから、魔力の消費が激しいはずだ。疲労の色の濃いディエリに声を駆ける。色を失った緑の瞳が穿つように私を見つめて、強く引き寄せられたと思うと唇が近づいた。顔を伏せて押しのけるように体を当てる。後ろに倒れて腰をついたディエリの表情は分からない。
 湧き上がるのは確信に近い疑惑。それを問う時間も余裕もない。瓶に入った、回復薬を無理矢理その腕に押し付ける。

「今すぐ飲んでください! かなり回復するはずです。今は戦わないとダメなんです!」

 他に言葉は思いつかなかった。悪ければ一日しかもたない。わかってる。でも、大丈夫とか、辛いでしょうとか、気にしないでとか、休んでとか、そんな言葉をディエリが望むとは思えない。ディエリの衝動的な行動は、彼の体が切迫している証拠だとわかっていても、ディエリが私にもう一度顔を上げるのはこのやり方しか見つからない。

「魔力不足で、寝ボケないで下さい! ディエリもお子様ですか? その薬を飲んでしゃきっとしてください! 魔法は私が変わります。元気がでたら、ディエリが魔物と対峙する番です」

 背を向けて術式を書き始める。利用している以上、彼らの体質も結末も背負う苦労も調べて知っていた。憐れに思っても、何もできないというのは虚しい。カミュ様の言葉を痛感する。
 講義が下らないから学園に滅多に来ないのは嘘だ。ひっきりなしに口に入れる白い菓子はユーグがクララにあげてた魔力回復薬。シナリオが隠し事をしてるなんて思わなかった。

――精霊の子

 軽くなった瓶の音が後ろでして、缶の錠剤が転がる音がした。聞こえた舌打ちに安堵する。魔力を乗せて広域の魔法を放つ。私の中の魔力は回復薬のお陰で再び安定してる。

「なんだ、この異常に回復する飲み薬は?」

「ユーグの特製です。一応本人はよく飲んでるからお腹は壊さないと思いますよ?」

 次の術式を書きながら、当たり前みたいな会話が戻る。声に混ざる吐息がまだ早い。さっきはとにかく自分を取り戻して欲しくて煽ったけど、戻ったのなら無理はしないでと願う。たくさんの属性の空気に染まるこの環境は決してディエリが楽な状況じゃないはずだ。

「探求狂いの自家製薬か、最悪だな」

 途切れない会話は、ディエリの動揺だ。知られたくない隠し事の行方を問えずに気にしてる。
 知らないふりができる? 問い詰めて何ができるのか?

「ディエリにも可愛いところがあるんですね? まぁ、私は美人ですから。寝ぼけたら美女と間違えてキスもしたくなるでしょう。忘れないで覚えておきます」

「貴様、いつか泣いてかせてやるからな」

「また、勝負しましょうね。負けません。ディエリは強いから、すぐ魔物と対峙をお願いするので、今はゆっくり回復してください」

 笑って言って、乗せる魔力の出力を上げる。もう一体も、前衛から逃さない。
 続けて次の広範囲上位魔法の術式を書きながら、空いた手では小さい術式を書いて前衛から零れそうな魔物を狙う。これ以上ディエリには仕事はさせない。ディエリに見えないように私は、両手で別々の魔法を紡ぎ続ける。

「六番前衛、後退! クロード入れるか?」

 前衛にいた筈の従者が肩から血を流して後退する。崖路をクロードが滑り降りて、前衛の位置を目指す。

「ノエル、救援に行く。直ぐに戻る」

 ディエリが立ち上がる。振り返った瞳も元の強さが戻って、呼吸が安定してる。隠している理由を暴く他に引き留める理由は見つからない。また白い粒を口に投げ込む。不快そうに歪める口元にいつものディエリを見る。

「早く戻ってきてください。今日は貴方が相棒なので」

「二度と組みたくない」

 そう言って、ディエリが崖を下り始める。

「殿下は、欠けることなく祝杯をあげることをお望みです。一緒に勝ちましょう」

「仰せには従おう。でも、貴様の隣には座らないからな」

 術式を書く。大きく広く、この戦いで一番効率がよく敵を倒せた魔法。

「援護! 六番、五番、四番、三番、ノエル」

 放つ魔法で、魔物の影が溶けてその身を飲み込んでいく。後続が止まって悲鳴のような咆哮が上がる。
 それでも一瞬の引き延ばしだ。また魔物の波に飲み込まれる。
 もう一人の前衛従者の負傷の声が上がる。隣の負傷者を守る様に風の竜巻が上がってジルが防戦するのが見える。崖時を下って前衛に降りるのはアレックス王子だ。
 枯渇し続ける魔力で慌てて次の術式を書こうとした私の横に、ピンク色の髪の少女が立った。

「1番から10番、ルナ。広域の上位魔法を使います! 立て直してください! お願いです! どうか皆、この国を守るために必要なのです!」

 鈴のなる声で悲痛な叫びを上げて、ピンク色の目から涙が一筋零れる。目の前で書かれるその術式は見たことが無い。初めて見る文字は知らない文字。乗せられた魔力は増幅して、明らかに生徒が使える限度を超えるほどの範囲に放たれる。前方に大きな光の壁が立って、範囲内の魔物が一斉に消失する。
 崩れるように膝をつくルナを抱きとめる。

「やっぱり、これだけしか使えない。私は間違えてしまったの?」

 涙を流して呟く言葉の意味は分からない。その言葉を追うようにアレックス王子の透き通った声が響く。決して悲観のない声は私たちをいつも鼓舞する。

「大丈夫だ! 騎士団がもう、そこまで来ている! あと少しだ、前衛を全力で死守せよ!!」

 応える皆の声が殿下の叫びで、空気が変わったことを告げる。

「いい王子だと思うのに、だけど彼じゃだめなの……」

 ルナが顔を覆って俯く。その肩から手を放して、再びあと少しの時間を信じて術式を書き始める。
 
 殿下の言葉通り、程なく騎士団の小隊が到着する。渓谷の淵を維持したこと、事前に私たちが魔物の数を減らしたことで、無事に魔物は正規騎士団の小隊が殲滅を果たす。
 水際で抑え続けた私たちは、誰一人欠ける事なく勝ったことに歓喜の声を上げる。労って称え合いながら、祝杯を上げる予定を立てる。

 だけど、ルナの言葉は何度も私の中でこだまし続ける。多分これが、一つのきっかけだったのだと思う。
 



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