2018年12月4日火曜日

二章 三十二話 ヒロインと教会 キャロル13歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります


 高級店が並ぶ通りをずっと南下していくと、街並みが少しずつ変化する。増築を繰り返した一階と二階で色合いが違う家が増えて、繋がる様に家が道の両脇に並ぶ。時折ぽっかり空いた場所には井戸があり小さな広場になっていた。そこでは、貴族と違って隠されない子供たちが仕事の手伝いをしている。水汲みをする子。野菜の皮むきをする子。赤ちゃんを負ぶってあやす子。思い思いの言葉でお喋りを交わす。郷愁、そんな言葉が浮かぶ。前世の私の世界と全く異なるのに、どこか懐かしい空気に私は目を細める。
 予定通りの道を見つけて曲がろうとした私の腕をジルが掴んだ。

「申し訳ありませんが、そちらの道はお辞めになった方がよろしいかと存じます。三つ先の道から遠回りですが参りましょう」

 止められた道の先には、店先で串刺し肉が香ばしい匂いをさせていたり、水の張った樽にフルーツを浮べて販売していたり、高級店が並ぶ通りでは見られない光景が広がっている。更に、奥の方からは聞いたことのない不思議な音楽と歓声が聞こえた。

「なんだか楽しそうです。だめですか?」

 少しだけ首を傾げて聞く。このお願いの仕方はジルの駄目を崩すのに抜群の効果がある。通じるうちは、ジルの中で私は小さい子供のままという証拠なのだけど。
 立ち止まる私たちの横を二人組の子供が旅芸人が来てるよ、とはしゃぎながら過ぎていった。

「旅芸人! 私見たことありません!! 通り過ぎるだけでもいいです!!」

 物語の中でしか知らない旅芸人の姿は一度見てみたかった。彼らは色々な国を旅してまわる。その元は遥か昔、遠く南の草原で滅ぼされた小国の王族で、旅芸人に姿を変えて逃げ延びたと言われてる。嘘か本当かわからない話。それを信じたくなる程に彼らの芸は素晴らしいそうだ。

「いいえ。この先は花街です。例えどんなにお願いされても、お連れするわけにはまいりません」

 花街という言葉の意味に私は頬を赤くする。食べ物ばかりに目が行ってしまったが、他のお店は女性向け宝飾や贈り物の品物が溢れていた。どの店も普通の商店にくらべて妙に垢抜けて商売っ気がある。

「花……街ですか。そ、それは確かに私が出入りして噂になるわけにはいきません……ね?」

「そうです。可愛い当家のお坊ちゃまが出入りするには、少しお早いですね。先ほどの子供たちも後で見つかったら、親御さんに怒られます。小さい子には早い場所ですからね」

 そう言って、ジルが小さく笑う。言い回しがお父様の従者のクレイに少し似てきた。クレイは絶対お手本にしちゃダメと、後でちゃんと注意しなくてはいけない。
 ジルの教えてくれた道を行くと灰色の石造りの塔が見えた。ヒロインの暮らした教会だ。舞踏会の日から私を悩ませる彼女の存在。会ってみたら? そんな考えが何度も頭をかすめた。でも、サラザン男爵は縁がないし、急に会うのは変だと自分に言い訳する。今の私が踏み出せるのは、彼女がいた場所を訪れる事まで。

 教会と繋がる様に木造の建物がある。孤児院と診療所だ。この国では教会は人を救う事全般に携わる場所として機能している。神官様がお医者様のような事をしたり、修道女が産婆をすることもあるそうだ。教会の扉が開いて五十台の神官服の男性が中から出てきた。

「おや、こんにちは。神のご加護をご所望でしょうか?」

 柔らかい笑顔で、私たちに問いかける。私は用意してあった言葉を告げる。

「こんにちは。ご加護もですが、後学の為に診療所と孤児院のお話が伺いたくて参りました」

「お見受けしたところ、貴族のご子息様でいらっしゃいますね。ご興味を持っていただけて光栄です。では、先に教会にてお祈りをどうぞ」

 教会の中はそれほど広くない。祈りを捧げる人たちの為の長椅子が六つ並び、前方に据えられた台座の奥には王家の紋章にも描かれた光の女神の像が据えられている。女神の守護があり、光の属性に満ちた空間。彼女の強い魔力を作った場所。
 台座の前に立った神官様が私たちに長椅子を進めてくれる。礼をしてから席に着く。

「ご子息様、宜しければお名前を伺えますか?」

「申し訳ありません。今日は家族に告げずに立ち寄っております。一度皆さんの暮らしを学びたかったのです」

 神官様が頷く。教会も孤児院も診療所も、貴族とは縁のない場所だ。でも、志や純粋な興味に駆られてしばし若い貴族が尋ねて来るという。私も庶民の生活を学ぶ為に立ち寄った貴族の少年として神官様に映っているだろうか。

「心優しきお心に感謝を致します。では、光の女神の物語六章を捧げましょう」

 神官様が読み上げるのはこの国の光の女神の一説、朗々と響く声が教会にこだまする。ガラス窓から注ぐ柔らかい午後の日差しの中で、独特な抑揚のある響きを聞いていると自然と神聖な気分になった。波立っていた胸が少しだけ凪いでいく。

「汝に光の女神の祝福を」

「……ありがとうございます。実は教会は今日が初めてです。不思議と神聖な気分になるものですね」

「その言葉は大変嬉しい。マールブランシュ王国はあまり信仰のない国なので、神官の仕事は殆どありません。たまに来て下さる方には歓迎をこめて、たくさん祝福を送ることにしております。気持ちだけのことなのですが、お気に召して頂けたなら幸いです」

 神官様が嬉しそうに笑う。この国では神官は祈りの言葉より、人を救う技術を持つお医者様として求められることが多い。ちなみに我が家のお抱えの医師も元神官だ。
 
「では、孤児院と診療所に案内いたしますね」

 教会の裏側に孤児院の出入り口がある。古い建物だけど、綺麗に掃除が行き届いていている。壁に沿うように並ぶ子供のおもちゃは、きちんと子供たちに片付ける事を教えている証拠だ。

「ただいまー」

 神官様の声に子供たちが飛び出してくる。おかえりなさい、笑顔で迎える子の顔は明るい。私とジルをみて口々に誰? と問う。

「神官父さんのお客様だ。今日はみんなのお家の紹介をするから、いい子にしてるんだよ」
 
 子供たちが声を揃えて返事をする。その姿がとても愛らしい。今は上が10歳で下は3歳まで、5人の子供を育ててると教えてくれる。子供たちに囲まれて孤児院の中を見学する。小さな子の部屋、大きな子の部屋、神官様のお部屋、トイレ、湯あみ場、調理場、食堂。決して大きくないそれら部屋には壁や棚に子供の絵や紙の作品が飾られている。歩くと音を立てる床も表面はきれいに磨かれていて、古くても清潔な住まいだ。ここがヒロインの育った場所。

「うちは神官の私と元修道女の妻、それから近隣の方のお手伝いで成り立っているんです」
 
 王都には東西南北に合計4カ所同じような施設があるそうだ。12歳までの子を育て、13歳になると職人や商店に弟子入りさせる。ワンデリアの工房でも引き受けられたらと、小さな思いが生まれる。何か新しい事に触れるのはとても大事なことだ。

「運営は色々大変ですよね?」

「王都は人の出入りが激しいですが、収入の安定した定住者も多いです。ここに預けられる子は、それほど多くはありません。これが商業都となると違います。うちの倍以上の子を抱える孤児院も少なくないんです」

 この子たちの両親は一体どうしたのだろう。そんな疑問がよぎるけど、笑顔を浮かべる子供達の前で口に出すことはできない。明るい笑顔がほんの少し私の気持ちを救ってくれる。

「経済状況は厳しいですか?」

「収入は恥ずかしながら、喜捨より診療所の方がメインです。神官父さんと、神官の名をつけて呼んでくれるのは子供たちだけです。近隣の方には診療所の先生の方が通りがいいんですよ」

 悪戯っぽく笑う神官様には、僅かな会話の中でもその人柄の温かさが滲み出る。神官様と自然に手を握り合う子供たちの姿に、ここは優しい場所だと思う。

「神官父さん! ルナのおかげなの忘れてるよー! ルナが偉くなって、たくさんお金を送ってくれたの!」

 ヒロインの名前。ゲームの中では好きな名前を付けることもできるけど、指定がなければルナという名前で始まる。私もその名前のままでゲームを楽しんだ。そうかルナなんだね。遠い友達を想うようにその名を想う。
 
「ダメ! ルナが偉くなったのは秘密だって、神官父さんが言ったでしょ。ルナの迷惑になるんだよ!」

「えー。嫌だー。ルナの事話したい。ルナは偉い人のお家の子になったんだよ。すごいんだよー」

 神官様が頭を抱える。きっとルナの事は秘密にしておきたかったのだろう。子供たちにも言い含めていたに違いない。少し年の大きい子達は慌てた様子で小さい子の口を押える。

「ルル、ネロ、お口を離してあげていいよ。みんな分かったから、しーーだよ。ちょっとだけ静かにね」

 困った顔で笑って子供たちを静かにさせると、少しまじめな顔で神官様が私に向き直る。

「……実は3か月前までもう一人女の子がおりました。良縁があり貴族の方の養女になったのです。とてもしっかりとした良い子です。ここでの暮らしは社交界で、決してよい話にはならないでしょう。できれば内密にして頂けると助かります」

 そういって、神官様が深々と頭を下げる。とても大切にみんなに愛されてる。それを素直に受け入れられずに胸が苦しくなる自分は今すごく嫌な奴だと思う。小さな子供の手が私に触れる。小さな手は握りしめた私の拳を解いて潜り込む、柔らかい手の平がぴたりと触れ合った。

「安心してください。私は口外致しません。お会いすることがあれば、力になりたいと思います」

 私は上手に笑えたかな? 私の言葉に神官様がもう一度頭を下げる。力をくれた小さな手が私を引いてくれる。

「ルナの絵があるの。見せてあげる。覚えて優しくしてあげてね!お兄ちゃんはかっこいいから、仲良しになれたらルナは喜ぶよ!」

 案内してくれた先にある絵は、白黒の小さな子供の落書き。頑張って書いてあるけど、人物を特定するのは少し難しい出来上がり。でも、半月の形に書かれた目も大きな口も楽しそうに笑っているのが伝わる絵。思わず笑みが零れて、引いてくれた子の頭をそっと撫でる。

「うん、とっても上手だね。覚えるよ」

「ルナはね。ピンクの髪にピンクの目だよ。髪はふわふわなのー」

「違うよー。ルナは茶色の髪に茶色の目だってばー」

「赤だよー。髪の毛はふわふわーなんだよー」

「違うよー。ピンクに茶色だよー」

 子供たちがルナについて論争を始める。思い思いにルナを語る姿に神官様は苦笑いだ。

「ルナは昔、病気がちだったんです。淡い色の髪が、室内で寝ていた時とお日様の下にいた時では子供に違って見えるんでしょうね。この話になると、いつもちょっとした論争です。ルナはピンクの髪に、ピンクの瞳の柔らかそうな髪の女の子です。可愛いので是非仲良くしてやってください」

 ゲームで見慣れた砂糖菓子のような女の子が、子供の絵と同じ屈託のない笑顔を浮かべる。みんながきっと好きになる。私もなれるかな? ここで育った彼女なら、この子たちと同じ笑顔に温かい手を持っているのだろう。
 彼女が悪い人な訳じゃない。彼女自身が私を罠にかけるわけじゃない。私はノエル。だから、大丈夫。

 子供たちに別れを告げる。また来てね。今度は遊ぼうね。お土産を持ってきてね。ちゃっかりとした言葉を混ぜながら子供たちが見送ってくれた。
 さらに、診療所に案内してもらう。薬を調合するための部屋、患者さんを見るための部屋、ベットが二つの入院できる部屋。

「一人で南部の庶民を抱えるのは、大変ではありませんか?」

「最近はよい回復薬も安く出回っていて、小さな病で訪れる人は減っています。ここに来るのは凌げない者だけです」

 本当に生きるか死ぬかの状態を抱えている人と向き合う。どれ程大変なことなのだろう。生き死にと戦う誰かと、その親しいものを間近見つめ続ける日々。私は、まだきちんと人の死を知らない。前世でも今でも、近しい死の経験がない。悲しい思いをさせたことはあるけど失った側じゃない。どれ程、苦しくて悲しいのかを想像する。理解できる。でも、きっと現実はもっと心が痛いはずなんだ。
 
 感謝を述べて、喜捨の為に用意したお金と回復薬を渡す。シュレッサーの薬の中でも良いこの薬は、この診療所の役に立てるはずだ。薬の中には魔力の回復薬も含めた。ここには本来必要ないものだけど、いつか魔力が必要な誰かの役にたてるといい。これは自己満足の為の行動だけど、私の中にほんの少し安堵をくれる。

「こんなに頂いてしまって宜しいのですか? うちの教会は下町専門ですから、こんなに頂いたことがないです。どうお礼をしたらいいか……もう一度祝福いたしましょうか?」

 慌てる神官様をジルが宥める。孤児院と診療所にお役立てくださいと伝えると、深く頭を下げられた。

「本当に有難うございます。ルナの事ですが、僅かでもいいので気にかけてやってください。本当にお願いします。二度とこちらに関わらないよう言って聞かせました。絶対に嫌と泣いて嫌がりました。でも、社交界がどのようなところだか、私も貴族の端くれにおりましたからよく存じております。寂しがっている筈なんです」

 小さな教会の神官は下級貴族の子がつく事が多い。志を持って目指す者、文官も騎士の道もなく進む者、社交界のしがらみに疲れて選ぶ者、ここで仕事にいる神官様は自分の道をみつけた者だ。
 社交界を知る彼の判断は正しい。ゲームの中で彼女に向けられた言葉は決して甘くない。厳しく突き放しても、尚その未来を心寄せる気持ち。

「貴方は彼女にとっての本当の父親同然なのですね。気に掛けるように致します」

 神官様は泣きそうな笑顔で見えなくなるまで私に手を振る。
 暮れかかる街に、温かい食事の香りが漂う。一日の終わりは誰にも訪れる。私が彼女を知るために過ごした日、彼女は何をして過ごしたか、私の大好きな人は何をしていたか、友たちはどうしてるのか、みんなが毎日を別々に生きてる。シナリオと戦うと決めた世界には、一人一人のシナリオがある。
 ここに来てよかった。神官様と小さな子供たちが願った彼女の幸せ。彼女に出会っても私は顔をそらさず見つめることができるようになったと思う。


 アングラード本邸に辿り着くと、玄関前で馬車が慌ただしく用意されている。従者のクレイが身に着けているのは、真っ白なシャツではなく黒いシャツ。どこか不安になる全身黒一色のその装いは、人が死んだ時のマナー。

「クレイ、何かあったのですか?」

 馬車から降りて慌てて駆け寄ると、玄関から同じように黒の装いに身を包んだ父上が現れた。

「これから、王城に行く。国王陛下が世を去られた」

 アーノルド・マールブランシュ国王陛下、私が公の儀でお会いしたアレックス王子の祖父。

「どうして……?」
 
「随分前から危ない状態だった。先ほど一報があった暫く私は帰らないと思う。ノエル、留守を頼む」

 しばらく忙しい、そう言ったアレックス王子もカミュ様も陛下が危険な状況を知っていた。今、どんな気持ちでいるの?

「父上、アレックス殿下に……」

 繋ぐ言葉が見つからなかった。きっと悲しいとわかっているのに、誰かの死を知らない私には、とっさに掛けるべき言葉が見つからない。告げない言葉を待たずに父が答える。

「……ノエルが心配していたと伝える」

 父上が乗り込むと、馬車は滑るように王城に向けて出発した。



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