2018年10月29日月曜日

短編 ★ 雪の日に……撮る? 撮られる?




 今年、初めて雪が街を包む。

 漸く雪が止んで、朝陽が昇り出す前の街はまだ静か。
 だから、黒と白の世界には僕の足跡だけが残る。

 それが楽しくて、何度も振り返りながら何処までも歩く。
 でも、小さな丘がある公園には先客がいた。

 小さな足跡を、塗り替えるように踏んで歩く。

 茜色の朝焼けに染まり始めた白い世界に、頼りない背中が見えた。

 彼女の名前を僕は知っている。
 学校で時々すれ違う事があるからだ。

 話したことはないのに、目で追うようになったのは何故だろう。

 花壇の花をカメラ越しに見つめる眼差し。
 シャッターを押す細い指。
 撮影の出来映えが、すぐに浮かぶ素直な唇。

 小さなアクシデントに見せる笑顔。

 いつからいたのか。今日の彼女は白い雪を頭にのせてる。

 白い吐息が柔らかな弧を描いて、凛とした朝の空気に消えていく。

 雪の下の小さな枝を踏んだ音が、静寂の中で彼女に合図を送る。

 朝陽の中で、カメラから目を離した彼女が僕を見た。

「おはよう? 貴方の事、知ってるわ」

 小さく小首を傾げると。頭から雪が更々と音をたてて落ちる。

「おはよう。僕も君の事を知ってる。今日はいい写真がとれた?」

「うん。最高の一枚が撮れた」

 目眩がしそうな笑顔を彼女が浮かべて、僕の中の何かを溶かす。

 親指と人差し指で作った即席の心のカメラで彼女を撮る。

「何それ?」

「心のカメラ。 僕もカメラを持ってくればよかった」

「撮る人なの?」

 その言葉に首を傾げる。
 カメラに興味はない。
 ただ、君のいる景色を切り取って見たかっただけ。

「撮らないかな?」

 彼女を不満そうに頬を膨らませる。

 白い朝の光と白い雪の世界。
 遠くで動き出す街の音が音が聞こえ出す。

 毎日は、ただ変わらない。だけど、今日みたいな特別が時々起こる。

「突然だけど、君が好きなんだ」

 真っ赤な顔で彼女は、僕に向かってシャッターをきった。


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2018年10月27日土曜日

一章十四話   侯爵子息になります!【一章最終話】 キャロル9歳



 マリーゼが瞬く間に私の髪の毛を切りなおして整える。その間に私は眠れない夜に温めてきた「悪役令嬢喪失計画」おばあ様対策の部分をジルとマリーゼに話す。もちろん前世の部分は秘密だけど。

「ジルは先に本邸に行ってください。以前使ってくれた風魔法で応接室の中の様子を伺って、私の名前が出そうならどんな手段を使っても止めて下さい。責任は私がとりますから」
「かしこまりました。でも、その前に失礼します」

 片手をジルが振ると髪を強い風が吹き抜ける。切った時に落ちた髪がきれいに飛び去った。本当にジルは気が利く。私も着替えてから追いますとね、と告げると。ジルは頷いて本邸に向かった。

  先ほど運んできた箱から、マリーゼが男子の礼装を取り出す。ジャケット、ベスト、シャツ、靴下に靴、全て本邸の倉庫にしまわれていたお父様が小さい頃のものだ。お父様を驚かせたい、そんな嘘をついて事前にマリーゼに揃えてもらっておいた。

「一体いつからこのようなことを考えていたんですか?」
「かなり前から……でも、ずっと使うかは迷ってたんです。本当に最後の切り札のつもりでした」

 自分が男の子としてどこまでやれるか? 誰がこんな無茶についてきてくれるのか? なによりも、小さい頃から夢見てきた令嬢としての未来は全て消えることに迷っていた。
 
「でもね。マリーゼ。切り札は案外きってみたら気持ち良いです。ジルとマリーゼが背を押してくれたし、騎士も文官も当主にもなれます。令嬢の時では決して届かなかった未来です」

 悪役令嬢として公にならないから、シナリオにさようなら! これは心の中でだけ呟く。

「お嬢様にすっかり騙されましたわね」

 マリーゼが苦笑いする。ごめんね、と私も笑う。お父様の小さい頃の服は、本邸の保管室からマリーゼが選んだからサイズはあつらえた様にぴったりだ。最後に髪にクリームをつけて整えなおす。

「さあ、お嬢様……いえ、お坊ちゃま。マリーゼがこの国で一番の貴公子にさせて頂きました」

  鏡の中の新しい自分はちゃんと男の子だ。世界で一番キャロルを可愛いといってくれるマリーゼが、世界で一番の貴公子にしたと宣言してくれたから私は胸を張る。
 机の引き出しから一枚の手紙を取り出す。そしてジルのくれたジュエリーボックスから青い猫を取り出して胸ポケットに入れた。

「では、行ってきます! マリーゼ、お母様がこちらに戻ったら、この手紙を渡してください」
「ご成功を祈っております、お坊ちゃま」

 礼をして送り出すマリーゼの声を背中に私は駆けだす。お父様の書斎から、隠し通路を抜けて本邸の書斎に向かう。

「キャロル様……」

 書斎につくと男の子の服に身を包んだ私にジルがやっぱり驚いた顔をする。私がにやりと意地悪な笑顔を返すとジルは困ったように笑顔を返して跪く。

「ジル、どうですか?かっこいい?」
「はい。我が主。今からどのようにお呼びいたしましょうか?」

 考えていた名前がある。キャロルは前世でクリスマスの歌の意味だ。家族4人で過ごしたあの世界でのクリスマス。我が家の食卓にならんだのは唐揚げとお母さんがつくるブッシュドノエル。失った家族との楽しい日の思い出。もう失わない自戒を込めて。

「ノエル・アングラード。私のことはノエルと呼んでください」
「かしこまりました、ノエル様」

 まだ、お父様とお母様はおばあ様の猛攻に耐えてくれている。お母様を引き離すために、伝達魔法でクレイに私が倒れてお母様を呼んでいると伝える。伝達魔法の美しい蝶が壁をすり抜けていった。
 クレイなら私の名前を出すことなくお父様に伝えてくれる。そして、お父様は必ず別邸にはお母様だけを戻すだろう。程なくして、ジルが口を開く。

「ノエル様、動きました。奥様がたった今、大奥様のもとを辞去します」
「お母様は大丈夫そうですか?」

 ジルが表情を消して頷く。一緒にいる時間が長いから、そんな顔でうなずくのは、私の耳にいれたくない時だ。きっと、お母様はひどくおばあ様に責められたのだろう。それでも、お父様とお母様は私の事を伝えず、家族でいるために耐えてくれた。
 階下の扉が開く音が大きく響く。その音に、書斎の窓から別邸へ続く道をみると、私の為に必死で走ってくれるお母様が見えた。心配かけてごめんなさい、今度は私が助けるから。

「では、いきます」
 
 ここからは、その場を乗り越える度胸と狸! 胸ポケットに手を当てる。硬い感触は八歳の時に出会った天使のような少年のくれた猫の置物。幼いけれど、堂々として決して誰の下にも立たないアレックス王子。彼が私のお手本だ。私は書斎のドアを開けて、おばあ様がいる応接室に向かった。

 廊下に出ると、私を知らない本邸の使用人たちが驚いた顔で見つめてくる。何事かと口を開きそうな気配の使用人たちを一瞥して、口もとに人差し指を当てて少しだけ微笑む。静かにとの合図が伝わったのか、使用人たちは息をのんで動きをとめた。私は胸を張り優雅に少し大股で歩き始める。私の後ろを歩くのがジルであることに周囲が気づいて、公になっていなかった当主の子供である事を察する。

 応接室の前に立つと周囲が止めるべきなのか困惑するのが伝わった。誰かに止めに入られる前にジルが軽く扉を二度たたく。いきますよ? ジルの目がそう問いかける。私が頷くと扉はゆっくり開いていた。

 初めて来る本邸の応接室の奥には、上品な初老の貴婦人が座っている。無表情にこちらを見つめるその顔は唇がお父様によくにている。この人がバルバラおばあ様だ。
 こちらを伺う顔に、見つめ返してからゆったりと微笑んでみせる。次にお父様の方を見る。お父様は面白そうな顔で笑顔でうなずき返してきた。予想通りこちらに乗ってくれそうだ。

「お父様、お母様の言いつけでこちらに伺わせていただきました。おばあ様にご挨拶をしてもよろしいですか?」
「あぁ、もちろんだ。ご挨拶なさい」

 おばあ様の側にゆっくりと歩み寄ると椅子の側で右足を引いて跪く。男の子の礼だってきちんと覚えている。結婚したら旦那様の力になれるようにきちん男性のマナーも覚えておいた。左胸に右手を当ててから、私は名乗る。ふれた胸ポケットの猫が、胸を張って楽しんで笑えと教えてくれる気がする。

「はじめまして。ノエル・アングラードと申します。バルバラ様にようやくお会いできて嬉しく思います」

 私が左手を差し出すと、おばあ様は一度席を立って相対して右手を載せてくれる。私は、思いの他小さなその手に唇をあてる。そして気を抜くことなく、おばあ様の手をそっと丁寧に返す。

「バルバラおばあ様とお呼びしてもよろしいですか?」

 私は人懐っこそうにみえる笑顔でたずねる。思わず小首をかしげそうになるのは我慢。今は男の子。

「かまいません。素晴らしい挨拶でした。席におつきなさい」
「ありがとうございます、バルバラおばあ様」

 私から視線を外すと、お父様に計るような視線を向ける。無表情を装っているけど、多分おばあ様にも動揺があるはずだ。女の子だとおもっていたのに現れたの男の子。私と会った驚きより、まだ不審に思う気持ちのほうが大きいだろう。我が家の執事と思われる男性が父の隣の席を引いてくれる。私が席に着くと同時に、早速おばあ様が口火を切った。

「レオナール、どうして男の子なら私のところに早く連絡をしないのかしら?老い先短い母親の願いを知らないわけではないでしょう?」

 男の子なら隠す必要はないというおばあ様の当然の指摘。さて、本家狸はどうでる? 席についてお父様を仰ぎ見る。お父様は相変わらずの表情だ。

「私だって随分悩んだんだよ。しかし、私とソレーヌには二度と会いたくないといったのは母上だ。」
「……だからと言って、大切な跡継ぎが生まれたなら知らせるべきでしょう?」
「それはお互いさまでしょう。そちらからも何の音沙汰も無かった」
「親不孝ね」

 温度の下がる会話の応酬の中で眉間に皺を寄せたお父様が、表情を変えてお得意のちょっと困った笑顔をおばあ様に向ける。この甘い笑顔でたくさんの人をうやむやに撒いてきた常套手段。

「確かに、いい年をして私もむきになっていたのは認めるよ。母上、申し訳なかった」

 でも、おばあ様は顔色一つ変えず、謝罪するお父様を冷ややかに見つめている。私は援護にまわる。

「よかった。私に会いたい思って頂けていたなら光栄です、おばあ様。お二人のことは、いつもお父様にはぐらかされてきました。今回だって、お母様が送り出してくださらなければ、お会いすることは叶わなかったでしょう」

 お母様をあげて、お父様をおとす。私の援護射撃にお父様が本気で嫌な顔をする。でも、おばあ様はちょっと唇を歪めて、あわてて扇で口元をかくした。その笑みはきっと不快の意味ではないと思う。

「ねぇ、ノエル。ひとつ伺ってもいいかしら?」
「なんなりと、おばあ様」
「舞踏会の衣装はもう注文されたのかしら?」
「いいえ。アングラードのおじい様、おばあ様に携わって頂きたいとお母様はお考えでしたので、まだ私の分は注文しておりません」

 おばあ様が一応頷く。これだけでは弱いのは分かっている。既に女の子のドレスが注文されていることは知られてるのだ。だが、それは誰がいつ使う為のドレスと名札がついているわけではない。
 嘘は言葉が少ないほうがいい。勝手に解釈してもらう。今回もお父様の隠し子とか邪推してしてもらえたら拾い物だ。
 でも、残念ながらおばあ様の方は質問を止める気はないようだ。更に口を開こうとするおばあ様と、応戦するつもりでいた私の間に父の囁くような一言が割り込む。

「我が家には精霊の子がいる」
 
 お父様の突然の言葉に、おばあ様が目を見開く。私の方も見知らぬ言葉に、顔には出さず慌てる。
 お父様が足で私の足をたたく。なんか言えってことだよね? でも、なんて? 事前情報がないのはわかっているから、素直に子供らしい反応を返してみる。

「お父様、精霊の子とはなんですか?」

 お父様は悲しそうな顔で首をふって、私の頭を撫でて応える。もちろんこれは演技だろう。

「我が家に幸せを運んでくれる精霊がついているからノエルは安心だってことだよ。ねぇ、母上?」

 おばあ様がはじかれるように顔をあげる。その目がうるんで見えるのは気のせいではない。精霊の子ってなに?

「そういうことね。私は帰ります。ノエル、お会いできてうれしかったわ。あなたの衣装は、デザイン画と生地を用意させて後日おくります。楽しみになさってね」

 そう言って、おばあ様が席を立つ。使用人がその肩にケープを掛ける。精霊の子……初めて聞く言葉に何もかもを治めたおばあ様。結果は出たけど、私の中に疑問が残る。
 玄関ホールまでおばあ様を見送りに出る。おばあ様の顔はもとの無表情だ。むしろ、値踏みをするような鋭い目で私を見つめる。そして、頭に軽く触れた。

 「ノエルは、レオナールの子供の頃に似ているわ」

 それは本当にご遠慮したい。私はいつも言っているけど、お母様に似たいのだ。でも、おばあ様の瞳から初めて優しいものを感じたから、私は心からの笑顔を返す。

「いづれまたお会いしましょう、ノエル」
「はい。楽しみにしています。お元気で、バルバラおばあ様」

 こうして、私はノエル・アングラードとして初めて人と対峙した。緊張で今すぐに座り込んでしまいたい。本邸の使用人たちにお父様とともに暇を告げて、隠し通路から別邸に戻ることにする。

「ふっ、はは……」

 通路に入って人目がなくなるとお父様が笑いしだした。クレイも口元を抑えて笑ってる。面白いことなんて一切ない。

「何がおかしいのです! お父様!!」
「ごめん。君はやっぱりアングラードの子だよね。母上もいっていただろ? 私に似てるって」
「不服です!」

 笑いを収めるとお父様が私の短くなった髪に触れる。楽しそうに笑いながら、何度も何度も短くなった髪をなぞる。
 「悪役令嬢喪失計画」を立てた時に、未来の自分に当主の種をまいていたお父様に気づいた。与えられた課題、女の子には本来任されることのない役割。それらに興味を惹かれる私に、嬉しそうに自分に似ていると言う。それは当主として自分の跡を私に任せる道を見ていたから。

「お父様は、私がアングラード当主の跡つぎの道を選ぶことを喜んでくれますか?」

 それを当主として期待していたはずだ。言い出す可能性が生まれるような仕掛けもしていた。だから、私が突然男の子の姿で表れた時も、決して驚かなかった。

「もちろんだよ。君がその道を選んでくれるなら、現当主として本当にありがたいと思う」

 でも、決してそうせよと口にしなかったお父様。いつでも私を可愛い天使と呼び続けたお父様。
 いつもと変わらない表情で、私の短くなった髪を何度も行ったり来たり、長い髪を思い出すように触る。お父様は本当に狸だ。
 当主としての行動の中、私を女の子のまま手元に置きたくて迷ってくれたんだよね。 今だって 当主として嬉しいとは言ったけど、父としての気持ちは押し殺してる。当主の気持ちじゃなくて、お父様の気持ちはちゃんと私は知ってるよ。

「これで、わたしは当主の跡取り以外にも、文官にも騎士にもなれますね」
「そうだね。でも、私の子供である事は何になっても変わらないよ」

 そう言って、お父様が私を抱き上げて頬にキスをする。家族だけの時はキャロルになる時もありますよ?そう呟いたら、強く抱きしめてくれた。無言で痛いぐらい抱きしめるお父様の背中は震えていた。私は気づかないふりをして、いつもと同じようにお父様の首に震えが止まるまで抱きついていた。
 お父様がいつもの笑顔に戻って、隠し通路を手をつないで歩く。だんだん、お父様の顔色が悪くなってきた。

「お父様、どうかされましたか?」

 お父様からの返事がない。クレイが後ろでくすくす笑っているのできっと、お母様のことだなって察する。
 お母様にはお手紙を置いてきた。本邸に戻ってこなかったということは、お母様は私の考えを受け入れてくれたのと思う。そんなに怯えなくても大丈夫ですよ? 
 隠し扉をあけると、お母様がそこにいた。いつもの儚げだけど優しい笑顔で私を迎えてくれる。側に行くと、優しく抱きしめてくれた。

「ノエル、とても素敵です。見違えてしました。どこから見ても立派なアングラード家の跡取り息子です」
「ありがとうございます、お母様」

 私はお母様の言葉に安堵する。お母様はきちんと手紙を読んでくれていた。 

「お手紙を読みました。ありがとう。でも、一つだけお願いです。自分を犠牲にしないでね。あなたがもう辞めたいと思ったらいつでも辞めていいの」
「お約束します」
「わかりました。母はこの先もいつも貴方の味方です」

 体を放すと、お母様が私の短い髪を撫でてくれる。本当にとても似合いますよ。と愛おしそうに笑ってくれた。そして、ちょっとお外に出ていてね、とおっしゃるので私とジルが外に出る。

 何か素晴らしくいい音がしたとおもうと、いろいろなものがなぎ倒される音がした。
 一か月以上に及ぶお母様とお父様のケンカ。原因は私を当主にするか悩んでいたお父様に、お母様が反対をしていたのだと思う。私が当主の道を選んでしまったので……お父様、ご愁傷さまです。



 お母様へ

 突然、倒れたと嘘をついて申し訳ありません。私はとても元気なので安心してください。
 お母様は嫌がるかもしれないけれど、私は男の子になってこの家の当主となります。
 手紙を読んでくださっている時には、私は本邸でバルバラおばあ様の前に男の子として立っています。
 泣かないでください、お母様。
 予想されている通り、お母様を守りたいというのも決意した理由の一つです。

 でも、それ以上に私がなりたいんです。

 令嬢のままでは私の未来にある沢山の可能性が消えてしまいます。
 男の子として生きていけば、私は自分の望む道を選択する自由を手に入れます。
 当主にも、騎士にも、文官にも、何処か遠くにジルを連れて旅に出るのも楽しそうです。
 やりたことがたくさんあります。でも令嬢ではかないません。
 私のわがままを許してください。
 そして、私をアングラード侯爵子息として応援してください。
 本邸のことが片付いたら隠し通路から帰ります。
 どうか、いつもの笑顔で新しい私をたくさん褒めて下さい。
 お母様の笑顔が私を一番安心させてくださいます。

 キャロルより

 追伸  新しい名前は勝手にノエルにしました。素敵な名前でしょ?



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一章十三話 決意 キャロル9歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 工房の中には3人の職人が並んで座っている。憮然とした表情の恰幅のいい一番年上の男性がサミー、下を向いて俯いている若い男性はヤニック、そっぽを向いた女性がマノンだ。なんだか雰囲気が剣呑だ。
 周囲を伺っておずおずと最初に口を開いたのはヤニックだ。

「はじめまして、キャロル様……。工房に選んでいただき、ありがとうございました。ヤニックと申します」

 ヤニックの言葉に気づいたように、マノンとサミーが慌てて続く。

「選んでいたき感謝します。サミーと申します」
「マノンです。とても嬉しかったです。ありがとうございます」

 私は頷いて、余裕をもって貴族らしい微笑みをうかべる。何事も最初が肝心。子供だからと下に見て相手にされないように、貴族の威光でしっかり補う。私の気分は今から少し悪役令嬢だ。

「はじめまして、私はアングラード・キャロル。アングラード当主よりこの工房の主に任じられました。工房にかかわる人事、方針すべて私が一任されているので覚えておいてくださいね」

 3人が居心地悪そうに姿勢を正す。私に対して自分たちの行動が居心地が悪いと感じてくれたならいい傾向だと思う。ここからはちょっと賭けだ。3人に会う前にジルとじぃじに聞いた三人の性格から考え付く一番の配置と楔をうつ。お父様、どうか私にアングラードの狸の力を貸してください!

「三人はうまくいってないのですか?」

 冷ややかに私は問いかける。マノンとサミーが顔を見合わせて、お互いの不満を呟きあう。ヤニックはまた俯いてしまった。それでも怒鳴りあいにならないのは、先ほどの挨拶で私が上位だと理解しているから。
 私は大げさにため息をついて、小首をかしげて見せる。

「3人の作品の個性を見て技術バランスが良いように採用しました。喧嘩ばかりで機能しないのであれば意味がありません。次点候補の3人組と入れ替えも検討が必要かしら?」

 マノンとサミーが口を開いたまま固まる。跳ねるように首を上げたヤニックは二人に非難の視線を向ける。連帯責任。ちょっと酷いかもしれないけど、まずは3人には連帯する意識、3人で協力して競う意識を持ってもらう。もちろん次点候補なんていないから、はったりだ。

「申し訳ありません、キャロル様。大丈夫です。我々3人でご満足いただけるものを作らせていただきます」

 サミーが宣言する。多分この中でも一番この工房に執着してくれるのはサミーだと思う。偏屈で批判ばかり、彼の腕前が前の工房で評価させなかった原因。長年勤めていた工房を意気揚々とやめてここに来た時、選ばれた僥倖に期待する未来の他に、新しい自分への理想はなかったか?

「わかりました。私も今日が工房にくるのが初めてです。即断はやめましょう」

 3人が一様にほっとする。マノンもサミーもまだ若いけど、新天地への希望があったはずだ。人は変わるのは難しい。それでも、未来のために変わろうと決意する時がある。胸の奥がチクリと痛む。

「今日は、三人に役割と行っていただきたいことを話します。まず、サミー。工房長に任じます」

 額をこすり付けるようにサミーが頭を下げる。その肩は僅かに震えている。やっぱりこの人は変わりたかった人だと思う。ここからは上げて、落として背中を押してあげる。

「年齢はこの工房で一番上なので妥当な判断でしょう。よく面倒をみて後進の育成につとめなさい。でも、私は貴方の作品はあまり好きではありません」

 はじかれる様に頭を上げる。その目には怒りが燃えている。頑張って、私が最後まで言い切るまで耐えて。そう願った瞬間、サミーの手にマノンが触れて、目の中の怒りが少し揺らぐ。

「でも、それは私の好みではないから。癖が強すぎるあなたの作品は好き嫌いがわかれる。とても好むものもいるという意見もあり、技術は3人の中で群を抜いています」

 サミーの肩から力が抜ける。あと一息。僅かに小指をマノンがサミーに重ねている。喧嘩ばかりしてもやはり親子だ。

「技術力の高いあなたから見れば、他の者の作品の悪いところは目につくでしょう。それを批判するのは簡単。そうね、批判だけなら技術のない私でも好き嫌いがいえるわ。
 あなたは工房長として果たすべきなのはその先です。目についたことに貴方の持てる技術を相手に伝えて、それを取り込む道筋を示すこと。新しいあなたを模索しなくてはいけない、できますか?」
 
 あなたは変われますか?私はまっすぐサミーを見つめる。サミーの目は自分の右手を見て、左手を見る。そして、最後に自分の指にふれるマノンの手をみて、顔をあげた。はっきりと決断をしたその目に私は安堵する。

「承ります、キャロル様」

 私は頷く。あと二人。二人はまだ若いから、私があまり多くを言う必要はない。これから経験の中で切磋琢磨していくべきだ。だだ、ヤニックにはもう少し自信をつけてもらいたいので、思いっきり褒めておこう。

「次にヤニック。貴方はデザインの監督をつとめなさい。技術力はサミーに劣るけど、貴方の作品はバランスがとてもよい。デザインについては間違いなくあなたが一番の評価でした。サミー、マノンも彼の意見は大事にとりいれなさい。若くて言葉に出しにくいなら、デザイン画をたくさん書いて他の二人に見せてあげてちょうだい」

 ヤニックが大きくうなずいた。ここは大きな声で返事が欲しいけど仕方ない。

「マノン。あなたは量産できる品の開発に力を注いでほしいの。選考に出してくれた作品に玉に穴が開いたものを作っていたわよね?小さい屑石で村の女性が手間仕事にできるように試作してちょうだい。貴方たち職人にしか作れない貴族向けの高級な品以外に、村の人たちの手でも作れる何かを私はつくりたいの」
「待ってください。私も貴族向けの品がつくりたいのです、キャロル様」

 叫ぶようにマノンが懇願する。希望を抱いてきたマノンにとっては厳しいスタートに感じるかもしれない。でも、我慢してもらう。私は彼女の作品が好きだけど、私以外からの評価は厳しいものだった。

「あなたのデザインは貴族に通用するには幼いと評価されました。二年、村の人たちが携われる仕事を作る事に取り組みなさい。その二年で、サミーの技術とヤニックのセンスを盗んでちょうだい。私は今回の作品の中であなたの作品が独創的で愛らしくて一番好きでしたわ。期待しているわ、マノン」

 決意を固めるもの。胸を張るもの。拳を握りしめるもの。三者三様の反応の中で私は次回までに、サミーには男性向けの品を、ヤニックには女性向けの品を、マノンには新しいアイデアを形にするように命じる。
 新しい環境の中で、次に訪れるときに彼らが新しい未来に向けて一歩を踏み出していることを願って私は工房を後にした。
 屋敷に戻るために領主の館に戻る。ジルに抱かれてとりあえず一安心。慣れないことをしたせいで、精神的にすごく疲れた。帰ったらマリーゼもよんでジルと二人で思いっきり褒めて甘やかしてもらうことにしよう。

「キャロル様、なかなか面白い展開でした。工房のと貴方様の活躍をたのしみに致しましょう」

 そういって、じいじが私の頭を撫でて、慌てて「失礼」と謝罪した。小さい子供だと、つい撫でたくなるという。満足げな顔で笑う様子に、なんだか私試されていた気がしてならない。

「また、近いうちにいらっしゃいますか?」
「はい。一週間ぐらいしたら、また顔を出すつもりです」
「では、心よりお待ちしております」
「はい。ごきげんよう、じいじ、クララ、オレノ」

 私はそう言って3人に手を振って、隠し通路に入った。元気に手を振ってくれるクララ、一拍遅れて手をふるオレノ、満面の笑みで手をふるじいじ。ワンデリアに受け入れてもらえそうなことがとてもうれしい。

 ワンデリアから帰宅するとなぜか書斎にお父様がいた。職人の話を報告して、オレノの息子に会ったことを報告する。

「あぁ、ツゥールか。珍しいな村に帰ってきたか」
「はい。ご存知ですか?坊主頭で粋な感じの方でした」
「変わっていただろ? オレノの次男で石が好きであちらこちらを旅して歩いてる」

 確かにあの村の中で少し空気の違う存在だ。同じものを着ているのにお洒落で行動もあか抜けている。石が好きなら今度はもう少し色々話をしてみたい。

「そういえば、お父様は今日はお早いのですね?」
「……今日は来客があってね。キャロルは午後はお部屋にいなさい。新しい本を買ってきたから読むといいよ」

 お父様のいつもの笑顔。でも、来客の言葉に私の体温がぐんぐん下がっていく。お父様に挨拶をして部屋をでると、ジルに誰が来るのか調べてくるようにお願いした。
 一人部屋に戻り、鏡を見る。鏡の中にうつるのは銀色の髪に紫の瞳をした少女だ。小さいけれど「キミエト」に出てきた悪役令嬢の面影がしっかりとある。でも、額をみればゲームになかった傷ある。ゲームとは異なることがあるんだという私の希望。
 前世を思い出してできる限りのことはしてきたはずだ。パラメーターの数字がみられるならきっと誰よりも高い自信がある。私の未来は絶対に変えられる。

 でも、本当に?

 マリーゼの書いた悪役令嬢のドレス、今日のワンデリアでの私、おばあ様の登場。悪役令嬢のシナリオを彷彿させる影に私はずっと怯えてる。頑張った結果が私をキャロル・アングラードを悪役令嬢から解放してくれる保証なんてどこにもない。
 今日訪れるお客様がおばあ様なら今度こそ私はお母様を失うかもしれない。失ってから私の努力が届かなかったと嘆いても遅い。
 もう後悔しない。絶対にみんなを笑顔に幸せにする。頑張る。前世を思い出したあの日に朦朧とする意識の中で私は宣言したんだ。必要なものは今ここにある。あとは全部いらない。切り捨てるのはほんの少し未来にあった小さな憧れ。でも、もういらない。

 ノックの音がしてジルが戻る。その表情に私は誰が来るのかを理解する。

「おばあ様がいらっしゃるのですね?」
「はい。もう少しでお着きになるそうです。今、旦那様と奥さまが本邸へ向かわれました」

 私は決意を固める。時間は残されていない。余計な情報を与える前に私は動く。

「ジル。マリーゼにちょっとしたサプライズのお願いをしてあるのです。その荷物を取ってきていただけますか?」

 私の言葉に、ジルは部屋を出てマリーゼの下に向かった。足音が遠ざかるのを確認して私は引き出しからはさみを取り出す。
 鏡に向かって、マリーゼが笑顔で整えてくれた髪を解く。銀の髪に口づけをしてから、耳の下にハサミをあてた。目をつぶって、嫌な音を聞きながら少しずつハサミの刃を動かす。髪を切る音とともに長い髪が床に落ちる音がする。涙が落ちる音は聞こえない。未練が落ちる音だけだ。
 反対側までハサミが周ると私はようやく目をひらいた。不格好で長さの揃っていない髪に思わず笑いが零れる。足元に落ちた一総の髪を編んでいく。
 そうしているうちに軽やかに廊下を駆ける足音が聞こえる。ジルの足音だ。

「お嬢様、おやめください!」

 やっぱりジルは気づくんだよね。マリーゼの用意した荷物をみたら直ぐに来てくれると思ってた。振り向くと、扉の前でジルが間に合わなかったことに立ちすくむ。私は笑って見せる。

「ジル、何があっても私についてきてくれますか?」
「ついていきます。でも、このようなことは、おやめください」

 私の側に来て、はさみをそっと取り上げる。床に落ちた髪の束を拾おうとしたジルの手を私の手が止める。

「ジル。私、やめません。私はこれから自分の大切なものを守るために全力をつくします。その為に、キャロルの名は捨てます。キャロルでなくなっても私の側についてきてください。私を助けて下さい」

 決意を固めて頷いてくれるジル。一総編んだ髪の毛ををジルの左手首に巻き付ける。騎士が主が忠誠を誓うときに左手にタイや腕輪を下だす。髪の一総は女主人が最も信頼する者に下すもの。

 ドアの前で箱が落ちる音がして振り返ると、泣きそうな顔でマリーゼが立っていた。
 
「お嬢様!どうして、このような……」
 
 ごめんね。マリーゼ。マリーゼは私を着飾るのが大好きだ。一生懸命用意してくれたデザインノートも無駄になってしまう。

「マリーゼ。助けて下さい。私を男の子にしてください」
「どうしてですか? マリーゼにはわかりません。可愛いらしいお嬢様がこのように髪を切って男の子にしてくださいなど、どうしておっしゃるのです?」

 マリーゼが私の側に来て、抱きしめてくれる。私はマリーゼを抱きしめ返す。もしかしたら、マリーゼはお母様よりアングラード侯爵令嬢として私を表に出す日を楽しみにしていてくれたかもしれない。

「私の未来のためにです。お願い、マリーゼ」

 マリーゼは分かってくれるはず。お母様付き侍女のアリアを母に持つマリーゼは私よりもおばあ様とお母様の状況をよく知っているはずだ。暫くマリーゼがいつも私にしてくれているのと同じように、私はマリーゼの背中を撫でる。真っ赤な目で顔を上げたマリーゼはふっと微笑んだ。

「お任せくださいお嬢様。この国で一番の貴公子にさせていただきます」

 さあ、私の奥の手をはじめるよ。「悪役令嬢喪消失計画」。シナリオの好きなようにはさせない。


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一章十二話 心配事 キャロル9歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 しばらくジルに庭を歩いてもらって、気持ちが落ち着いたころ別邸にもどった。入口では不安そうな顔でマリーゼが私を待っていてくれた。

「お嬢様、ジルも一緒のようなので大丈夫と分かっておりましたが、心配いたしました」

 庭を散歩してもらっていたと告げるけど、その顔色は晴れない。そんな、マリーゼの腕に飛びついて、耳元でお願いごとをする。ジルにも秘密のお願い。不思議な顔をされたから用意していた小さなサプライズの理由を告げると笑顔で頷いてくれた。
 ごめんね、マリーゼ。この保険が必要になったら、きっと泣かせてしまう。許してね……。

 ダイニングでお茶を入れてもらいお母様を待つ。早く会いたい。でも、お母様はきっと私には何も話せない。力になれない私は、お父様がお母様を慰めてくれることを心から願う。
 暫くしてお母様はお父様と一緒に帰宅した。お父様にも話が伝わり早く帰ってくれたのだと思う。お父様がお母様の肩を抱いていつも通りの帰りの挨拶をする。お母様も変わらない笑顔を浮かべてくれている。お父様はいざという時は頼りになるのだ。そのまま大事な話があるからとお母様とお父様はお部屋に二人で移動する。

「お父様、お母様をちゃんと慰めて下さってるみたいです」

 周囲に誰もいないことを確認して、ジルに話しかける。いつも通りの二人の様子に、さっきまで何の味もしなかったお菓子が急に美味しくなる。
 温かいお茶を飲んで心が温まると、お母様がお父様が望む限り側にいると言っていた時の事を思い出す。あの時のお母様は本当にきれいだった。いつか私も誰かのことを想って、そんな風に言える時が来るのだろうか。そう思うと、未来の誰かに少し胸がどきどきした。
 突然、激しく何かが床に叩きつけられる音が階上からして、私は慌ててカップを置く。ジルを伴って階段を昇れば、お母様の部屋の前でお父様がお尻をさすっている。

「お父様、どうされたのです?」

 珍しく罰の悪そうな顔を浮かべるお父様のシャツはボタンが3つほどなくなって前がはだけてしまっている。ついでにジャケットの片袖は取れかかっていた。

「キャロルお嬢様、レオナール様は、ご自分の失敗の尻ぬぐいをされます。お目汚しですから早くお部屋に。ジル、お嬢様の結婚に対する夢が壊れるとかわいそうだ早くお連れしなさい」

 あきれ顔のクレイの言葉に、ジルが私を抱き上げてお部屋に向かう。ジルの肩越しにこっそり覗こうとしたら、抱き方を変えられて見えないようにされてしまった。でも、お母様のお部屋のドアを叩いて、なんだか必死に話しかけるお父様がちらりと見えた。謝罪の言葉と甘い言葉を重ねているのだろう。こんな時に夫婦喧嘩とは、お父様、なにやってるんですか?!

 一か月がたっても、お父様の謝罪は実らない。毎日抱えるような花束を持って帰り、頑張っているようなのだが、お母様はお父様と口をきかない。こんな事は初めてだ。何を失敗したらこうなってしまうのか。お母様を失うのが、おばあ様がどうにかするのではなくて、お父様に愛想をつかすだったらという考えまで頭をよぎる。
 今朝も、お父様を完全に無視し、お母様は食事が終わると早々に席をたつ。私との剣の練習も最近お休みがちで、若い貴族夫人と頻繁にお茶会を開いているようだ。お父様とは妙な雰囲気だけど、おばあ様に対抗するために頑張っているのだと、私は信じる……信じたい。
 おばあ様はその後、現れていない。ジルが確認したところ現在は海の美しい遠くの領地に戻られているそうだ。問題は解決していないどころか、おばあ様とお母様、お母様とお父様になって九歳にして私は胃が痛い。

「キャロル、いいお知らせだよ。先日選定した職人のワンデリアへの移住が終わった」

 お見送り前にお父様から急な報告。驚いてジルを見れば苦笑いしているので、また私を驚かせるために進捗をジルに秘密にさせたのだろう。最近元気のないお父様の為に、元二十三歳の大人の気遣いで、驚きと喜びを表現して見せる。

「すごいです! 私はもう少し支度がかかると思ってました」

 お父様が苦笑いする。既に有名な者や高い評価のあるものはワンデリアへの移住は断られる可能性が高かったので、技術は高いが工房ではあまり評価を受けていないものを選考に集めたそうだ。合格した3人の職人は新天地へ意気揚々と移住していったらしい。正直、先が思いやられる予感しかしない。

「それでだ。キャロルはワンデリアのあの村にはいつでも行っていいよ。ジルは必ず連れていくようにね! まだ魔法がつかえないから、私の魔力がこもっているお守りを用意した。ジルに預けるので使い方は聞きなさい」

 お父様が、銀の台座に赤ちゃんの握りこぶしぐらいの黒い球が嵌ったものを二つジルに手渡す。魔力をこめると言っていたから、前世で知るお守りとは用途も意味も違うのだろう。

「私まだ公になっていないのに行ってもいいんですか?」
「ワンデリアは人の出入りがないし。あの村は特に地下渓谷が近くて領民も7世帯で少ないし、大丈夫だろう。キャロルはこれから職人との打ち合わせも必要だろ?」

 以前、おじい様もワンデリアは用がなければ立ち寄るものがいないと言っていた。今後職人との綿密な打ち合わせは必要だし、商品の開発も関わりたい。自由に行くことができるようになるのは私にとって良い話だ。私を隠そうとした以前との違いに引っ掛かりを感じながらも頷いく。

「村代表のオルガにはキャロルのことは伝えてある。大爺で耳は遠いがいざという時には頼れる人物だよ。この後、早速向かうかい?」
「はい。行きたいです!」
「では、連絡を入れておくよ。それから、ワンデリアに常駐させているアングラード私兵にいた子を村に一人戻したから着いたら護衛につけるように」

 そこまで言うとお父様が、右手をくるりと回す。いつか、本邸でおばあ様の元に飛んできた小鳥と同じものが現れる。改めてしっかり見るととツバメを少し小さくして真黒にしたような鳥だ。伝達魔法で作られた小鳥はそらを駆けて消えていく。

「お父様。あの小鳥は、なんというの?」
「ああ、ツーガルだよ。暖かい土地を求めて長い距離を旅する渡り鳥だ。機能的な形をしていてアングラードの者はよく愛用しているから覚えてい置くといい」

 朝食のあと比較的動きやすい洋服に着替えて早速ワンデリアに向かうことにする。
 お父様の書斎で引き出しから肖像画を取り出す。肖像画の上にお菓子が一つ置いてあった。これは食べてもいいよ、ってことですね!
 壁にはまだ届かないのでジルに肖像画をかけてもらう。なんだかそわそわしてしまう。非魔法の前世から魔法のある世界に生まれ変わった私の、魔法への憧れはものすごく高い。期待を込めた瞳で手をジルに差し出すとちょっと微笑まれてしまった。

「お嬢様はまだ自分の魔力は自由に出せないので、このお守りの魔力を利用します。片方の手に握ってください。握ったお守りから何か感じたら、ゆっくりでいいので自分の体の中を通して反対の手に伝えていきます。初めは難しいので、お守りから魔力を感じられたら十分です」

 お守りというのは魔力と魔法を溜めるものだそうだ。使い方は二通りある。一つは前世でいうところの電池みたいな使い方溜めた魔力を引き出して様々なものに流用する。もう一つは、魔法発動装置。叩きつけて割ることで、魔力を込めた人間が設定した任意の魔法を発動すること。
 今回の主な利用方法は前者の電池の役割だ。左手にお守りを握りしめる。ちゃんと心地よい温かさを感じる。私は魔法を発動するためのイメージを膨らませる。扉は豆電球、私は銅線、お守りは電池! かっこよさはないイメージだけど私にはわかりやい。壁に手をつく。心地よい感覚が体を流れていく。頭の中の豆電球のイメージが点灯する。いけそう!

「アングラードの闇よ。道をひらけ!」

 私の声に応えて、室内の空気が変わる。私にとって心地よい空気。手の周囲の壁から靄がわき出て、慌てて私は手を放す。あの日と同じように無事、真っ暗な地下に続く通路が現れた。人生で初魔法|(借りモノ)が成功です!

「ジル、出来ました!」
「一度でできるなんて素晴らしい。魔力を流す感覚は初めてでは難しいはずです。キャロル様は才能がありますよ」

 魔力を流す感覚ではなく、小学校理科の豆電球実験の感覚だったのは言えない秘密だ。でも、上手くいって良かった。この調子でゲートもうまく作動させる。ゲートを抜けるときはジルに抱っこしてもらう。やっぱり暗闇の海に飛び込むのはまだ怖い。
 抜けると、すでにワンデリアの領民が待っていてくれた。一人はとてもお年を召した男性で多分オレガだと思われる。もう一人は、坊主頭にきれいにちょび髭を生やした粋な初老の男性。そして、年のころは十四歳ぐらいと思われる少女が一人。

「ようこそおいでくださった、アングラード・キャロル様! こちらが領代のオレガ、私は……オレガの息子ツゥール、あちらは護衛のクララです。」

 三人が膝をついて一礼する。ここで思わず吹き出してはだめと自制。頭を意識してつるさんと呼んではだめです。ツゥールさんです! ジルの腕から降りると心を落ち着かせてて、淑女の礼を返す。思わずツゥールさんの名前に先に反応してしまったが、護衛が若い少女であることに驚く。

「ご覧の通りオレガはすでに老齢ですので。今日は私が案内をさせていただきます。私のことは気軽にじぃじとでも呼んでください」

 やはり名前は気になるのか頭を撫でながらツゥールが提案してくる。私もその方がうっかり間違えないで済みそうなので、頷く。

「こちらの娘はクララです。ワンデリアに常駐しているアングラード家私兵におりましたので魔物討伐はお手の物です。この村の出身で周囲のこともよく存じております」
「こんにちは、キャロル様。お仕えできて、うれしいです。私兵として四年働きました」

 クララは赤茶色の癖髪に日焼けした肌が健康的な少女だ。お日様みたいな笑顔がとても魅力的。年齢が近そうなので後でゆっくりお話をしてみたい。さっそく、ツゥル……じいじに言って工房に案内してもらうことにした。
 館をでると、以前夜に広がっていた光景と違う世界が現れる。広がる果てしない白の世界。

「すごいです。昼間の景色も壮観です!」
「キャロル様! この景色もすごいけど地下渓谷もすごいですよ! 魔物がいます!! いきたくないですか? いきたいですよね? いつでもご案内しますから!!」

 熱のこもった目でクララが私を地下渓谷ツアーに誘ってくれる。地下渓谷もいづれぜひ行ってみたい。でも、いきなり出かけたらワンデリア行きの許可が取り消されそうだ。丁寧に日を改めてと辞退する。

 工房に行く道で現在の状況を説明してもらう。今年は魔物が少なく、今のところ襲撃は一度だけ二体小物が現れただけで済んでいるそうだ。その襲撃での住居の破損は0。丁度、護衛の任務につくためにクララが帰郷していたため、私兵団に来てもらうことなく討伐が完了したそうだ。住居の破損がなかったことを喜ぶ。

「この村は大変実験的な取り組みをさせていただいております。ワンデリアにあるアングラード領で一番厳しい立地の村でしたが、キャロル様が色々ご提案してくださるおかげでこの先が楽しみですなぁ」
「ありがとうございます!じいじ!もっと私も頑張るので、皆さんも頑張りましょう」
 
 実際に住んでいる領民にそう言ってもらえるのはとてもうれしい。もったもっと頑張っていきたいと思う。私の言葉にジィジもオレガもクララも嬉しそうに笑ってくれた。

 岩山に差し掛かると、激しい怒鳴り声が聞こえた。なんだか嫌な予感がする。
工房の前で、若い女性の職人と恰幅のいい職人がにらみ合っていた。

「この、くそ親父ーーーー!!!」
「うるせぇー。はねっ返りが!もう少しまともな細工してから偉そうな口ききやがれ」

 今日もやっていますな、とじぃじが呟く。どうやらこの光景は日常茶飯事になってきているらしい。何が原因なのかと聞けば、作品をお互いに作るのだが全く個性が合わず最後に罵り合いになるとのことだ。他人ならば本来遠慮したり配慮できるけど、親子だから気安くなんでも言い合えるのが裏目に出ているようだ。

「キャロル様。どうにもあの二人には困っております。もう一人の職人は二人の争いには一切関わらない態度で仲裁もいたしません。何とかしていただけませんか?」

 じぃじが頭を下げた。工房の運営は三人のバランスが大事だと思っている。このままではいけない。

「わかりました。頑張ります。ジル、クララあの二人を抑えて工房の中へ。じぃじはもう一人の職人を連れてきてください」



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一章十一話 お母様の危機 キャロル9歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 ワンデリアに訪問してから、三か月がたった。剣の稽古や勉強に加えてワンデリアの発展に忙しい日々を過ごしている。
 公になる舞踏会の準備も遂に始まった。ドレスのデザインはマリーゼが3年前から日々書きためた渾身のお嬢様デザインノートの中から選んだ。デザイン案の中にはゲームの悪役令嬢を思い起こされるようなものが含まれて冷やりとしたが、全力で却下したので大丈夫。ヒロインに負けないぐらい甘い女の子らしいデザインで2着の仮縫いを既に頼んでいる。
 ワンデリアの岩山の家の引っ越しは全戸、無事済んだらしい。自宅の採掘が終わった領民は、誘致する職人の住まいと工房の採掘に取り掛かってくれているそうだ。私の次の役目は、新しい事業を進めること。
 ワンデリアから戻ってすぐに、屑石を活用する職人探しを始めた。屑石が銀の硬さに比較的近いので、屑石のことは隠して選考は銀細工で行っている。選考を重ねた中でジル、クレイ、本邸の執事が厳選した職人候補たちの銀細工作品が今、私の目の前に並べられていた。どれも甲乙つけ難い出来栄えで私は目を輝かせる。思わず、自分が欲しくなってしまう作品がたくさんある。

「ジルはどれがいいですか? 私はこちらのデザインは好きです」

 私は一つの作品を指す。ブレスレットなのだが、メインの飾りがレースのように線状彫られた繊細な細工になっていて、リボンのように仕立てられている。可愛い感じの仕上がりはきっと若い女性に受け入れられやすい。腕につける部分は真ん中に穴をあけたビーズ状にして繋げてある。前世でおなじみのビーズはこちらで殆ど見たことがない。パールに似た白石宝が唯一真ん中に穴をつけて加工されているのみだ。アクセサリーの主流は彫金加工なのだ。小さな石はビーズにしてワンデリアの女性が手間仕事とし請け負うといいかもしれない。忘れないように心にメモする。

「そちらは、十六歳の職人です。若いですが腕は良いですね。ただ、デザインがまだ幼いので貴婦人むけではないという声があります。ああ、あちらの彫りの細かい彫刻のような細工をつくった者と親子になるので採用するなら一緒にしたほうが良いでしょう」

 ジルが示した作品は、小さな飾りがたくさん彫り込まれている作品だ。細かさはこの中でも群を抜いているのだけど意匠が私の好みではなかった。でも、作品自体に迫力があって年配の男の人は好きかもしれない。

「この作品の評価はどうなっています?」
「そうですね。宝飾品のデザインとしては好みがわかれます。ただ、この細部まで彫り込める技術は捨てがたいという評価です」

 少し迷って親子の職人を決める。それぞれ技術もあって個性的なのが決め手だ。親子であれば知恵を出し合えるし、ワンデリアの地でも寂しくないだろう。もう一人はこの二人を補えるような職人を選ぶ、控えめだがいろいろな技術をバランスよく作品に配置して貴婦人向けのデザインの指輪を作った二十代の男性職人だ。
 現在、本邸で審査の結果を待つ職人のうち、この三人にワンデリアの石を一つずつ渡す。改めて細工をして、出来上がりを見た上で新事業に誘いたい。私が公にデビューする舞踏会で使用することで大々的に宣伝したいので、三か月後には移住して制作に入れるよう話をすすめることをジルと確認する。
 慌ただしく廊下を掛ける音がしてノックの後、マリーゼが顔を出した。

「お嬢様、申し訳ありません。審査を中断していただきたいと、本邸より連絡がございました」

 すでに審査が終了し、これから対象の職人への説明を行うだけであることをジルが伝える。、

「何かあったのですか?」
「……お客様がいらっしゃいます。申し訳ございません、お嬢様はお部屋で今日はゆっくり過ごすよう、奥さまから事づけを承っております」

 私は不穏な空気を感じたがそれ以上の詮索は諦める。マリーゼがそれしか言わないのであれば、それ以上名前は言えない相手なのだろう。

「わかりました。私は今日はジルとお父様の書斎で読書をしますね。マリーゼはお母様や本邸のお手伝いをして下さい」

 マリーゼがほっとした表情を浮かべ、一礼してダイニングを去った。ジルには集まった職人に作品を返却し、合格者に説明をするため急いで本邸へ向かってもらう。ついでに本邸の様子を確認するようにお願いした。
 私は書斎に先に向かうことにする。ダイニングを出たところで身支度をいつも以上に美しく整えたお母様に会う。お母様は私を一度抱きしめて、いい子にしていてねと言った。私の前だから一生懸命に笑っていたけど、その顔は青ざめていて瞳が不安そうに揺れていた。私の心の中に真っ黒い不安が広がる。一体誰がくるの?
 書斎の窓から僅かに見える本邸を見つめていると、ジルが戻ってきた。

「キャロル様、遅くなり申し訳ありません。本邸は今大変な様子で私も手伝いに捕まってしまいました」
 
 私が何もできない分ジルがみんなの力になってくれたら嬉しいと伝える。

「中で知り得た事をご報告させて頂きます。キャロル様にとってあまり気分のいいお話ではありませんがよろしいでしょうか?」
「構いません。できるだけ詳細にお願いします」

 アングラードの家の没落は母親を十歳で失う事が始まり。前世の記憶でしりえた未来の最悪な情報。頭をなんどもその言葉がよぎる。

「お客様は、バルバラ・アングラード様です。旦那様のお母上であり、キャロル様のおばあ様にあたられます。すでに、屋敷に到着して奥さまとお話をされております」

 私は目の前が真っ暗になった。

「お母様は今度はきっと許してくださらない」

 8歳のあの晩、お母様がお父様に言った言葉。あの日からずっと気になっていた。お母様を守ろうと決めて私なりに色々頑張ったけど、この件は誰も口を開いてくれず何も情報がつかめずにいた。まだ十歳まで時間があるのにどうしておばあ様がくるの……。

「ジル、おばあ様とお母様のことで本邸ではなにか使用人たちが話していませんでしたか?」
「バルバラ様は奥さまと旦那様の結婚に反対してらっしゃったそうです。それから、お子様になかなかめぐまれない奥さまに随分つらくあたっていたと。キャロル様がお生まれになる前、旦那様が当主をお継になった時に遠方の領地に隠居を進められてから疎遠になっていたそうです」
「私、お母様のところに急いで行きたいです。何もできないかもしれないけれど……」

 両手を握りしめて、俯く。小さな自分の手が恨めしい。できないことがあまりにも多すぎるのだ。それでもここで待っているわけにはいかない。ジルが私の手にその大きな手を重ねて、そっとほどく。

「キャロル様、失礼いたします」

 そう言って、私を抱き上げると何かを呟く。ふわりと風が吹いたと思うと滑るようにジルが駆けだした。書斎から廊下を抜けて、屋敷の外に出る。庭の木々が風に吹かれて道を開ける。その間をジルに抱えられ、風に後押を受けて私は駆け抜ける。
 ジルのシャツに顔を寄せると、陽だまりの匂いが私に勇気をくれる。大丈夫。まだ大丈夫だ。私の小さな手でもできることが、きっとまだある。

 ジルの魔法のおかげで私はあっという間に本邸へたどり着く。本邸に来るのは初めてだ。私を知らない使用人もいるだろう。ジルは音を立てずに壁沿いを進む。大きな硝子窓のある所にたどり着くと、中を指した。
 覗き込むとお母様と妙齢の女性が向き合っていた。周囲に残る使用人たちは一様につらそうな顔をしている。妙齢の女性、多分おばあさ様は一方的にお母様を叱責しているように見える。
 耳元で風切り音がしたと思うと僅かに中の声が聞こえるようになった。ジルがまた何かの魔法を使ってくれたのだと思う。

「……かしら? 隠しているのなら随分ひどい話だと思わないこと?ソレーヌ」
「……」
「だんまりは感心しないわね。そんなに難しいことを聞いている訳ではないわ。私たちを遠くに追いやって、アングラード当主の妻として居座る以上はその役目をきちんと果たしたのか聞いているだけよ?
 本当に強情ね。レオナールに口止めされてる? 本当かしら。
 あなたがまた我がままを言っているだけでなくて。私たちを遠くに追い出したのだってあなたがレオナールに入れ知恵をしたのでしょう?」

 お母様は、おばあ様をまっすぐ見つめて口をつぐんでいる。不快なものを見るような顔でおばあ様がお母様をにらみつけた。

「倉庫番と陰で笑わる家の娘が役目が果たせぬままアングラードの家にいられると思わないことね。夫が引退し田舎領地に引きこもったとはいえ、私にも夫にもまだ王都に力はあるわ。跡取りがいないことが分かれば、ソレーヌ、貴方にはこの家を出て行ってもらう。今度はレオナールに何もさせない。覚悟なさい」

 おばあ様の言葉に私は身を固くした。跡取りがいないことが分かれば……。私はお父様とお母様の愛情に包まれて考えていなかった。女の子である以上、この国の令嬢の多くがそうするようにいつかは家をでることになる。その時誰が、アングラードの名を継ぐのか。
 本来であれば当主の直系の息子が代々継ぐはずのものは、傍系の親類に受け渡すことになる。それはこの国では大きな損失を伴い、貴族にとってそれは決して望ましい運びではない。
 お母様がようやく口を開いた。いつもの優しい声ではなくて、よくとおる美しい凛とした声だ。

「レオナールは家族で共に過ごすことを愛しています。私はレオナールが望んでくれる限り、彼の側から決して離れません。お母様がどのような手段に出ても、私から倒れることはないでしょう」

 おばあ様が唇を噛んだ。さらにお母様を責めようと口を開いたと同時に私とジルの横を、一羽の珍しい形をした小鳥が壁をすり抜けておばあ様の前におりる。

「バルバラ。至急、宿にもどれ。これから、旧知のものと会う。共に参れ」

 小鳥はそれだけ告げると、その場で消失した。いつかあの丘でジルが使っていた伝達魔法なのだと思う。ジルを仰ぎ見れば、私の問いたいことが伝わったのか頷いてくれる。
 おばあ様が乱暴に席を立つと、連れてきた使用人と思われる人物がその肩にケープを掛ける。どうやら、帰ってくれるらしい。私は一旦、安堵する。握りしめた手には爪の跡が残っていた。
 去り際におばあ様がもう一度お母様の方を振り返る。

「また、近いうちにね……アントワーヌ服飾工房に仮縫いを依頼した2枚のドレスは誰が着るのかしら? 楽しみだわ」

 私は力が抜けて思わず後ろに倒れそうになる。ジルが抱えてくれなかったら、多分その場に崩れ落ちた。アントワーヌ服飾工房は先日マリーゼがデザインしたドレスを私の為にお父様がが発注したお店だった。そのお店は王家が利用することもある名店だ。簡単に顧客情報を漏らすことはしない。もし、漏らすことがあるならば、それは秘密を守るべき相手よりも強い相手に対してだけだ。アングラードのおじい様、おばあ様にはお父様、お母様以上の力がある事に他ならない。

 帰り道もジルに抱かれて帰る。私に歩く気力はない。魔法は使わずできるだけゆっくり歩いて帰ってもらう。まだ、誰にも会いたくない気分だ。

「ねぇ、ジル。跡取りがいなかったらお父様の次は誰でしょうか?」
「旦那様は、下にお一人弟君がいらっしゃりましたが、お亡くなりなっております。直系の方はいらっしゃられないので、親類の方にお任せすることになるかと」

 決まりに関する本に書かれた事を思い出す。直径の跡取りがいない場合は領地の半分を返還することになる。アングラードの権威は失墜するだろう。多くのアングラードの関係者の生活は不安定になり、小さな諍いも起きるかもしれない。直系の跡取りがないことは、一族にとって影響は重い。

「おかしな決まりです。急に領地が半分になるのも。女の子が当主になれないことも。文官も騎士もだめなことだってお。子供が十歳まで公になれないことも」

 私の前世では、子供は小さいころ友達と遊んで、外を元気にかけまわった。未来に夢をみてなりたいと努力すれば、苦労はあっても道は拓けた。でも、この国は違う。今回、決まりのおかげで私はおばあ様たちの目から隠れることができた側面もあるけれど。男の子でなければ跡取りなれなかったり、とても窮屈に感じる。
 ジルが私の背中を優しくなでてくれる。自分の状況だけをみて、批判することはたやすい。勉強したから、わかってる。この国の昔の状況は本当に悪かったのだ。国の中で争いが起きて、身内が身内を陥れる。そんなことが、当たり前に起きていた過去がある。それを立て直すために、子供は隠し、直系の男性しか後を継がせない細かな決まりができた。結果、その決まりのおかげで今は国は安定している。
 子供を公にしない決まりが寛容になりつつあると、おじい様が言っていた。いつか少しずつ変っていくのかもしれない。でも、変わることに眉を顰めるものもいると言った。だから、それは今すぐじゃない。
 
「とても難しいです……」

 私は呟いてジルの首に、シャツの襟元に顔を埋めた。



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一章十話 ワンデリア キャロル9歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 扉を開けた先に見えるのは真っ暗な闇。ワンデリアにつながっているゲートと教えられていても怖い。しかも、先ほどから闇から出てきた靄が私の体に纏わりつく。お父様にしっかりしがみつく。

「キャロル様、大丈夫ですか?」

 お父様に抱っこされているせいで、思いのほかジルの顔が近い。落ち着いて、と自分に言い聞かせる。ジルはもうちゃんといつも通りだ。主の私がいつまでもおろおろしている訳にはいかない。

「はい。靄が私のところに来るので、気になるのです」
「闇の魔力が惹かれているなら、キャロル様は闇属性かもしれませんね」

 悪役令嬢の属性は闇と設定にはあったので、私は間違いなく闇属性だ。見ると、属性が違うのかジルやクレイには靄はまとわりついていない

「アングラード家は腹黒いせいか闇属性の方がとても多くいらっしゃいます。レオナール様も含めて歴代の当主はみな闇属性です。キャロルお嬢様も当然可能性が高いでしょうね」
 
 クレイが教えてくれる。途中に辛辣な言葉が入っていた気がするが気のせいだろう。同じ属性に魔力が魅かれていると聞いて落ち着けば、靄が触れた場所がとても温かく心地が良いことに気づく。なんだか疲れも取れてきている気がする。

「キャロル。一つ逸話を教えてあげよう。幼いうちに自分の属性の魔力に触れると魔力量が増える。ある貴族少年が水属性の土地で心地よさ覚え、家族も子供も水属性だと信じた。魔力量を増やそうと水属性の土地に移り住む。しかし、大人となり属性を確認したら風属性で水属性の地にしか触れてこなかった子供の魔力量は最低の量だった。不確定なものを盲信するのは危険だ」
「なぜ、その子は水属性の土地で心地よさを感じたのですか?」
「近くで大きな祭りが行われていて、儀式として大規模な風魔法が使われた。少年に惹かれたのはその祭りで使われた魔力だったわけだ」

 なんだか可愛いそうなお話だ。せっかく土地を移り住んでまでに伸ばそうとしたに無駄になるなんて。ジルから聞いた話だとエトワールの泉を使えば属性は判ると言っていた、早くに属性を知れば魔力量はどんどん増やせる。小さいころから魔法教育だってできるから、悪いことではない気がする。なぜ、そうしないのかお父様に尋ねる。

「確認してしまうと、そこで魔力量の成長が止まってしまうんだよ。古い貴族程、一族の属性の偏りが大きいから同属性のものが集まって、特定属性の魔力は伸びはいい。属性が一族と違っても普通に一定年齢まで生活していれば、ある程度は伸びていける。だから、早めに確認するより自然に任せるのが良いされているんだ」

 今の話だと、私はあまり恩恵を受けていないことになる! アングラード家の人間との接触がない。お父様しかいないのだ。明日からはできるだけお父様にくっついて過ごしたほうが良いのだろうか。
 お父様がゲートに向かって手を入れる。徐々に靄が落ち着きを見せて、扉の向こうの闇は真っ暗な水の壁のようになった。

「四人ならこのくらいの魔力で十分かな。移動する前にはこうして魔力を流して、ゲート内を落ち着かせる。当主、その妻、その子供は僅かな魔力で移動可能だ。つぎに我々と誓約を結んだ従者が比較的少ない魔力で使用ができる。それ以外の人間が使おうと思えば相当な魔力を注ぐ必要がある。きちんと流さないと迷子になって出られないから注意するように。クレイ、先にいって安全の確認を頼む。ジルも後に続け」

 クレイ、ジルが順番にゲートに飛び込む。黒い水の中にのみこまれて、あっという間に見えなくなる。お父様は二人が確認を終える十分な時間を待つようで、すぐに飛び込まない。迷子になるなんて言うから、私は二人が無事に着いたのか気になってしまう。ゆっくりと三百を数えた頃お父様が私を抱え得てゲートに飛び込んだ。 
 
「うわぁ!」

 思わず息を止めてしまう。水の中に飛び込んだような、適度な圧力で闇に体全体が包み込まれる。真っ暗で怖そうなのに、中は温かくて体がとても軽くて楽だ。ゆっくり息をしてみる。大丈夫ちゃんと息ができる。むしろ前世で滝の側にいる時に似た清涼感があって気持ちいい。その中を数秒お父様に抱かれて進む。あまりにも心地よくて一瞬睡魔におそわれそうになり、頭を振る。突然暗闇が消えて、白い石造の通路にでた。

「レオナール様、お待ちしておりました」

 クレイとジルが先に周囲の状況の確認や用意を済ませて揃って待っていてくれる。迷子になっていなくて本当に良かった。廊下を進み階段を上れば、部屋には既に明かりがともされていた。ここは領主の館の執務室のようだ。サイズを揃えて切り出した白い石が並ぶ壁は硬質だがとても美しく、洗練された黒い木材の家具がよく合っている。

「すごい、白い石の壁です!領主の館ですか? 早くお外にも出てみたいです」

 お父様が頷く。こちらは夜は涼しいからと、館に置いていたストールで頭から私を包んで館のバルコニーに出る。
 この世界の本はインクで書かれている。前世のように鮮やかな写真は存在しない。普通の山の挿絵も白と黒。ワンデリアの挿絵もすべて白と黒だった。挿絵に添えられた白い岩肌にかこまれた土地の文章から何度も想像してきた。でも想像とは全然違う。初めて見る現実のワンデリアは想像を超えた美しい白と黒の世界。滑らかな白い石でできた山肌は月明かりに照らされて美しく、夜の闇と影、地下渓谷は漆黒の闇。はっきりしたコントラストと雄大な地形が生む景色に息をのむ。

「とても、きれい……」

 私はお父様の腕の中からその景色に見とれる。建物を仰ぎ見れば白い石を四角く切り出しくみ上げられて作られた建物のようだ。石造りの一般の工法と同じようだか、白い石に変わるととても綺麗で幻想的だ。どうしてもっと白い石の建物がふえないのか不思議だ。
 よく見たくて体を乗り出そうとした瞬間、下った先の平地に真新しい木造りの家が並ぶのが目に留まる。新しいがとても小さい。かまどや料理道具、様々な道具が外に出しっぱなしだ。魔物に襲われるたびに壊れるから、最低限の寝場所だけのためにつくられた家なのだろう。そんな家が殆どだ。いくつかの家には僅かな明かりが揺れている。その明かりはとても細くて心細い。

「領民の家は、はやはり木造りの家なのですね」
「ワンデリアの石は一定の割合で柔らかい屑石が混じるから、形の揃った大きなサイズの石を切り出すの難しい。切り出した石はの多くはもろくて、厳選しないと領主の館のように建物としてつかえるものにならない」

 お父様の説明に頷く。石が脆い。その事実は、私が提案した村づくり計画は実行できないということだ。
 私にとってワンデリアは没落の日に追いやられる最悪の土地。自分の未来のために、いつかのための保険として改善しなくてはと思っていた。今はそこに住む人の暮らしを目の当たりにして胸が痛い。ここが領民の暮らしのがある土地で、私の未来は先でも、領民にとっては今目の前の現実であることを痛感する。

「次は今進めている採掘地にご案内致します」

 クレイがランプを用意して館の外に案内してくれる。先ほど見えた領民の村とは反対側になる。荷物も運ぶためにだろうか、段差を整えた道を行くと、岩の上を切り立った双子のような山影がみえる。
 あの案が使えたら、あの山に家を作りたかった。それぞれ両側に家を作れば、前世の吹き抜けのあるショッピングモールみたいになる。半年以上を必死に取り組んだ課題だったので諦めきれない自分に苦笑する。
 前世で社会人だったころは諦められないぐらい心を残す仕事なんてなかった。頑張らなかったことを後悔したぐらいだ。私、変わったよね。次はいつかの未来の為じゃなくて必ず明日の為にワンデリアに何かしたい。そう思うと、未練が消えて力が湧いてくる。

 暗闇の中、月明かりとランプに照らされた双子の崖には、いくつもの採掘道が等間隔に並んでいる。上の段に登る階段も、上階の通路もきちんと山肌の石を削って作られている。これなら作業中襲われても逃げやすいだろう。何よりも、採掘場なのに白い壁に小さな出入り口が並ぶ見た目がとてもかわいらしくて思わず笑みがこぼれた。

「キャロルお嬢様、中もなかなかの見ものですよ」

 クレイが一番手前の入口を指して勧めてくれる。では、と私が答えるとお父様が移動してくれる。

「これ……」

 入口をくぐると、そこには私がイメージしていた家があった。大きくはないけれど家族が何とか生活ができるスペース、奥にも小さな入口がある。お父様にお願いして奥も連れて行ってもらう。そこは残念ながらまだ通路のような状態で行き止まりになっていた。

「お父様! これどうして?!」 
「面白いねぇ。キャロルが私と同じ発想にたどり着くなんて」
「でも、石がもろいって……さっき言ってたじゃないですか!」
「切り出したら脆いよ。でもね、こうやって岩山の構造を丸ごと使って継ぎ目を作らないようにするとね、とても頑丈なんだ。キャロルも言ってただろ屑石が柔らかいと、あの石は継ぎ目がない構造なら負担を柔らげる役目をしてくれるらしい。キャロルの望んでいた強度調査の答えだよ」

「お父様すごいです! 石が脆いって認識が先にあったら、その先にはなかなか進めない。私は先ほどもう自分の案は失敗だって諦めてしまいました」
「何かしたいなら、徹底的にしがみつくのは大事なことだよ。覚えておきなさい」

 お父様の話だと1年前から着手しているらしい。継ぎ目を決して作らないようにするために壁は厚くする。領民と相談してとどの程度の家を作るか、どの位置に掘るかをを考えて設計図をつくり説明する。これに一番時間を要したそうだ。設計図さえできれば、領民は筋金入りの採掘士だ。自分の採掘を兼ねてどんどん自宅を掘っていく。早い者は二部屋目の採掘の半ばに入っており。一番遅い者もあと数日もすれば一部屋はできあがる。来月からは徐々に入居を始めるそうだ。

「よかった。これで魔物にお家が壊される心配はなくなるのです」

 震えるような達成感。お父様が先に発案して着手したものなのだけど、私が考えていたものと同じだからまるで自分の発案の出来上がりのように感じる。他にも何かできるかもしれない。もっと、やってみたい。

「私、お父様のお手伝いがしたいです」

 お父様が面白そうな顔をしている。でもその目の奥がいつもと違って何かを推し量ろうとしている。何を? 私のやる気? 手腕?

「でも、キャロルは領主にはなれない」

 領地は当主が自身で治めるか領主を任命する。年齢は関係ない。早い子ならば生まれてすぐに領主になる。もちろん自身が治めるまでは代行に任せることになるのだけど。ただ、この国では領主は男性しかなれない。当主も騎士も文官もだけど。
 
「では、いろいろ考えてまたお父様に提案を持って行ってもよいですか?」
「時間があるときなら見てあげるよ。キャロルがそれで満足するならね……」

 それしか方法がないのだから仕方ない。自分でいろいろ動くことはできないのは残念だけど、少しでもワンデリアを発展させることに関わらせてもらえる事が決まり、お父様の首にぎゅっと抱き着く。

「旦那様、キャロル様。気のせいかもしれないのですが、一瞬なのですが風の動きがおかしかったように感じました。安全のためにもそろそろお戻りになりませんか?」

 ジルから声がかかる。どうやら、ジルはずっと風魔法で周囲を警戒してくれたらしい。お父様はうなずいて去ることを認めたものの、何か用事があるのか名残おしそうな顔で動き出さない。クレイが小さな声を上げる。

「キャロルお嬢様。とても大事なことをお忘れです。よーーーく考えて下さいませ。」
「? ? ?」

 私は小首をかしげて考える。一つ思い出す。屑石と言われる石を持ちを次の提案の為に持ち帰らなくてはいけない。ジルに伝えれば、すぐに採掘場に落ちた適当な大きさの屑石をスカーフに包めるだけ包んでくれる。これを持ち帰って次は職人を探すのだ。でも、石を用意たジルが微妙な顔をしている。どうやら私は間違えたようだ。

「キャロルお嬢様。違います。腹黒いくせに鈍いのではいけません。よく考えて下さい。細かいことまで覚えておいて、上手に手の上で転がせるようにならなくてはなりません」

 クレイがまた間に酷いことを挟んでくる。もっとこう真摯で無口な人だと思っていたのに、いじめっ子認定。どう考えても大事なことは他に思いつかない。クレイがものすごくイライラした顔してる。怖い。助けを求めてジルを見れば、目線をお父様の方に向けている。お父様が関わることなのですね! 私は穴が開くほどお父様を見つめる。何か待っている顔をしているのは分かるのだが心当たりはない。再びジルに助けを求める。

「キャロル様。ピロイエ伯爵に旦那様はプレゼントで負けたと謙遜しておりましたが、私はのそようなことはないと、心底感服いたしました。さすが旦那様でらっしゃいます」

 お父様が我が意を得たりと頷く。ジルの助け舟に感謝するけど、面倒くさいですよ、お父様。クレイが畳みかけるように手を叩いて言う。

「大ヒントです、キャロルお嬢様。世の中の面倒な演出好きの人物が、相手にどのような反応を求めているかよく考えてご対応ください!」

「今年のプレゼントはおじい様には内緒ですが、お父様が一番素敵でした。お父様、世界で一番大好きです」

 私はお父様の頬に口づける。満面の笑みでお父様が歩き出した。
 背後でジルが一瞬後ろを振り返った。また、何か感じたのだろうか……。気にする私に、ジルが優しく微笑んでくれた。心配いらないということなのだろう。私の初めてワンデリア訪問が終わる。気づけばお父様の腕の中で、帰り着く前に私は深い眠りに落ちていた。




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一章九話  誓約 キャロル9歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 書斎ではお父様が私のレポートを読んで待っていてくれた。

「ジル、キャロルにいろいろ案内してもらえたかい?」
「はい。旦那様お時間を頂きありがとうございました」

 そう応えて一礼すると、私とお父様の会話の妨げにならないように扉の隣にそっと移動した。反対にはお父様の従者のクレイが控えている。

「さて、キャロル。調べてみてどうだった?」
「とても難しかったです」

 私はワンデリアを住みやすく安全な土地にしたい。没落後も家族が仲良く安心して生活できて、行方不明なんかに決してならない土地。
 住みやすくする為にはも、土地を豊かしたい。では、何が必要か?
 長期目標、短期目標。現状と改善への道筋。
 ワンデリア領は複数の有力貴族が分割して土地を収めている。魔物への対策費がかかり過ぎて、一つの家が背負うにはあまりにも重いからだ。
 領土を縦断する露出した地下渓谷が存在して、その底から魔物がわく。そのために多くはないが全ての領地で定期的に魔物が現れる。

「ワンデリアは我が家の領地の中では利益は出ないのに、魔物の討伐や対策費用ばかりかさんでいる。そのせいで領民も裕福とはいえない」

 アングラード家が負担する土地は岩山がほど近く、砕いて庭石として出荷するのが主な事業だ。単価は低いがたくさん採れるので一定の収益はあるが、その利益を超える魔物の討伐費と領民の家屋の修繕費等がかかっている。お父様の言う通り、裕福な他の領地が多いため比べると領民の生活の苦しさがは際立っている。

「キャロルの提案は村を新たに造り直すこと。採掘を計画的に行い、岩山をくりぬいて中に村を作る。」
「はい。岩の中に村があれば、襲撃の都度建物が壊されることはなくなるかと考えました。領民の建物は木材などが中心で決して強くありません。それなら岩の中をくりぬいて丸ごと村にしてしまえと思ったのです」

 イメージの元は前世で有名な地下都市と海外旅行のパンフレットで一度みただけの岩山ホテル。いづれもパンフレットに軽く掲載されているのを見ただけなので、傷をさわっても対した情報は呼び出せなかった。でも、しっかり調査して岩盤の強度を利用すれば、簡単に壊れない安全な住まいが確保できるのではないかと思っている。

「それで、抑えた修繕費は職人の誘致に使いたいか……。石を使った宝飾デザイナーの育成、石造の彫刻家の育成ねぇ」

 ワンデリアの石は庭石になる、我が家の庭にもひかれている。とても硬い石。比べてみるとジルにもらったジュエリーケースは前世で展示されていた象牙の質感に近いので少し異なる。庭師のパスカルに聞いてみたら、同じワンデリアの石だけれど、種類が違うらしい。庭石に使われる硬い石を採掘すると出てくるもので庭石にすると割れてしまう柔らかい材質のため、屑石として捨てられる。
 前世の象牙も他の石よりも湿度があり柔らかいのを活かして、繊細な加工品が昔たくさん作られていた。同じようにこの石で加工品を作ることができれば、新しいワンデリアの売り物になるのではと期待している。

「今、屑石で捨てられている石はとても加工に適している可能性があります。実際、庭師のパスカルに庭石に混じったかけらを頂きました。私では上手にできなかったのですが……とても削りやすく、質感もよかったです。ジルに以前頂いたジュエリーケースも同じ素材ですが、本当に加工がきれいです。あと、先ほどお父様達から頂いたペンを作るのにも向いているのかなってと思いつきました。なので、ペンの工房も追加です」

 お父様と私は課題の内容について話していく。荒唐無稽と笑われるかもしれないと思った部分もあったけど、公になっていない身で得られる情報が少ない中、よく頑張っているというお褒めの言葉をもらえた。

「では、私のキャロルに約束のご褒美だ! 今からワンデリアを見せてあげよう!!」

 私は思いっきり顔を歪めて見せる。ワンデリアには行きたい。でも、今は何刻だかお父様はわかっているのか? 種の刻、前世でいうところの二十時だ。私まだ九歳ですよ!

「行くなら昼間が良いです!眠いのです!!」
「あー。それは我慢してほしいな。キャロルはまだ公になってないから昼間は人目につく。明日私も仕事だし、あんまり魔力を消費したくないんだ」

 お仕事の都合というのは不服だけど、魔力と言う言葉にはむくむくと好奇心が湧いてくる。魔法を見るのは一年前にジルがアレックス王子に使った時以来だ。
 私は両手を上げて、抱っこを要求する。今日はもう疲れたから歩かない。お父様がくすくす笑って、その前にと言ってジルの方を向く。

「ジル、ここからは我が家の秘密の一部になる。従者として本当に付き従う覚悟があるならばキャロルに誓約を」
「畏まりました、旦那様」
「では、キャロル。ジルとの間に誓約を結んでもらう。これは、従者を主が縛る。従者が主に害をなせば、誓約の力で従者に罰が下る。罰は主が従者から受けた傷みの倍に準じ、死に至ることもある」
「なんですか、それ! 私のせいでジルが死ぬかもしれない可能性があるのは嫌です!」

 私は、即座に叫ぶ。この時点で誓約を求めるということは、ワンデリアに向かう方法に私と誓約をしなければジルが行動を共にできない理由があるのだろう。でも、私に害をなすことでジルが死に至る可能性があるということがとても怖い。もちろんジルが私に悪意を持って害をなすとは思わない。ただ、受け入れるには言葉の意味は重い。

「キャロル様、私が貴方様に害をなすようなことはありません。信じていただけませんか?」
「だめです。私はジルのことがとても気に入っています。大好きです。信じています。でも、まだジルも私もお互いを深く知っていないのに、ジルに命をかけさせる誓約を結ぶことはできません」

 ジルは、虚を突かれた顔をしてから唇を噛む。そして瞬きの一瞬だけ口元に微笑みを浮かべてから、悲しい顔になった。

「キャロル様は、貴方は私にとってとても大切な方です。たった一日の出会いで、貴方の従者になろうと思えた理由が私にはございます。それは、もう少しキャロル様が大きくなったら必ずお話しします。私は貴方の側にずっとありたい。どうか誓約をお許しください」

 縋りつくような眼差しでジルが跪いて私のドレスの裾に口づける。どうしたらいいの? 

「来年には公になる以上、必ず従者は必要だ。他の貴族の子も誓約をかけた従者をつれてくる。同じ従者であっても誓約をしているか誓約をしていないかで連れていける場所に違いがでる。キャロルは同じだからという心持で納得できないだろうが、私は好条件が揃っているジルには誓約した従者として常にお前の側につかえさせたい。自分自身を守るためにも、誓約をしなさい」

 今のお父様の言葉は父として当主としての言葉だ。守られる側の責任それは一年前に気づいたこと。ジルが従者として私に仕える以上、私の身を守ることは再優先される。私が傷つけば必ず罰を受ける。ならば、誓約をしできる限り私の側で守ってもらえる条件を整えるのは私の役目でもある。私は拳を握りしめた。

「わかりました。ジル、誓約を」

 ジルがとても嬉しそうに笑ってくれた。その心からの笑顔にこの選択でよかったと励まされる気がして、ようやく力が抜ける。お父様が壁際に移動してから誓約の方法を説明する。
 
「これよりジルは魔力の印をキャロルに見せる。誓約の言葉の中で、印の名前をキャロルにだけ小さな声で伝える。とても大事な名前だからキャロルは他のものに漏らさないように。キャロルはその名をよんでから、わが身の内に入ることを許す、といって印に口づけを」
 
私にだけ見えるようにジルは執事服のシャツの前を外して左側に広げる。何かを呟くと。左胸の少し上、心臓のあたりに流線状の模様の上に蝶が描かれた印が薄い緑に輝いて浮かぶ。

「え?!」

 私は慌ててお父様を見る。お父様はなんとも複雑そうに顔を歪めて口を尖らせている。クレイは面白そうに笑っている……。印はジルの左胸、心臓の少し上辺りにある。ここに口づけをするのよね? 急に頭の中がぐるぐるしてきた。

「キャロルにも印があれば他の穏やかな方法もあるんだけど、まだ小さいからねぇ。この方法しかないんだよ」
 
 なんだかお父様の声がすさんでいる。ジルの肌に口づけをすると思うと、どんどん胸の鼓動が早くなるのがわかる。顔だって鏡を見なくても真っ赤なのがわかるぐらい熱い。私ワンデリアに行く前に倒れてしまいそうです。
 
「わが身の全てを貴方様に捧げる。御身を傷つけるいかなる剣も持たず。ただ盾になる許しを」

 そう言ってジルは、小声になって魔力の名前を囁く。ちゃんと聞き取れるか自信がなくなるぐらい、心臓の音が大きい。

「風紋を舞う優美な貴蝶」

 私はその名前を、小さな声で復唱してから、誓約を受け入れる言葉を唱える。

「風紋を舞う優美な貴蝶、わが身の内に入ることを許す」
 
 私はゆっくりとジルの胸に顔を寄せた、滑らかな肌の上に浮かぶ印の王冠を頂いた蝶は近くで見るとても美しい。その蝶に口づける。温かい肌に触れた唇から体の中に何か入り込む感覚。入り込んだ何かが体の中で圧縮されて小さく小さくなって、私の体の一部として身の内に残る。それから今度は私の中から何かがジルの印へ流れ込んだ。印から光が消える。ジルがとてもはっきり感じられる気がする。今になってジルもどきどきしているのがわかる。

「はい! 誓約終了!!」

 お父様が大きな声で手を叩いて宣言するので、私は慌ててジルの肌から唇をはなした。しばらく、ジルの顔をまっすぐに見れない気がする。
 乱暴に物音をたてて引き出しを開けて、お父様が私とお母様の肖像画をとりだす。肖像画の取り扱いだけは恭しいのは家族愛。

「さぁ、これが鍵だ。ねぇ、キャロル。気を隠すのは森の中が一番だっておもわないかい?」

 まさか、あのびっくり箱みたいな引き出しの肖像画が鍵だったなんて全然気づかなかった。お父様の得意げな笑顔を見てると、肖像画を大切にしてくれていたのを喜んでいたことを取り消したくなる。
 私とお母様の肖像画を壁にかけても何もおこらない。首を傾げてお父様を見れば、肖像画の間に手を置く。

「アングラードの闇よ。道をひらけ!」

 室内の空気が変わる。お父様の手の周囲の壁からモヤがわき出て、ぎゅうっと収束すると真っ暗な地下に続く通路が現れた。お父様が私を抱き上げて階段を下りる。クレイとジルが後に続いた。中に入ると入口が消えて代わりに魔法ランプが石レンガ造りの廊下を照らす。

「お父様、ここはどこに続いているんですか?」
「ここはアングラード家の本邸につながる隠し通路。知っているのは私とソレーヌ、クレイ。今日からキャロルとジルが加わる。使えるのもこの5人のみだ。ただし、クレイとジルは侍従の誓約をとけば使うことはできない」
 
 通路の途中の壁に扉がいくつか並んでいる。真ん中の扉以外は、先ほどの黒い靄が零れ出ていてとても怪しげだ。思わず抱えてくれているお父様の首に力を籠めた。

「真ん中の扉は私の本当の書斎だよ。ここなら安全だからね。誰かがこっそり引き出しを調べてお菓子を食べてしまう心配がない」

 絶対に、今度こちらの部屋にいたずらにしようと私は固く誓った。

「残り二つはゲートだ。遠く離れた領地と我が家を結ぶことができる。ただ、一人の移動にかなりの魔力を使うから頻繁うものではない。さあ、一番手前の扉がワンデリアへのゲートだ。私からのとっておきのご褒美だ!嬉しいかい、キャロル?」

 お父様が扉を開け放つと、真っ暗闇の靄が扉の向こうに広がっていた。

「全く嬉しくありません! 怖いです、お父様!」



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一章八話 再会 キャロル9歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 月日が流れるのはあっという間だ。どうにかしたいことが沢山あるのに私の幼い手は届かない。
 
「お嬢様、髪にお付けする飾りはこちらの青いリボンに致しますね。あぁ、でも少し大人しくなってしまいますわね。白石宝の着いた花飾りを重ね付けしてもよろしいですか?」

 返事を待たずにマリーゼが取り付ける。私を着飾る時のマリーゼは誰にも止められない。私はなすが儘にお任せだ。今日私は9歳の誕生日を迎える。

 お父様、お母様、ピロイエ家のおじい様がお祝いをしてくれる。アングラードの名を持つ方は今日も誰一人来る予定はない。

「できました! お嬢様、とっても可愛いです。お人形さんみたいですわ。」

 鏡の中の私は柔らかい色合いのフリルがたっぷりのドレスを着てて、「キミエト」にでてくる悪役令嬢の雰囲気とは全然違う。ゲームの中では濃い色使いのドレスで強い冷たいイメージだった。

「ありがとう、マリーゼ。あと7年たってもこんな風に可愛い色の似合う女の子にしてくれますか?」
「お嬢様がお望みならもちろんです!……でも七年後のお嬢様なら強い色合いの組み合わせも美しさが映えてよいかと思います。楽しみでございますね」

 時々こうやって、何気ない出来事が私の前に変わらない未来を突きつける。皆からの私のための言葉や結果にゲームのシナリオの影を感じるのだ。
 頑張っても、頑張っても私がキャロル・アングラードである限り変わらないのではないか? 自分の努力に手ごたえを感じるからこそ不安が大きくなる。
 鏡の前から立ち上がると私は大きく息をすう。気分を入れ替えて、大きく鏡の自分に微笑む。今日は九歳のバースデイ、みんながお祝いしてくれる楽しい日。一年間、頑張った自分の成果をたくさん褒めてもらって元気をだそう。
 ダイニングに降りるともう、お父様、お母様、おじい様が私を待っていた。

「お誕生日、おめでとう。キャロル!」
「ありがとうございます!!」

 おじい様にまず、きちんとした礼をとる。去年よりもずっと繊細にドレスの動きまで計算して優雅に上品に、擦り切れるまでマナーの本を見て鏡の前で練習したのだ。

「ほぉお、こんなに小さいのにきれいな礼がとれとる。社交界にいる大人より上手じゃな!」

 おじい様、いつもの笑顔で私の頭を撫でてくれる。壁際でマリーゼが髪が崩れるのを心配して目が笑っていないことに気づいて、上手に切り上げる。お父様とお母様にもお礼のご挨拶。二人とも手を叩いて私の礼をほめてくれる。
 次はお食事、私の好きなものだけを集めて料理人が腕をふるった特別なコース。頬が落ちそうなほど美味しい。テーブルマナーの成果も上々だ。カトラリーの順番、ナプキンの使い方、口元に食事を運ぶ動作、食べ方の隅から隅まできれいな所作を身けた。息をするのと同じぐらい当たり前にこなせる。
 会話だって大人顔負けの知識だ。本だっていっぱい読んだ。辞書だって本と同じようにすべて目を通した。一年の間、パラメーターがたくさん上がるように頑張って、頑張って、頑張ったんだよ。
 私……何やってるんだろ?楽しいはずのお誕生日なのにちっとも楽しめてない。
 やだ、泣いちゃいそうだ。お母様もお父様も私が嬉泣きといっても、きっと見破るから泣いちゃだめだ。

 マナー違反だけど、お母様が食事中なのに席をたつ。私の側で腰を落として目を合わせると、私の手を優しく撫でてくれる。一撫で、一撫でお母様が手が私の上を滑るたびに、心が柔らかくなる。

「ううっ、お母様。ごめんなさい。私、頑張りたくて。もっと上手にしたくて。もっと、もっとと焦るのです。せっかくのお誕生日なのに」
「大丈夫。キャロルは大変良くできてましたよ。焦らなくても、そのまま私たちはキャロルがいてくれたら幸せよ。ね?」

 お母様が私の頬を撫でる。口元が柔らかくなって、自然に私の口角があがる。お母様の手は魔法の手。

「キャロルが今笑ってくれたから、お母様はとても幸せな気分になりました」
「お母様ありがとう。おじい様、お父様ご心配をおかけしました」

 おじい様がコホンと咳ばらいをする。

「では、ちと早いが私のとっておきのプレゼントをみせようかのぅ」

 おじい様が自分の従者に声を掛けると、従者はダイニングを後にする。おじい様がとても得意げにしている。おじい様は毎年私のほしいものを見つけるのがとても上手だ。

 ドアが開くと、とても懐かしい人がそこにいた。琥珀の髪と若草の瞳。以前はかけていなかった片眼鏡をつけて我が家の従者の制服をきている。

「ジル!!」

 あの日のように跪く。以前もとても綺麗な動作だったけど、さらに洗練されていて。思わず見とれる。

「お久しぶりです、キャロル様。私をあなたの従者にしていただけますか?」

 柔らかい笑顔で私に微笑みかけて告げられた言葉に驚く。おじい様をみればにやりと笑う。お父様、お母様も見れば笑っている。私の好きなようにお返事をしても構わないということだ。

「もちろんです! でもジルはよいのですか? おじい様の隊で騎士様なのに私の従者なんて」
「はい。私はキャロル様にお仕えしたいのです。ピロイエ伯爵には昨年よりお願い申し上げていたのですが、可愛い孫娘の従者にはまだ未熟だと。こちらにお連れ頂くまで随分しごかれました」
「私、ジルとまた会えて嬉しいです。よろしくお願いします」

 あまりの出来事に興奮してしまって、そこからは私の頭の中からマナーの文字が消えた。早速、従者としてジルが私の給仕をしてくれるから、側に来る度に話しかける。食事中なのに夢中になっておしゃべりとははしたない! でも、なんだかとっても嬉しくてしかたない。

「キャロル様。私はこれからずっとお側におります。今日はお客様のピロイエ伯爵のお相手を」

 ジルが苦笑して囁く。見れば、おじい様がとっても寂しそうだ。ごめんなさい、おじい様。こんなに素敵なプレゼントを用意してくれたのに。
 そこからはおじい様とお話をする。ジルがうちに来てくれた経緯とか、ジルは何をしていたのかとか、ジルがすごいとか、ジルが……。あれ、おもてなしできていない?
 お父様、お母様からはこの世界では新しく開発されたペンをもらう。前世のものと違って石製で重いけど、羽ペンのようにインクを付け直す必要が格段に減るし。持ち運びもできる。私用にきれいな装飾がつけられていてとても素敵なデザインだ。ちょっと重いのは筋力をつける鍛錬に丁度いいとお母様は言う。
 瞬く間に楽しい時間は流れて日が落ちる。おじい様をお見送りする時間になった。

「レオナール。今年のプレゼントも儂の勝ちじゃな」

 得意げにおじい様がお父様につげる。お父様が含みたっぷりの最上級の笑顔で答える。

「ええ。このお誕生日会のプレゼントでは、今年もお義父様に負けてしまいましたね。さて、ジル。ピロイエ伯爵にご挨拶なさい」
「お心づかいありがとうございます、旦那様。ピロイエ伯爵、直接お声掛けするご無礼をお許しください」

 ジルがおじい様に丁寧に呼びかける。その言葉遣いに改めてジルはおじい様の部下ではなく、私の従者になったのだと実感する。ジルはおじい様の前に跪いた。

「学園を出て行き場のない私をお引き立てを頂き、本当に感謝しております。私にとって貴方様は父より信頼を寄せえる方でした。そして、拾っていただけなければ、今素晴らしい主を得ることはできませんでした。これよりキャロル様のお側を離れず、私の全てに変えてお守りします」
「長らくの務めに感謝する。私の孫娘の側にお前がいてくれることを心強く思う。頼んだぞ、ジル」

 ジルが別れの挨拶を済ませる。私は頬が熱くなるのを感じた。目の前で誰かに仕えてもらう瞬間を見るのは初めてだ。その決意の重さに心を打たれる。私の最初の騎士様が私の従者になった。

 おじい様の馬車が見えなくなると、私はジルの腕に飛びついた。あまり褒められた行動ではないけれど。

「ジル、私のお部屋とかお屋敷の中の案内をします」
「キャロル、もうクレイが済ませているよ。それより、お父様はキャロルにお話があるんだけどな。」
「いいえ、お父様は後です! 私の好きなもの、好きな場所をジルに知ってもらいたいので案内が先です。後で書斎に伺いますね」

 お母様との練習場所、大好きな花壇、最近見つけた本邸へいく秘密の近道。私の部屋、こっそりつまみ食いにいく厨房。ジルに苦笑いされる場所もあるけれど、全部見てもらう。従者の仕事は主をしり、助けることなのだ。一番の秘密は教えることはできないけれど、ジルには私を知ってもらって力になってほしい。

「そういえば、ジル。学園はどんなところですか?」

 先ほど、学園を出て行き場がないとジルは言っていた。その事も聞きたかったけど、あまりよくない話であることは想像ができたから今日は聞かない。

「はい。騎士専科をとっておりました。キャロル様は令嬢専科になりますね。十四歳で入学されて二年間は共通授業ですので、その間は在籍していた頃の知識が少しお役に立つでしょう」
「むぅ。女の子はみんな令嬢専科なのですよね。私は騎士専科とか文官専科に進みたいです」

 マールブランシュ王立学園。それがゲームの舞台になる学校だ。殆どの生徒は貴族で、偶然にも魔力を見いだされた庶民も通うがそれは僅か数名だ。二年の共通課程の後に騎士専科、文官専科、令嬢専科にそれぞれ進む。残念なことにこの世界ではまだ女性は文官、武官にはなる道はない。領地も跡取りも全て男性が就く。なので女性は令嬢専科しか選べない。

「キャロル様の騎士や文官での活躍は個人的にぜひ見てみたいですが、現状だと難しいですね」

 例えば、騎士専科や文化専科といったヒロインとは違う専科に進むことができたらどうなるだろう? 接触も減るだろうし何かが少し変わるのではないか。目指せ女性の社会進出? お父様頑張ってお仕事してください。

「魔法も学園に入ったら使えるようになるのですよね?」
「はい。入学前に偶然発動してしまう話もありますが稀な例です。学園に入ると最初に、エトワールの泉の水を使って自分の属性を確認します。その後、その泉の水を飲むことで、魔法の印が体に表れてコントロールができるようになるのです」
「エトワールの泉。絵本のお話に出てきました。この国の学園の中にある不思議な泉。そこで女性が愛する方の為に祈りを捧げると、水が七色に輝いて星のように天に昇り、愛しい人のもとへ祝福となり降り注ぐ」

 お父様が買ってきてくれた美しい挿絵の絵本。それは昔の王様とお妃さまの悲しい結末の物語だった。けれど、挿絵の美しさと、愛する人のために命を懸ける物語が古くから多くの人に愛されている。

 最後にお父様の書斎に向かう。実は1週間前にお父様の課題を提出してあった。きっと採点結果を教えてくれるのだと思う。



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一章七話 狸なお父様 キャロル8歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




翌日。私は朝食前にお父様の書斎に駆け込み、王都の地図を探す。かなり古いもので、内容も簡素なものしか見つからない。仕方ないので、それを持ってダイニングに向かう。

「お母様。教えてください」

 昨夜の事を何も感じさせない穏やかな笑顔で私を招いてくれる。何かが好転したわけではないけど、お母様が笑ってそこにいてくれることに安堵した。お母様の前に地図を広げる。

「おうちはどこですか?」
「ご飯を食べる前に忙しいこと。ここですよ」

お母様が地図の一点を指す。慌ててダイニングに据え置かれた羽ペンで印をつける。

「おじいさまのおうちはどこですか?」

お母様が指をさす。印をつける。

「お城はどこですか?」

 お城の場所にも印をつける。お城と我が家の距離は、おじい様のお家の距離のおよそ半分だ。

「お城より、おじい様のおうちの方が遠いのですね」
「そうね。馬車で一刻前はかかるかしら」

 一刻はこの世界での二時間。一刻前で三十分、一刻中で一時間、一刻後は一時間半。前世と比べて時計はそこまで普及していないし、時間も大まかだ。
 秘密の場所までは体感だけど三十分以上はかかっていた。お城がおじい様のお家の半分の距離なら、一周しても、我が家からは三十分をこえることはないと思う。男の子、アレックス王子と出会ったのはお城の敷地の中、または隣接した場所だと思っていたけどあてが外れてがっかりする。

「それにしても、随分古い地図だこと。新しい地図を買ってあげましょうか?」
「嬉しいです、お母様!できるだけ詳しいのが良いです」

 新しい詳細な地図が手に入ればまた違った発見があるかもしれない。とりあえず、秘密の場所とアレックス王子への確信は後回しだ。

「おはよう、私の天使と女神」

 お父様がダイニングに入ってくる。さっそく私を抱える。最近はお願いを叶えてくれない件でつれない態度を心がけていたけれど、今日はお父様に思いっきり甘える。お母様を元気づけてくれたご褒美です。

「今朝は何をしているのかな?」
「地図を見ているのです」
「ねぇ、レオナール。帰りにキャロルに地図と何か新しい本を買ってきてあげてほしいの」
「喜んで。私の美しい女神さまの仰せの通りに致しましょう」

 お父様がおどけて言って、お母様の指先にキスをする。そして、私の頬にもキスをして、お土産をお楽しみにと囁いてくれた。期待してます! お父様。

 朝食を家族で済ませ、お父様を送り出す。
 お母様はお昼までは予定はないからと、本邸に行くのは午後にし剣の稽古をつけてくれることになった。

 昨日頂いた稽古着に着替えて、お母様の見ている前で受け身と素振りの特訓を始める。
 素振りの方は初めての事なのであまり上手くいかない。ふらふらしてしまう。でも、受け身の方はかなり良い感じだと思う。前世で元械体操部だった経験が生きてる。

「キャロルは身が軽いのね。それだけ動けるのなら、練習を重ねたら私の剣筋がよくなじむと思うわ」
「お母様の剣筋ですか?」
「ええ。速さを重視しして手数を多く。お兄様には卑怯だと文句は言われましたけど、勝てばいいのです」

 お母様はご機嫌で答えると、おじいさまの荷物から一番大きなものを取り出す。一般的に流通している騎士の剣と同じ型だという。お母様がドレスのまま剣を構える。

「アリア、その当たりの枝を折って投げてちょうだい」

 その声に答えて手近な枝を折ると侍女のアリアがお母様に向かって投げた。風を切る音と共に枝が真ん中から二つに切断されて地面に落ちる。

「お母様、すごいです!」

 次はこちらとお母様が取り出したのは、おじい様が作った細身の剣。同じようにアリアが枝を投げると、きれいに等間隔で枝は三つに切断されて落ちた。

「やっぱり少し腕が落ちてまっているわ」
「お母様、かっこいいです! 私もできるようになりますか?」
「もちろんよ。たくさん一緒に練習しましょうね。そうしたら、二本使えるにもなりますからね」

 さりげなくお母様が難しい目標を織り込んでくる。お母様の熱の入り方、お父様が剣に取られると心配したのもよくわかる。
 たくさん二人で汗をかく。これから時間のある時はできるだけ、一緒に練習の時間をとると約束してくれた。その時のお母様の目がとても優しくて愛情に満ちていたのに寂しげなのは、きっと昨日の会話のせいだ。私はそう思うことにする。いつかくる別れを知って今を慈しむ目ではないと私は願う。

 午後になりお母様を送り出すと、私はお父様の書斎に向かった。
 今日は気分転換に書庫の隣にあるお父様の書斎で読書することをマリーゼに伝える。気分転換はもちろん嘘。アングラード家に関する情報を探すためだ。
 昨日のマリーゼの回答から、私にアングラード家の情報は入らないように使用人たちはお父様に言い含められている可能性が高いと思う。それならば、お父様の書斎を探るしかない。後ろめいたとは思うけど、お母様を救う為に私には情報が必要だ。

 お父様の書斎は、重要な役職に就く人間が使う割には秘密めいた雰囲気がない。引き出しに鍵もつけていない。書棚に並ぶ本は一般に流通していそうなものばかり並んでいるようなので、机の引き出しを開けていくことにする。驚いたことに、いきなり仕事に関する書類が入っていた。

「お父様、管理が甘いですわ」

 これは遠回しに一度注意しなくてはいけないと思う。泥棒に入られたら大変だ。
 一番上の引き出しに入った仕事の書類を出して読んでいく。次の人事に関するもので、たくさんの貴族の名前がならんでいる。中にはアングラードの名前がいくつか見つかる。まだ見ぬ親類はやはり存在するようだ。何かに仕えるかもしれないから、その名前と部署をしっかりと覚える。
 他にも、これから検討されるものなのか王都の治安の悪い地区の警備に関する書類、どこかの領地の冠水工事の計画書があった。今は時間も少ないので中は詳しく読まずに丁寧にもとあったように書類を戻す。
 仕事の引き出しを閉じると次の引き出しを開ける。お母様の肖像画と私の肖像画が出てきた。書斎で仕事の合間に肖像画を眺めるお父様が容易く想像できた。次の引き出しにいくと、お菓子が出てくる。これは口に入れたい衝動をぐっと抑えて引き出しを閉じる。
 最後の引き出しを開けようとしたところで、絨毯の上に小さな糸が3本落ちているのを見つけて私は呟いた。

「あの、狸お父様!」

 我が家の使用人は優秀なのだ。当主であるお父様の部屋にはっきり糸くずを残すなんて考えられない。だとすれば、この糸はお父様が仕掛けたもの。
 よく見れば三本の糸はそれぞれ長さが微妙に違う。誰かが侵入して勝手に机を開ければ糸くずが落ちる。長さでどの引き出しが開けられたのかがわかるようにしてあるのだと思う。
 こんな仕掛けをしているのだから、先ほどの書類の真偽か怪しい。でも、貴族の名は偽ればすぐに偽書類と分かっていしまうから、名前だけは実名のはずだろう。先ほど記載された親類が王都にちゃんと存在するのは確かだ。
 してやられた事にもやもやした気分で、糸くずを拾い集めようとして手を止める。最後の引き出しを注意深く確認して、糸を元に戻す選択肢もあるけれど、あの狸なお父様が簡単に見つかるような仕掛けをするわけがない。ああ、本当にお父様は狸です!
 少し考えてから、やはり最後の引き出しを開ける。出てきたのは手紙だ。それも私がうんと小さいころに書いたもの。ぐちゃぐちゃなお父様の顔や間違いだらけのお手紙。

「まだ、残してらっしゃったのですね……」

 懐かしい気持ちで何枚かの中身を確認して戻す。2段目の私と母の肖像画の引き出しも開ける。こちらも一度出して配置を変えてから戻す。3段目の引き出しのお菓子は、美味しそうなものを何個か食べる。美味しくて、思わずご機嫌が回復する。包装紙は丁寧に引き出しの下の方に隠しておいた。とりあえず、私の方の逃げ道の確保は完了だ。
 これ以上はできることがないので、書棚を大人しく眺めいくつかの本に目を止める。「魔物の出現とひずみの関係」「騎士と行商のワンデリア紀行」「各領地における作物の栽培と収穫」「毒物辞典」「魔力・魔法論」。子供向けの本の多い書庫ではお目にかかれない本が見つかる。お父様、お母様が帰ってくるまでそれらの本を読むことにした。

 夕方になりお母様が先に帰宅したので、本を片付けてダイニングでお父様の書斎で本を読んでいたことを報告をしているとお父様が帰宅された。いつもはすぐに顔を出すのに、今日は一度お部屋にもどられたようでなかなかこない。

「ただいま、私の天使と女神。遅れて、すまなかった」

 ようやく降りてきたお父様の後ろでは、従者クレイが大きな荷物を抱えている。お土産、万歳!
 恭しくお父様がソファーに座るお母様と私の前に膝をついた。まずは私の手を取って両手で包む。

「可愛い私の天使に約束の贈り物を」

 クレイが恭しく荷物を私の前に並べてくれる。お父様にお礼を言って早速中身を開封していく。新しい地図に複数の辞書、上級向けの各場面に合わせたマナー書、挿絵の美しい絵本が数冊、少し難しめの読み物のシリーズ、ワンデリアを題材にした本もいくつか入っている。私の年齢向けでは難しい内容だけど、書庫の本を読みつくした私には程良い難易度の本ばかりだ。
 喜ぶ私の様子に満足そうにお父様は目を細める。それからお母様の手を取って口づけた。

「私の美しい女神さま。あなたの願いには応えらえたでしょうか?」
「ええ、レオナール。キャロルが嬉しそうで私とっても嬉しいですわ」
「それは恐悦至極。私からあなたへこちらを受け取っていただけますか?」

 そう言って上着からお母様に小さな包みを差し出す。中にはお母様の髪の色と同じ銀の繊細なデザインのネックレスが見えた。きっとこれを仕込むのに一度お部屋にもどられたのだ。お父様はこういった演出を好む。

「まぁ、素敵。つけてくださる?」
「喜んで」

 お母様が髪をそっと上げると、お父様が首筋に両手を回してネックレスをつける。そのまま寄せた唇でお母様の耳元でそっと何かを呟いて軽い音を立ててキスをする。ネックレスをつけるのに十分な時間が経っているのに、お父様は真っ赤になったお母様の首筋に手を回したままくすくすと笑いながら髪に額にこっそりキスを落とす。私、見てませんからごゆっくりどうぞ!

 新しい地図を開くと古い地図とは違い、シンボルとなる建物や地形がしっかり記されている。地図を照らし合わせて、我が家とおじい様の家を書き込んでいく。我が家を起点おじい様の家までの直線を1.5倍にした長さの円周を指でなぞる。

「あった……」

 なぞっていった指の先にはマールブランシュ王家離宮を擁する丘が存在していた。王家の離宮に住む少年。それは王家に類するもの。少年が誰であった確定する。あの日あった少年の笑顔とゲームの中のスチルが重なって、急にどきどきしてしまう。

「キャロル、そろそろ夕食にしよう」

 二人の世界を終えた、お父様が私に声をかける。どきどきを振り払うと、私は用意していたシナリオ通りに顔を歪めた。

「お父様! ごめんなさい。私、お父様の書斎でお菓子を食べてしまいましたの」

 お父様の腰に抱き着いて肩を震わす。涙が出るように頑張って悲しいことを思い浮かべるけど、なかなか難しい。

「キャロルはお父様の書斎にはいって引き出しを開けてしまったのかい?」

 気づいてるくせに、お父様は今知ったかのように驚いて見せる。私も、演技を続ける。

「はい。書庫の本は読みつくして飽きてしまったので、気分を変えてお父様の机で本を読もうと思って……。たくさん引き出しがあったからこっそり開けたらたくさんおいしそうなお菓子があったの。面白くなって他の引き出しも開けてしまいした。本当にごめんなさい、お父様」

「気にしなくていいよ。たいしたものは殆ど入っていないから」
「でも、お仕事につかうような難しい文章もありましたの。私悪いことをしたって思って……。あと、私とお母様の肖像画と、私のお手紙を大切にとっていてくれて、ありがとうございます。うれしかったのです」

 ぎゅうっとお父様に抱きつく手に力を籠める。本当に肖像画とお手紙を見つけた時はとても嬉しかった。そう思ったら、なんだか急に本当に悪いことをした気分になって涙が出てくる。気が付けば、わんわん大泣きをしてお父様のお膝の上で頭を撫でてもらっていた。久しぶりに8歳の本能が全開になりました。

「キャロル、落ち着いた?」
「はぅう、落ち着きましたです」
「ふふ。まだまだだが、キャロルは私に本当によく似ているねぇ」

 お父様の言葉に私は口を膨らませる。何を指すのか分からないけどお父様に似てるのは納得いかない。私はお母様似がいい。膨らませた頬をお父様が笑いながらつつく。

「ごめんね、キャロル。お願いされた勉強の先生はふさわしい人が見つからないんだ」
「大丈夫です。新しい本をいっぱいいただきました」

 珍しく、真摯な顔でお父様が私に謝罪する。お父様に言われなくても、お願いは取り下げるつもりだった。

「どうしてワンデリアに興味をもったのかな?」

 私は答えに戸惑う。まさか没落してその地にとばされるかもしらないから保険になんて言えない。

「先生を見つけられないかわりに。私がキャロルに課題を出そう。9歳のお誕生日までに今できる方法でワンデリアについて自分で調べてみなさい。そして、何かしたいことや気になることがあるのなら提案してごらん。これは、とても勉強になると思うよ」

 お父様は楽しそうにそういった。それでは、二つのお願いの同時却下だ。不服を唱えようとする私にお父様が魔法の言葉を唱える

「素晴らしい結果がでたら。キャロルがとても驚くような今まで一番すごい贈り物をしよう!」
「私やりますわ!」



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