楽団の奏でる優雅なワルツ。シャンデリアの下で柔らかく輝く銀のカトラリー。華やかな礼装に身を包む紳士と煌びやかに翻る令嬢たちのドレス。
年二度の王家主催の舞踏会は、息を飲むほど美しい。
「ごきげよう、ディルーカ伯爵令嬢」
礼装の紳士の挨拶に、私はドレスの端を摘まんで軽く膝を落とし一礼をする。
「ごきげんよう。今夜は特に美しい舞踏会ですわね。素敵な一夜を……」
月並みな口上を笑顔で述べると、そのまま真っ直ぐに壁際へと移動する。
舞踏会は綺麗だけれど、人が多いのは苦手だ。溢れる熱気に酔いそうになる。
そっとため息を吐いて、冷たい空気を求めるように窓へと身を寄せる。夜を背負った窓に自分の姿が映ると、一度くるりと髪を指で遊ばせてじっと見つめる。
パールが散らされた腰まで届くまっすぐな紺青の髪。同じ色の瞳と化粧を薄く施した白い肌。青いリボンの花があしらわれた白いドレスの腰は、頑張ってコルセットで整えて結構細い。
私、リーリア・ディルーカが王都に来てもう七年が経つ。田舎の領から出て来たばかりの頃は、髪が短くて日にやけていて『子ザル』とか『田舎者』なんて随分と陰口を叩かれた。
こうして正装した姿を見れば、その頃の面影はもうない。髪は伸びたし、日焼けもしてない。努力したからマナーだって間違えない。今のリーリア・ディルーカなら、伯爵令嬢として十分胸を張れると私は思う。
鏡からくるりと向き直ると、少しお行儀が悪いけど背中を壁に預ける。
見た目が変わっても、中身は簡単には変われない。社交界は今もあまり好きじゃない。
コルセットは窮屈だし、誰かの噂話や悪口は苦手だし、堅苦しいマナーは疲れる。
特に今日はなんだか運が悪い。俯いて不運の数を指折り数えはじめる。
今夜の私は入城から運が悪かった。
まず招待者名簿から、名前が抜け落ちていた。上流貴族のご令嬢だから帰れとは言われなかったけど、散々待たされて入城は一番最後になった。
すっかり遅れて人気のない通路を走って……じゃなくて! 粛々と早歩きで移動していたら、途中の通路は水瓶でもひっくり返したように水浸しだった。幸い誰もいなかったから、ドレスの裾をたくし上げ飛び越えた。
漸くホールに入るって時には、吹き抜けの上からケーキと果実水入りのグラスが降ってきた。横に飛び退って避けたのを見てた使用人が私の振る舞いに唖然としてた。悪い評判が経ったらどうしてくれるのか。
この壁際に辿り着く前も、足元に飛び出した誰かの足を踏む大失敗。飛び越えるつもりだったのだけど、少しずれて『ぎゅーーーーーっ』っといった。痛がる人も名乗り出る人もいなかったのは幸運……。
四つまで指を折ったところで、突然周囲が騒めく。顔をあげると、何人かが驚いた表情で私の方を指さす。どうしたのかと、壁から身を離すと悲鳴のような声が上がった。
「危ない! リーリア様、」
「ディルーカ伯爵令嬢! 上を!」
「逃げろ!」
慌てて見上げると、身の丈より大きな飾柱の上から花瓶が落ちてくる。
「やっぱり! 今日はなんて運が悪い!」
カーテンの端を掴んで、身を庇うように素早く前へ引く。
ぐっと重い手応えを感じると、カーテン越しに花瓶が鼻先すれすれに浮き上がった。
小さな鼻が更に小さくなったら、どうしてくれるのか!
むぅっと頬を膨らませて、軽くなったカーテンから手を離す。落ちてきた花瓶は反動で水が滲んだカーテンに包まれ、するすると滑り落ちて絨毯の上に音もなく転がった。
花瓶無事。カーテンは水浸し。私無事。二勝一敗?
咄嗟にしては健闘したと握りこぶしつくると、まばらな拍手が周囲から起きた。
令嬢にとって大事なのは、お淑やかで優雅である事だ。賞賛の顔で拍手をしてくれている人もいるけど、令嬢らしくない行動に困惑した顔の人もいる。
さて、どうしたらいい?
昔の事とはいえ、私は『子ザル』とか『田舎者』と呼ばれた変わり者令嬢だ。また、リーリア・ディルーカが令嬢らしからぬ事をしたと、悪い評判は瞬く間に広がる恐れがある。
とりあえず、戸惑っている人たちに向けてドレスの端を摘まんで膝を軽く折る。細心の注意を払って、優雅に綺麗にたおやかに。それから、弱々しい声音で弁解する。
「こんな恐ろしい事もあるのですね。災難でしたが、カーテンに守られて助かりました。驚きに胸が苦しくて、一歩も動ける気がしません。誰か非力な私の代わりに、片付けの者を呼んでいただけますか?」
握りこぶしを作っておいて今更だけど、か弱い令嬢を装って上目遣いで様子を伺う。
「あぁ、そうだ災難だね」
「えぇ、カーテンがあって、運が良かったのですわね」
「リーリア様、怖かったでしょう?」
困惑顔の人々がなんとなく雰囲気に飲まれる。
「片づけを呼んでまりましょうか?」
身を翻した者が出ると、それを合図にしたように視線が離れ始めた。
一応、これで取り繕えたのかな? 残った眼差しに『お終い』と扇を広げて微笑んで、私もそそくさとここから逃げ出す。
人の少ない場所を選んで歩きながら、花瓶の乗っていた飾柱を振り返る。
今のも、不運だろうか?
私は田舎育ちで、小さい頃は狩りに参加していたような変わり者だから避けることが出来た。でも、普通の物静かな令嬢ならば大怪我をしていた可能性が高い。
でも、そんな事はあり得るだろうか?
今夜は王家主催の舞踏会で、不注意で怪我人が出るなど許されないだろう。
誰かが、花瓶をわざと落とした……?
「リーリア! リーリア・ディルーカ伯爵令嬢!」
名前を呼ぶ声に慌てて振り向くと、すぐ後ろにラニエル子爵が立っていた。
「ごきげんよう、ラニエル子爵」
ラニエル子爵はお父様と同じ年と言う事もあって仲が良い。屋敷にも頻繁に訪れるので、私にとっては気安い人物だ。
「ごきげんよう、リーリア。災難だったみたいだね?」
その言葉に思わず頬が引き攣る。先程の件が、早速どこかで話題にされているらしい。
「何処で聞いたんですか?」
「君を探していたら、友人が教えてくれたんだ。凄かったらしいね! 剣を受け流すかのように、カーテンで花瓶を受け流したんだって? 教えてくれたのは優秀な騎士なんだが、男なら隊に誘いたかったってよ」
お茶やダンスならともかく、騎士に誘いたいなんて令嬢には自慢にならない。むしろ、それは醜聞だ。
「最悪……。最近は凄く大人しくしていたのに……」
「リーリアが大人しかったって? まぁ、街で悪戯っ子の首根っこを押さえたとか、落ちてきた小鳥を木に登って巣に戻したとか……。小さい頃に比べれば、ちょっとお転婆ぐらいには減ったと思うが……」
苦笑いを浮かべるラニエル子爵の言葉に、思わず盛大に溜め息を漏らす。
「それ、結構前の事ですよ。しかも、私がやらなきゃ誰がやるって状態です」
確かに止むに止まれずやってしまった事は稀にあった。でも、それ以外は十分に令嬢らしく過ごしてたつもりだ。なのに、何度かの突発的出来事が独り歩きして、未だにお転婆が評価なのではかなり落ち込む。
思いっきり髪を振って、沈みかけた気分を追い払う。終わった事にくよくよしても仕方がない。それよりも今は確認しておいた方が良い事がある。
「ラニエル子爵。騎士の方は、花瓶の落下の事で何かいってませんでしたか?」
声を掛けられる前に考えていた事を告げると、ラニエル子爵が表情を引き締める。
「誰かが花瓶を落としたか……。身の丈よりも高い場所だし、簡単な事でないだろう?」
「はい。それは『魔法』とか?」
『魔法』ならば『魔力』を使って、自分の属性となじむものを自由に動かすことが出来る。風の属性なら風を、火の属性なら火を、土の属性なら土を、そして水の属性なら水を動かせる。
「『魔法』ねぇ……。それは流石にないだろう。舞踏会で魔法を使用すれば、反逆罪で厳罰になる。花瓶を動かす程度の魔法は感知されにくいとはいえ、警備の騎士もいる中で危険を侵すとは思えない」
「てすよね……。やはり、今日は不運がかさなっているだけなのかも」
ラニエル子爵が小さく首を傾げる。それから苦虫を噛み潰したような顔で煌びやかな舞踏会の会場を見渡す。
「リーリア。そこの果実酒はブルーニア地方のものだ。全てのテーブルの燭台は、新鋭細工師のロルマン作。あちらの絵画は、贔屓のローランド男爵の新作。今夜は、うちに回ってくる請求が怖いぐらいの気合の入り方だ」
くるりと髪を指で遊ばせて私が頷くと、予算を管理する一人であるラニエル子爵が更に言葉を続ける。
「ここまでお金を掛けているのは、国王様が不在でレナート王子が初主催だからだ。そうすると、リーリアの考えも的外れとは思えない。ここまでやって、花瓶が落ちる過ちをすると思うかい?」
「思えません。でも、危険を冒してまで誰がという話に……」
心当たりを一つ見つけたけど、これはかなり言いづらい。口ごもる私にの答えを、ラニエル子爵が見透かす。
「レナート王子を担ぐ『教会派』の面子に泥を塗りたい、私達『旧国派』っていう考えもある」
元々、小さな国だったセラフィン王国は、百五十年ほど昔に周辺国をまとめ上げて今の大国の姿になった。この時にまとめ上げられた国々を『旧国』と呼び、『旧国』出身貴族の派閥を『旧国派』と呼ぶ。
対して、古くからのセラフィン貴族は教会の役職者が多く『教会派』と呼ばれていてた。
『教会派』は、第一王子レナートを、『旧国派』は第二王子をそれぞれ担いで水面下で長く争っていた経緯がある。ちなみに、ラニエル子爵は南の大国リーヴァ領の出身で、私は田舎の小国アルトゥリア領の出身。私達は互いに旧国の出身である。
「ごめんなさい! 流石にそれはないですよね」
慌てて頭を下げて平謝りをすると、ラニエル子爵が人の悪い笑みを浮かべる。
「どうかな『教会派』の邪魔はしたい……これは本音だよ」
「え!!」
思わず固まった私を見て、ラニエル子爵が噴き出す。
「冗談! ……安心していいよ。我々は国王陛下に才を買われてここにいる。決断に背くまねはしないさ。まぁ、万が一に先走る阿呆がいたとしても、流石にリーリアを巻き込まないよ。次代の王選びの争いに敗れた今、君は旧国出身者の希望だものね。『未来の王妃』リーリア様!」
「――ち、ちがいます!!!」
私は大慌てで否定する。首も手も両方振っても全力否定だ。
「おや? どの部分が違うのかね? 君、レナート王子と婚約してるよね? 間違いだったかな~?」
揶揄うような追及から、私は扇を開いて少し赤くなった顔を隠す。
「ち、違いません。でも、口されるのは……ちょっと……」
ラニエル子爵の言葉に間違いはない。
二年前に、私はレナート王子から婚約を申し込まれて受け入れている。派閥の反対などもあって、正式にお披露目こそはしていないが、立場としては婚約者で間違いない。
「恥かしがってるのかな? 初々しなぁ。レナート王子とは、幼馴染とも言える間柄だったよね? どんな風に好き合うようになったのかい?」
その言葉に思わず目を閉じる。
私とレナート王子、そしてデュリオ王子。私達は、十一歳からの数年を友達のように過ごした。
思い出せば、全てが懐かしい。強引で自由なデュリオ王子がいつも突拍子もない事を思いついて、私が巻き込まれて、優しいレナート王子が助けてくれた。
良い事ばかりではなかったけれど、一日一日が宝物みたいな時間として心に今も残っている。
初めて恋をしたのも、恋をされたのも、全部この頃。
恋とか愛とか友情とか、繊細で難解な気持ちは、問われても言葉にするのは難しい。
「秘密です」
すげなく答えると、いい年した大人なのにラニエル子爵が唇を尖らせる。
「何時になったら、馴れ初めを教えてくれるのかな? 皆、そろそろ聞きたがっているよ」
放っておくとずっとこの話題になりそうなので、私は扇をぴしゃりと閉じて話題を変える。
「ところで! 私を探していたのですよね。何かあったのですか?」
「ああ、揶揄っていたら忘れてた! 君に紹介しなくてはいけない人がいたんだよ。途中まで一緒にいたんだが……」
そう言って、ラニエル子爵が周囲を見回す。だけど見つからなかったようで、今度はが背伸びをしてワルツを踊る人たちの向うを探し始めた。
誰を探しているのか知らないが、私も一緒に背伸びをして眺める。
トントンと私の背中が叩かれる。何かと思って振り返るより先に、可愛い声で背後から悲鳴があがる。
「きゃあああああ!」
床に誰かが倒れる音が続いて、私が振り返った時には小柄な少女が床に蹲っていた。
特徴的な栗色の縦ロールに、私は新しい不運の訪れを確信する。
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