2018年11月20日火曜日

二章 三十一話 敵意と初恋 キャロル13歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 軽やかだったステップが僅かに乱れる。崩れそうになる体勢を支える為に、腰をそっと引き寄せた。

「大丈夫ですか?」

「はい! 申し訳ありません、ノエル様」

「怪我がなくて良かった。リードするのは男性の役目です。お気になさらず」

 安定を取り戻した令嬢は再び、軽やかなステップを刻み始める。まだ社交の経験が浅い年下の令嬢の一生懸命な様は自然に笑みが零れた。ポンと音がするみたいに真っ赤になって、令嬢から力が抜ける。慌てて抱き寄せて支えると、周囲から悲鳴が上がった。倒れた令嬢を家族に預けると、次の番を待つ令嬢たちの視線を流してダンスの輪を抜ける。テラス前で壁にもたれるアレックス王子は楽しそうだ。

「本日、二人目の失神者だ。私の臣は甘い笑顔を向けすぎだな」

「殿下に言われたくありません。ご自分は何人、失神させたか分かっていますか?」

 笑ってあげた指の数は四。呆れる反面、納得する。アレックス王子は更に背が伸びて体もしっかりしてきた。声変わりが終わり、人を引き付ける凛とした声は遠くにいてもすぐわかる。綺麗な顔には青年らしさが加わって、時折見惚れそうになる。もうゲームの中とあまり変わらない、誰が見ても素敵な王子様だ。
 
「やっぱりクロードと二人で出れば良かったです」

 四人揃っての参加は初めてだ。姿を見た参加者が慌てて縁故の者に伝達魔法で連絡をする。開始早々テラスから様々な生き物を模した伝達魔法が飛び立つ様は見ものだった。それから令嬢の参加者はどんどん増え続けている。
 
「ここまで増えるのは想定外だったけど、ノエルとクロードが一緒だと交代できるから楽だよ。それに、こうしてる時間は舞踏会の割に楽しめる」

 そう言って、冷たい果実水を渡してくれる。少しふれ合う指先の熱は、電気みたいに心臓に伝わってどきりと音たてる。
 
「ほら、殿下。そろそろクロードかカミュ様と代わってあげて下さい」

 落ち着かない気持ちを治めたくて、アレックス王子にダンスを促す。嫌そうな顔をするけど、知らない。このままいたら、私の気持ちが保たなくなりそうだから。渋々といった顔でアレックス王子が壁から背をはなす。

「半分残ったな。任せるよ」

 自分の果実水を押し付けてアレックス王子がダンスの輪に向かう。両手の果実水をどうしたものか。
飲みかけ半分だけの果実水に口付けたら、平静を装うのに慣れた自分の頬が赤く染まる自信があった。

「お疲れ様です、ノエル」

 カミュ様が入れ替わりで戻ってくる。クロードは紺色の髪の美しい令嬢とダンスを踊る。リーリア様に似た華奢な彼女はクロードのすぐに下の妹で、去年のファーストダンスは私が務めた。ちなみに今日の舞踏会で公になった二人目の妹のファーストダンスはカミュ様だった。
 隣にカミュ様が並ぶ。背がぐっと伸びて、今年はまた追い越されてしまった。伸びの悪くなりつつある私が追い付くことはもうないだろう。可愛らしい顔は大人びて美しいという表現が今はよく似合う。

「二人が一緒だとまだ舞踏会も苦痛じゃなくなりますね。……ところで、女の子はお元気ですか?」

 最後の言葉は声を潜めて私に問う。舞踏会の喧騒の中で、休む私達の周りだけは遠慮して近づくものがいない。秘密の話にはある意味ちょうど良い。
 キャロルのことを切り出されたのはあれ以来初めてだ。二人きりになる機会はあまりないし、お互い切り出しにくい空気があった。

「申し訳ありません。私はよく存じ上げないのです」

「そうですか……私なりに調べてみました。難しいですね。憐れに思っても、何もできないというのは虚しい。会わせてあげたい気も致しましたが、アレックスにとって良い結末にはならないと思います」

 だから、何も出来ません。そう言って、カミュ様は瞳をおとす。
 その顔に、ユーグからキャロルに届く手紙を思い出す。研究報告状態の手紙には、時折精霊の子の進捗が短く文末に記される。そして、待っててと続く言葉。
 終わらせる為の時間が経過とともに、誰かとの関わりとその生き方の重さを知らせる。
   
「私達がもっと大人でしたら、器用な選択ができるのでしょうか?」

 カミュ様の問いかけに私は答える言葉をもてない。知らないままに自分の為に流れた私と、知ろうと前に進むユーグ、知ることで心を寄せよる道を想うカミュ様、そして、まだ何もしらずに求めるアレックス王子。勧められるままに選んだやり方はきっと誰かをを傷つける可能性がある。
 
 ホールの出入口が僅かにざわめく、バスティア公爵、その名が聞こえてカミュ様があからさまに顔をしかめた。人垣が割れてちょっと太めの不遜な態度の男性が、こちらに笑みを浮かべてやってくる。その後ろに従うのは、明るい橙色の髪にすらりとした体躯。少し高慢そうに顎を上げて見下すように緑の瞳を周囲に向ける。攻略対象ディエリ・バスティア。現在、アレックス王子とカミュ様が避けている人物だ。

「これは、これは、カミュ様!!」

 バスティア公爵が親しげに大声をあげて寄ってくる。跪こうとするのを面倒そうにカミュ様が手で制した。

「今晩は、バスティア公爵、それからディエリ。良い夜ですね。楽しい一時を」

 型通りの挨拶で早々に会話の打ちきりをカミュ様が宣言する。気づかないふりでバスティア公爵は立ち去らない。なかなか図太い人物のようで、カミュ様に更にあれこれ話しかけ続ける。私のことは目に入っているが完全無視だ。爵位が低い以上機会を貰えなければ、こちらから話しかける訳にはいかない。
 バスティア公爵の背後に控えるディエリが私を見つめる。目があったので機と捉えて、立礼をとる。完全に無視された。その態度に周囲に囁きがひろまる。アングラードとバスティアでは格が違うんだ、どこかで聞いたことのある声がそう吹聴する。私を見るディエリの目に浮かぶのは優越。公衆の面前で人を貶めて笑う態度はちょっと許せない。

「ノエル、あちらに参りましょう。バスティア公爵、失礼いたしますね」

 バスティア公爵を退けて私を選ぶカミュ様の発言に今度は周囲が色めき立つ。バスティア公爵親子とアングラード侯爵子息の次の動きに好奇の目を向け始める。

「おや、こちらは?」

 カミュ様と共に引き上げようとする私に、今更きづいたように問い掛ける。注目を集めた後のタイミングは周到で本当に腹がたつ。それでもマナー通り、爵位が低い私の方が先に跪いて礼をとる。

「ノエル・アングラードです。お会いできて光栄です、バスティア公爵」

 返す言葉は、結構の一言。爵位の下の者へ一言の返事はルールには適う。でも、相手が伯爵以上の爵位にであれば、敬意をもって自らも名乗り一言添えるのがマナー。
 バスティア公爵が私に含みがあることが伝わる。不穏な気配を囁く声と、上流貴族が蔑ろにされる場面を楽しむ声。不快な苛立ちを抑えて、笑顔で礼をして立ち上がる。

「挨拶が終わったのなら参りましょう、ノエル。アレックスとクロードにも、ダンスを切り上げるよう伝えて四人で奥で休むことに致しましょうね」

 迎え撃ったカミュ様の花の綻ぶような笑顔に含まれてるのは毒だ。バスティアよりアングラードとヴァセランをとる。公衆の面前での無礼に一矢報いる一言。観客からやはりアングラードか、とういう感嘆と羨望の混じる声がちらほら上がる。鷹揚な笑顔のバスティア公爵の瞳にうつるのは怒りだ。火が付く真似をしたのはそちらだと思う。

「お待ち下さい、カミュ様。ディエリもお供いたしましょう」
 
「申し訳ありません、バスティア公爵。今宵は心が休まる者と共に過ごしたいのです。ごきげんよう、ディエリ」

 カミュ様が花の笑顔を浮かべたままで即答する。取り付く島もない答え。気まずいの空気が広がって好奇の目が逃げるように離れていく。同じ貴族としてきついなと思わず同情する。カミュ様は一見たおやかに見えるけど、時折激しい一面を見せる。怒らせると本当はとっても怖い人だと思ってる。

「父が差し出がましい真似をして申し訳ございません。武芸も学問も誰にも引けを取らない自信があります。お気に入りの者に飽いたら、いつでもお声掛けください」

 余裕のある態度で自信を漲らせたディエリは、模範通りの美しい礼でカミュ様に伝える。でも、上げた顔が最初に見たのは私の顔、向ける瞳は嫌悪だ。これは多分、最悪の出会い方だ。

 すっかり馴染んだ王族控え室に入るとカミュ様が静かに怒りだす。バスティア公爵は息子の売り込みに必死過ぎるとか、しつこくて面倒だとか、周りに対して傲慢過ぎるとか、話が長くてつまらないとか。人を悪く言う発言は控えるカミュ様が頬を膨らませるのは私への気遣い。動いたのは自分の為だから気にするな、遠回しにそう言ってくれているのだ。

「ありがとうございました、カミュ様」

 カミュ様に感謝を告げると、照れたような微笑みを返してくれる。カミュ様の笑顔はやっぱり自然なほうがいい。女神様みたいな柔らかさに癒される。

「気をつけて下さいね。現バスティア公爵は少々劣等感の強い御仁です。アングラード侯爵、ヴァセラン侯爵を目の敵にしている節があります」

「さて、父上は何かしでかしましたか?」

 あの人物は父上とはかなり相性が悪いと思う。こちらが、心の中でごめんなさいと謝りたくなるような罠を仕掛けたりしてないことを願う。カミュ様は何か心当たりがあるのか、苦笑する。

「そうですね。たまたまお互い同じ議題を陛下に奏上してしまったのです。多くの方の眼前で優劣がつく結果になってしまいました。バスティア公爵は運が悪かったのでしょう」

 わざと同じ議題を提出したのだと思います。完全な嫌がらせです。喉元まで出かかった言葉を飲み込む。今になって私にとばっちりだ。頑張って居場所を守ろうね、最高の笑顔で笑う父上が脳裏に浮ぶ。

「議題ではアングラード伯爵に負けたとはいえ、バスティア公爵家は多方面に才があり文武両道で文官、武官両方の重要ポストに多くの者を輩出しております。ただ、傑物、怪物と後日まで語られるような御仁がいない。そんな事に劣等感を抱く必要なんてないでしょうに。ディエリの能力は高いですから、侯爵は名を残せる事を期待してるのでしょう」

 周りを見下すように少し顎を上げたディエリ。自分より下の者と学ぶ必要を感じないと言って授業すら碌に参加せず、功を焦る彼に振り回されるゲームのシナリオを思い出す。
 ノックの音の後、クロードとアレックス王子が入ってくる。様子を聞けば、私とカミュ様にした事と同じ事を二人にも行ったそうだ。こちらの顛末は意外な方に転がる。

「クロードが手合わせしたがってると紹介した時の公爵の顔は大変面白かったぞ。突然勢いがそがれて、逃げ道を探し始めた。でも、ディエリは目を逸らさず喜んでと答えてきた。性格がもう少し違えば面白い人物なんだが残念だ」

「よかったね、クロード。念願かなってディエリ様と手合わせできそうだね」

 私の言葉にクロードの顔は浮かない。頭をふって、肩を落とす。そして、何故か私の頭を撫でる。アレックス王子を伺えば、悪戯っぽい目で私を見て笑う。

「やるのはノエルになった。公爵は当家は文官寄りなので、アングラードのご子息ならって言い出したからね!」

「ご遠慮します」

 即答で拒否したら、ノエルの母君がすごく楽しみにしてるって言ってたと返ってきた。絶対辞めさせてもらえないなと腹をくくる。

「この話は私もカミュも忙しいのが落ち着いてからだ。頑張って腕を磨いておけ。私の為に勝て!」

 臣下らしく礼をとって応じる。以前手合わせした男爵家のように簡単には勝たせてもらえない相手だ。母君からは合格を貰った。今は元騎士のジルから更なる手ほどきを受け始めた。ディエリの見下した視線を思い出す。高慢の鼻は子だぬきが叩き落とします。勝ちましょう、アレックス王子の為に?

「さて、音楽が止みましたね。帰りの人が減るまでまでお喋りを楽しみましょうか?」
 
 この提案は嬉しい。帰りの門は込み合うから、進まない馬車にいるより四人で離す時間の方が嬉しい。

「そういえば、最近ユーグ殿を見かけません」

 木の実の塩漬け口に運びながら、思い出したようにクロードが口を開く。ノエルとしても勉強会の帰りには中庭で会えば立ち話をするぐらいは親しくしている。相変わらず近すぎる距離感の行動にあの男は少し苦手だとクロードが零すのは秘密だ。

「ユーグはコーエン領にいるよ。気に入ったらしくて地下のマグマ洞の研究に夢中らしい。来週シュレッサー伯爵が研究棟の危なっかしい探求者を連れて、視察に行ってくれるそうだ。静かになって有難いよ」

「彼らがいないと王城に秩序が戻りますね。私は研究棟を作ったのが王家最大の失敗だと思っております」

 コーエン領の中でも地下にマグマ洞がある場所は火の属性がとても強い。研究の話の時は子供の顔に戻るユーグを思い出す。そこに危なっかしい探求者とシュレッサー当主が加わる次点で危ない事件が起きるのが確定した。無事に成果をもって、ただいまと戻れることを祈ってあげよう。

「そう言えば、サラザン男爵が女の子を引き取ったと今日挨拶に来た。私たちと同じ年だそうだ」

 背筋を冷たいものが走る。サラザンはヒロインを養子にした男爵の名前だった。いつかその名を聞くとはわかってた。彼女がどこにいるかは分かっていたけど、その存在にふれたら何かに飲まれる気がして調べることを避けていた。ついに彼女のシナリオが動き始めた。

「サラザン男爵は子がいないと悩んでおりましたね。多少の損があっても養子なら男の子をとると思っておりました。女の子とは意外です。余程の良縁があったのでしょうか?」

「庶民の子だと言ってた。教会の礼拝で魔力が発動した場にいあわせたらしい。光属性のようでかなり魔力量も高いそうだ。直系でなくとも継ぐなら男の子をとるべきだろうが、どうしても育ててみたくなって養女にしたと言ってたよ」

 目の前で交わされるヒロインの話。これはゲームの中では語られない話、でもその先が続く場所を私は知っている。君の噂はきいてるよ、出会ったヒロインにアレックス王子が告げる言葉。貴方の事は少し伺っています、カミュ様の言葉。大変なら力になる、クロードの言葉。

「準備は大変だな。俺も学園でお会いすることがあれば気に掛けます」

 ふわふわのピンクの髪にピンク甘い瞳。優しくて皆の気持ちにそっと入ってくる。魔力が豊富。王家と同じ光属性。クロードにも、カミュ様にも、ユーグにも、そしてアレックス王子にも、気付いたらかけがえのない存在になるんだ。愛しているよ、ゲームの中で囁く言葉は彼女の為のもの。

「学園で、それぞれ出会いがあって、こんな風にいられなくなるのは嫌です」

 うな垂れてぽつりと漏らすのは私のわがまま。忍び寄るシナリオは私の前に少しずつその影を広げている。勝負はここからだ。悪役令嬢としての結末を迎えれば、私の家族や一族全体に大きな影を落とす。でも、それだけじゃない零したくないものは私の手にたくさんある。
 辛かったら耐える。悲しかったら笑う。間違えたら取り返す。弱い心を漏らす暇があるなら、無謀でも前に進んで強くなりたい。

「ふゅに?」

 私の頬にかかるのは大好きな手。意地悪に気ままにその頬を強く何度もつぶしてくる。でも、その目は真剣に私の不安を覗き込むように向けられる。

「な、にゅ、ひゅ、る、で、す」

「君がバカを言うから腹がたったんだ。ノエルは私の側にいるんだろ?」

 二度めの約束は必ず果たします。明日側にいる事が辛くなっても。絶対叶うことがない初恋でも。
 キャロルじゃない私が、好きでいるのは許されますか? 貴方が好きだと気づいてしまったんです。

「はい! 約束です!」

 笑う私に応える笑顔は、私の眩しい宝物。




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二章 三十話 契約とキス キャロル12歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 ユーグの目つきが変わった。興味深そうに値踏みする眼差しの奥に好奇心が見える。薄い唇の端を上げて艶のある声で宣言する。

「シュレッサーは、研究の為ならどんな事でもする。情報提供者が望むなら秘密は絶対に守る。僕たちにとって情報は宝だよ」

 不法侵入やら、器物破損の事例は枚挙にいとまながなく悪名高いシュレッサー。だけど、情報管理の厳重さでは高い評価を受けている。提供者の流出も研究の経過の流出も一切聞かない。

「シュレッサーとではなくユーグ様個人との取引です。保証してくださりますか?」

「僕と君の取引? 内容によるね。僕が全力で守ることを約束できるのは有用な情報だけだよ」

 すっと目を細めて警戒するようにユーグが口を結ぶ。当然といえば当然だ。つまらないかもしれない情報に簡単には飛びつかない。情報はユーグが絶対に求める自信がある。ただし、価値を本当に評価できるまで二年が必要だ。真偽が分からなくても、この情報のを欲しいと思わせれば私の勝ち。

「真偽が分かるは学園入学後になります。でも真偽が分かってからでは、有用性がありません」

 ユーグが唇の端をほんの少し舐める。あえて、何かは伝えずに断片だけを伝える。私を見つめるユーグの目は私自身を見ていない。断片だけの情報が何かを探し当てようとすぐに自分の思考に沈み込む。

「うん。これかなっていうのは見つけた。正解なら、欲しいな。すごく欲しい」

 ケットの中で私の手に指を絡ませて、上目遣いにうっとりに呟く。わざとじゃないとは思う。でも、どうして一つ一つの行動が人を惑わすようなのか。一度、自分の行動について研究して欲しい。

「でも、どうして君がその情報を持っているのかがわからない」

 私はとりあえず意味ありげににっこり微笑む。はったりは大事。余計なことは省いて、勝手に行きたいところに辿り着いてもらうのがその人の一番納得のいく答えになる。親狸の得意技。今日はもう一押し。

「それも探求してみてはいかがですか?どんな方法があるか。ただし、私に迷惑はなしです」

「うん。探求は好きだよ。でも、君が持っている答えを信じるのは難しいよね? それに、長い年月をもつ貴族は案外その情報を必要としないと思わない?」
 
 うっとりとした目をほんの少し細めてユーグが挑むような光を目に宿す。駆け引きも真偽の揺さぶりも、きちんと私の提示する情報の答えに気づいている証拠。

 私が彼と取引するつもりの情報はユーグの属性だ。

 学園入学前の判別は体調で判断できる精霊の子以外は難しい。判別方法の秘密が暴きたいのか、シュレッター伯爵家歴代当主は毎年果敢にエトワールの泉へ不法侵入を繰り返す。そして、毎年警備に叩きだされて国王に叱られる。伯爵子息のユーグにしてみれば、彼らが手に入れられない秘密の先を、私が知るのはあり得ないことだ。
 そして、長い貴族は一族の属性が偏るため、何もせずとも身内の属性の恩恵を受けて魔力の総量は上がるのが普通だ。シュレッサー家も古い貴族だ。真偽が分からないから、僕にはいらないよと私に揺さぶりを掛ける。

 でも、私は知っている。ユーグはそれに当てはまらない。

 観賞用以外に珍しく役に立った私の能力。ベットの中で変顔を代償にした。ファンブックよりユーグページ記載事項。

 ユーグ・シュレッサー。彼の属性は内に秘めた情熱の証。しかし、魔力の容量は環境の恩恵を受けず非常に少ない。シナリオでは魔力が少ない故の苦悩が描かれる。 |(君にエトワール@ファンブック)

 シュレッサー家の属性は土、もちろんシュレッサーが持つ王都の研究所も土属性だ。王城の研究棟は王家の管理の光属性。そしてワンデリアの研究所はひずみの影響で闇属性。ユーグが過ごす場所には彼の属性はない。

「私の情報は有益です。貴方にとっては特にですわ」

 情報の経路は明かす必要なんてない。前世の記憶だなんて明かせないし。何よりシュレッサーは謎解きはお好きでしょ?
 私は彼の色気に負けないぐらい艶やかに見えるような笑顔を自信たっぷりに浮かべて見せる。
 さぁ、不安になって。僅かな可能性の落とし穴は探求者である貴方なら知っている。聞きたいでしょう? ユーグ、貴方にとってこの情報はなくてはならないものよ?
 私が煽る言葉の可能性に惑う。鋭い瞳の光が揺れる。魔力は貴族の力の証。ユーグの探求をより自由にする力。強がったって、知りたくない者なんていない。私は促すように笑みを深めて見せる。
 一度瞳を閉じると舌で唇をゆっくり湿らして開く。瞳は欲しいものを手に入れる期待の色。

「情報提供者の秘密と条件を……君の秘密が僕は欲しい」

「では、私の全てを隠してください。私の事は誰にも話さない。同じ探求者にも、ノエル様にもです。あと、私にもう近づかないでください」
 
 毛布の中でもぞもぞとユーグが何かを取り出す。彼のポケットはどれだけ色々なものが詰まっているのか。出てきたのは白い紙で紙の端を持ってと言う。言われた通りに反対の端を私が持つ。

「シュレッサーの契約を始めるよ。契約者は、ユーグ・シュレッサーと」

「あ、キャロルです」

 紙が緑色に光る。魔法道具だ。毛布の中でユーグのポケットから同じ色が漏れてるので、きっとお守りが入っていてその魔力を利用しているのだろう。

「求める情報は、ユーグ・シュレッサーの魔力属性。契約条件としてキャロルに関わる全ての情報を許可がない限り完全に秘匿する事を約束する」

 ユーグが絡ませたままだった空いた手を繋ぎなおすようにそっと撫でる。艶っぽい流し目に思わず見惚れかける。ぐっとお腹に力を込めて耐える私の耳に唇を寄せると、癖のある艶っぽい声で囁いた。

「君自身の秘密だけだよ。情報の真偽が確定するのは二年先だもの。欲張らないでよ」

 耳に軽い音を残してほんの一瞬触れた柔らかな感触に負けた訳じゃない。ゲームのファンブックを読み込んてしまった後だし、ユーグの声はゲームそのままだし、ちょっと契約が乗りかけて気が緩んだせいだ。気付いたら二年ぶりに真っ白になって、その言葉に頷いていた。ユーグが12歳なんて絶対におかしいと思う!
 紙を掴んだ親指に小さな傷みが走ると、契約書が一段輝きを増してから、その光を納める。

「契約書ができたよ」

 確認してと渡された契約書には、私とユーグの血判が押されている。契約者は私とユーグの名前。内容は希望通り秘匿すること。私にもう近づかない約束は含まれない。最後にしてやられる。

「君が僕の属性を教えてくれた時点で執行される。シュレッサーの探求者たちが使う魔法で縛った契約だ。お望みどおりに僕は君に縛られるんだ。君のことに関しては言葉を一切発することができなくなる。解除にはお互いの血判が必要になるからね。それから、契約書はシュレッサーのだから僕が預かるけどいい?」

 私は頷く。シュレッサーの情報を守る秘密は魔法による契約だったとは驚いた。これなら、ほぼ完全に秘密を守ることができるだろう。今日は子だぬき頑張りました! 胸の中で快哉を叫ぶ。
 最後に契約発動の為に私はユーグに彼の属性を伝える。探求者としての情熱、秘めたる恋の情熱、一族の属性とは異なる属性に導くほど、彼の性分に最も近い属性。

「ユーグ様の属性は、火 です!」

 契約書が再び強く輝いて緑の光が私とユーグに降り注ぐ。小さなきらきらした緑色の光の粒は夜空にとてもよく似合う。

「きれいです。星が降ってきたみたい」

「契約の執行にシュレッサーの探求者から星の祝福だよ」

 光の粒か消えるまで私とユーグは静かにシュレッサーの星が降る夜空を眺める。月の下での契約はこうして無事に交わされた。

「それにしても僕の属性が火って、本当? なんか全然実感がない……」

「本当です。今の生活のままだと火の属性に触れる機会がないんじゃないですか?」

 ユーグがちょっと考え込んでから頷く。ゲームのシナリオの中で、才能も知識も誰よりもあるはずなのに、下位貴族より低い魔力で魔法が発動できないユーグ。魔力の低さを補おうと多くの研究に没頭するも満足のいく結果に届かず、苛立ちを感じて苦しみ続ける。もし魔力があればもっとできることがあるのに。辛いシナリオは切なくて、縋る様にヒロインを傷つける描写も嫌いじゃないかった。

「今のままだと、ユーグ様の魔力はあまり伸びません。伸び率は最低に近い。今からたくさん火の属性に触れて下さい。そうしたら、上級魔法を操って探求の為に自由にお望みのままに駆け回ることができるようになります」

 苦しむことなくユーグが大好きな探求に没頭する未来、こちらのシナリオの方が私は見たい。ぎりぎりの計画で無茶をして、心配かけて。それでも、研究の成果は必ずただいまと持ち帰ってくれる未来を祈る。

「うん。頑張ろうかな。そうだね。キャロルも一緒に探求の旅に連れて行ってあげるよ」

 契約書をポケットにしまいながらユーグが言う。私はその言葉に全力で頭をふる。ユーグの探求の旅なんて、無理無茶の連続なのが簡単に想像がつく。

「遠慮します。命がいくつあっても足りません」

 ユーグが怪訝そうな顔をする。また思考に沈み込んだ時の光のない目だ。自分の危険な行動を振り返って自省してくれるならありがたい。
 閃光弾が短く一度瞬いた。渓谷に目を落とす。もう少ししたら明かりが落ちる合図だと教えてくれる。消える間際になると何度か短く瞬いて教えてくれるそうだ。

「なんで、キャロルは自分のことが隠したいのかな?」

 もう契約は成立しているので言わないくてもいい。でも、伝えておけば私がここにいない時の言い訳になる。私は用意してあった説明を口にする。

「ユーグ様は精霊の子はご存知ですよね? 私はここかでることができません」

 私は悲しそうに目を伏せて見せる。ユーグのことだから精霊の子のことも絶対知っているだろう。これで、私がここから出ない理由としていろいろ推察してくれると助かる。嘘は好きじゃないから。

「だから旅にでられないんだ? なら、大丈夫。僕の最終目標は精霊の子の治癒だから」

「はい?」

 精霊の子だから出られないというより、命がけになりそうなユーグの旅はご遠慮したいだけだ。それよりも、最終目標が精霊の子の治療だということにに驚く。私の顔を見て嬉しそうにユーグが笑う。

「母の友達が精霊の子の恋人だったから、最期の探求に精霊の子の治療を目指す事にしたんだよ。僕はその目標を継ぐから、必ず治すよ。だから、まってて」

 子供らしいすごくいい笑顔を見せた後、ユーグが急流のように早口で話し始める。

「今ね研究しているのは元々精霊の子の魔力の減少は外から攻撃を受けるっていうのが定説だったんだけどそれは僕たちと同じ状態であるっていう見方でこの状態で例えば一つの魔力に対して別の魔力を色々な環境で圧力を加えて反応をみる実験があって………………………………という形で頓挫してしまって今はが基本をもう一度考え直すことにしてて魔力の溶解性について考えてるんだけどそれは」

「ちょっと、ちょっと待ってください!!そんなに一気に説明されてもわかりません!!」

 研究について生き生きと語るユーグの説明は半分も聞き取れない。とにかく途中から専門用語も多いし、早いし、私の頭は大混乱中だし。さっきよりしっかり握られた手が絶対逃がさない問われているようで、お願いだから私を被験者として数えないでしいと途方に暮れる。

「今度、レポートでせつめいするね。きっと楽しい時間にしてあげる」

「それも、ご遠慮します。とにかく! 私の方はそんな訳なので、魔力が欲しい人に攫われると困るから秘密にしたいんです。いつもこの村にいるわけでもありません。いいですね?」
 
 嘘は嫌いだけど、嘘も方便という言葉に縋りたいと思う。だって、研究狂いのシュレッサーのユーグに捕まりそうで怖い。悪役令嬢回避の前に、ユーグの被験者回避が急務になるのはやめて!
 ちょっと不服そうなユーグのことは無視する。閃光弾がまた、瞬く。きっともうすぐ明かりが落ちる。

「じゃあ、キャロル。キスしてみていい?」

「ふぁい?!」

 突然の方向転換に変な声が出る。ちょっと待って!

「キスの仕方は一応わかるし」

 ユーグ、12歳だよね?! 甘えてねだるような瞳で私の顔を覗き込む。困るよ。ユーグの事は見直した、悪い人じゃない。でも違う。だって、私は……

「キスは好きな人とするものです」
 
 言い切る自分の言葉に誰かを見る。思いつくのが、勝手気ままで意地悪で私の事はそんな風に見てくれない人だった。

「僕は多分、キャロルの事は好きになれるような気がするよ」

 唇の端を艶っぽく上げた笑顔で私の顔を覗き込むユーグ。でも違う。私の中にある笑顔は、少し尊大で自信に満ち溢れた笑顔。

「私……」

 言いかけた名前を飲み込む。少しずつ気づいてた。気付かないふりをしてないと、明日からが辛くなりそうだから。堕ちるように気づいた答えに、唇を噛んで打つむく。

「実際魔力のやり取りの感触が確認できたら、もう少し溶解性の感覚が掴めるとおもうんだ……」

 頬にそっと男の子にしては長い指がかかる。それは嫌い。他の人にされるのがとっても嫌だから。

「探したら、好きってきっとこんな感じの先にあるのかな」

 呟いて私の唇にその唇をそっと近づける。触れる寸前に私の前からユーグの気配が突然消える。クレイが子猫を捕まえるみたいにユーグを引き離す。

「ユーグ様。当屋敷に滞在中のご令嬢にそのような真似はご遠慮下さいませ」

 クレイの声に私はようやく自分を取り戻す。戸惑って混乱して固まった気持ちがようやくはっきり現実を認識し始める。私何してた? 何をおもったの?
 そして、漸くユーグの発言も思い出す。あれ、ちょっと、思いっきり実験じゃない?

「ユーグ様!! 実験の為に私から魔力を貰うのを試そうとしましたね? 今度そういう事したら、全体に! 今後何かあってもユーグ様の力になんて、絶対、絶対、ぜーーーーーったいなりませんから!!」

 私は崖の方を向いて口を膨らませる。ユーグはクレイに滾々と女性の扱いについて説明と注意を受ける。いわく、魅力的だけで押し切るのではだめですとか、本音は絶対口に出してはいけませんとか。やっぱり私の従者はクレイよりジルがいい。

 ため息を吐いて、さっきより光の弱くなった渓谷を見る。きっともうすぐ明かりが落ちる。光がまた瞬く。一瞬の暗闇の後に私はそこに人影を見る。こちらで見慣れぬ褐色の肌に真っ赤な長い髪。見つめる私に振り向いた真っ赤な瞳。声を上げようとした瞬間、再び光が瞬く。もうその場所には人影はなかった。
 幻か、見間違えか、私は上げる言葉を失って、ただひたすら光が弱くなる渓谷が闇に飲み込まれるのを眺めていた。
  

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2018年11月18日日曜日

二章 二十九話 満月の下で キャロル12歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 時間的にユーグが今日の内に帰る為には、シュレッサー伯爵と迅速に連絡が取れる必要があった。シュレッサー伯爵は連絡が取りにくいことで有名なことを思い出す。やっぱり間に合わなかった。

「……では、私も泊まります。ユーグに謝りたいですし。私がこんな状態だったので精霊の子の話も伝えていません」

「明朝には旦那様がキャロル様と代わるそうです。それまでに出来そうですか?」

 精霊の子であることを告げるだけの対策。でも、これだけでいいの? 父上の考えはどこにあるのだろうか。おばあ様、カミュ様は精霊の子の女の子が晒される危険をきちんと理解して抑えることができる人たちだ。でも、ユーグは同じになるか不安に思う。

「大丈夫です。何とかします。ジルは私とユーグの食事の手配等が終わったら、帰ってください。ノエルの従者ですから、ここに長居はだめですよ」

 複雑そうな表情を浮かべるジルに私は胸を張って笑って見せる。それでも心配そうに私を伺うジルは本当に心配症だ。
 一日なら雇用主の父上の命令で私の側につくことがあっても、二日もノエルの側を離れることはあり得ない。この先、ユーグとはノエルとしての付き合いがある。私に心を掛け過ぎる印象は残してはダメだ。

「心配です。本当に気を付けてお過ごし下さい」

 クララは勿論、じいじにもこちら泊まってもらうから大丈夫だと説得すると、諦めた様に肩を落とした。
 窓から見えるワンデリアの夕日が山も部屋も何もかもを赤く染めていく。綺麗で落ちつかない美しさに騒ぐ胸を抑えて、無事に今夜が乗り切れることを願う。

 その夜はワンデリアで領民の心づくしの夕食を食べる。素朴で優しい味はなつかしい気がして好きだった。ジルがゲートから王都に戻るのを見送ると、私はユーグの部屋に向かうことにする。

「クララ、ユーグ様は大人しくしていますか?」

「はい。紙とペンを渡したら、とっても静かにお休みです!」

 頷いて、ドアをノックする。返事がない。もう一度ノックしても、返事がないので静かにドアを開ける。
 目に入ったのは一面に散らばる紙だ。驚いて拾い上げると、そのどれもに、難しい計算式や、図形が描かれている。数枚を拾ってその内容に目を通す。知らない知識が並ぶ紙。魔法弾改良案 参拾と書かれた紙には、丸が付けられた式とバツが付けれた式が並ぶ。違う紙には、魔物の発現の応用と書いた後に人体図が描かれていた。
 書いた本人は背を向けてベットに横になっている。食事は済ませたと聞いているが、まだ寝るには早い時間。そっとその背に近づいて顔を覗き込むと、向かい合う時よりもずっと幼い少年の寝顔に思わず笑みが零れた。ちらばった紙を拾い上げてまとめていく。変な人だけど真剣に研究に取り組んでいるのだと思う。

「なんの用?」

 整えた書類を鞄の横に置くと、そう問われる。振り返るとベットに腕を投げ出して、横になったまま面倒くさそうにユーグが私を見ていた。怒っているのは分かるけど横になったままそんな表情を浮かべられるのは少し傷つく。

「あの、お話をしたくて。私……」

「出てって。今は眠いんだ。仮眠をとって土の刻に呼びに……き……て」

 そう言って、再び瞼を閉じてしまう。土の刻は前世でいうところの夜中の0時だ。また、とんでもない時刻を指定してきたと、ため息を吐く。寝てしまったユーグの毛布を肩まで引き上げてから、私は部屋を出る。
 部屋を出ると、乱れのない佇まいに、静かな微笑を浮かべてクレイが私を待っていた。

「お嬢様、良い月夜でございますね。先ほどこちらに到着いたしました。いくつかレオナール様の指示がありますので、付きっ切りとはまいりませんが、できる限りお世話させて頂きます」

 時折見せる暴言と笑い上戸な姿はこうしていると嘘みたいだ。まだ何も話せていない事を告げて、仮眠をとるので土の刻に起こしてほしいと頼む。

「畏まりました。今から村で明日のお迎えの方への応接の相談に行ってまいります。クララとじいじでしたね? お二方に留守をお願い致しました。良い夢をご覧ください、お嬢様」

 一礼して去る後ろ姿を見守る。その背がなんだかうきうきして見えるのは私の気のせいだろうか? その後ろ姿を呼び止める。

「クレイはお父様から私の事について詳しい話は聞いていますか?」
 
 課された条件はほんの僅か、私はほぼ自分の意志でそれぞれの時間を自由に過ごしている。でも、こんな風にトラブルに巻き込まれると不安になる。

「お答えはできませんので、悪しからずご容赦くださいませ。……一つだけ、レオナール様がおっしゃったなら、それで宜しいかと存じます。責任を取る算段をお持ちなのでしょう。何しろ、アングラードは狸の住処ですから!面白い狸がたくさんおります故!」

 可笑しそうに肩を震わせるその背を見送って、私は用意された自分の為の部屋に戻る。狸の中に私もはいるのかしら? 私は毛布を頭まで被ると、額の傷をそっと触る。アングラードの子だぬも頑張っていいはずだ。

 誰かの声に呼ばれる。まだ私はとっても眠い。もう少しだけ、毛布を抱え込むように丸くなる。突然、毛布の感触がなくなって、私は、はっと目を覚ます。

「ご機嫌はいかがですか、お嬢様。土の刻になりましたよ」

 私の毛布をぐるぐる巻きに手に抱えて。父上の従者のクレイが爽やかな目覚めに相応しい従者の笑顔を浮かべる。もう少し優しく起こしてもらいたい。大きく伸びをして、差し出された冷たい水を飲み干す。

「ごきげんよう、クレイ。私のジルはもう少し優しいわ」

「あの子はお嬢様に甘すぎます。甘さを抑える事も覚えませんと、従者として大切な時に判断を誤ります」

 私はふくれっ面でベットから降りると、上からガウンを羽織って鏡の前で髪に小さなお団子を作り始める。クレイに手伝ってもらって、ようやくつけ髪をセットし終えた。おかしなところがないか、簡単にとれないかを念入りに確認して部屋を出る。

 クレイを連れてユーグの部屋に向かう。真夜中に起こせと言うんだから、何かしたいことがあるのだろう。起こしてトラブルを起こされるのは困るけど、怒ったまま話を聞いてもらえないのもっと困る。欠伸を噛み殺しながら部屋の前に辿り着くと、同じように欠伸を噛み殺すクララがいた。
 長い話にしたくないけど、ユーグが何をしたいのか分からない。クララにはクレイが側にいる間は仮眠をとるように勧めると、嬉しそうにその場で剣を抱いて眠りについた。。その寝つきの良さに感心する。

 軽くノックしても、今回も返事がないのでゆっくりとドアを開ける。まだ、ぐっすり眠っているようだ。その肩を軽く揺すると小さく唸り声を上げてから、毛布を引き上げて頭まですっぽりと潜ってしまう。

「クレイ、私みたいにやっちゃってくれません?」

「ご冗談を! 他家のご令息にあのような無礼は働けません」

 自分のうちのご令嬢には無礼が働けるのですねという言葉は飲み込む。それではと私は気合をいれると、その毛布を思いっきり剥ぎ取る。

「起きて下さい。お約束の土の刻ですよ」

 私の言葉にはね起きるように半身を起こすと、そっと胸に抱きつく。母上、そう呟いた言葉に大人びた表情で発言をするユーグが同じ12歳であることを思い出す。その背を、できるだけ優しく叩く。怖い時にそうしてもらうのは嬉しいから。

「ユーグ様、起きて下さい」

 もう一度声をかけるとゆっくりと背に回した腕を放して、私の視線に切れ長の目を会わせる。だんだん目が覚めてきて、状況を理解すると、大人びた顔を崩して顔を顰めた。バツが悪そうな表情でほんの少し頬を染める顔はちょっと愛らしい。

「こんばんは、起こしにまいりましたよ」

「……ありがとう」

 グラスに水をいれて手渡すと、素直に飲み干して大きく伸びをする。その表情はいつもの大人びたユーグだ。

「うん。目が覚めた。じゃあ、夜間観測にいこう?」

 やっぱり何かを言い出すと思った。夜歩きは禁止ですと告げると、館の中でもいいから地下渓谷が見えるところに行きたいと言う。シュレッサーの研究所はここはど渓谷に近くないらしい。夜間にことさら魔物が出るわけではないし、人の少ないこの村にさして危険があるわけではない。クレイに伺うように視線を移す。

「南の階段から館の屋上に出られます。そちらに行ってみますか? まだ夜は冷えるのでお二人ともケットを持って参りましょう」

 ランプとケットをクレイが用意して来てくれる。私とユーグは屋上を目指した。南の階段を上って天井の石造りの扉を開くと、満月が私たちを出迎える。月の光に白い岩肌が照らされて反射して、魔法ランプがいらないくらい明るい。幻想的な夜の景色に見とらる。

「点検のための場所になります。柵もないので落ちないように注意してくださいませ」

 そう言って、私とユーグを地下渓谷が見渡せる場所に座らせると一人一人ケットにくるむ。冷たい風が吹き抜けてケットだと思ったよりも寒い。風があるのでこれでは寒いですねと言うと、腕が触れ合うぐらいぴったり私とユーグを並ばせてケットを二重にして頭からすっぽり被るように包んでくれる。小さなかまくらに二人で入っているみたいでなんだか少し面白い。

「ねぇ。これ投げてよ」

 ユーグがもぞもぞとケットの中でポケットを漁って、魔法弾を取り出しクレイに渡す。物騒なものではなくて野営用に長い時間辺りを照らす閃光弾だから危なくないよと言う。
 クレイが、地下渓谷に投げ入れると、底についた途端一帯が明るく照らされた。白い岩と土と灰色の岩肌が幾重にも重なるのがはっきりと見える。岩肌の色の変化を三百まで数えて、私はようやく切りだす。
 
「あの……申し訳ありませんでした。シュレッサー家の非難したことをお詫びします。人知れず結果を残した研究者の方達への感謝を表させて下さい」

 ケットの中で渓谷を見つめるユーグの横顔を見つめる。一心に谷を見下ろす表情に変化はなく、私の声は届いていないようだった。続ける言葉は少しだけ小さくなる。

「でも、私は犠牲になる人がいるのが悲しいんです。だからこれからも考えます。答えがでたら……」

 聞いてもらえますか? その言葉を飲み込む。ノエルの姿でいつかそっと伝えるしかない。

「……考える人は嫌いじゃないよ。探求者の一人としてもシュレッサー伯爵家の一人としても君の感謝を受け取るよ」

 谷底を見詰めたまま、ユーグがそう答える。私はほっと息を吐く。振り向いてくれなくても、怒っていても届く言葉があってよかった。

「一応、僕も考えた。犬死にはダメと、昔母に叱られたんだ。昨日の僕は、助けがなければ結果を誰にも伝えず死ぬところだった」

「一時で床を研究でいっぱいにするユーグ様の損失は惜しいです」

「そう思うよ。僕はいつか研究者の頂点に立つから。母がいた場所と同じところに立って、功績の残りを結果につなげなきゃいけない。犬死にはダメだ」

 ユーグが崖から初めて顔を上げて空を見上げる。この世界でも亡くなった人は星になると言う。金の月が彼の瞳の中で少しだけ揺れる気がした。ユーグが星に見るのは多くの探求者なのだと思う。その中に過去形で語られるユーグの母もいるのだろうか?

 視線をの端に何かが動く、顔を戻すと照明弾の光が大きく陰るのが見えた。大きな影はゆらゆらと照明弾の揺らめきに合わせて、小さくなって大きくなるを繰り返す。

「大変てす!ユーグ様、影です! クレイ、何かいます!」
 
 ケットの中でユーグの腕にしがみつく。こうしておかないと、研究好きが飛び出していきかねない。すぐにクレイが私たちの側に立って警戒してくれる。影が二つになって、どんどん小さくなっていく。初めに異形に見えたその影は、小さくなるにつれて見慣れた形に近づいた。影の正体が渓谷から姿を現わした。

「狸だ」

「狸でしたわね」

 くすりと笑う気配を隣に感じる。私は咳払いをして絡めた腕を解く。怖かったわけではない。ユーグの身を案じたのだ。勘違いしないで欲しい。。
 渓谷で戯れる狸は前世の狸に少し似た丸い姿をしている。その色は白銀で手足と顔に少しだけ黒い毛が混じる。時折。前世の名前と同じ名前で呼ばれる生き物がいる。似てるけど少しだけ違う。それが何故かと思考するのはのはユーグの影響を受けたのだと思う。姿を弾ませて二匹の狸は走り去る。クレイも警戒をといて元の場所に戻った。

「……夜間観測は悪くないけど、実りはなさそうだ。やっぱり下にあるひずみが直接見てみたいな」

 ユーグがまた物騒なことを言い出した。
 渓谷の一番最下層には底が見えない深い亀裂が走っている。それをひずみと呼ぶ。魔物はひずみから生まれてくる。遥か昔、そこは魔族の世界と繋がり多くの魔物を生み出した。人と魔の戦い。200年前のエトワールの泉の物語で語られる話だ。
 もっとも、昨日ユーグは中腹で魔物ができたのを見ている。ひずみからでなくても魔物は生まれるということだ。預言者で聖女と呼ばれたシーナ王妃の容姿が現実と絵本で異なるように、魔物がひずみから生れる部分も物語を飾る作り話なのかもしれない。

「犬死はだめですよ、ユーグ様」

「まだ、いかないよ。入学して魔法を覚えてからだね。うちの資料や報告には魔物がひずみから生まれる記述が残ってる。普通よりで生まれやすい要因があるなら中を調査しなきゃね」

 楽しそうな笑顔で無茶な計画を語る。この人は命がいくつあっても足りないと思う。きっと魔法を覚えたら、もっと自由に世界をその身一つで駆け回るのだろう。それは強ければ強いほどユーグに自由を許してくれる。

「ユーグ様は何を探求してるのですか?」

「締め切り間近は魔法弾の改良。次に控えた約束は毒草の複合品種造り。ライフワークで一番調べたいのは魔物ができる要因の入手」

 毒草の複合品種。ゲームの設定に幼くして毒草の複合品種を次々と作り出し天才の名を欲しいままにしたと説明がある。そこからついた二つ名は毒薬伯爵。違う依頼を進めたらユーグの二つ名は変わるのか? 試してみたい気がする。

 ようやく私とユーグの間の緊張が解けてきた。今なら私のことについて切り出せる気がする。私はユーグが欲しがるものを一つだけ与えることができる。それを使うならどうでればいいか。
  
「シュレッサーは情報提供者の秘密を絶対に守ると聞きいてます。私と取引しませんか?」

 私は挑むように微笑んでユーグを見つめた




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二章 二十八話 ユーグ キャロル12歳 ★悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 掴んだ手を振り払おうとするが、しっかり握られて離れない。頭から血が流れているのになんだか楽しそうな顔でユーグが見つめる。

「離して下さい!」

「教えてよ。君は誰? ノエルにそっくりだね」

「離して! 頭から血がだらだらと出ています!」

 驚いた顔で手を離すと、手を当てて傷口の位置を確認する。血だらけになった手を見て、初めて気付いたように本当だね、驚く。自分の体なのだから好奇心より先に労わって欲しい。

「僕の荷物ってある?」

 クララが奇妙なものを見る目つきで、手に持っていた荷物を放り投げる。ユーグは鞄を受け取ると小さな小瓶を取り出して一気に飲み干した。柔らかい光がユーグの体を包んで小さな傷からどんどん消えていく。傷の治りから、かなり高価の回復薬のようだ。
 それから、小さなケースを取り出して、ジルに向かって放り投げる。

「それ、右側の白い錠剤は魔力の回復薬。左の少し黄色い錠剤は普通の回復薬。僕が飲んだのより効果は低いいけど、そこそこに回復するよ。二人で全部食べちゃってもいいよ。助けてくれて、ありがとう」
 
 そう言って軽く頭を下げる。変な人だけど一応と感謝の気持ちは表せるみたいだ。それから、また私の顔をまじまじと見つめだす。お願いだから、その変に色気のある視線をどこか他へ向けてほしい。

「ノエル?」

「違います」

「誰?」

「お答えする義務はありません」

「ここアングラード領だよね? ゲートからアングラード家に届けてくれない? ノエルに聞くから」

「ゲートは使わせません。各家の秘密なんです。わかるでしょ?」

 このまま放っておくと延々と質問攻めにあいそうなので、こちらから質問してみる。

「貴方こそ、どなたですか?」

 キャロルとしての私はユーグとは初対面だ。首を傾げるとベットからゆったり立ち上がり、私の手を取って膝まずく。見惚れるぐらい艶のある動作だ。

「ユーグ・シュレッサーです。ワンデリアのシュレッサー領に滞在中です。お助けいただいたこと心より感謝します」

 音を立てて、私の手の甲にゆっくりとした口づけを落とす。指を絡めて手を離さずに、上目遣いに見つめる。

「雰囲気は違うけど、彼はノエルの従者だね。それを連れてる、君は誰なの?」

「私はキャロルと申します。アングラード領に滞在しております。確かにこちらのジルはノエル様の従者です。今日はノエル様よりお休みを頂いて、ワンデリア事業に関することで私がお借りしておりますの」

 ユーグがワンデリアに来てしまった時の対応は相談済みだ。シュレッサーの事だから突然現れる可能性があるから念のため、といった父上の予想が大当たりだ。ふーん、っと微妙な反応をユーグが返す。このくらいの情報では満足いかないらしい。

「キャロル様! これ凄く体力が回復します!!」

 クララが声を上げる。先ほど貰った錠剤を食べたようだ。ジルの方は素知らぬ顔をしてるので食べていないのだろう。舌で唇を舐めると満足そうな笑顔をユーグが浮かべる。

「うちで新しく開発した薬。感想聞かせてほしいな?」

「開発? うちの従者と護衛を人体実験に使ったわけではないですよね?」

「もうすぐ国政管理室の許可も下りるよ。ほぼ安全はお墨付き。僕が飲んだのは自分で調合したからお墨付きじゃないけど」

 ユーグの発言に色々言いたいことはあるけど、彼と話すと振り回されている気分になって疲れる。ユーグを相手にするより、先にクララとジルに何があったのかを聞くことにする。

「ジル、クララ。先ほどはどのような状態だったのですか?」

「はい! 私とジル様が向かったら、ユーグ様が馬で魔物に追われてて。近寄ろうとしたら、変なものをポケットから取り出して投げたんです。ドーンです!すごい音がして炎が上がりました。もう一つ投げたら更にドドーンって、倍ぐらいの爆発です。ユーグ様はそれで自分が吹っ飛んじゃったんです」

「ユーグ様、出して下さい! ポケットの中にあるものを今すぐ! 全部です!」

 クララの説明でポケットの中に危険物が入っていることはよくわかった。私が慌てて怒ると、ちょっと嫌そうな顔をする。ベットに腰掛けて渋々といった様子でポケットの中から、ドロリとした液体が入ったお守りと同じサイズの珠を取り出した。ジルが受け取って、机の上に並べていく。一つ、二つ、三つ……全部で十五個が色々なところから出てくる。

「新しい魔法弾だったんだけど、連続して投げたら大爆発だったよ。あれってどういう法則だろ? 予定外だから練り直してみなきゃいけないな」
 
 自分の思考の中に潜り込んでいくユーグに、ため息をついてジルとクララを見る。ジルはユーグを見て苦笑いしているが、クララはジルを見て、なんだかうっとりしながら話を続ける。

「魔物が火の勢いで後退した隙をついて、ジル様が吹き飛んだユーグ様を拾いました。その時に魔物が手を火の中から伸ばしたんです!ジル様素敵でした……。短いナイフなのに自然に捌いて、あれ程の技量は私兵団でも見たことなかったです!!その後も凄い風魔法で二対倒しちゃいました!でも、ユーグ様が邪魔で馬のスピードが上がらなくて、後一体を私が倒してこちらに戻ってきたんです」

 クララの顔がなんだか恋する乙女に見えるのはきっと気のせいだ。ジルは凄い、私の大切な従者。誰かが好きになってしまうのは仕方ない。
 クララを労うと扉の外で警備をお願いする。ユーグが追及を諦めると思えないから、裏事情をしらないクララはここにいない方がいい。クララが出ていって扉が閉まるのを確認するとユーグに向き直る。心ここにあらずと言った様子で、思考に耽っている。概ね物騒な魔法弾の大爆発の原因探しだろう。

「ジル、ゲートを使って戻ってください。アングラード侯爵に至急事の次第を伝え、シュレッサー伯爵にユーグ様を引き取ってもらう手筈を」
 
 ここから伝達魔法をつかうより、一度ゲートで王都に戻って使う方が連絡は断然早い。ユーグと二人になるのは些か不安だけど、できるだけ早くこの危険な人物をシュレッサー領に返したい。

「あ、迎えは明日でお願いします。もう少しぐらいはここに滞在したいんで」

「ダメです。至急です! 何言ってるんですか! ジル至急ですよ、至急!!」

「キャロル、僕は頭を怪我したんだよ。回復薬で傷はある程度ふさがるけど、頭を怪我したら一日は安静にする。これは怪我人の看護の基本だよ。ね? 僕はもう少しここに君と一緒にいたいな?」

 頭の怪我の一日安静は大事だけど、絶対にユーグは気になる事を根ほり葉ほり調べたいだけだ。大人しく休んでいる筈はない。私は手を腰に当ててできるだけ冷たい態度で見下ろす。

「ユーグ様にお伺いしますわ。従者の代わりに魔物を連れてどうしてアングラード領にいらっしゃるのかしら?」

「あぁ、そう言えば従者を忘れてきたね。待ち合わせの場所で待ちぼうけでは可哀そうだ。ジル、一緒に父に、僕の従者が第3研究棟入口で待ちぼうけてるって伝えてもらえるかな?」

 報告に向かう為に礼をして部屋を出るジルの背中にそう声を掛ける。本当に信じられない。伯爵子息が従者を忘れて出歩くなんて。なんだかだんだん腹が立ってくる。
 経過を聞けば、従者との待ち合わせ場所に行くのを忘れたユーグは、たった一人で地下渓谷沿いをアングラード領に向かって西に進んで来たらしい。一昨年は驚くほど魔物が少なかったが、昨年は例年よりやや多い発生だった。今年はまた少ない傾向にあるせいか、魔物の影すら見当たらなかったそうだ。夢中になって進み続けたところで、渓谷に人影を見つけた。目を凝らしたが影は消えてしまってそれが魔物なのか、動物なのかは判別はできなかったと言う。

「あぶりだせるかなと思って、魔法弾を投げてみたんだよね。計算通りの威力で激しい炎が上がって、収まった頃に渓谷の中腹で空気が淀んだ。凝縮するような動きがあると思ったら、すぐに魔物の形になった。魔物の発生の瞬間だよ! すごく貴重な経験になったよ!」

 そう言って、赤い舌でまた唇をユーグはなぞった。その仕草はユーグが何かに一定の満足を得た時の癖なのだと気づく。

「それで、貴方はその魔物に追いかけられたということですね?」

 うっとりと甘く微笑んで頷く顔の裏側は、魔物発生の瞬間を思い出しているのだろう。研究狂いのシュレッサーその名が浮かぶ。

「危なかったけどアングラード領に拾って貰えたし、今日はとても運がいい」

 魔物に追われて、怪我をして意識を失って、それでも運がいいと言う気持ちが全く理解できない。誰かに自分の行動が迷惑や心配をかけるとか全く思わないのか。

「勝手な方です。どれ程、貴方の周りが貴方を心配するか理解しているのですか?」

「心配? 心配なんてしないさ。シュレッサーの探求者は自分の探求心を優先するのが信条だもの。僕は僕の求める答えを探すために動く。僕がそれで命を落としても、それはすべて僕の責任だと皆が理解している。その死に僅かな結果が残れば、シュレッサーの探求者はその功績を称えてくれるね」

 死ぬことよりも探求を求める。シュレッサーの数々の無謀な噂を思い出して、私は何とも言えない気持ちになる。私はユーグを知らないから、それがシュレッサーだと言われてしまえば掛ける言葉が見つからない。

「どうしてキャロルがそんな顔をするのかな?」

 立ち上がると、その手で私の頬を掴んだ。嫌だ。咄嗟にそう思ってその手を払う。自分がなぜそれが嫌なのかわからない。わからないけどすごくユーグにそうされるのが嫌だった。

「そういう掴み方は辞めて下さい。嫌いなんです」

 不思議そうに首を傾げと、私の頭を両手で抑えるよに捕まえて、金の瞳で覗き込む。

「分からないこと見つけた。そんな複雑な顔されたのは初めてだ。もっとキャロルの中が知りたいな」
 
 首を振りたいのに抑えられた頭が動かない。それでも、さっきのような嫌悪がないのは不思議だ。少しだけ落ち着いた気持ちでユーグの金の瞳を睨みつける。

「私に気軽にふれないで。私はシュレッサーの考え方が理解できない。私は功績よりも生きて側にいてほしいわ。少しの結果で称賛が得られたらいい?少しの結果の為に死ぬなんてバカみたい。あなたのその言葉が理解できないの。私、自分の身を案じることができない貴方も死ぬことを厭わない考えのシュレッサーも嫌いだわ」

 不満げに唇を歪めて鋭い目で私を睨む、私の耳に唇を寄せる。鋭く冷たいその声が私に告げたのはシュレッサーの探究者の誇り。

「理解なんていらない。シュレッサー探求者たちの功績の多くが君の望む、誰か命を救う道に繋がってきた。僕らの道には立ち止まることも躊躇することも許されない。より多くを残し、進むためにシュレッサーの探求者はその命を懸けてる。たった一度で成功する研究なんてない、僅かな功績を積む事がどれ程大切か、君にはわからないんだね。思ったより君の中はつまらなそうだ」

 そう言ってユーグは私から手を離して、ベットに横になった。私は客間をそっと出て、クララにユーグを見張るように告げると書斎に戻った。

 ソファーに座ると、クッションに顔を埋める。甘い浅はかさと傲慢さを金の眼に見透かされたと思った。与えられた環境が何の犠牲も強いていないと思い込んでる私の甘さ。その甘さを自覚しないでユーグに投げたシュレッサーへの批判。怒られて、罵られても当然だ。

「私、バカです。ユーグに納得がいかないのと、シュレッサーを非難するのは別です!」

 ユーグの行動は好きじゃない。シュレッサーの考えも受け入れたくない。でも、数々の研究で成果を上げ続けてきた。流行り病を治す薬、難しい病の診断方法、人を癒す回復薬もシュレッサーの名の元に救われた命がある。一度で成功する研究はない。その言葉の裏に僅かな功績の為の犠牲になった探求者がいるのだ。私は彼らの名前を一つも知らない。決して声をあげない。ただ結果だけを残していく。その行動に理解なんていらないと言った。ひたすらに進む彼らの功績を私は称えたことがある?

「私にシュレッサーを批判する権利なんてない!只の感傷を振り回して何を言ってるの!!」

 行き場のない気持ちを吐き出すように、息を殺して呻く。甘い自分が恥ずかしい。でも、納得がいかない。こんな風にかき乱されるのは初めてで私はただ顔を埋めて喚く。

 ふと、私の頭に触れる優しい感触に頭を上げると、父上の元から戻ったジルがソファーの横に膝をついて優しく微笑む。倒れこむようにジルに抱き着くと、膝の間に抱え込むように受け止めて背中と頭を撫でてくれる。肩に顔を埋めて子供みたいに泣く。自分の気持ちに慰めを求めるのはズルいと思う。でも、一番心が落ち着けるから縋りたくなる。泣きながら繋ぐ言葉は、支離滅裂だ。それでも、ジルは一つ一つ頷いて、優しく私を包み続けてくれる。
 
「私、間違えてましたよね?」

 徐々に落ち着いてきた私の言葉に、ジルが優しく答える。

「お嬢様のそういうところが私は好きです」

 触れあう頬の温かさも、抱きしめてもらう温もりも、生きているから感じられる。
 ジルがもし従者として私の為に死んでしまったら、私はそれを称えられるか。絶対に無理だ。きっと自分も死にそうなぐらいにおかしくなる。
 シュレッサーの薬がない世界で、ジルが病にたおれたら何故なおす道がないのかと憤らずにいられるか?それも無理だ。どうしてと責めるだろう。
 私は本当に勝手だ。答えが出せなくて、ジルの腕の中で時間だけがたっていく、それでも心はいつの間にか落ち着きを取り戻す。
 
「答えは先に持ち越してもいいですか?」

「構いません。旦那様も以前におっしゃったでしょ? たくさん悩んでいいと。答えはいつか見つかります。少なくとも私はいつでもキャロル様の居場所でおります」

 逃げるのではなくて、いつか必ず答えを出す。その時はユーグにもう一度聞いてもらおう。でも、その前に私はユーグにきちんと今の自分の甘さとシュレッサーへの非礼は謝ろうと思う。
 私は立ち上がってしわくちゃになったスカートを整える。マリーゼと同じぐらい大きくなってはしたないからジルに抱きつくのはやめた。でも、やっぱり腕の中は心地が良いくて小さな子供にすっかり戻ってしまった。ほんの少し恥ずかしくて、頬が熱い。

「さて、お嬢様。旦那様からの伝言です。シュレッサー伯爵と連絡がつかず、これからユーグ様がお帰りになるのは難しいだろうとの事です。今晩はこちらに一泊して戴く事になります」



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2018年11月17日土曜日

二章 二十七話 恋と職人 キャロル12歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 キャロルの姿でゲートを抜ける。もうジルに抱えてもらわずに一人でゲートを抜けることができる。溢れる真黒の靄を怖いとも思わない。闇の属性に包まれている空間にいることが心地良いとすら思う。

「到着です!」

 抜けた先には先触れに出ていたジルが待っていてくれた。今日のジルは片眼鏡をはずして、髪型も初め出会った時と同じ軽い感じだ。いつもよりずっと若くみえて随分雰囲気が違う。遠目ならジルとは思えないかもしれない。

「ジルなんか雰囲気が違います。私こっちの方が好きです」

「お嬢様は今日もとても愛らしくていらっしゃいます。私はどちらも好きですよ」

 顔を見合わせて笑う。既に、領主の館にはオレガ、じいじ、クララが来てくれているという。走り出すと、一昨年まで病気だった人間が元気過ぎるのはどうかと窘められる。
 館で三人と合流すると打ち合わせの為に村に向う。村の集会所にマノンと領民の女性達がビーズを持って集まってくれていた。

「キャロル様! 体調は大丈夫ですか?」

「ありがとう、マノン。元気ですよ。早速、相談を始めましょう」

 出来上がったビーズは3種類。小指爪のより少し小さいサイズを中として、それより更に小さいものと大きいものができている。マノンが作業の改良を繰り返してできたビーズは、領民の女性たちがつくっても均一で美しい珠に仕上がっている。作業も単純にしているので完成量も多い。
 初めに同じサイズのもので、糸に通してブレスレットを作ってもらう。簡単な作業だからあっという間に全員が完成させる。悪い出来栄えではない。玉の大きさもそろっているし、普通に可愛い。マノンに職人の意見を聞いてみる。

「マノン、どう思う?」

「普通に可愛いです。でも普通です」

 やはりと思う。今はアネモネ石自体が人気もあるし、このまま出しても売れるだろう。ただ、このシンプルな作品は、新しいものや特別なものが好きな貴族は簡単に飽きていく不安を感じた。私の意見をマノンに告げる。

「ヤニックを呼んできます。デザインに関しては彼が一番です!」
 
 嬉しそうにマノンがそう言って、集会場飛び出して行く。女性陣から小さな笑いが漏れた。この雰囲気は前世で覚えがある! 女性の一人に早速問いただす。どうやら、マノンは現在ヤニックに恋をしているらしい。

「すごい驚きです。マノン、最初ヤニックはいないもの扱いでした……」

「そうでしたよね。キャロル様が初めにいらしてた時からは想像がつかないですよね」

 女性たちがくすくす笑う。ヤニックからデザインを習い始めた頃からマノンがヤニックを少しずつ好きになっていく気配があったそうだ。でも、本人が気づいてないし全然進展がなかったらしい。

「ここは人が少ないし、恋愛を意識する機会が少ないんです。マノンも好きな雰囲気が無自覚に漏れてるのに、ヤニックも全然気付かないんですよ。最近、新しい職人が入ってマノンが世話を焼くから、ようやくヤニックにも気持ちに変化が出てきたところです」

「好きな雰囲気って出てるんですか?」

「そりゃもう! 特別って感じですね。サミーに注意されるとすぐ言い返すのに、ヤニックに注意されるとすっかり大人しくって。気付かないの本人たちだけですよ」

 そんな可愛いマノンは是非見てみたい。恋の話はノエルだとあまり機会がないなと思う。今日は村の女性たちと恋の経験値をあげることにする。マノンが戻るまで恋愛の話で盛り上がる。時々ちょっと大人向けのお話がでるとジルとじいじが微妙な顔をするのが面白い。

「恋って色々あるんですね!」

「そうですよ、キャロル様!! 突然、ドンと落ちるよに恋することもあれば、ゆっくり育む恋もあります。キャロル様はどれがいいですか?」

「ドンでしょうか?」
 
 今の私に恋なんて望めないし、それなら思いっきりロマンチックな一目ぼれの恋を望む。恋の話は目を閉じたら誰かが浮かびそうな気がした。でも、怖いから考えるのはやめる。

「ヤニックをつれてきましたー」

 明るいマノンの声がした入口を見れば、ほんのりマノンは頬を染めている。確かにとっても分かりやすい。

「お待たせしてしみません、キャロル様」

「ヤニック、相談に乗ってほしいです。このビーズで皆で作れるアクセサリーを考えたいんです」
 
 先ほど作ったブレスレットを見せて、可愛いけどすぐに飽きられそうであることを告げた。ビースをいくつか取り出して手の上に転がすようにしてヤニックが眺める。真剣な職人の目をしたヤニックの横顔をマノンがうっとりと眺めていた。

「まず、最初のデザインはこれでいいと思います。基本があるというのは大切ですし、必ず需要があるはずです」

 そして、いくつかの玉を入れ替えていく、大小の玉を交互にしたもの、少しずつサイズを変えるように並べていくもの、あっという間にたくさんのパターンの組み合わせができていく。
 それぞれのデザインに対して、どれが好きか女性たちに確認していく。案外好みが均等になった。

「もう少し好みが分かれると思いました」

「とてもシンプルな石ですから、幅広く受け入れやすいんです。そして、シンプルで種類が多いということは組み合わせやすくて、独自性が誰にでも出しやすい」
 
 組み合わせて独自性を出す。それなら収集する魅力を煽るような方法もいいかもしれない。ヤニックが自信たっぷりに頷いて、ネックレスであれば長さを変えて用意するのも面白いと教えてくれる。自信たっぷりに自分の意見を口にするヤニックには、ここに来た時に一言も口を聞かず、デザイン画をおずおずと見せるしかできなかった面影はない。

「では、初めに組み合わせがしやすいデザインはどのあたりでしょう?」

 素早くいくつかを選んでくれる。一番最初に同じサイズで作ったものと、それらを組み合わせてみる。確かに組み合わせで雰囲気が違って面白い。最初に一番ベースのデザインと何種類かを同時に販売し、しばらくしたら定期的に新作を投入する方針に決める。母上とリーリア様には全種類渡して色々な組み合わせで社交界に出てもらおうと思う。
 それから、女性たちには値段は職人が作るものに比べてかなり安くはなってしまうが、収入が得られることを説明しする。ビーズ一つあたりの買い取り額を告げて、細かな条件を提示した後、参加したいものを募った。全員の女性が手を上げた。今回作るデザインと本数を伝えて割り振りを決める。
 販売ルートは宝飾店の他に服飾店にも置いてもらう。アネモネ石の売りは精密な細工だが、高価で時間もかかる。細工のないこちらは作りやすい分、手ごろな値段でたくさん買ってもらいたい。その為に幅広い流通を目指そうと決めていた。

「キャロル様、服飾工房にパーツとして卸してみてはどうですかな?」

 じいじが提案する。私が小首を傾げると、目を細めて応えてくれる。アクセサリーとして使うほかに服飾の飾りとしても使えると思ったと。確かに大きめのビーズは服に縫い付けたりして使うのも面白い。前世でビーズを持ち手にしたバッグもあった。パーツとして数十個単位で契約して売ればより安定した収入になる。

「いいですね! 取り入れてみます。ありがとう、じいじ!!」

 今日帰宅したら、パーツとしての販売を早速父上に掛け合おう。収入が増えれば資金も増える。ワンデリアでできることはまだまだあるはずだ。女性たちに解散を告げると、マノンを呼んだ。

「マノン、お疲れさまでした。みんなが作れる環境を整えてくれたことに感謝します」
 
 私の言葉に感極まったように膝をつく。一番厳しいスタートを切ったのがマノンだ。あの日、貴族向けのアクセサリーを作りたいと叫んだマノンに、少し遅くなってしまったが希望を叶えてあげられる時が来た。まだ少しジルやグレイにデザインは不評だけど、私みたいな根強いファンがつくこともあるだろう。

「キャロル様。このまま、新しい商品の開発を続けさせてください」

 先に切り出したマノンの意外な言葉に驚く。その言葉の真意を計りかねて言葉を迷う私に、マノンが続ける。

「ビーズの改良をしながら、父とヤニックの元で頑張りました。でも、まだ足りないんです。職人が増えたけど、一番能力はありません。貴族向けの品の戦力にはなれないと思います。許して頂けるなら、この地の新しい商品を開発する仕事をさせて下さい。私が目指したものと違うこの仕事が好きになってきたんです。あと少しで何か別のものが見えるってはっきり思えるんです」

 月日は人を変えるのだと思った。あの時やりたかった仕事ではなく、私に命じられて課された仕事にマノンは新しい情熱を見出した。そして、ヤニックに恋をした。私の胸はなんだか温かいものでいっぱいになって、自然と笑みが零れる。

「私、マノンのこと応援します。マノンのデザインが好きでした。私が大好きだったすごい発想力でもっともっと頑張れます。マノン、貴方に今後もワンデリアの新しい品の開発を命じます。頑張ってください」

「はい、キャロル様」

 明るい眩しいぐらいの笑顔で答えるマノンの肩にヤニックがそっと手をおいた。一年、二年、月日が積み重なっていろいろなものが変わっていく。私も変わる。人も変わる。いつか、みんなに幸せが訪れますように。

 連続して打ち鳴らされる鐘の音と共に慌てたような足音が村全体に響き渡る。

「キャロル様、大変です! 魔物がでました!! 警邏に出た者の話ですと、シュレッサー領方面から五体程。はっきりとは確認できていませんが、何者かが追われているようです」

 人が追われている。アングラード私兵を呼ぶ時間はないかもしれない。
 
「ジル、クララ。魔物が5体、いけますか?」

 クララは強い。数体ならアングラードの私兵を呼ぶ事無く一人で倒してきた。ジルは風魔法が使える元騎士だ。私の言葉にクララが即座に頷く。従者であるジルは私を守ることが一番の仕事だから、頷くことを躊躇う。追われている者には一刻を争う。

「私がキャロル様を領主の館までお運びしましょう」

 じいじが私を抱える。ジルが頷くと、一礼してクララと共に外に駆け出す。領民が用意してくれた馬にクララが飛び乗る。ジルもまた一頭をすぐに借り受ける。駆ける二人を追うように私を抱えたじいじと、私を守ろうとする領民が領主の館へ急いだ。領主の館につくと、テラスに向かう。

「じいじ、シュレッサー領はあちらですか?」
  
 私は身を乗り出すように、その方向を凝視する。まだ、人影は見えない。激しい爆発音が一つ、寸の間をおいて更に大きな二つ目の爆発音がする。遠く岩山の向こうの地平線から赤い炎と煙が立ち上る。火だ! ジルの魔法ではないし、クララは魔法は使えない。

「あの爆発音は何でしょう?」

「魔物の攻撃にしては爆発が大きすぎますな。規模の割に魔力の動きも全くないようだし」

 地平線に小さな点が五つほど見え始める。誰? ジル? クララ? 私はひたすら二人の無事を願いながら、近づいてくる点を必死で見つめる。ようやく見えてきたのは人影が二つに魔物と思わしき異形の影が三つ。誰かが足りない。そう思うと柵を握る手に力がこもった。
 私の髪の一筋が吸い寄せるられるように風に揺れる。地平線の空気が歪むような感覚と共に、強い風の轟音が鳴り響く。細く天に届く竜巻が現れると、飲み込まれた魔物の二体の姿が消えた。

「ほぅ、従者にするには惜しい者をお連れですね。かなり規模を小さくした上級魔法だ」

 じいじが感嘆の声を上げる。攻撃する為の魔法を初めて見た。剣術以上に時に評価される威力は確かに甚大で、求める者がいるのが分かる力だ。
 影が少しずつこちらに近づいてきて、徐々に様子が伺える様になる。赤茶色の髪に剣を構えるのはクララで、少し遅れるように並ぶのはジルだ。最後の一体の魔物が徐々に二人と距離を詰め始める。
 クララが一度振り向いてから馬の速度を急激に落とすと、最後の一体の横に滑るように並んだ。瞬間、魔物の体が胴から離れる。剣筋は全く見えず、馬を捌くクララの体にぶれはない。魔物が霧のように霧散して、残った人影は二頭の馬に乗ったジルとクララ。追われていた人は助けることは叶わなかった。
 こちらに向かって戻ってくる二人に大きく手を振る。クララの嬉しそうな笑顔がはっきり見えるようになると、ジルの前で馬に覆いかぶさるように誰かが乗っているのが見えた。完全に馬の首に体を預ける様子は意識がないように見える。

「じいじ、負傷者がいます。こちらの館で構いません。休める準備をお願いします」

 手当ができる者を呼びに行く者、お湯や水を慌ただしく用意する者、それぞれが動き出す。私も客間の状態を整えて待つ。ノックの音がして、クララとジルが客間に負傷者を抱えて入ってきた。見覚えのある紫がかった髪は流れる血に汚れている。ユーグ・シュレッサーだった。

「キャロル様、どういたしましょうか?」

 少し途方にくれた様子でジルが問う。まさか放置するわけにはいかないので、ベットに寝かすように指示する。心配だけど、寝かせたら私とジルはここから引き揚げよう。ユーグの怪我のの手当ては領民たちにお願いして、シュレッサー伯爵との連絡はお父様にお願いする。踵を返した私の手を、ベットに横たえたユーグが掴んだ。

「助かったよ、ありがとう。ノエル? いや違うな。女の子だ。君は誰だろう?」
 
 血だらけの顔で面白そうにユーグが笑った。



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二章 二十六話 変身 キャロル12歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 特命捜査が終わってからも、アレックス王子の勉強会に定期的に私とクロードは呼び出されている。月に数回顔を出しているので近衛の人達とも顔なじみになり、王族の住まいに立ち入ることにも緊張することはない。

「ノエル、春の公の儀の舞踏会にクロードと一緒に参加したそうだな」

 歴史書から顔を上げると、すぐにアレックス王子が顔を掴む。ぷにぷに、ぷにぷに。すっかりこの攻撃にも慣れた。

「や、め、ひぇ、く、だゃ、しゃ、い」

「どうして、私とカミュも誘わない?」

 公の儀の舞踏会に参加するのは、自分の儀があった時以来だった。時折、母上の派閥の舞踏会には参加していたけど、やはり子供には少し敷居がたかい。

「俺の妹の公の儀で、急に呼びました」

「そうです。急にきまったので誘えなかったんです」

 参加することになったのは、クロードからのお願いだった。クロードのすぐ下の妹からファーストダンスは是非にと指名があった。本当は公になる前の交渉はダメなんだけど、クロードは頼まれると弱い。そして私もクロードに頼まれると弱い。直前だったけど、その日はどうしても来てほしい、そう言われたら断れない。

「クロードもノエルも大変な人気だったそうですね。ご令嬢の列ができたと伺いました」

「二人とも踊りっぱなしの上に、令嬢に失神者がでたときいたぞ」

 楽しそうにアレックス王子が笑う。列ができたのは大げさだと思う。私もクロードも侯爵家だし、参加すればそれなりに申し込みがある。公になって二年たてば顔も売れてるし、お付き合いもあるのでお断りするのが難しいのだ。確かに私と踊った令嬢が倒れたけど、ダンスの途中から少しぼーっとした様子で、あれは貧血気味だったのだと思う。

「ノエルは、身長も伸びましたし、人気で羨ましい限りですね」

 この一年私は10センチ近く身長が伸びた。小柄なマリーゼにもう少しで追いつきそうなぐらいだ。
 カミュ様はちょっとそれが不満らしい。カミュ様も大きくなっているけど今年は思いのほか伸びなかった。体型も全体的に細くて透明感のある少年らしさが残る。いつも、愛らしい顔で身長の話の時は白い頬を膨らませる。

「カミュ様、一番羨ましいのはクロードです!もう大人と変わらないんですよ!!」

 クロードは体つきもがっちりとして、小柄な男の人と並んでも遜色ない。顔つきだってすごく大人になって、正直ゲームのスチルにかなり近い雰囲気になった。ときおり、間近に覗き込まれると顔が赤くなりそうになる。アレックス王子が急に私の手を引いて立たせる。

「私だって伸びただろ?」

 でも、一番心臓に悪いのはアレックス王子。顔を合わせる機会が増えると、積極的な性格からどんどん私の世界に踏み込んでくる。今だって引いた手を女の子にするように乗せて、腰を引く。向き合ったまま近い位置で背を比べ始めた。私の背はアレックス王子の瞳より少し下。話すたびに王子の吐息が私のおでこをくすぐる。くすぐったくて、温かくて、思わず目をつぶる。

「ふーん。確かに君は去年より大きくなってるね」

 つまらなそうに呟く。早くこの距離を解放してほしい。ほんの少し私の頭の上をのぞき込む気配がして、微かに額に感じる触れそうで触れない感覚が私の思考を止まらせる。目を開けばきれいな首筋が間近だ。

「糸屑」

 そう言って、私の目の前に小さな糸を見せる。糸の向こうの笑顔に負けそうになって、慌てて糸を受けとる。いつまでたってもアレックス王子は馴れない。カミュ様もクロードも大分慣れたのに。
 背比べに満足して席に戻ると、さっさとまた歴史書に目を落とす。こんな時少しだけ置き去りにされる気分になるのは、いつもアレックス王子が勝手気ままで意地悪だからだと自分を納得させる。

「そういえば、バスティア公爵から、ご子息もこちらに呼んでほしいと声をかけられました。どうしますか、アレックス?」

 私たちの勉強会の半分は雑談だ。一応、その日に決めたテーマで本を読むが、飽きてくるとこうして社交界での話を持ち寄って脱線を繰り返す。

「またか? 断ってくれ。あまり好きな御仁じゃない」

「同感です。では、アレックスが嫌がってると伝えます」

「私のせいにするな」

 そう言いあって、穏やかに笑みあうカミュ様とアレックス王子には垣根も距離もない。おかえりなさい。ただいま。口にしていない言葉は、時おり私とカミュ様の微笑みがぶつかって自然と伝わる。

「ディエリ様ですよね。腕が立つと聞きました」

 クロードは少し興味があるようだ。ディエリ・バスティア。私もその名前は度々耳にする。私たちとより後の冬の公の儀に参加している。文武両道のバスティア公爵家らしい優秀な子だと誰もが口を揃える有名人だ。

「会いたければ、君に紹介してやる。でも私は遠慮するぞ」

 どうやらアレックス王子とは反りが合わないらしい。では、今度お願いします、生真面目にクロードが答えたところで、ドアをノックする音が聞こえた。

「そろそろお時間になります」

 従者が勉強会終了の時間を告げる。荷物を整えて、暇を告げる挨拶をすると珍しくアレックス王子もカミュ様も門まで送るという。まだまだ話したりないらしい。

「そういえば、アネモネ石は随分と人気のようですね」

 王城内を玄関ホールに向かって歩きながら、カミュ様が私に問う。お父様が撒いた種が何なのかはわからないけど、あれ以来カミュ様からキャロルに関する直接の問いはない。今の質問がキャロルに繋がる問いかけなのか、ただの興味かはわからないけど私は事前に決めたとおりの回答をする。

「ありがとうございます。父上の力を入れている直轄地なので、評判がよくて嬉しいです」

「うん。アングラード侯爵家のワンデリア領に行ってみたいな。勢いのある事業を見てみたい」

 とんでもない! こちらはカミュ様とバルバラおばあ様の行動を待って、キャロルを終わらせる為に活動している。そこにアレックス王子に登場されたら波乱の予感しかしない。

「何もない所と聞いています。魔物も出ますし、私もまだ行ったことのない場所です。殿下がいらっしゃるならきっと用意も必要になります。ご容赦ください」

 不服そうにしてるが、アレックス王子は自分が行く事に過大な用意が必要なことはよく知っている。だから、無理は言わない。代わりに、王家の直轄のワンデリア領に行くかと言い出す。ワンデリア領は複数の有力貴族が分割して土地を収めている。隣国に接する土地をオーリック辺境伯、そして地下渓谷を挟むように北はベッケル侯爵、我がアングラード、シュレッサー伯爵、南をバスティア公爵、ヴァセラン侯爵、王族だ。
近くはないけど、アングラードの領地と移動ができない距離ではない。

「やめておきましょう、アレックス。私たちはまだ自分の身が守れません。学園に入学して、魔法ぐらいは身に着けないと迷惑になりますよ」

 カミュ様がなだめてくれる。殿下の好奇心を抑えるのにはやっぱりカミュ様がいないと困る。私の方をみてやんわりと微笑んだ気がする。もしかして、私の為にアレックス王子を止めた? お父様とカミュ様のやりとりが気になる。
 突然誰かに後ろから腰を引かれて、抱きしめれるように捕まる。

「ノエル・アングラード?」
 
 耳元でぞっとすぐらい魅力的な声で囁かれる。一度聴いたら忘れられない癖のある声は艶やかだ。私はよく知っている。この世界でなく前世で飽きずに何度も聞いた。私は、頷いて答える。

「アングラード領に遊びに行きたいな」

 耳に触れる唇が囁くたびに耳をくすぐる。鳥肌が立つようにしびれる感覚に力が抜けそうで、両手を握りしめる。

「ユーグ!!」
 
 アレックス王子がその名を呼んで私の腕を強くひく。その胸に倒れこむと肩をしっかり守るように抱きしめられた。慌てて、その胸から逃れて、向き直ると私に囁きかけた人物と対面する。
 紫がかった髪に金の瞳、切れ長で色気のある眼差しと歪めた薄い唇。蠱惑的な表情で私を見つめるのは、ユーグ・シュレッサー。「キミエト」攻略者の一人だった。

「ノエルに突然何をするんだ」

「見つけたので、ちょっと捕獲してお話をしたかったんですよ」

 そう言って肩をすくめて見せる。声は声変わりが済んでるけど、顔にはまだ少し幼さが残る。でも既に動作の一つ一つが優美で色っぽい。自分のしたいことをしているだけなのに、自然に蠱惑的な色気を振りまく。ある意味この世界私が一番会いたくなかったキャラクターだ。

「ああ、ご挨拶を忘れておりました。ごきげんよう、殿下、カミュ様。それから、はじめまして、お二方、ユーグ・シュレッサーです」

 たった今気づいたように、そう挨拶をすると滑らかに立礼をとる。私とクロードも礼を返して名乗る。獲物を見つけたかのように楽しそうに見つめるので、クロードの背中にこっそり隠れた。

「ユーグ。貴方もお帰りですか?」

「ええ、カミュ様。今日も興味深い発見がたくさんありました。研究棟の出入りの許可を戴けたことを感謝いたします」

 そう言って、私たちと共に歩き出す。私はクロードと殿下の間に入って、できるだけユーグとは距離をとる。ワンデリアに遊びに行きたいな、ユーグの言葉。私にとっては歓迎して受け入れる気はない。

「君の家系は相変わらず、研究バカがそろってるね。ノエルは私の大切な臣下だ。おかしな真似はしないでもらいたいな」
 
「おかしな真似ですか? した覚えはありませんが留意しましょう」

 多分、言葉の通りユーグの行動に悪意も他意もない。研究がしたくて、その為に必要なものがあるなら、他は目に入らないだけなのだ。ただ、彼の場合、天然で色気をまき散らすからタチが悪い。私を見つけてアングラードのワンデリア領に行きたいと伝えたかっただけなのに捕獲といって腰を抱く。
 そもそも、シュレッサー伯爵家はこの国の頭脳と呼ばれる。功績だけなら侯爵にいつでもなれる。堅苦しい称号の所為で研究の時間を無駄にしたくない、気楽で程ほどの伯爵のままでいい。王家の打診を何代にもわたり断り続けているのは有名だ。もっとも、処分ぎりぎりの行動が多いのも有名だ。公になった子息がエトワールの泉に侵入するとか、研究棟の壁を吹き飛ばすとか、研究のためにとんでもなく強引に取引するなど枚挙にいとまない。変わり者、研究狂い、そんな名で呼ばれてその行動はどこかシュレッサーなら仕方ないという空気ができあがっている。

「君は本当にほっておくと危険だな」

 アレックス王子は嫌そうな顔でユーグにそう告げると、私の頬を掴む。君も巻き込まれてはダメだよ、そう言って何度か頬を潰した。
 玄関ホールでアレックス王子とカミュ様に別れをつげる。外にはすでにそれぞれの家紋の馬車が待っていた。

「では、ノエルまたな。ユーグ殿、先に失礼する」

 そう言って、クロードが先頭の馬車に乗り込む。私も同じように二人に別れを告げて、急いでクロードに続くように馬車に乗り込んだ。閉じた馬車の扉を軽いノックがされる。はっきり言って開けたくない。
 後ろの従者台からジルが諫める声がするが、お構いなしにもう一度ノックが繰り返された。出るまで、続きそうだと思って、覚悟を決めて扉を開ける。
 伸びた手が私の首を捉えて引き寄せる。前髪が触れ合う距離で怪しく私を見つめる目が楽しそうに細められた。

「ワンデリアの領地はお隣だし、近く遊びに行くからね。連絡は欲しい?」

 連絡なしに来られるのは困るし、連絡をもらったら丁重にお断りするつもりだ。すでに確定事項のように語られる言葉に私は頷く。満足そうに頷くと、薄い唇を赤い舌で少しだけ舐めて嬉しそうに微笑む。 

「楽しみにしているよ。せっかくだし、僕の研究も今度教えてあげるね、ノエル」

 私の首を解放すると、手を挙げて自分の馬車に戻っていった。私も馬車を閉じると、砕けるように腰を下ろす。途端に顔が熱くなるのがわかった。ユーグの距離感が近すぎる。大好きだった「キミエト」の攻略者の一人で今日が初対面。慣れていないのに、艶っぽい言動で至近距離に踏み込んでくる。私の心臓と意識が久しぶりに悲鳴をあげた。

 父上にもユーグの事は話しておいた。事業は立ち上げたばかりで他領のものを入れるつもりがない、書面で正式にシュレッサー伯爵に伝えてもらった。相手はシュレッサーだからと、父上は申し入れの効果に些か不安を口にしてたが、効果はあったようでユーグから新たな打診はない。

「はい。お嬢様できました」

 久しぶりのお嬢様の呼びかけにほんの少し心が躍る。鏡の中の私はくるくるの縦ロールを高く両端に結い上げたキャロルだ。本日、三か月振りのワンデリアだ。父上の指示をうけてから既に二回足を運んでいる。一回目に訪れた時は、私の元気な姿にたくさんの人が喜んでくれた。三人の職人とオレガ、じいじは涙を流してくれて、私も少しだけ一緒に泣いた。どのくらいこの姿でみんなといられるかわからない。だから、最後のキャロルの時間は大切に全力で取り組みたい。

「今回は少し、付け髪の櫛に新しい工夫をしてあります。前より取れにくくなりましたが、行動には注意してくださいね」

 短い髪で無理やり作ったお団子に、私の切った髪で作った付け髪を櫛で差し込んでいる。私がノエルになった日に切った髪はマリーゼが残していた。いつか、お人形さんみたいこっそり着飾らせてもらう事を目標に水面下で用意し、母上に直訴していたらしい。頭を振って、その長い髪の感触を楽しむ。

「ドレスは動きやすいようにひざ下の短いものに致しますね」

 マリーゼが、大人しい色合いのドレスで動きやすいシンプルなものを選んで出してきてくれる。私の今着ているのはすべて母上のお下がりだ。キャロルの存在を隠してから、服の注文は控えている。
 
「コルセットは一番緩いのにして下さいね! ノエルの時は頑張ってぎゅう詰めなので、キャロルの時は楽なのが一番です」

 少しずつ女の子の体から女性の体に変化してきている私は、ノエルの時は特注のコルセットを使うようになった。コルセットもピロイエ家にもらった。ピロイエ家に何故そんなものがあるのかと思う。母上が騎士になるために男になろうとしたとしか思えない。ピロイエ家は本当にいろいろ自由で寛容だ。
 今日は一番楽な胸だけの下着にしてもらう。ドレスを着て、ソックスを履き、可愛い丸い靴を履く。
 鏡の中の私は上から下まで、女の子。精霊の子キャロルへの一時の大変身。おかえりなさい、キャロル。私は鏡に向かって女の子の笑顔を浮かべる。
 


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2018年11月14日水曜日

前章終了時の人物紹介・地名・その他 ★ 貴方なんて冗談じゃありません! 婚約破棄から始まる入れ替わり物語



●リーリア・ディルーカ
 伯爵令嬢 夕闇色(紺青色)の瞳と髪 
 つんと澄ました美人だけど中身は、かなり野生児
 属性は炎
 
●レナート・セラフィン
 第一王子 リーリアの元婚約者  
 銀色かかった金髪に紫の瞳 『月と盾』の印
 属性は水
 
●デュリオ・セラフィン
 第二王子 赤味のある金髪に深い緑の瞳(深碧)
 属性は風 『剣と氷』の印

●クリス・ニアンテ
 薄紅の髪に碧眼 グリージャ皇国の大公
 見た目は幼く天使 中身はずっと年上で狡い大人

●グレイ・ローランド
 教会派が贔屓する芸術家 絵も描くし物語も書く。
 紫の瞳に金が混ざる 薄い若草の髪

●ナディル先生
 地方貴族の三男 マナ―を教えている
 金の髪に青い瞳 男だけど美人

●ジャン
 レナート王子の子供時代の従者
 第一従者に復帰。こげ茶の髪に明るい茶の瞳

●シスト
 レナートの従者 目付け役 目が細い

●シルヴィア・セラフィン(アベッリ公爵令嬢)
 薄い水色の髪に青紫の瞳

●ドゥランテ・アベッリ
 教会長。レナート王子の祖父

●ピエトロ・ストラーダ侯爵
 旧国派の枢機卿の一人。若草色の髪に金色の瞳。

●アレッシオ・グレゴーリ公爵
 騎士団長 信頼のおける人 
 稲穂の瞳に栗色の髪。

●ジョルジオ・グレゴーリ
 グレゴーリ公爵の次男

●ジュリア・グレゴーリ
 公爵令嬢。稲穂の瞳に栗色の髪。
 旧国派が嫌いだった。騎士になりたい。

●ラニエル子爵
 リーリアの父の友人 南の領リーヴァ出身
 旧国派の中心人物の一人 予算役

●ダルボラ伯爵
 騎士団 第二隊長 教会派

●ウィルソン伯爵
 礼院長 教会派

●エミリオ
 デュリオの従者 もの凄く明るい性格

●サント・プランク
 男爵の爵位をもつ 告白作戦の当事者

●パメラ・ボネーラ
 プランク男爵の恋するお相手

●コージモ・ボニート
 黒ずくめのズロースの人

●ブルーノ
 二隊小隊長 黒ずくめの一人

●イザッコ
 三隊騎士 黒ずくめの一人

●チェーリオ(一三世)・グリージャ 
 グリージャ皇王 現在弟の反乱で窮地にある

●リエト・ディルーカ
 リーリアの父 国王専属文官
 紺青の髪と瞳

●エドモンド・セラフィン 
 鮮やかな金色の髪に碧眼 現国王

●カミッラ・セラフィン(バルダート)
 デュリオの母
 オレンジ色の髪に深い緑の瞳




●セラフィン王国
 百五十年ほど昔に周辺国をまとめ上げて大国になった。
 先々代の宣言から旧国との融和が進みつつある

●アルトゥリア
 リーリアの故郷 魔術を使う忘れられた国

●バルダート領
 北にある正妃の故郷 隣国グリージャとの窓口でもある

●キュール
 グリージャの海賊を倒す拠点

●シャンゼラ
 ソフィアがいた教会の街 王都とバルダートの中間にある

●インテンソ河・タルヴォルタ川
 王都北に流れる川、決壊して国王たちを足止めしてしまう

●ヴィントの丘
 グレゴーリ公爵の愛人の住む場所

●ムルデ
 ヴィントの丘と王都の間よりやや北にある。
 騎士団の駐屯地がある バルダート迂回路の中継地でもある
 
●リーヴァ
 南にある貿易の街



二章突入前のまとめ

●リーリアは聖女でデュリオ王子の婚約者
●レナート王子はソフィアと婚約中
●アベッリ公爵・ストラーダ枢機卿 失脚中
●国王陛下・ディルーカ伯爵 バルダート遠征足止め中
●クリス レナート王子とのお茶会まち
●グレイ 逃亡の必要がなくなりのびのび
●ジュリア 謹慎中
●『教会派』人数は多いが、やや勢いがおちている
●『旧国派』勢いを増している


保留になっているあれやこれ

●入れ替わりはどんなタイミングで起こるのか
●入れ替わりの原因は何なのか
●レナート王子の卑しい贋物の意味はなにか
●『教会派』時間のない意味
●グリージャ皇王の要請は対応するのか
●宝剣と奇跡の関係
●ソフィアが聖女の理由
●魔術が禁忌になった訳

小さい謎とか伏線はかいておりません。
比較的わかりやすい謎だけかいてみました。



<小説情報>

2018年11月10日土曜日

二章 二十五話 精霊の子 キャロル11歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 カミュ様の離宮から帰りついた日、父上に大事な相談がある事を告げる。私の真剣な表情に隠し通路にある書斎に移動して、話をすることになった。ワンデリアに行けなくなって以来、隠し通路に来るのも随分久しぶりだ。気づくとお父様の書斎の反対側に新しい扉が増えている。

「父上、扉が増えてます。新しい領地をいただいたのですか?」

「あ、知りたい? 気になるかな?」

 父上がまた面倒な空気を醸し出している。このパターンは何かサプライズなんだろうなと予測する。もちろん、隠し通路にある扉のサプライズなら対象は私か母上に限られる。期待を込めて、私は少し大げさに答える。

「はい!! とっても、とっても気になるのです!」

「教えてあげませーん」

 私の頑張りを返してほしい。父上は新しい扉を素通りして、書斎のドアを開ける。この扉も魔力を使って開けるようだ。父上が一度ドアノブに触ると、黒い靄が僅かに揺らめくのが見えた。
 父上の本当の書斎に入るのは初めてだ。机や書棚は本邸や別邸のものと同じ。机は3つ、本棚は倍以上設置されている。使用人が出入りしないせいか、少し雑然としていた。一番奥にの机に父上が座る。

「ノエル。おいで」

 お膝を叩いて待っていてくれるので、その上に腰掛ける。私の腰に手をまわして、顎を頭に乗せる。ちょっとだけ痛くて、心がくすぐったい。

「大きくなったね。あとどのくらい、私に甘えてくれるのかな」

「まだまだ、甘えますから安心していてくださいね」

「ノエル、キャロルに戻りたいと思わない?」

「いいえ」

 短く答える。もしもと思うことはあるけど、私は今の自分に満足している。父上の体にもたれ掛かかって、改めて書斎を見渡した。書類と資料の山、張られた地図に書き込まれた多くの言葉。雑然と見えたものが、ここからは見やすく一望できる。ここが父上の仕事場。

「父上。お仕事頑張ってくださいね」

「んー。頑張っちゃおうかな。ノエルがそう言うなら」

 私が言わなくても頑張ってほしい。一応……。一応、どんなにそんな風に見えなくても、この国の中枢である国政管理室の副室長なのだから。

「で、ノエル。相談事って何だい? 何かあったなら父は頑張るぞ」

「では、カミュ様にバレかかってます」

「ふーん。どうして?」

 あまり驚くことなく話の先を促す。「秘宝返還計画」でキャロルの持ち物である秘宝を、私が持っていたのを見られたことを説明し、カミュ様に精霊の子と告げた事を話す。

「精霊の子を口に出したのは失敗だけど。曖昧に返事ができたなら、まずまずの判断だよ。頑張ったね」

 頑張ったと言われても、私の中の微妙な気分は消えない。嘘をつかない努力はしたけど、真実は隠したままだ。友達と言ったのに、私の行動は許されることなのか。整理の付かない気持ちをぽつりぽつりと父上に零す。

「みんな清廉でまっすぐだね。私の答えは君の答えにならない。まだ11歳なんだ。たくさん悩みなさい。いつか自分がこれだと思える答えと、それを許してくれる場所が見つかるからね」

 髪に頬擦りすると、それまで苦しい時は私が聞いて抱きしめるよ、と言う。私はもぞもぞと向きを変えて父上の胸に顔をうずめた。ほっとする。答えがすぐに見つからなくても、頑張って進もうと思える。

「悩むのは大事なことだ。でも溜め込み過ぎず、いつでもおいで。私も、昔は悩み過ぎて大分こじらせたからね」

 父上の呟きにクレイの吹き出す声が重なった。どんなこじらせ方をしたのですか、父上。いつか絶対聞いてみよう。私は照れくさいので、そのままで質問する。

「それで、父上。精霊の子って何ですか? バルバラおばあ様の時も使っていたので、私も使ってしまいました。いったい何なのかを教えてください」

 お父様が珍しく沈黙する。何から話すべきか迷っているようだった。

「魔力はわかるね? 魔力には属性がある。何があったかいってごらん」

「光、闇、火、水、風、土。六種類あります」

「よくできました。精霊の子は生まれつき、自分の属性以外の魔力に弱い。自然に存在する他の属性の魔力が、毒のように自らの魔力を奪う」

 毒。その響きが怖くて思わず身を固くすると、慌てて父上が言い直す。

「ごめん。毒は怖い? 溶ける? 攻撃される? 食べられる? うん。なんだか、物騒な言葉しかないな。とにかく 普通の環境にいると魔力がどんどん減って、最終的に死に至り体ごと消えてしまう」

 死んでしまう上に、体が消えてしまうなんてもっと怖い。本当にそんな状態に苦しんでいる人がいるなら、辛いだろうと思う。

「生まれつきならいつ頃気が付くんですか?」

「生れてすぐ。どんどん魔力量が減って体調がおかしくなる。発覚したら薬やお守りで魔力を補って、底が尽きるのを引き延ばす。属性は精霊の子なら体調であたりをつけることができるからね。他属性が少なく魔力の減少を抑えることができ、自分の属性が多く回復量を増やせる場所を見つけるんだ。そして、そこで生きる」

「特定の場所でしか生きられないのは、可哀そうです。一生その場所から出られないのですか?」

「魔力に余裕がある状態にできれば二、三日は外にでられる。環境によっては一日持たないこともあるから、気を付ける必要はあるけどね」

 二、三日、悪ければ一日しかもたない。その時間は精霊の子にとって長いのだろうか? 短いのだろうか? 公になることはできるが、社交は難しいだろう。公になる、そこに私は疑問が芽生える。精霊の子をみんな知っているのだろうか? かなりの本を読んでいるが、その言葉を見たことはない。

「父上、精霊の子ってどのくらい存在するんです?」

「その存在は希少だ。精霊の子という言葉を知らない人も多い。公にせず隠す家が多いから、実数も状態も調査が進まない」 

 精霊の子を隠す。それは、そこでしか生きられないから? でも、外にでられるなら公になりたい子もいるはずだ。隠す理由を問う。

「精霊の子にはもう一つ特異点がある。男の子は人の魔力を奪い、女の子は人に魔力を与えることができる」

私は首を傾げる。薬やお守り、魔力を補う品はちゃんとある。精霊の子が生まれた時だって、魔力量は薬やお守りで補うと言っていた。

「父上。魔力を戻すなら薬やお守りがあります。魔力のやり取りぐらいでは隠すことに繋がらないと思うのです」

「説明の仕方が上手くなかったね。一時的に補う魔力じゃなくて、全体の容量の方だ。14歳で属性の判別を受ければ容量の成長が止まるのは覚えているかな?」

「はい。覚えています。それだと、男の子、女の子で存在の意味が凄く違ってきますよね……」

 魔力の量は個人の力として、剣術以上に時に評価される。ただ、剣術以上の評価を受けることがあるのは一握りだ。魔法という強力な力には、魔力量という縛りがある。多くが中規模までの魔法が限界で、連続使用すらできない。それが、増やせるとしたら? 自分の意志で誰かの魔力の容量を奪える男の子は脅威だ。そして、魔力をくれる存在の女の子。自分の属性に満ちている中で生きるから魔力容量も多いだろう。その存在を利用したい人間が必ず出る。

「男の子は、その存在がわかれば厳しい管理下に置かれる。それを嫌がって、家族が隠す事が多い。実際、薬で魔力を補って精霊の子であることを隠し、人の魔力容量を奪っていく事件が過去にも何度かおきている。そういった事態がおこれば騎士団は厳しく対処にでる」
 
 生まれた時から厳しい監視下に置かれる生活は、幸せには思えない。親は子の自由を守るために、隠したくなるだろう。でも、親のその気持ちを受けた子が、力を望まないとは限らない。

「これだけ聞くと、精霊の子の男の子は怖い存在に見えてしまうね。でも、違う子もいることを心に留めておいてほしい。自分の存在に傷つく子もいる……。それから、女の子の方は攫われる危険がある。魔力を奪うのが目的だから、死を意味する。精霊の女の子の家は決して存在を公言しない。守りたいからね」

 あの日バルバラおばあ様は追及をやめた。それは、まだ見ぬドレスの持ち主への配慮だと思う。でも、おばあ様は会いたいと思ってくださらないの? ノエルとしての交流が僅かでも続く今そう思うと少し悲しくなる。
 
「私としては精霊の子の話は、父と母のところで止めておきたかったんだ。その方が身内だけで安全だし、対処も楽だからね。今回、精霊の子とキャロルが繋がった存在として、カミュ様に伝わってしまった」

 思わず肩を落とす。取り繕い方は他にもあったし、用意していた。でも、とっさの事にその場で判断を誤った。的確なな判断をくだすのは本当に難しい。慰めるように父上が頭を撫でてくれる。

「カミュ様は口外しないと言ってました。先に私に一声かけるとも約束しました。だから、大丈夫です」

「気持ちは分かるけど、こちらも対応はとらないとね。嘘は簡単な方がいい。でも、凝っている方がいい時もある。今回は後者で行くよ。カミュ様がこの件で動きにくいように、私が細かく種をまく。ノエルはキャロルを知らないことにして、ワンデリアにはノエルとして決して行かないこと。君は当主が直接経営している土地には関わっていない。これがノエルの公式の情報いいね?」

 ワンデリアに行けない。正直かなりショックだ。新しい職人が入って、貴族向けの高価なジュエリーの注文と生産がいい方向に乗ってきた。その勢いに乗せて、今年から来年にかけてマノンのビーズの方も製品として流通させたい。そうすれば、職人だけでなくワンデリアの領民全体にも新しい収入の道が開けてくる。でも、今回は私の発言が元だから、しぶしぶ頷く。

「ワンデリアには今、キャロルは病気で通してるけど。この部分は変更。キャロルは命を狙われる恐れがあるため公にせず。存在を外に隠すようにとする。一応、領地の結界魔法で制約を課す」

「制約はかけないとだめですか?」

 領地にはいくつか結界があり、領主が条件を課すことが可能だ。それは領民を縛り、時に罰する。制約をかけるとは罰がともなう、そういう事だ。

「元は村代オレガから全村民の意見として提案された。今の状態を病気だから外に漏らさない秘密に、と伝えた時に話し合ったそうだ。キャロルはワンデリアで大切にされてる。守るために秘密が必要なら制約をかけてくれと言われた」

 オレガやワンデリアの人たちのその気持ちは嬉しい。それでも、何かを誰かに課して罰をつけるのは気が進まない。

「秘密を村の外で口に出そうとすると声が出なくなる。その程度の制約ならどうだい? 私も村の外へキャロルの情報を出したくない。精霊の子として狙う者が現れるのは一番怖い。最悪狙われる時は村にも被害が出ることもありえるからね」

「わかりました。では、本当に、口に出せないぐらいでお願いします。誰かが傷つく内容は嫌です」

 落ち込みたくなる話続きだ。本当はもっと早い時点で完全にキャロルの存在を消してしまえた方が良かったのかもしれない。
 バルバラおばあ様にはドレスの件があった。ワンデリアに心を残してキャロルとして手紙を出し続けた。そして今回、秘宝を戻すところをカミュ様に見つかってしまった。人を一人を完全に隠すのは本当に難しい。

「次、キャロルは、数か月に一回の割合でワンデリアに行ってもらう」

「? 先ほど私は言ってはダメだと言われました」

「ノエルはダメだから、キャロルに行ってもらう」

 父上の言葉に試行が停止する。頭の中が大混乱だ。ノエルは言ってはダメだけどキャロルには行ってもらう。だれがキャロル? 

「ノエルには悪いけど、キャロルに三か月に一回ぐらい変身してもらって、ワンデリアに行ってもらうから。これは、今の時点でキャロルの存在を知っている、母とカミュ様、ワンデリアの領民対策だ。いずれ母とカミュ様から動きを起こしてもらう。その時に、そこにはキャロルという女の子がいたという事実が残したい。最後はタイミングをみて精霊の子としてキャロルを終わらせる」

 父上の言葉は理解したけど、私に浮かぶ言葉はない。今まで曖昧に残してきたキャロルの存在。見せ終われば、消す時が来るのだと思うと言いようのない気持ちになる。
 私は自分の頬を一度ぱちんと叩く。父上にも先に聞かれたはずだ、戻りたいかと。いいえ、と私は答えた。今、私はノエルでいる自分が楽しい。残り僅かかもしれないけど、私は三か月に一度のキャロルを最後の日まで楽しもう。

「はい。頑張りますね!」

 そう返事をすると、途端に眠気が襲ってくる。そういえば、結構いい時間だと思う。今の話し合いもカミュ様との話し合いも今日は色々疲れた。

「父上、眠い……」

 私が両手を上げて、抱っこをせがむ。甘えると約束したのだ。そして、父上が抱き上げる瞬間、一つだけ聞き忘れていた小さな疑問を思い出す。

「お父様、精霊の子ってどうやって魔力を奪ったり、与えたりするの?」

 見上げたお父様が目を泳がせる。クレイを見て、ジルを見る。二人ともばつが悪そうに横を向いて目を合わせない。

「クレイ……お前なら、こう気にせずスパッと」

「レオナール様、従者として最低限の言葉は覚えておりますが、元々育ちの悪い身です。お嬢様の心を汚しかねません。それでも?」

 お父様が全力で首を降って拒否する。そしてジルを見る。

「ジル、お前はノエルと一番年が近いし……」

「旦那様。若輩者の私では、経験豊富な旦那様のように言葉を選べません」

 父上の言葉を絶ちきってジルが断る。どうしてだか、みんな言うのを避けようとしている。

「あ、血をすするとか……あと、まぁ、うん、口付けするとか……」

「血をすするの怖いです。口付けなら礼の時に悪意のある人が王様にしたら大変ですね」

「うん。手の甲じゃないんだな……もっとこう」

「お口にキスですね!」

 お父様が固まった。当たりみたいだ。クレイがまた笑ってる。ジルも下を向いてる肩が震えてるから多分笑ってるんだと思う。
 私、一応前世の記憶ありますからね。みんなが思うよりずっと耳年増ですよ。お口にキスわかります。キス!



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二章 二十四話 カミュ キャロル11歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 何かあったら相談するように、そういったクロードの言葉が頭の中に何度もこだまする。

「ノエル、よく来てくださいました」

 数日を置いて、カミュ様より急なお誘いの使者が来た。クロードも来ると書かれていた。なのに、招かれた先は離宮のお屋敷でクロードもアレックス王子もいない。私の前に立つのはカミュ様だけだ。

「あの、どうして今日は私だけ?」

「馬車で、近いうちにお会いしましょうと申し上げましたよ」

 こちらへどうぞ、そう言って先導してくれる。カミュ様のお召し物は初めて見る形だ。前世の着物に少し似ているが、帯が細くてもう少しふんわりとした形だ。

「珍しいお召し物ですね」

「そうですね。古いデザインなので着用する者はあまりおりませんね」

 カミュ様の私室に案内される。従者も護衛も外で待つように命じられた。不安げな私をジルが気づかわしげに見つめる。その視線を切るように扉が閉じられた。

「ノエルは、果実水は甘味と酸味どちらが好きですか?」

「甘いほうが好きです」

 私にグラスを渡すと、カミュ様は一口果実水を含みながら窓辺に身を寄せる。席を進められたけど、いつもと違う様子に私は部屋の中央に立ち竦む。

「どうして、ノエルが私の秘宝を持っていたのですか?」

 私はカップを取り落としそうになって、慌てて握りなおす。窓辺にもたれるカミュ様は穏やかな女神さまのような笑顔だ。でも、背中に冷やりとしたものが走る。

「気を配ってらっしゃいましたが、私は貴方をずっと観察しておりました」

「観察ですか?」

「貴方が私の代わりにアレックスの側に立つのに相応しいかを見ていました」

 質問は私が秘宝を持っていた理由、だけど咄嗟の質問に私は態勢が整わない。今は少し余裕を持ちたくて、話を別の方向に引いていく。

「相応しくないなら、どうするつもりでしたか?」

 カミュ様が愛らしく小首を傾げてから、冷たく微笑んでみせる。

「どうしましょうか?ご希望はありますか?」

「……いいえ。私はアレックス王子に相応しい臣下になります。答えは必要ありません」

 期待しますと、応えるカミュ様に私の胸が騒ぐ。あの日のいつもと違うカミュ様。私の代わりに。私より。煩わせて。背負う。感傷的。引っかかる言葉の数々。返ってきた秘宝への複雑な反応。私は思った事をそのまま投げかける。

「まるで、カミュ様がアレックス殿下の側から消えてしまうような言葉です」

「……消えるかもしれませんね」

 カミュ様の顔から表情がなくなる、返事は消えるかもという思いがけない言葉だ。

「どうしてですか? いつも一緒にいらっしゃったのに」

「もう秘宝は戻りました。私にわずらう必要がアレックスにありません」

 わずらう必要はない。どうしてそんな言葉をつかうのか。窓辺に額を寄せて、向けられる背中からは表情は伺えない。

「……秘宝は見つからない方がよかったですか?」

「見つけてくださって嬉しいですよ。私にも切り札があった方が良いですから」

 僅かの時間だけどこれまで行動を共にして、カミュ様は本心を隠すのが上手い事を知っている。優しい笑顔を表に向けて、裏側に抱える感情を殆ど見せない。でも、11歳の子供が全てを隠しきれる訳がない。あの日、滲み出た見せたことのない表情がそうだ。今も背中を向けるのは表に出る感情を隠したいからだと思う。

「アレックス殿下の事が嫌いですか? 秘宝が見つかれば、側にいたくないんですか?」

 答えは違うとわかってる。今は、一番嫌な言葉を投げつける。怒って、こちらを向いて本当の気持ちで話してくれたらいい。アレックス王子とカミュ様とクロードと過ごした短い時間が好き。無理を言うアレックス王子を窘めるカミュ様の存在はきっと必要だと思う。

「……嫌いなわけない。臆病な私への罰です」

 振り向いた紅潮した頬も、強く睨む目も、初めてみるカミュ様だ。こんな風に怒らせて暴くのは酷い事だと思う。でも、何も知らなければ、何もしてあげられない。私の勝手。だけど、消えるというなら、取り戻したいと思う。

「ノエル。エトワールの泉の絵本はご存知ですか?」

「知っています。私も好きな絵本です」

 この国の全ての人が知る二百年前のアルノルフ王とシーナ王妃の悲恋の物語。今も何度も読み返す。王家の家紋の女神に似た美しい人、リュウドラを連れた予言者シーナ王妃。物語を飾るために色々誇張されたおとぎ話的な要素は作り話だとわかっていても憧れた。

「本物のシーナ王妃の肖像画はこの国には珍しい黒い瞳と黒い髪で私とそっくりなんですよ。王家にはシーナ王妃のの特徴を受け継ぐ子が時々生れます。その子には、王位継承権の末席が与えられるんです。私は初めから三位で特例ではありませんがね。どうしてか、わかりますか?」

 引きつるような笑顔でカミュ様が私に尋ねる。シーナ王妃の数々の逸話の中で最も特徴的なものは、預言者である事。預言者だからと答えると、苦い笑みを浮かべる。

「私に預言の力はありません。力をもつ者は過去にもおりません。しかし、周りは期待するんです。物心ついた時から、私の言葉の全ては周りの者には預言でした。喜びの言葉も、励ましも、悲しみも、慰めを求める言葉もです。私には称賛か、非難と溜息しか返ってきませんでした」

 綺麗な空をみてお天気がいいと言えば日照りがくる予言。美しい田畑に作物が実ることを願えば勝手に豊作の年の予言。怖い夢をみたから抱きしめてと言えば、国に不幸が起こる予言。カミュ様が語るのは、言葉を覚えたての子供に負わされる一方的な言葉の責任。私の言葉はいつも理解と愛情で返されてきた。でもカミュ様は違った。語るたびに悲し気にゆれる瞳に私はかける言葉を見つけられない。

「言葉を捨てました。私の変化に一人味方であった母が、離宮を賜り王城を離れて下さりました。人に触れず言葉のない私が、母以外に唯一言葉を交わせたのが兄弟のように育ったアレックスです」

 眩しい笑顔が浮かぶ。自由で自信に満ちた言動と前向きな好奇心。アレックス王子なら素直に全ての言葉に答えてくれるだろう。言葉を捨てたカミュ様にとってそれはどれ程の存在なのか。

「私にとってアレックスは唯一の存在でした。でも、窓から見える貴族の子を見て、行ってみようとアレックスは言うようになりました。彼の好奇心は、ここに留まらないから、いつか失うと怯えるようになりました」

 狭い世界に留まって身を守るカミュ様に、自由にあるがままで行動していくアレックス王子を引き留める方法はない。それをどんな思いで見つめていたのだろうか。

「そんな時に秘宝を失う事件が起きたんです。あの日、あの丘に絶対に行くと言ったアレックスに、隠し通路を開けるために私の秘宝を貸しました」

 隠し通路は所有者の家族だけが使える。離宮の管理者の子供であるカミュ様は使えたが、アレックス王子は使えない。でも、カミュ様の秘宝を持てば、秘宝に宿るカミュ様の魔力が強くて使うことができた。だから、あの日カミュ様の秘宝をもってアレックス王子は私の前に現れた。

「自分の秘宝と私の秘宝、一緒にして持っていたそうです。余程、慌てていたのでしょう。取り違えは、帰りに隠し通路を使う時まで気づかなかったそうです。表門から戻り、外に出た事を問う使用人を下がらせて、真っ青な顔で責任をとって自分の秘宝を渡すと言いはりました。お断りです。王になんてなりたくありません」

 誰かの期待と失望に傷ついた8歳の子供にとって、より大きな期待と失望を背負う王の未来はいらないものだった。なら、なぜ秘宝を再び求めたのか。
 
「アレックスは秘宝を失った私を気遣うように、今まで以上に側にいるようになりました。それは、秘宝がもどるまで私に失う猶予ができたのと同時に、アレックスにとって私が枷になったということでした」

 私は、その言葉を噛み占める。カミュ様の痛みはカミュ様だけの痛み。同じ状況を知らない私の想像はきっと足りない。
 語られる言葉を失ったカミュ様と私たちの前で穏やかに言葉を紡ぐカミュ様は違う。怯えるままで失うのが嫌で、足掻く気持ちなら私はよく知っている。多分、その猶予の間にカミュ様は自分の痛みに足掻いたのだ。

「今のカミュ様には、自分の意思を口にして、前に進む、その力があると思いいます。変わられたのですよね?」

 私の知っている笑顔をほんの一瞬だけ見せて頷く。秘宝を取り戻したい言ったのは、枷でなくなる事ができたから? でも、それでは見つかった時の態度と矛盾する。私が、口を開こうとするのをカミュ様が遮るように話し出す。

「私は変わりました。自分が枷になったことを自覚して初めて、アレックスの側でこのままではいけないと思ったんです。でも、本心とは簡単に変われないものですね。他の子とは一定の距離を保っていたのに、ノエルとクロードをアレックスは召し上げた。とても楽しそうでした」

 カミュ様が諦めたように笑って窓枠に腰をおろす。私の顔を見ずに、外のどこか遠くを見つめる。その目が見つめる先には一体何があるのだろう。
 
「引き留めたくて枷を見せるかのように、私は秘宝を求める振りをしてしまいました」

 返していただきたい。口にした言葉はカミュ様の本心と異なるのに、その言葉が望まない道を切り開く。カミュ様の為にも、自分の願いの為にもと、今まで以上に必死に探そうとするアレックス王子。私のところに届いたアレックス王子の催促の手紙と、とりなして先送りしたカミュ様。戻そうとしても、戻らない。

「失敗は続きます。困惑させようと子供に忠誠心を求めたら、二人そろって捧げてしまう。嫌ではなかったのですか?」

 重みと責任を誰より知るカミュ様、私もクロードも戸惑ったけれどカミュ様が考えた重みと責任とは異なった。あの時点で捧げた忠誠にはカミュ様の求める思いには届いていない。

「私とクロードの思いが、カミュ様の求めた忠誠に届いているかは自信がありません。でも、これから必ず届かせます。私もクロードも殿下の未来に必ず役に立ちます。……カミュ様もその時は一緒ですよね?」

 首を振って弱々しく微笑む。怯えるように落とす視線も、気が付くと抱きしめるように抱え込んだその腕も、私の知らない閉じた世界を望んだカミュ様だ。

「一番の臣はノエル、二番の臣はクロード。私は枷だから側にいても臣には選んでもらえなかった。ならば秘宝が戻ったその時には、再び離宮に戻ると決めたんです。それでも、最後の悪あがきで護衛の土魔法で壊れたらいいと自暴自棄になりましたが、貴方に止められてしまいました。これで全て終了です」

 長い沈黙が落ちる。私は何を伝えたらよいのか。きっとカミュ様は間違っている。悩んで、怯えて、見つめるものに霞をかけてしまっている。誰よりもアレックス王子を知っている、カミュ様の事をそう言った護衛の言葉。近いうちに皆で祝ってやろう、そう笑ったアレックス王子。

「アレックス王子に確認しましたか? ちゃんと声に出して聞きましたか?」

「そんなの聞く必要はありません。聞きたくないのです」

「あります! ダメです! 一方的に勝手に離れていこうなんてダメなのです。アレックス王子とカミュ様の関係は臣じゃないんです。友達です! 私とクロードが友達であるように、アレックス王子とカミュ様も友達なんです! クロードが私からそうやって離れるなら、私は怒って泣きます」

 私は大きな声で叫ぶ。弱いカミュ様がどこかに飛んでいくように。私の声が閉じた世界に隠れようとするカミュ様に届くように。
 驚いた顔をしてから、小さな声でカミュ様が笑う。

「友達ですか……。秘宝が戻った後、私はクロードに伺いました。ノエルが一番の臣とアレックスに言われるのは悲しくないかと。口下手で不器用で優しい男ですね、クロードは。貴方の良い所を上げて、誰かに好かれるのは当然だと。それでも自分にとって大切な友達なのは変わらないからそれでいい、と言いました」

 私は頷く。私にとってもクロードは大切な友達だ。クロードを誰かが一番に思ったり、クロードが私以外を一番だということがあっても、私にとってのクロードの存在は変わらない。

「誰かと比べて、一番でいたいと思うのは我儘でしょうか?」

「我儘ではないと思います。私がクロードを一番の友達だと思っているのに、クロードから見て二番の友達になったらやっぱり悲しいと思います。でも、どんな順番がついても友達って気持ちって変わりません。それに私がクロードを一番だと勝手に思い続けるのはダメじゃないですよね?ならば私もそれでいいです」

「ふふっ、強くて勝手で羨ましいです。結構だと思います」

 カミュ様の笑顔に私も笑う。これからたくさんの出会いがあって、好きになって嫌いになって、一番だったり、二番になったり、泣いて、笑って、怒っても繋がり続ければ、私たちはずっと友達として同じところを歩いて行ける。

「不敬ですが、私はカミュ様も友達と思ってます! とても大事です! また泥遊びをしましょう」

「私の中ではノエルは暫定三位の友達ですよ。もっと頑張ってくださいね」

 いつもの花の咲くような笑顔で応える。三位って、アレックス王子、クロードの下? 一番最後ってことだ。なかなか厳しい。でも、笑ってくれるならそれでいい。友達にアレックス王子含まれていて、私のことも友達って思ってくれるなら。

「消えないでださいね。友達の帰りを待ってます」

「……善処します。ところで、ノエル。随分横道に逸らされてしまいましたが、私の最初の質問に答えて下さい」

 気持ちを引き締める、カミュ様の話に夢中で最初の本題をすっかり忘れていた。友達と言ったその口で嘘をつくのは苦しい。だから嘘は少ないほうがいい。私はノエルとしての自分を守るためにキャロルの自分を隠す言葉を探す。あの日、バルバラおばあ様が退いた言葉。それは、他の人も納得しうる理由になるか。

「……預かりました。精霊の子からです」

「精霊の子ですか?」

「はい。それ以上は私にも申し上げられません。私とカミュ様の秘密にしていてください」

 難しい顔でカミュ様が黙り込む。暫く考え込んでから、秘密として預かる事を約束してくれる。もし、アレックス王子に告げる時は必ず相談すると言ってくれた。精霊の子。その言葉の意味を一度きちんと父上に確認しなくてはいけない。

 部屋をノックする音がする。カミュ様が入室を許可すると使用人が一枚の手紙を携えていた。封蝋の印は王家の紋。その場で手紙を開いたカミュ様の笑顔に吸い込まれるように見惚れる。今までて一番優しく綺麗な笑顔を浮かべて私に告げる言葉は、閉じようとした世界を開く言葉。

「今度、私の秘宝が戻ったお祝いをアレックスがしてくれるそうです。四人の仲間だけでの秘密の宴だと。ノエルとクロードも一緒にいきましょうね」
 




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二章 二十三話 消えぬ思い キャロル11歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 木札を見詰めるアレックス王子は決して嬉しそうに見えない。心配そうに見つめるクロード、陶器なような顔に表情を見せないカミュ様、私はどんな顔をしているのだろう? 自分の表情なのにわからない。

「アレックス。女の子からの伝言と捉えてよろしいですか?」

「まちがいない」

「こだぬきさんへ、ですか。この後に続く矢印は何を指しているかわかりますか」

 アレックス王子が首を振る。ただただ、苦しそうに木札を見詰める様子に、カミュ王子が仕方なさそうにため息を吐いた。

「ノエル、クロード。気付いたことがあればおっしゃってください」

 クロードが私を見る。私もクロードを見る。誰かが辛い時に声を上げるのがは苦しいのはなぜだろう。私が戸惑う様子に、一つ頷くとクロードが一歩前に出て意見を述べ始める。クロードはいつも頼りにする前に、気付いて先に動いてくれる。その背に頼る癖をつけてはダメだ。

「リボンが少し痛んで切れている様子です。木の何処かに結んであったのではないかと」

 別邸で外すとき思い切り引っ張ったかいがあった。木と木札をカミュ様が見比べる。そしてクロードが拾った場所に目を落とす。それから、愛らしく首をかしげると、なんとなくすっきりしない表情を浮かべた。

「クロードのおっしゃる通りなら、矢印の下というのはこの周辺……土の下ということですか」

 私とクロードが頷いて見せると、カミュ様がとても嫌そうに顔をしかめる。こんな表情はお会いしてから初めて見た。

「木のどこに結んであったかわからない以上、木の下全てが対象になりますね。困りました。リード、土魔法でこの辺りの土を全部掘り起こせますか?」

 カミュ様が護衛に声をかけるのを慌てて止める。魔法で一帯を掘り起こす発想は私にはなかった。カミュ様は無表情で私を一瞥する。態度がいつもと違う。やはり秘宝が手元に戻らないことに憤りや焦りを強く感じていたからなのか。

「壊れたら大変です。無茶をされないでください。私たちと同じぐらいの子がすることです。そこまでの深さではないと思います。手分けして掘っていきましょう」

「……すみません。そうですね。今壊れたらこの辺り一帯が消えます。慎重に行きましょう……」

 そう言って、カミュ様は従者と護衛の者に、土を掘り起こしていくように命じる。クロードも従者に銘じる。ジルには小さいスコップを持ってくるように命じて、クロードと私は小さなスコップを手にする。

「私とクロードも掘ってみます。カミュ様、アレックス王子とそちらで休んでいてください」

 カミュ様は頷くとアレックス王子を伴って作業が見えるところに移動した。私はジルと人の少ない場所を担当する。後は頃合いを見計らって裾から秘宝の入った箱を出し、見つけた振りををするだけだ。
 昨日今日準備したものと分からないように細工しただけの簡単な作戦。警護の荷物確認も切り抜けたし、ここまでは思い通りに運んでると思う。あと少し、最後の仕上げだけだ。何度も周囲に気を配って、ジルも促してくれているのに私は躊躇う。見つからなければいい、そう言ったアレックス王子の言葉と8歳のあの日、木の上から私に手を差し伸べた笑顔が何度も何度も頭の中で繰り返される。

「ノエル様、他に移動しますか?」

 心配そうに私をジルが覗き込む。私はもう一度周囲に気を配る。その気配に同じように周囲を確認してジルが頷く。私は裾から、キャロルの思い出を零す。土の中に転がったそれに、一度砂をかけて汚す。涙が出そうになるのを懸命に堪えて、土に汚れた手で掴む。

「ありました!」

 私の声に弾かれたように顔を上げるアレックス王子と目があった。私は泣かずに笑う。一歩一歩、王子のところまで、ノエルとして渡すために歩く。私はノエルとしてアレックス王子ともう一度会えた。アレックス王子はキャロルを失った。私より王子のほうが絶対に苦しい。

「土の中から、出てきました」

 私はアレックス王子のその手にケースを乗せる。握りしめて白くなった指先で王子が蓋を開くと小さな紙と真赤な包みが現れる。包みを開くと青い猫の宝石、カミュ様の秘宝が出てきた。

「バカだ。この結末もあり得ることはわかってたのに」

そう呟いてアレックス王子はベストのポケットにケースと手紙をしまうと、カミュ様に向き直った。今、精一杯の笑顔を浮かべててカミュ王子の手に秘宝を戻す。

「ずっと、すまなかった。ようやく返すことができた」

「……無事に手元に戻ってきてよかった。これで貴方が私を背負う必要はきえますね」

 無理に笑う王子が薄く微笑むカミュ様の手を握って、ごめん、と小さく呟いた。そして、背を向けると一人で丘の反対へ歩き出す。付き従うのは従者と護衛が一名。
 私とクロードは特命が終わった瞬間の予想外の空気に、それぞれの思いで立ちすくんだ。

「ノエル、クロード。ありがとうございました。無事に私の秘宝は戻ってまいりました。感謝します」

「お力になれたなら光栄です」

 クロードがそう返事をしたが、何かを問いかけようとして止める。きっと、何と言っていいかわからないのだ。アレックス王子の気持ちは私は痛いぐらいわかる。でも大切な探し物をみつけたのに、そこまで嬉しそうじゃないカミュ様の気持ちがわからない。クロードも多分同じように感じるものがあるのだと思う。

「戸惑わせてすみません。考えていたなかで最悪の終わり方にアレックスも動揺してるのでしょう。私も個人の問題で感傷的なってしまいました。特命を成し遂げたお二人には心よりお礼を申し上げます」

 そう言って、いつものような花のほころぶような笑顔を浮かべてくれる。でも、目がちっとも嬉しそうではなくて、悲しそうに見えるのは私だけなのだろうか。私とクロードは立礼で応える。頭を上げた時には、もうカミュ様はいつも通りの顔で微笑んでいた。

「ノエル、アレックスの元に行ってください。あちらの小川のほうに行っていると思います」

「でも……、私よ」

「行きなさい。貴方はとてもよく似ているそうです。煩わせてばかりの私よりずっと慰めになる」
 
 私の言葉を遮って、命令する。言葉に従って、私はアレックス王子の向かった小川の方に走り出した。気になる事はたくさんある。でも今は、カミュ様に命令された建前でも許してもらえるならアレックス王子の側で力になりたかった。

 丘を反対側に少し下ると涼やかな水音が聞こえる。木々の間に王子の従者と護衛が立つのが見えた。私の姿を認めて二人が礼をとる。

「アレックス殿下は?」

「この下の岩場にお一人です。私たちも降りぬように命じられました」

 護衛は心配そうに、岩場の下を気にする。王家の離宮だから誰かに襲われる心配はないが、やはり主の姿が見えないのは不安だろう。

「カミュ様に命じられて、殿下のお力になるように言われております」

「助かります。カミュ様は殿下の事をよくご存知ですから、そうおっしゃったのなら大丈夫でしょう」

 ジルにも残るように命じて私は岩場を下り始めた。少し下ると、アレックス王子が膝を抱えて顔を伏せているのが見えた。手には私が書いた短い手紙が握られている。

 こだぬきさんへ
 無事、手紙が貴方に届いたなら嬉しいです。
 私は10歳になっても貴方に会うことができなくなりました。
 お預かりしたものをこのような形で返すことを許してください。
 あの日は今も大切な思い出です。ずっと忘れません。

 書きたいことはたくさんあったけど、私が書いたのはこれだけだった。誰かが来た気配を分っているはずなのに、アレックス王子が顔を上げる様子はない。私はその隣に腰を下ろす。目の前を流れる水の音だけがが響く。この優しい音が王子の心を癒してくれたらいいと思う。

「何しにきた?」

 顔を上げずに、アレックス王子が問う。私はできるだけ近くに聞こえるように、同じように膝を抱えて頭を乗せる。そんな事は意味ないかもしれないけど、少しでも届きたい。

「カミュ様にお側についているように言われました」

「帰れ」

「帰りません。私自身、お側にいたいのです」

 殿下が黙り込む。アレックス王子と私。王子と侯爵子息。未来の王とその臣下。秘密の場所であった男の子と女の子。今の私はどれだろう? 

「殿下が見つからなければいいと言っていたのに、見つけてしまいました。ごめんなさい」

「……特命の条件に認めたのは私だ。王族の命にしたがうのは臣下として当然だ。バカ」

 殿下は大人になったのだなと思う。命令を受けた臣下の任務への責任と重みの意味を知っている。

「でも、ごめんなさい」

「……では、悪いと思うなら側にいろ」

 殿下が顔を上げる。紺碧の瞳は今にも涙が溢れそうだった。

「会えない事情がるなら、嫌なら無理強いはしない。でも、忘れないというなら、なぜ何かを残してくれなかった? 唯一の繋がりを失ってどうしたらいい?」

くしゃりと顔を歪めると、一筋二筋と涙が零れ落ちていく。

「忘れないって書いても、私はいつか忘れてしまうかもしれない。毎日、毎日、こんなに大切に会いたいと思っているのに! どうして、時間が経つと曖昧で、小さな思い出は少しずつ失っていくんだ」

 涙を零すアレックス王子に私は何も答えることができない。ただ胸が苦しくなる。

「あの子が忘れないといってくれるなら、私だって絶対に忘れたくない。でも、二度と会えなくて。思い出だけで、その姿を留めておけと言われるのは失う事と同じに思える……」

 殿下が私の頬に手を伸ばす。目の下をなぞるように親指で頬をそっと撫でる。切なそうに泣きながらそんな目で見ないでほしい。胸がすごく苦しくなる。優しく触れないでほしい。切り捨てた自分が嫌になる。

「ノエルは本当に似ているんだ……。初めて会った日は驚いた。忘れたくないから似てる君に側にいてくれなんて、狡いとわかっている。でも、私は小さな欠片も、あの子のことを忘れたくない。だから、ごめんというなら、側にいてよ」

 私は胸の奥から溢れそうになる気持ちがなんだかわからない。ただ、溢れるこの気持ちが、自分の瞳に涙になって溜まっていく。でも、その顔はキャロルの顔だから見せてはいけなくて、王子を抱きしめる。

「忠誠をお誓いしました。ノエルは側にいます」

 アレックス王子の手が私の背中に回って、強くしがみつくと声を押し殺すように泣き声を上げる。約束とか、狡いとか、どうしてとか、たくさんの言葉が聞こえたけれど私は答えることができない。ただアレックス王子の背中を撫でる続ける。王子の嗚咽が収まって、少しずつ私にも頬に当たる風が涼しいと思いえるぐらい気持ちに余裕ができた頃、ようやく王子が顔を上げる。少し尊大で自信に満ち溢れた魅力的な少年の表情に私は胸の鼓動が早くなる。

「すまなかった、ノエル」

「いいえ……」

 さっきまでとは違って見える、見知らぬアレックス王子の姿に私は戸惑う。まぶしいのは水面に映る日差しのせいだ。

「いてくれたら、あの子を忘れずいられる。そういう気持ちもあるけど、臣下として君には本当に期待してる。これからもよろしく頼む」

 私はアレックス王子の背から手を放すとその場にただ跪いた。
 11歳の私の胸に初めて湧く一瞬の気持ちの意味が理解できない。どうしても、この気持ちの名前に辿り着けない。支配されて溺れて、いつかその名が分かる日が来るならば……それは、ずっと先がいい。
 
「殿下の御心のままに」

 私は息を整えてそう答えた。差し出された手の甲に口づけると、強く引かれて立ち上がる。

「さあ、もどるぞ」

 そう言って、殿下は岩場を登り始めるので、私は慌てて後を追う。振り返っ笑う。私の頬に手をのばして、いつものように強く捕まえて、潰す。いつものアレックス王子だ。

「せっかくカミュの秘宝が戻ったのにちゃんと喜んであげられなかったな。近いうちに皆で祝ってやろう。ノエル、手伝え」

「はい!」


 木まで戻ると、カミュ様とクロードが柔らかい笑顔で談笑しているのが見えて、ほっとする。いつも通りの雰囲気に戻って、その場で王宮の料理人の手による屋外向けに用意された食事を楽しむ。
 秋の清々しい風と高い空、食事の後の初めての泥遊び。きっと帰ったら怒られる。それでも、楽しくて楽しくて時間が止まればいいと思えた。
 帰りの馬車は疲れ切ってうとうとしてしまう。最初はヴァセラン侯爵家にクロードを下ろすことになっている。ヴァセラン侯爵家につくとリーリア様が悲鳴を上げた。慌てて、アレックス王子に頭を下げる。確かに息子がどろどろで王家の馬車に乗ってたら悲鳴を上げて謝る。我が家で母上がどんな反応をするか心配になってきた。

「アレックス王子、カミュ様。ノエルを一瞬お借りしてもよいですか?」」

「どうしましたか?」

 カミュ様の問いかけに、クロードが私に渡すものがあると言う。どうぞ、と許可を頂いて手招きをするクロードについていく。ヴァセラン侯爵家の玄関ホールに入ると、クロードがリーリア様にノエルへのお礼を持ってくるように頼んだ。

「お礼? 鞘のだったらいいのに」

「違う。お礼もあるんだが。今はそうじゃない」

 真剣な表情でクロードが私の肩をつかんだ。

「何かあったら必ず俺を頼れ。一人で抱えるな」

「今でも頼ってますよ?」

「違う。小さなことじゃない。もっと大きなことで」

「クロード。何か気になるなら、いって下さい」

 クロードが首を振る。取り越し苦労かもしれないから、言えないと言う。それでも、肩を握る力が強くて、その心配が本気なことが伝わる。

「わかりました。私が何かあったら、一番の友達のクロードに必ず相談します」

 ほっとしたように手の力を緩めると、リーリア夫人が可愛らしい包みを手に戻ってきた。包みを受け取り馬車に戻る。
 アレックス王子に中身を開けるように命じられて、出てきたのがお菓子とぬいぐるみだったので肩を震わせて笑われた。カミュ様はその様子を微笑ましそうしている。アングラード本邸につくと、お母様が悲鳴を上げて、よろめいた。これは絶対怒られるなと確信する。

「ノエル。今日は感謝する」

「また、近いうちにお会いしましょう」

 二人の馬車を見送って、私の「秘宝返還計画」は一度幕を閉じた。




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二章 二十二話 秘宝返還 キャロル11歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 アレックス王子主催の勉強会、もとい捜索会議は私の提案が通りアレックス王子とキャロルだった私が出会った場所に皆で訪れることに決まった。王子がもう一度新しい何かを思い出すきっかけになること、女の子が再訪して何かを残していないかを期待しての捜索だ。お昼を持って行く約束で私は少し遠足気分で楽しみにしている。出会った場所は秘密ということで、アレックス王子とカミュ様が調整して改めて連絡をくれることになっていた。

 私は本邸の方の自室で「秘宝返還計画」の為に、机に向かって地図を広げる。公になってからは月に数回週末を別邸で過ごし、それ以外は今日のように本邸で過ごす。本邸の使用人たちは私がキャロルだったことを知らない。皆優しくて、過ごしにくくはないけれど、私にとっての本当の休息は私を知る者たちに囲まれて別邸で過ごす時間だった。その時間だけはノエルでもキャロルでもない私でいられる。

「ジル、秘密の丘の場所は離宮で間違いありませんか?」

「はい。間違いありません。よくお気づきでしたね」

 私がキャロルだった頃に秘密の場所を探り当てた地図を見せる。
 私が首を傾げるようにして頭を差し出すと、とてもよくでていますと囁きながら頭を撫でてくれる。

「事前に離宮に侵入できないですよね?」

「それは、さすがに難しいかと存じます。警備の者が常におりますし、魔力探知の結界も張られています」

「以前、ジルは風魔法を使っていましたよ?」

「あの時は騎士団から護衛という立場で入っておりましたので、使用が許されておりました」

 あの時点で私の従者ではなく、騎士団戦備前準備部隊長のモーリスおじい様の部下としてついていてくれた。

「今回従者として一緒に来ていただいた場合は、ジルは魔法が使えますか?」

「従者でも許可はおります。しかし、騎士団も同じですが、魔法を少しでも発動すれば探知結界にかかります。発動した魔法は結界の記録に元づき後ほど必ず申告が必要です」

 魔法を使って何かをするのはやはり避けるべきだ。暫く私は考えを巡らせる。複雑な事じゃない。子供がすることを演出する。簡単に分かりやすく。私は、思いついた方法をジルに伝える。
 
「そうですね。大丈夫だと思います。途中に何かあって取り繕いやすいく、変更がしやすい」

 私はもう一度、頭を差し出す。褒めてもらえるのは、何度でも嬉しい。

「次は秘宝の入れ物ですね。本当はアネモネ石を使いたいところなんですけど、私と簡単に結びついてしまいますよね?」

「私が購入したものは旅の研究者が路銀稼ぎに販売していたものです。他にも彼も小さなケースを数点販売していましたから、大丈夫かと」

 旅の研究家の方にはいつかアイデア料をお支払いせねばと思う。旅先で路銀稼ぎに販売してるのであれば、彼が何者で、いつ売って、買ったのが誰なのか確認は困難かもしれない。
 それに、アレックス王子かカミュ様がそのアネモネ石を使ってくれたら、我が家のワンデリア新事業にも好影響だと思う。
 
「ワンデリアに言って、小さなケースを作ってください。秘宝が入る大きさで、私の服に簡単に隠れるサイズでお願いします。それから町で木札とナイフ、花壇で使うような小さな木製のスコップを数本とバケツもを使用人に買ってくるように伝えて下さい」

 「秘宝返還計画」をこっそりと進めていく。一日も早くカミュ様の秘宝を返し、アレックス王子の気持ちを傷つけずにキャロルを忘れてもらう。それは悲しいけれども必要なこと。

 それから月日が少しだけ流れて、王家の紋のついた手紙が届く。秘密の場所の使用について調整がつき、決行できる日が決まった。当日は王家より迎えの馬車が来て、お昼も用意してくれると書かれている。馬車でみんなで移動してお昼も食べるなんて、本当遠足だ。早めに「秘宝返還計画」を片付けて、全力で楽しめたら寂しさも紛れるかもしれない。

 当日は家紋をつけずカーテンが引かれた馬車が3台で迎えにきてくれた。中央の馬車に乗り込むとすでに、アレックス王子とカミュ様が乗り込んでいる。二人ともシャツにベストだけを羽織って、いつもよりも簡素で動きやすそうな服装だ。なんだかいつもと違うと少しどきどきする。私も似たような服装だけと、計画の為に腰に小さなバックと裾の閉まったズボンをはいてきた。

「おはようございます。なんだか皆で出かけるのは楽しみですね」

「一応、捜索隊だよ。忘れないでほしいな」

 そう言いながらもアレックス王子もカミュ様も少し楽しそう。天気は快晴で絶好の遠足……捜索日和。ヴァセラン侯爵家に寄ってクロードを乗せる。子供4人、やはり皆で出かけることは特別な気分なのだと思う。捜索が終われば少し遊ほうと話すうちに、あっという間に到着する。

 あの日と同じように小さな庭園の出入り口に降り立つと、懐かしい思いで周囲を見渡した。咲き誇る花は少し以前と色合いが違うけど、小さなアーチは以前のままだ。
 護衛たちは馬車から荷物の中を確認しながら降ろしていく。私が持参した荷物も護衛の確認をうけて、ジルが無事に受け取ってくれていた。私はジルの側に行くとバケツや、木のスコップの入った袋をぞき込む。スコップに紛れるように作戦開始の木札は無事に収まっていた。

「ジル、スコップとバケツを持ちたいです」

 我慢できない振りをして荷物の中に手を入れる。止めるように手をいれたジルのシャツの袖に木札を隠した。目顔できちんと袖に隠せたことを確認すると、私は大袈裟にため息をついて手を袋から出す。

「あとで、ちゃんと出させて下さいね」

 そう言って、みんなの元に戻る。シャベルとバケツを持ってきたこと話すと、貴族の男の子だから土遊びはしたことがないのか興味津々だ。歩くのに邪魔になると従者に止められたから、後で使おうと話す。
 アーチをくぐって、自然な感じの小道を進んでいく。私達は並んで歩いて、その後をそれぞれの従者と護衛が付き従った。
 すぐに私が転んで流血した場所を通りがかる。もう石は落ちていない。アレックス王子を思わず見て、目が合ってしまう。ちょっとだけ唇を噛んで苦しそうにするから、私はそのまま目が離せなくなる。キャロルとして出会った私が怪我をした時のことを思い出しているのかもしれない。キャロルはここで元気です。私は思いを込めてにっこり笑って見せた。
 王子は唇を緩めると優しく笑って、私の頬をまた掴む。いつもみたいに力任せじゃなくて、優しくなでるように触れる。そして、そのまま私の額に手を滑らせた。額の傷を確かめられるような気がして、思わず後ろに身を引きバランスを崩す。ジルが後ろから支えてくれる。見上げたジルは、声を潜めて間に合いましたと笑う。

「ノエル、大丈夫か!」

 アレックス王子も右腕を掴んでひき止めようとしてくれていた。力がぎゅっとこもる。慰めるつもりだったのに、また逆に心配をかけてしまった。私は笑って答える。

「大丈夫です! もう、殿下はいつも人の顔で遊ぶので思わず警戒してしまいした!!」

「君の顔で遊ぶつもりはなかったんだ。ただ、君が……。いや、虫がついてたから」

 私が慌てて顔や頭を払うと、もうとっくに取れてるとアレックス王子がいつもの顔で笑った。気が付けば王子が隠れていた茂みも通り過ぎていた。歩きながらカミュ様が説明してくれる。

「ノエルとクロードは来たことはありますか?ここは、公になる前の子供たちが貸切って遊ぶことができる秘密の場所なんです。流行りなのか貴族の子がよくいらっしゃいます。アレックスの探す女の子も遊びに来た貴族の一人です。残念な事に、ここの管理者は秘密の遊び場の響きが好きで、使用の申請を遊びが終わるとすべての焼却していました。誰がいつ訪れたのか一切の記録は残っていません」

 私の情報が燃えて残っていないことがわかって安堵する。離宮の管理者は王家の人間だろう。焼却されているなど知っている事からカミュ様の家族なのかもしれない。
 
 小道を抜けて花を編んだ丘の上の広場に出る。ジルに花の腕輪を渡した場所だ。今は最も信頼する者の証である髪の一総を編んだ腕輪をつけてくれている。振り返るとジルは左手首にそっと触れて微笑み返してくれた。大丈夫。ジルがいれば今日の計画だってうまくいく。計画に最も適した場所に行く為に質問をする。

「アレックス王子、どちらで女の子と出会ったのですか?」

 隣に並んだアレックス王子が一本の木を指さす。広い丘の上に木はシンボルのように今も立っていた。悪戦苦闘してアレックス王子に手を引いてもらった思い出がよみがえる。

「あの木で会ったんだ。綺麗でまっすぐな目をしてた。どうしてもまた会いたいんだ」

 呟くアレックス王子の見つめる木は三年前より一回り大きくなってその枝を広げてる。隣に立つアレックス王子の横顔ももう男の子じゃなくて、少年に変わっていた。子供から大人に日々変わっていく。とくんと胸が小さく跳ねる音が一度だけ聞こえた。

「アレックスは記憶を辿ってください。私とノエル、クロードは望みは薄いですが、再訪した女の子が手掛かりを残していないか探しましょう」

 クロードが頷く。私は返事の代わりに弾かれる様に走り出す。その後を慌ててジルが追いかける。私の名前を呼ぶ声が少し後ろに聞こえたところで私は声を上げる。

「女の子の手掛かりを探しましょう! 一番先に見つけます!」

 私の声に三人が慌てて駆けだす気配に微笑む。男の子は競争と勝負が大好きだ! 一足先に辿り着くと、木の斜め後ろで転ぶ振りをする。駆け寄ったジルが私と木を盾にして周りから見えなくないように木簡を草むらにそっと落とした。私もまた、足を痛めた振りをしながら腰の小さなバッグからアネモネ石のケースを足首を少しだけ絞ったズボンの裾に隠す。上手く隠れるように中に仕掛けはしてあるが、あんまり激しく動くと落ちそうなので動きには注意が必要だ。

「大丈夫か?」

 やっぱりクロードが一番に駆け寄ってくれる。予想よりも早くて少しだけ焦った。クロードはどんどん強く逞しくなる。

「大丈夫。ちょっと躓いただけだから。私が一番到着!」

 にやりと笑うと、すねた様でずるいぞ、とクロードが言う。アレックス王子とカミュ様も到着する。同じように一番乗りですとにやりと笑うとやはり、ずるいと非難される。

「わかりました。今のはなしです。頑張って走ったのに残念ですけど。女の子の手掛かりを見つけた人が、一番の勝負をしましょう!」

「別に勝負じゃないだろ」

 苦笑いをアレックス王子は浮かべるけれど。クロードはやる気いっぱいだ。木の周りからすぐに捜索を始める。習うようにカミュ様も少し離れたところで捜索を始めた。男の子は本当に勝負という言葉に弱いと思う。
 私も木札を落としたのと反対の方向に捜索を始める。時折枝を拾ったり、木の実を拾ったりして周囲の様子を観察する。

「ノエル、こっち」

 アレックス王子に呼ばれた。王子が立っているのは私が最初に立っていた場所だと思う。はからずも、あの日のジルの位置に私がたつ。

「ここで女の子とあった。怒られたんだ。貴族の子供なら責任があると。私はカミュと比べて王位継承権は上だったけれど、自由に育てられていた。与えられた何もかもを、当たり前に受け取って気づかない事がたくさんあった」

 あの日の記憶が私の中で鮮明に思い出される。不思議だ。忘れていくという認識はないのに、時間がたつにつれて少しずつ曖昧になっていった思い出。成長すると新しい事をたくさん覚えて、小さな思い出を手放していくのだと思う。
 こうやって隣にたつと私の中で消えつつあった、あの日の思い出が少しだけ鮮明になって戻ってくる。伸ばされた手も、笑う笑顔も、抱き止めてくれた小さな手も全部消えかけていた。

「見つからなければいいと今言ったらズルいだろうか? 繋がりがなくなるのが怖くて慌てて、カミュの秘宝を誤って渡してしまった。カミュは仕方ないと笑ってくれた。でも、今は必死に探してる。だからそんな風に思うことは許されない。でも……みつかってしまったら、私と……」

「アレックス殿下!」

 アレックス王子の言葉を遮るようにクロードの声が響いた。その手にはジルが先ほど落としてくれた私の用意した木札が握られていた。

 私たちはクロードの元に集まる。木札は昨日まで我が家の別邸の日当たりのよいところに吊るして、少し時間がたった風合いにした。キャロルがあの日につけていたリボンを結んで、ナイフでアレックス王子だけが気づいてくれる言葉をかいてある。

「こだぬきさんへ ↓」

 木札の言葉にカミュ様が首をかしげて、アレックス王子を見る。

「こだぬきさん、ですか? アレックス心当たりはありますか?」

「私のことだ。リボンにも見覚えがある」

 力なく両手を下げて、嬉しそうに見えない表情を浮かべるアレックス王子に私は胸が締め付けられる気がした。




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二章 二十一話 子供の忠誠 キャロル11歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 迎えに来たヴァセラン侯爵家の馬車に乗り込むと、クロードが嬉しそうに剣の鞘を膝に乗せる。もちろん、先日出来上がったワンデリアの職人がアネモネ石で作ったクロードの剣の鞘だ。リーリア夫人のアクセサリーは、すぐに届けた。鞘はどうしても私がクロードに渡したくて今日まで私の手元に置いていた。

「ありがとう」

 溶けてしまいそうな嬉しそうな笑顔はゲームのスチルでは見られない甘さだ。頬ずりしそうな様子にクロードは本当に剣が好きだなと思う。

「喜んでもらえて嬉しいです。」

「お前と一緒に考えた鞘だ。大事にする」

 お互いに忙しい合間を縫って相談したデザインは、改めて見ても本当にかっこいいと思う。黒い鞘に浮き出る獣は男の子の憧れのリュウドラだ。リュウドラはおとぎ話に出てきたり子供向けな存在だけど、月や雲を配置して迫力あるデザインに仕上げた。できるだけ長く大切に使えるように、大きくなったクロードにも合わせられるように一生懸命に二人で考えたんだ。

「月はノエルだな」

「え?」

「俺はリュウドラみたいに力強い剣になる、ノエルはここにある月みたいによく変わる不思議な剣」

 クロードが鞘に書かれた細い三日月を指さして言う。ここまでの勝負は負け越しているが、緩急のある動きと速さでは少しだけクロードを上回っている自信がある。だからそんな風に評価してもらえるのは本当に嬉しい。

「私の次の鞘は夜空をデザインしますね。リュウドラも夜空を泳がせます」 

 大きく頷いて、私たちは馬車の窓からお城を眺める。街並みはお城に近づくたびに華やかになっていくのに、私とクロードは緊張の為に静かになっていく。今日はアレックス王子との勉強会なので、場所は王族の住まいになる。クロードが小さなため息を落とす。

「緊張でお腹が痛くなりました。帰りましょうか?」

「怒られるぞ」

「クロードはため息をついたので、不敬です」

「……」

 馬車を下りて、王城内を下僕の者が案内してくれる。謁見の間を過ぎて、さらに奥に進むと近衛が警備する王族の住まいへの入り口に辿り着く。王冠を抱いた美しい女神が彫られた堅固な扉だ。

「ようこそお越しいただきました。ノエル様、クロード様」

 近衛騎士が任務中の騎士の立礼で迎えてくれた。右手を左腰に置き左手は下げて浅い礼。不測の事態においていつでも剣をとれる形らしい。近衛の服の白に黒い縁取りは陛下の前において潔白である証。同時に赤い血がつけば目立つため、血が跳ねるような事態を常に監視する目的があるとクロードが教えてくれた。そんな怖い知識はあまり欲しくない。考えた昔の人はどれだけ身の危険を感じていたんだろう。

「この先は王家のお住まいになります。従者の方は誓約を済ませた者しかお連れ頂けません。お二方の従者は誓約済みと伺っておりますが確認を取らせていただきます」

 近衛騎士が文字の刻まれた半球の魔法具を私達に手渡す。ジルが跪いて半球の面を表にして差し出す。私がその面に合わせるように魔法具を乗せるとぴたりと重なる。誓約を行うと主の魔力が従者を縛るので、同じ魔力同士とみなされて半球がきちんと重なるそうだ。同じ魔力ではないと反発しあい重なることはない。同じようにクロードも従者と確認を済ませる。

「さすがは侯爵家ですね。この年齢で誓約をすませた従者をもつとは大変珍しい」

 以前父上、ジル、グレイは公になる前に誓約を済ませる子が多いと言った。近衛の発言とずれがある。ジルを横目でみれば、いつも通りの微笑みをかえされた。このパターンは絶対にたばかられましたよね?
 近衛の先導で王族の住まいに入る。これまでの公の場となる城内とはちがって落ち着いた雰囲気だが、細かいところのこだわりが凄い。ただの白い壁に見えるのに近づくと細かい彫刻が施されていたり、さり気ない所にすごいお金をかけた作りだと思う。
 
「こちらが、アレックス王子の遊び部屋です。どうぞお入りください」

 部屋の前にも近衛が二人控えている。ジルが扉をノックすると、入れと返答があった。ジルとクロードの侍従が左右の扉をそれぞれ開けてくれる。

「わぁ」

 王族の子供部屋。溢れるようなおもちゃと、絵本。カラフルな色彩がとても可愛いい。思わず11歳の私の子供心がワクワクしてくる。

「よくきたな。従者は部屋の前に待機せよ」
 
 アレックスの言葉に、ジルとクロードの従者は扉を閉めて姿を消した。

「久しぶりだな。ノエル、クロード、元気だったか?」

 私とクロードが跪いて礼をとると座るように、とアレックス王子が告げる。久しぶりにみる王子の顔つきが男の子から少年に変わりつつある、また一段とかっこよくなってきた。クロード程ではないけど背も高くなってる。カミュ様は大人っぽさが増したきがする。去年は同じぐらいだった背が明らかに私より高い。

「おや。ノエルより私の方が今年は大きくなりましまたね。嬉しいてす」

 今回は隣にたっての背比べでなくてよかった。破壊力抜群の笑顔をみせるカミュ様とちょっと距離があることにほっとする。
 席に着くと、テーブルの上はお菓子、果物、飲み物がたくさん用意されている。食べ物の山とアレックス王子の顔を何度か確認する。

「勉強会ですよね?」

「捜索会議だよ」

 アレックス王子が苦笑いを返す。

「君たちは評判がいいから、私の父と母も未来の臣下にと期待してるようだ」

 アレックス王子の父と母は次代の国王と王妃になる方だ。そんな二人からの期待は畏れ多い。

「アングラード侯爵、ヴァセラン侯爵は、現侯爵のお人柄も高く陛下も評価されております。シュレッサー伯爵も興味深い家柄ですが、お披露目の後の舞踏会が始まる前に帰られる変わり者ぶりです。ラヴェル伯爵家は演奏は素晴らしいが側近の柄ではありませんし、バスティア公爵はあまりお付き合いしたくないです。だから、仲良く致しましょうね?」

 ふんわりと微笑むカミュ大公の言葉に私たちは逃げられない空気を感じる。バスティア公爵、シュレッサー伯爵、ラヴェル伯爵もそろぞれ攻略者達だ。いずれどこかで会うことになるのだろう。

「それより、捜索について話し合おう」

 アレックス王子が場を仕切りなおす。私とクロードはお互い目線で頷きあう。本題の前に確認したいことがあるのだ。道中の馬車の中で、私はカミュ様が青い宝石の猫にこだわってる事が気になることをクロードに持ちかけた。あの様子なら何か特別なものである可能性が高い、絶対に何なのかを確認すると二人で決めた。

「殿下、一つ伺わせてください」

 クロードが姿勢を正して切り出してくれる。私が切り出しにくいと言ったら、快く引き受けてくれた。一緒に遊ぶ時もいつも、私が困ると助けてくれる。優しいけれど、頼りになり過ぎるのは苦しくないか心配になる。アレックス王子が無言でうなずいて、先を促す。

「お引き受けした青い宝石の猫ですが、一体どういったものですか?」

「知る必要はない」

「……」

 質問は一蹴される。騎士であるクロードにとって、これ以上の質問は不敬にあたる気持ちが強いだろう。それでも、クロードは頷くのを堪えて答えを求めるように王子を見つめ続ける。

「クロード、私は知る必要はないと言っている」

 周囲の温度が下がるほど冷たい声で、質問に答えをくれないアレックス王子に少し腹がたつ。子供同士なら許されるだろうか? まぁ、許されるよね? 十一歳にしてはできすぎる子ばかりで忘れがちになるけど、私たちはまだ子供だ。私はできる限り困った表情を作って、クロードに代わって口を開く。

「では、猫の宝石を私がうっかり落としたり、踏んだりして壊しても怒られませんか? 実は先日、母の大切なブローチをうっかり落とした挙句に、勢い余って踏んでしまいました。粉々です。なんだか、それで怖くなってしまって、これから探す猫の宝石が大切なものならどうしましょう、とクロードと相談していたのです」

「落として、踏んで、粉々。君はバカなのかい?」

「バカではないと思いますが、結構小さい失敗はいたします」

 本当にアレックス王子は時々ストレートに喧嘩を売ってくれる。私は、素知らぬ顔で自分がしたミスのエピソードを語ってアピールをする。クロードも同じように剣術の練習中に銅像を破壊したとか失敗エピソードを語り始める。

「……、知らなくて良いということは、で普通に取り扱っていいですか?壊しても怒られないような品物と理解して宜しいですか?」

 私は最大限無垢に見えるように小首を傾げて問いかける。アレックス王子が私を手招きした。怒られる予感いっぱいで側によって、跪く。王子が私の頬を片手掴む、またぷにぷにだ! 強くぷにぷには痛い。クロードも言ったのに何故私だけ、納得がいかない。

「壊すな。壊されたら困るから、大事に扱え」

「な、にゅ、で、で、ひゅ、か?」

 喋りにくい中で何故と問いかける。王子の手が止まって、ちらりと隣に座るカミュ様を見る。話すかどうか迷っているらしい。

「ノエル、クロード。お話しするので、アレックスに忠誠を誓ってください。この先、王となるアレックスに一生涯の臣下としての忠誠を」

 カミュ様が真剣だ表情で私とクロードに大きな決断を迫る。私とクロードが顔を見合わせた。私はアレックス王子をこの先助けたいとおもっている。大好きな「キミエト」攻略者だから、あの日の約束を守ってあげられないから、そんな理由もある。でもそれ以上に、いるだけで周りを引き付ける威光と、時折見せるまっすぐな素直さはきっといい王様になれると思っている。それに、誓約と違って忠誠は気持ちの問題だ。実質的な拘束が生まれるわけではない。

「私は殿下に忠誠を誓います。善き王様になってください」

 私の頬を掴む殿下の左手をとり、その甲に唇を落とす。殿下が初めての忠誠なのか、少し頬を紅くする。

「ノエル・アングラード。私は善き王になると約束しよう。まだお互い小さいが君を私の最初の臣下にする」

 クロードが私の隣にやってきて、同じように跪く。

「ノエルと共にアレックス王子に忠誠を誓います。剣となり、盾となって貴方と貴方の周囲の者を守ります」

「クロード・ヴァセラン。君は私の二人目の臣下だ。研鑽を積め、頼りにしているぞ」

 深くクロードが頭を下げてから、殿下が右手を差し出すと甲に口づけた。カミュ様が満足そうに横で微笑む。私とクロードはこの日、子供同士のやり取りだけど正式に臣下となった。

「それでは、青い宝石の猫についてお話します。お二人とも席に戻ってください。あれは、上位三人の王位継承者が持つ「王の慈悲」とよばれる秘宝です。 中には生まれた時に零れ出た魔力とエトワールの泉の水が含まれているそうです。王族の切り札とされていて、割ると大規模な魔法が発動します。基本は怒りならば戦を終わらすだけの攻撃魔法、慈しみなら戦火に傷ついた人や土地を癒す回復魔法です」

 随分すごいものを預かってしまった。王家の秘宝の話を聞いたクロードの顔色も悪いけど、実物を持たされている私の顔色はもっと悪い。

「はい! お願いをさせて下さい」

 私は思わず手を上げる。どうぞ、とカミュ様が優しく微笑んで促してくれる。少し今の笑顔で癒された。

「絶対壊さない努力をしますが、アレックス殿下にはできるだけ慈しみの心でいて頂きたいです。私たちもですが、今の持ち主の女の子がうっかり壊したら大惨事は嫌ですよ」

 とりあえず、帰ったら保管場所を絶対に変えよう。壊した時に我が家が大惨事になるのは絶対に嫌だ。その質問にアレックス王子が微妙な顔をする。そんな顔をせず頑張ると約束してほしい。私の心の平穏の為に。

「私じゃだめなんだ。女の子に渡したのは私の秘宝じゃないんだ。……カミュのだ」

「なんで、人の秘宝を知らない女の子に預けるんですか!!」

「間違えたんだ……。色が同じだから、形は違うんだけど動物だし。私のはウォルハだ。ちょっとにてるだろ?」
 
 上目遣いでそんな悲しい目で見られても困ります。ウォルハはオオカミに似ている動物だ。猫と似てる? 耳は上に生えてるけど……私は、アレックス王子を無視して、カミュ様にお願いの為に視線を向けた。

「ノエル、私は実は内心で大変怒っております。壊れたら大惨事だと思ってくださいね。一日も早く私の手元に戻ってくるのを心よりお待ちしております」

 カミュ様が花のほころぶ艶やかな笑顔を浮かべて、アレックス王子がうな垂れた。優しい人は怒らせると怖いという。そういえば、母上も怒るとすごく怖い。私が男の子になった日は父上の頬には立派な青あざができた。全力で一日も早くお返しすることを心に誓った。

「まずは、お二人が挨拶に伺った先で女の子の噂はなどはありましたか?」

 果実水に口をつけながらカミュ様が質問する。私とクロードが首を振る。あるわけがない。私がノエルとしてここにいる限り、キャロルの情報が見つかる事はない。

「舞踏会の方は、私とカミュが参加したがいなかった」

 子供の身での隠れてできることは少ない。私たちの間に沈黙が落ちる。民事院の検索もだめで、私とクロード挨拶回りでも見つからず、舞踏会には現れない。

「アレックスが正式に婚約者としてその方の容姿を公開しますか? 探しています、にしたら両手で余るほど出てきますよ、偽物のも含めてね」

「冗談はやめてくれ。国が混乱する」

「でも、偽物は偽物とわかるでしょ? まさか、そんなに頑張って探してる女の子の顔を忘れたなんてないですよね?」

「……分かるよ」

 なんだか、カミュ様に笑顔でいじめられているアレックス王子が可哀そうになってきた。絶対見つからない物事なら、せめて前に進もうとしていると思いえる状況を作ってあげたい。

「はい! カミュ様提案です! アレックス王子と女の子が出会った場所にみんなで行ってみるのはどうでしょうか?」

 ほら、前世の2時間ドラマでよく言ってた「現場を徹底的にあらいだせ!」「犯人は現場にもどってくる!」だ。別に私は犯人ではないけど、秘密の場所は貴族の子がよく利用するとモーリスおじい様がいっていた。女の子が再訪していたっておかしくない。私は素早く計画をする。再訪した私は、王子に会えないなら何をする? 必ず、何かを残す。自作自演「秘宝返還計画」。
 それに、みんなで手掛かりを探しに行くのは前向きな感じで遠足みたいで楽しいよね?






2018年11月8日木曜日

二章 二十話 休息と一年 キャロル11歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 私はベットの上をごろごろと転がって久しぶりの休息を満喫する。少しずつ手足が伸びて、11歳の私は去年着た服はもう着られない。この公になってからの一年は、とにかく忙しく人に会う毎日で、こうやってゆっくり自分のしてきたことを思い返す暇すらなかった。

「……ジル、大変です! 私お会いした人を何人か思い出せません!」

「当然です。沢山の人にお会いしているのですから、全員覚えるのは不可能かと思いますよ」

 秋の舞踏会の後、最初は王都にいるアングラード家の親類に会いに行った。父上、母上とおじい様、おばあ様の関係が完全に修復されたわけではないので、微妙な空気が漂う。どちらかに味方するのはなく、力関係がはっきりするのを見極めようと嫌な感じだった。それでも、直系の跡取りである私の存在には、一様に安堵して歓迎をしてくれた。古い家系であるアングラードは親族もそれに関わるものも多い。直系が絶えて領地が半分になれば、どれ程の打撃になるかは計り知れない。どっちつかず実利主義と彼らを皮肉りながらも、父上が当主としてぎりぎりの選択肢を見出すことになった理由を理解する。この国はたった一人の跡取りの存在価値が大きすぎる。私にかかる責任の厳しさを痛感させられた。

「アングラードの親族には父上も随分怒ってましたね。仕方ないと思いつつ私もちょっと嫌でした」

「ええ。私も危うくノエル様をあの場から連れ去りたくなりました」

 次に会いに行ったのはピロイエ伯爵家の面々だ。こちらはとても楽しかった。皆優しくて気さくな方たちばかりであっという間に打ち解けた。母上の一番上のお兄様には生まれたての赤ちゃんがいて、私は従弟だからとこっそり見せてもらえた。赤ちゃんは男の子。その事に安堵する。小さい手に指をのせると、精一杯握りしめる姿が本当に可愛いくて、私はとても切なくなった。挨拶回りが終わったら、また遊びに行かせてもらう約束をした。

「伯父様の赤ちゃん可愛いかったですね。いつか、わ……いえ、また会いたいです」

「……そうですね、いつか、きっとですね」

 親戚めぐりが一段落ついた頃には、冬の公の儀の舞踏会はとっくに終わって、春の舞踏会の話が出始めていた。同じ年の子は全て公になったので、アレックス王子から挨拶めぐりはまだ落ち着かないのか、と手紙が届いた。丁重にとても、とても、とても忙しいことを伝えると、カミュ様からお勉強会はもう少し後にしましょう、とお返事が来た。
 その頃から父上の仕事の関係者や、母上の社交派閥の方たちの挨拶が増えた。毎日本邸の応接室でお客様の対応に追われる。窓から見える花は蕾から葉に変わり、春の公の儀の舞踏会も不参加のまま過ぎてしまった。

「あの時は一番人に会うのが大変でした。うちにいらっしゃるお客様ばかりで、外に出られないから気持ちも塞ぎました。カミュ様がアレックス王子にとりなしてくれなかったら、私頭がいっぱいで倒れたと思います」

「ノエル様がちょっとお痩せになってしまって、マリーゼが随分心配しておりました。私は何度も休ませてさしあげて、とマリーゼに胸ぐらをつかまれて大変でしたね」

 最後は王都外の領地めぐり。これは、良い経験になった。初めて王都以外の街をめぐって、知らないことにたくさん触れることができた。その分、長く王都に不在だったので、夏の公の儀は帰ったら終わっていた。

「おばあ様と、おじい様には今年も会えませんでした。まだ、父上母上と喧嘩中なのでしょうか?」

「バルバラ様からはお便りが定期的に届いているのですから良い兆候です。旦那様もバルバラ様の用意したデザインの礼服を着たノエル様の肖像画を、お送りしておりましたよ。これからゆっくり雪解けが訪れるでしょう」

 そして11歳の誕生日が過ぎて、秋の舞踏会の話が出始める頃、今のようにベットにごろごろ転げながらジルと談笑する休みの日がとれるぐらいになった。一年かかった貴族の挨拶回りは漸く終わりを告げたのだ。お行儀が悪いがベットの上からジルと話をしていると部屋がノックされた。父上の従者のクレイが大きな荷物をもって訪れる。

「ノエル様、大きな芋虫がベットにいるかと思いました」

「芋虫は失礼です。これはこれで可愛いと私は思いますよ」

「可愛くないとは言っていません。ただ芋虫と言っただけでございます。レオナール様よりワンデリアで作られたヴァセラン侯爵のアクセサリーを預かってまいりました」

 私は慌てて身を起こす。蝶になりましたね、といってクレイが笑うので、諦めた様にジルが肩をすくめた。
 リーリア夫人のアクセサリー一式とクロードの剣の鞘ができたとので、朝一番で職人たちを労うために父上がワンデリアに向かってくれいた。ヴァセラン侯爵家もクロードの挨拶周りが忙しくて、デザインを詰める時間が取れず、正式な注文が決まるまで半年の時間を要した。私の予定よりも遅くなったが、初めての注文書が届いた時は母上と二人で飛び上がって喜んだ。
 
「開けて見せてください! わぁ」

 クレイが置いていった箱の中から出てきたアクセサリー一式と剣の鞘の出来栄えは素晴らしい。リーリア夫人は美しい花とレースをモチーフにした一式で、クロードはドラゴンと蛇を足したようなリュウドラという架空の獣のデザインだ。どちらも、デザイン画を超える精密さで職人の技が光る品になっている。私は大満足で一人頷く。

「ワンデリアの職人たちも気合が入っておりましたからね」

 ジルが正式な注文書を届けた時、サミーはその場で泣き伏し、ヤニックが雄たけびをあげたそうだ。いつもと逆転する二人に慌ててマノンが宥めたり、慰めたりで大忙しだったらしい。
 腕はよいのに認められることのなかった二人の職人にとって、侯爵夫人より作品が認められて注文を受けることがどれ程の喜びだっただろうか。一緒にその瞬間を共有できなかったのがとても残念だ。
 以来、二人の様子が随分変わったそうだ。ヤニックは積極的に色々な事に関わるようになった。。サミーは依然と比べて余裕のある対応を見せる。私の代わりに頻繁にワンデリアに通ってくれるジルは、本当に努力して得た実りは人を成長させます、と嬉しそうに笑っていた。

「でも、これからもっとすごくなります!」

 私は自信をもって断言する。今年は母上も私の事で忙しく社交に出ることは少なかったのに、既にいくつか問い合わせも来ている。来年は通常通り参加する上に、リーリア様が新作一式を身に着けてくれる。若い世代の有力侯爵夫人の二人が愛用する新しい宝飾は必ず注目を浴びるはずだ。

「ノエル様、職人をそろそろ増やされてはいかがですか? あと、屑石という呼び名もここで改めた良いかもしれませんよ」

 職人の追加は私も迷っていた事柄だ。今はサミーとヤニックの二人ですべての作業をこなす為、一つの作品にかなりの時間がかかっている。大きな動きになりそうなのに、生産性が追いつかない。本当はマノンを職人に上げてあげたいけど、二人の技術に並ぶにはもう少し時間が必要そうだ。それに、ビーズの指導も中途半端になりかねない。思っていることを素直にジルに相談する。
  
「マノンの事は心配いりません。新しい職人を増やす提案はマノンから出たものです。彼女も自分の技量がわかるぐらいに成長しました」

「そうなんですか! みんな凄いですね。私もまだまだ頑張らなくてはいけませんね」

 私の頭にジルの手がのる。失礼します、と言ってそっと撫でてくれる。

「ノエル様は頑張ってます。これ以上、背伸びをしなくても十分な程です」

「……わかりました! それなら、ちゃんと褒めてください」

 私は両手を上げてアピールする。最近忙しくて、人に甘える機会がずっとなかった。そっと、抱き上げてくれるジルの膝に乗って襟元に顔をうずめる。大好きなお日様の匂い。頑張ってます。そう言って撫でてくれる手が温かくて気持ちが良い。子供の特権で、この場所を自分の場所にできるのはあとどれくらいだろうか。今はまだ許してもらえるから精一杯甘えていたい。

「石の名前ですが、キャロルはいかがですか? サミーがそう申しておりました」

 私を存分に甘やかしながらジルが提案する。ふわふわ気持ちが温かい。

「それならジルです。ジルが私にくれたアクセサリーケースが元なのです」

「自分の名前がつくのは、恥ずかしいですね。ご容赦くださいませ」

「私も嫌です。では、アネモネにします。私の……夢で見たお花の名前です。ジルのくれたジュエリーケースのお花によく似ていました……そうです!職人の方も思いつきました」

 飛び跳ねるように体を起こせば、なんだかジルが苦笑いを浮かべている。絶対、言ったばかりなのに仕事のしすぎだと思ってる顔だ。それでも、私は思いついたばかりのプランをジルに報告する。

「聞いてください、ジル!新しい職人はマノンに選んでもらいます。マノンが本当に成長しているなら、サミーとヤニックの仕事を誰よりも一番見ているはずです。マノンが今工房に一番必要だと思う人を入れてみるのはどうでしょう?」

「そうですね。マノンは情熱もあって人と話すこともよくできますから、適任かもしれません。では、旦那様に選考の手配を連絡いたします。ノエル様は今日は久しぶりの休息です。本当にたまには、お休みしてください。私はお茶を温かいものに入れ替えてまいります」

 私の背をぽんぽんと二度叩いて、ゆっくり膝から降ろす。暖かい感触を失って、私はベッドに倒れこむ。今日は言われた通りゆっくりと休息タイムだ。

 夕刻、久々の休息を味わった私の元に帰宅したお父様を経由して手紙が届く。封蝋の印は王冠を抱く女神で王家の紋だ。

「あぅ。来てしまいした……」

 王家からの呼び出しならば、中を見ずとも内容の想像がついた。お休みをとれたと思ったら、早速の呼び出しにため息がでる。きっと、私とクロードが挨拶回りを終えるのを、今か今かと待ち構えていたのであろう。封を開けば、七日後の昼前に来るようにと書かれている。

「父上、七日後にアレックス王子からお勉強会のお誘いを頂きました」

 父上が微妙な顔をする。一応、七日後はモーリスおじい様を呼んで、身内のみで昼食会の予定していた。さすがに王家の呼び出しを断ることはできないので、昼食会はお預けになる。

「うーん、残念だな。私からノエルに一年間のご褒美を用意した昼食会だったのに! ちょっと王様に陳情してみるか?」

 家族大好き父上なら本気でやりかねないので、全力で止める。勉強会とはいえ王家の呼び出し、家族行事と天秤にかけてはいけない。

「ヴァセラン侯爵に連絡してクロードと一緒に行けるようにしてください」

 公の儀の後、クロードと鞘のデザインの相談を兼ねて数回遊ぶことができた。剣の練習をしたり、追いかけっこをしたり、本を読んだり。居心地がいい信頼関係が築けていると思う。
 剣の練習として試合もしたけど、予想通りとても強かった。現在、二勝五敗大幅に負け越し中だ。クロードの剣戟は重いので、受け流すのが難しく躱すの一択になりがちだ。あの剣戟を受け止められたら少し勝率があがるのだけど未だ秘策なしである。

 父上の伝達魔法のツーガルが飛び去ると、しばらくしてヴァセラン侯爵の伝達魔法であるダーラが戻ってくる。ダーラは小さな鷹だ。小さいけども強そうな姿がヴァセラン侯爵家には良く似合う。そうして、当日はヴァセラン侯爵家の馬車でお迎えに来てくれることが決まった。
 クロードと会えるのはもちろん嬉しい。アレックス王子、カミュ様はほぼ一年ぶりの再会で緊張もあるけどやっぱり嬉しい。お勉強会の内容が特命捜索隊なのは、ものすごく嫌な予感しかしないけど。

 私は確認したいことを思い出してジルの袖を引く。部屋に戻るとアクセサリーケースから青い猫の置物を取り出した。王族控室での顛末はすでにジルには話してある。

「ジル、これ覚えてますか?」

「懐かしいですね。もう三年前になりますか」

「なんの宝石だかわかりますか?私はわからなかったんです」

 ジルにも石を見てもらう。アレックス王子の瞳の色と同じ青い宝石はよく見ると不思議な輝きがあって、調べた限りあてはまるものを私は見つけることができなかった。
 ジルがハンカチを手に乗せて差し出す。その上に猫を乗せると、丁寧に指紋をふき取った。

「一時期お預かりしていましたが、じっくりと見るの初めてです。確かに不思議な輝き方ですね」

 そう言って、左目の片眼鏡に触れてから宝石を明かりに照らす。ジルが片目眼鏡に触れるたびにレンズが淡く発光するので、魔法道具の一種のようだ。

「その片眼鏡は、こちらに来た時にはもうつけてましたよね。魔法道具ですか?片眼鏡がないほうがジルはかっこよく見えると思うのです」

「ありがとうございます、ノエル様。でも、片眼鏡をつけている方が私は落ち着きます。貴方の側にいるのなら少しでも違う自分でいたいんです。……それから、質問の頂いたこの片眼鏡は、以前宝石商にいた頃にお客様から頂いた魔法道具です。商人向けに作られているので色々便利ですよ」

「その話……」

 私が言いかけるのを遮るようにジルが、自分の片眼鏡をはずして私の目に当てる。ジルの手から魔力が供給されてレンズが淡く光ると、少しずつ宝石に焦点があって拡大されていく。

「ご自分で見てみる方がわかりやすいでしょう。なかなか面白いものが見えますよ」

 青い石の中で何かがゆらゆら揺れている。淡い光の粒? 違う何かの液体?

「中に入っているように見えます」

「ええ。外側の石は晶石の一種でしょう。多分、ラザリという石です。魔力を吸収する石で、魔法具にもよく使われるものですね。色合いから混じり気のない純度は最高級の品物です」

「これも魔法具なのですか? 中に入っているのは水?」

「私はこのような魔法具は見たことがありません。でも、ただの宝飾にしては不可能に近いほどに手が込み過ぎています。中の液体も、ノエル様のご指摘の通り時々淡い光の粒が光っていて見知らぬものです」

 私は首を傾げる。ただの宝飾とは思えないこの品は一体何なのか。カミュ様が宝石だけでも一度取り戻したいそう言っていた。それは、ただ高価なものだとか、誰かのものだという単純な理由だけではないのかもしれない。

「この猫を返せば特命終了とのことでしたが、お返しするなら確実にアレックス殿下に手渡す方法を考えらえた方がよろしいかもしれません」

 そう言うと、ジルは私から片眼鏡をはずして元のように自分に掛けなおす。魔法具は値の張る品物だ、お客様から頂いたというけれど簡単に従業員にプレゼントするようなものではない。宝石の中身が何であるかも気になったけど、それはアレックス王子とカミュ様から聞き出すべきことだ。
 いつか話してくれる約束をしたジルの過去の方が今はとても気になった。私がジルを眺めていても、ジルは素知らぬ顔で微笑み返す。まだまだ、お話を聞かせてくれるのは先のようだ。



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二章 十九話 王子の特命 キャロル10歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 柔らかい座り心地に感触に体の緊張がゆっくり解けていく。何だかよくわからないまま、お城の一室にクロードとアレックス王子に運びこまれた。そこで、真っ白に記憶がとんだ。

「どうぞ」

 柔らかい声に焦点を合わせると、カミュ様がよく冷えた果実水のグラスを渡してくれる。本当に良く気の付く優しい子だ。一口含むと冷たいいものが体の中に流れ込んで急速に頭がはっきりしてくる。 !! 私いつから意識がとんでた? 
 顔を上げると、クロードの心配そうな顔が間近にあった。どうやら肩を貸してくれていたらしい。慌てて体を放す。再び意識を手放すわけにはいかない。

「大丈夫か?」

「クロード、ごめん!肩を貸してくれてたんだね。私はどのくらい、意識がなかった?」

「部屋にはいって、座るまでの数秒だ。倒れたというより、ぼーっとしてる感じだった」

 その言葉にほっとする。倒れたというより、完全に考えることを手放していただけのようだ。見渡すと一際、華麗な内装の部屋に連れてこられたことがわかる。向かいのソファーにはアレックス王子とカミュ様が座っている。

「初めての舞踏会で、人あたりしたのでしょう。私も最初の時は同じように意識が遠のいた経験があります」

 穏やかにカミュ様が言ってくれる。私の場合は人あたりではなく、「キミエト」あたりだ。自分の容量を超えた緊張と興奮。小さい子供とはいえ攻略対象の魅力はあなどれない。

「しばらく休むといい。話は君が落ち着いてからにする」

 アレックス王子が果実水を飲みながら言う。私の場合は攻略対象に囲まれて綺麗な部屋で休むより、一人でトイレにこもった方が回復が早い気がする。落ち着かない。ゲームやりたいなぁ。それでも、しばらく座って、果実水を飲んでいると体と気持ちが楽になってきた。

「ありがとうございます。大分、回復したようです」

「それはよかったです。お体には気をつけないといけませんね」

「それで、ここは?」

「王族の控室だよ。ゆっくり話したかったんだ」

 私とクロードが固まる。この国の貴族として私もクロードもかなりの上位にいるけど、王族の控室はさすがに恐れ多い。回復したし、早くこの場を出なくては今度は別の緊張でどうにかなりそうだ。

「気にしなくていい。今は人払いを頼んであるから、勝手に踏み込むものはいないよ」

「アングラード侯爵、ヴァセラン侯爵にもお二人とゆっくり同級としてお話をしたいと伝えてあります。ご安心なさってくださいね」

 アレックス王子とカミュ様はそう言うが、落ち着かないのは変わりない。それに先ほどから、アレックス王子の視線が痛い。笑顔を消してこちらをじっと見つめている。
 アレックス王子が立ち上がってこちらにやってくる。私の顔に王子の手が伸びた。頬つかんで左右に顔を動かしてまじまじと観察される。扱いは悪いが顔がとても近くにあるので、また心臓が早鐘を打ち始める。

「君、姉妹や親類に女の子がいない?」

 早鐘を打っていた心臓が止まりそうになる。約束は十歳になったら、また遊ぶこと。預かった猫の置物を返すこと。私の顔に面影をみてくれているなら、アレックス王子は約束通りキャロルを探してくれている。嬉しい気持ちを抑えて私は冷静に回答する。

「アングラードには、公になっている子は私以外はおりません」

 この回答なら色々な意味で間違っていないはず。私の答えに納得がいかないのか、私の頬をぷにぷにとつぶしだす。

「公になっていない子の中には?」

「決まりに反します。お答えはできません」

「私の命令だよ」

 ぎゅーっと頬が抑えらえる。笑っているのに目が全く笑っていない。私の頬をつぶすのもやめてほしい。

「き、決まりは、王命です。アレックス殿下の命令であっても答えられないことはあります」

「互いに秘密だ。問題ないだろう?」

 この言葉、二年前にもアレックス王子は言っていた。あの時も決まりを承知の上で、秘密にしようと。押し切られそうになる自信に満ち溢れた物言いと堂々とした態度。二年たっても変わってないな、と思う。

「アレックス。それはやめたのでしょう。もう、懲りたと言ったではないですか?」

 カミュ様がアレックス王子を止めてくれる。どうやら王子は、秘密に手痛い思い出があって、今は反省はしているようだ。私の流血騒ぎがトラウマになったのではないことを願う。ため息を吐いてアレックス王子が私の頬を解放する。乱暴にソファに腰かけて、口を膨らませた。小さいけど完璧な王子様なのに、こんなところは、やっぱりまだまだ子供だ。

「すみません。アレックスは人を探しているんです。貴方の面差しがその子にとても似ているらしくて、焦ってしまったのでしょう。許していただけますか?」

 私は頷く。カミュ様は本当に礼儀正しくて、優しい。アレックス王子のことも止めてくれて、女神さまみたに穏やかな笑顔になんだかとても癒される。カミュ王子が唇に人差し指をそっとあてる。愛らしい唇にうっとりする。

「お答えいただけるなら、首を振ってください。貴方に似た少女は親族にいらっしゃいますか?」

 私の親族……にはいない。いるのは私自身だけ。ずるい結論だけど、私は首を振る。

「ありがとう。貴方は何もしゃべっていません。決まりにはふれていない。たまたま、首を振ってみただけです。そういうことで、ご安心くださいね」

 カミュ様の言葉に私は顔を引きつらせる。引っかけられた。穏やかな優しいペースに飲まれて、思わず質問に首をふってしまった。何の害もないように、にこにこ笑顔で物事を進めるカミュ様は侮れない。……私が「キミエト」対象者に見惚れてガードが下がったわけではないと、思う。穏やかな策士ってファンブックに書かれていたし! 隣でにアレックス王子が得意げに笑っているのが、なんか腹立たしい。

「どうしますか、アレックス?」

「よく似てるから、アングラードの類の者にいるかと期待したんだけどな。仕方ない」
 
 アレックス王子にとって約束は現在進行形。それは本当に嬉しい。でも、今の私はキャロルとして見つかるわけにはいかない。アレックス王子は私とクロードを交互に見つめる。しばらく考え込んで楽しそうな事を思いついた顔をする。その表情に嫌な予感しかない。

「クロード、ノエル。二人に特命を下す! ノエルに似た令嬢をさがせ」

 私とクロードが顔を見合わせる。子供にそんな特命を出されても困る。大体、私にキャロルにもどる予定はない以上、絶対にその特命は果たせない。断固としてお断りしたい私と比べ、クロードの方は迷っているようだ。私と違ってい騎士の家系であるクロードにとって王家の命令は絶対の意識が強い。それでも、急な王子の提案を子供の身で引き受ける戸惑いが、すぐに頷くことを躊躇わせている。助け舟を出そうとしたら、意を決したように拳を握りしめてクロードが先に返事を返してしまう。

「殿下の特命であれば、ノエルと一緒ならお受け致します」

 やってしまった。もう少し早く私が動けばよかった。クロードの回答にはしっかり私の名前も入ってしまってる。今からでも切り抜けられる方向を探さないと大変まずい。

「殿下。令嬢のことはどのくらい情報があるのですか?」

 あの時のことはジルが最後まで対処してくれたと聞いている。もしかしたら、ピロイエおじい様は何かに気づいているかもしれないけど、それを口に出すようなことない。あくまでも私とジル、そしてアレックス王子と三人だけの秘密だ。王子が私について調べたのか、それとも秘密を守り通しているのか気になる。

「わからない。だから、君たちに頼みたい。王都かその近郊に住んでいる貴族。身なりから伯爵家以上の家柄の子だ。君と同じ銀の髪に紫の瞳をしてる。年齢は同じぐらい。それから、彼女には小指くらいの青い猫の宝石を預けてある」

 どうやら、あの時のことは秘密として本当に守ってくれているようだ。全てを詳らかにして権力を行使する方法もあるのに、あの日の自分の持っている情報だけでキャロルを探そうとしてくれている。
 この条件で王都とその近郊の貴族から、公になっていない年の子も含めて探すのとなると、私たちの手に余る内容だ。クロードも難しい顔をしている。

「あの、殿下はその内容でご自分では調査はされないんでしょうか?」

「したよ。だが、見つからなかったんだ」

 すでに、民事院などに照会をかけて対象の少女がいないか探りを入れたが、見つかっていないと告げられる。
 約束を守ろうとしてくれる気持ちは本当に嬉しい。キャロルとしてもう一度会えるなら、あの丘で一緒に駆け回りたい。でも、どんなにお互いに会いたいと思っても、会えない事情がある。胸は痛むけど、私は私が今抱えてるものと未来を守りたい。キャロルとしての未来の僅かな希望は捨てたのだ。アレックス王子には悪いけど諦めてもらう。

「民事院が見つけられないなんて、その子は本当にいるのですか? 勘違いとか、まぼろしではありませんか?」

「ノエル。君、案外失礼だね。いるよ。約束したんだ、絶対迎えに行くと」

「じゃあ、相手が出てこられない事情があるのでは?」

「……」

 アレックス王子が黙り込む。相手の事情にちゃんと立ち止まれる事ができるようになったのなら成長だ。横でカミュ様が苦笑いしている。そういえば、昔アレックス王子が従弟を影武者にしたと、胸をはっていた。影武者はカミュ様のことなのかなと思う。だとしたら、小さい王子には随分振り回されてきたんだろう。自由で行動力のある王子と優しくて振り回されるカミュ様、二人の小さい頃を思うと微笑ましい。
 黙り込んだアレックス王子のかわりにカミュ様が口を開く。

「おっしゃることは一理あると思います。私としては、出られない事情があるなら無理強いは致しません。だだ、できることなら預けてある青い猫は一度返してしていただきたい」

 宝石の小さな青い猫。見たことのない美しい石で、珍しい高い品物なのだろう。アレックス王子とも、再び会った時に返すという約束だった。猫の宝石だけなら、立ち回り次第で上手く返すことはできそうだ。

「わかりました。では特命は、その青い猫が戻ってくるでも宜しいですか? 女の子を探しているうちに本人の耳に入って、届けてくれる可能性もあると思うんです」

「構いません」

「だめだ」

 アレックス王子とカミュ様の意見が割れる。どうやらカミュ様は猫が戻ってくることを優先し、アレックス王子はキャロルに会うことを優先してくれているようだ。

「アレックス、聞き分けてはどうですか? 先ほどノエルがおっしゃった通り、貴方の探してる彼女は何か事情があって、約束を果たせないかもしれないんですよ。それを無理矢理見つけて会おうというのは、可哀そうだと思わないんですか?」

「そうですよ。無理強いはよくないですよ。嫌われますよ」

 カミュ様を援護する。猫はちゃんと返すので、キャロルのことは諦めてほしい。そうじゃなければ、私の決断も無になるし、特命も達成不能に陥る。

「……わかったよ。達成条件は猫の置物が戻ってくるでもいい。でも、特命期間中の探し物の中心は女の子にすること。それならいいよ」

 私とクロードが大きく頷く。私たちが王子からの特命を受けることが決まった。
 その後、どうやって探すのか詳細を詰めてみたのだけど、今年は私もクロードも公になったばかりで挨拶周りなど自分たちの周辺の方が忙しい。王都にいない時もある。それに、捜索対象の子が10歳になっていない可能性だってまだあった。しばらくは、挨拶周りの先々で女の子の存在に探りを入れることぐらいしかできないという結論になる。
 結局、私たちと同級の子がすべて公になる来年から特命捜索は本格的に開始することになった。アレックス王子は今すぐじゃないことに不満で、また私の頬をつかんでぷにぷにしてきたけれど仕方ない。とういか、私の頬をストレス解消に使うのは本当にやめてほしい。どきどきして心臓にわるいし、喋りにくい。

「では、来年以降にもう一度、皆で集まりましょう。いいですね、アレックス」

 アレックス王子は無言で私の頬をぷにぷにだ。クロードがもう心配を通り越して、憐みの目で見ている。カミュ様は慣れているのか、返事を待たずにクロードに次の集まる時の連絡方法を伝えていた。

「私だけが会いたいって思っているから彼女は現れないのかな……」

 アレックス王子が呟いた。私の頬に集中している振りをして無表情を取り繕っているけど、その瞳が揺れている。どんなに自信に満ちて大きく強くみせても、まだ十歳の少年なのだ。私にとって初めてのお友達との約束が宝物であったように、アレックス王子にとっても大切な約束だった。私の都合で約束が守れないことで、傷つけたくはない。

「会いたいと思ってます……きっと。アレックス王子と同じ時間を共有して、約束したんですから宝物です。でも、会いたくて、会いたくても会えない事情があって苦しいです。だから悲しくなることは思わないでください」

 ほら、そうやってきらきらの笑顔を見せられたら、私はとっても苦しくなる。ごめんね、アレックス王子。会いたいけど、会えないんだ。ノエルとしてできることで貴方を助けていくから許してください。

 アレックス王子とカミュ様と笑顔で別れて、王族の控室をようやく解放された時には舞踏会から子供の多くは帰路についていた。私もすっかり疲れてしまって、ジルに聞いてもらいたいことがたくさんあったのに、帰りの馬車で深い眠りに落ちる。疲れた私が垣間見た夢は秘密の丘で遊んだ日の思い出だった。





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