2018年12月4日火曜日

二章 三十三話 屋根の上の王子 キャロル13歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 父が王城に出かけて二日目、日課の剣の稽古に身が入らない。心にかかる事を思いながら剣を振るう。

「ノエル、ジル、おやめなさい」

 母上の声にジルとの打ち合いを止める。母に技量の追いついた数か月前から、騎士の剣筋で重さのある打ち込みができるジルが私の相手をするようになった。

「代わります。久しぶりに母と打ち合いましょう」

 おっとり微笑む母上が、ドレスのまま選んだのは慣れない騎士の剣。両手のやや高い位置で構える。

「母が受けて差し上げますわ。どうぞ」

 左右の剣を軽く払うように打つ。ドレスの動き難さを嫌ってか、その場で一撃一撃を丁寧に受け止めていく。上手いなと思う。動きは私のほうが上のはずなのに、僅かに先を読まれている。それでも、変化の少ない打ち合いが続くと、意識がまた流れる。あの日、川辺でそうしたように涙を流していないかと。
 母の動きが僅かに変わって、受けに徹していた剣が振り下ろされる。体を反らして下がれば、間合いを抜ける。躱しきったと思った瞬間、母上が打ち下した剣を僅かに引いた。ドレスの中で踏み込むのが視界に映る。剣先が伸びたと思った時には、もう目の前。伸ばしきっていない母の腕は本来の勝負なら、私の顔を吹き飛ばしていた事を意味する。

「甘いですわ。ノエルは集中できていませんね。ジルも気のない子に合わせて手抜きはいけません」

 母の言葉にジルが頭を下げたから、この二日手を抜いていたんだなと理解する。ドレスを着て不得意な得物の母に完敗。これは情けない。座り込んだ私をふわりと母が抱きよせた。

「9歳の貴方と心も体も違ってきてる。無理はしないでちょうだい」

 母上は私が恋をしている事に気付いているのかもしれない。胸に頭を預ける。戻っても、戻ったらでも、好きな人はてに入らない。今のまま守りたいものを守って、好きな人の側にいたい。

「無理はしてません。自分の為に頑張ってます」

「……そう。貴方が今選んでる道は、弱くては進めない。頑張りたいのなら、やるべき事に手を抜いてはなりません」

 ただ一度、はっきりと頷く。声を上げないのは、悔しくて唇を噛んでいるから。優しく温かい手が私の顔を上げさせて、噛んだ唇を細い指が撫でる。

「お願いがあるの。王城から帰ってこないレオナールに着替えと差し入れを届けてくれる?」

 お父様が愛してる綺麗な笑顔。母上は、いつも立ち止まった少し先に明かりをくれる。私は即答する。

「届けます。いますぐ行ってもいいですか?」



 城までの道沿いの家は黒い布を掲げていつもと違う景色に変わる。死を心から悼みます、家先の黒い布の意味。国王が亡くなった事は、すでに国中に知れ渡っていた。大きな改革はないが、安定した治世で国民からの人気も悪くない。国葬は三日後の明日。国葬の前にアレックス王子の父であり、王位の一位継承者であるアントニー様が新国王として宣誓の儀を行う。
 到着した城にも至るところに黒い旗が掲げられていた。ジルをつれて国政管理室に向かう。

「こんにちは。父上に着替えと差し入れを持って伺いました」

 挨拶をして通された室内に入ると、疲れ切った顔の貴族たちが一斉に私を見つめた。視線が痛いので少しだけ微笑んでみる。

「副室長の息子?! 似てない!! いや、どちらもいい男だけど、息子は美人顔!!」

「ソレーヌ様似だ!! 副室用みたいに笑顔が黒くない!! 」

「バカ、副室長だって外向きは黒くないだろ。今だに令嬢にキャーキャー言われてるんだから、あの人」 

「とりあえず、椅子! 絶対逃がすな! 久しぶりに人が来た! ノエル様、椅子どうぞ!」

 無理矢理椅子に座らせられると、瞬く間に私の前にお菓子の山が築かれる。温かいお茶も出てきた。

「あの……荷物を預けて戻る様に言われてて、お茶を一口頂いたら帰ります」

「ここにいて! 癒されるから! 二日、書類とここの人間以外を見てないんだ! 副室長の子なのに、心苦しいって言葉が使えるいい子で良かった! 美人だし!」

 心苦しいが言えるだけでいい子とは、基準の低い感心のされ方をする。アルコールを飛ばしたお酒に付けたフルーツを取り出す。母上が唯一作れる食べ物であり、疲労回復効果が高い。小さい入れ物のはお父様専用。大きい入れ物は皆さんへの差し入れだ。

「母上が仕込んだものなので、お口に合うか分かりませんが。皆さんで召し上がってください」

「ごちそうさまです!! 今、脳みそ使ってるんで甘味は歓迎!」

「ソレーヌ様の手作りかぁ。美人で料理ができて、おしとやかで本当に良妻。副室長が羨ましい……」

 急にしんみりし始めて、またしゃべり始める。すごく感情の起伏が激しい。それでも彼らは、揃いも揃って優秀な人材のようだ。機関銃みたいに話し続け、感情もすごい勢いで上下しているのに、仕事の手は止まることがない。猛烈な勢いで書類を作成して積み上げていく。管理室のドアが開いて、一人の青年貴族がふらふらになって机に突っ伏した。

「誰か交代してー。副室長がキレそうで、バスティア公爵も新国王もピリピリしてるし。室長は胃が痛いって救護室に避難しちゃたよ。休息の間に逃げ出してきたんだけど、本当に代わってー」

 先ほどの機関銃のような会話が嘘のように静まって、その声に誰も答えない。無言の拒否は続く。おーい、と青年貴族が声をかけるが完全無視だ。そうして、ようやく私の存在に目を止める。

「誰の子ー?」

「副室長」

「もったいない。いろいろな意味でもったいない。僕はギスラン・カノヴァス。君の父上の書記官をやらされてるよ」

 語尾が微妙に気になる。礼をして名乗り返す。それから差し入れを渡すと、ギスランはすごい勢いで口に放り込み始める。

「糖分って大事だよね。足りなくなると頭が回らなくなるもの。これ副室長にも持っていこうか? あの人ちょっと休ませた方がいいぐらい疲れてるよ」

 父上の様子を聞く。新体制は国の決まりで横滑りは行われない。一新するわけにもいかないから、現状からの昇格人事が基本らしい。前国王の下で宰相をつとめたバスティア家が宰相の座を降り、副宰相を務めたベッケル公爵が繰り上がることはすぐに決まった。ただ、ベッケル公爵は老齢で、副宰相以下の人事が次の布石になるため難航しているという。

「新国王は副室長を副宰相に据えたいんだ。国政管理室を実質的に仕切ってるのは副室長だし。いずれは宰相として片腕にするって会議でも明言されてたよ」

「では、父上はバスティア公爵と副宰相の座で揉めてるんですか?」

「違うんだな……副宰相を辞退したくて新国王と揉めてる。新国王にバカって罵りそうなぐらい苛々してて、こっちは胃が痛くて、痛くて」

 私も一瞬で血の気が一気に引いた。絶対にバカって言わないで下さいね、父上!
 前国王が現状維持を強く求めた人だったのに対して、新国王は改革に前向きな人物らしい。自分の近くに辣腕を振るえる父上を置きたいと副宰相に指名した。ギスランが吐き捨てるように言う。

「副宰相なんてお飾りだよ。国政の頭脳はここなんだ。バスティア侯爵家は、今この管理室に誰も送り込めてない。この人事でバスティア公爵はここの室長の座を希望してる。いづれ副室長を潰して宰相の座を一気に狙う算段みたいだ」

 書類を積み上げていた貴族の一人が、あの家は膿も多いから嫌だと顔をしかめる。小さな舌打ちをする者もいる。どうやらバスティア公爵はここでは不評だ。その理由としてバスティア公爵家は有力な地位に就くものが多く、お互いに融通をしあって悪事に手を染める事が多々あるから厄介だと教えてくれる。

「前宰相のバスティア家の人は踏み込んじゃいけない悪事を知ってた。あの人がいる事で適度に悪意の息抜きができるから、あれは必要悪だって副室長も放置してきたし、僕もそう思う。でも、現バスティア公爵は違う。あの人は感情と私欲に簡単に流れる。きっと、歯止めが効かないから、ここに来てはいけない人物だ」

 父上は、昇格人事として自分が室長につくことを望んでるそうだ。ところが、父を評価する国王と、自分が室長に治まりたいバスティア公爵の意志が、父上を副宰相にする点で一致してしまった。二人ががかりの猛攻に今はやや追い込まれているらしい。
 ギスランも書記官の仕事として机の下で他の書記官に情報や指示を飛ばしたり、握りつぶしたりして工作しているそうだ。しかし、こちらも王とバスティアの書記官二人に押され気味だと言う。

「国王もバスティア公爵もバカじゃないからね。副室長もよく耐えてるけど、少しミスが出始めてる」

 ギスランの元に次々とお菓子が投げられる。副室長の口に突っ込めという。この人たちを見てると、糖分って大事なんだなって思う。そして案外父は大事にされてる。私も父上専用分の差し入れを預ける。

「ギスラン様、母上のお手製です。それから勝負どころの切り札です。母上が父上に会えなくてすごく寂しがってたと伝えて下さい」

「それって、副室長を最強にする魔法の言葉かな?」

「はい! 多分最強です。タイミングは間違えないでくださいね。勝負所でお願いします。あんまり面倒な時に使うと、帰りたくて副宰相引き受けかねませんから」

 面白そうに管理室の貴族たちが私の顔を見つめてから、ギスランの腕に作成した書類を次々と乗せてく、その上に母上の差し入れと、父上の口に突っ込むお菓子が乗る。

「それじゃあ、副室長を室長にする為に、机の下の情報戦を頑張ってきますかね。握りつぶして流して、魔法の言葉をうまく使ってみせるからね!」

 荷物を抱えるギスランを送り出した後、私も国政管理室を退室する。またおいで、いつかここに君が来るのを待ってるね。そんな声を貰ったけど、ここはお菓子の食べ過ぎになりそうだから少し考え様と思う。

 いつもと違う黒い旗のはためく王城は人が少なく静かだ。それでも裏では既に新しい時代が動き始めている。
 中庭に出る、遠回りだけど玄関ホールに向かう道だから許されるだろう。初めてここに来た日、この場所で私はアレックス王子と一瞬だけ邂逅することができた。同じように私は空を仰ぎ見る。あの日と同じ様に微笑んで、ひらりと手を振って招く。以前は振り返すことなかった手を、今日は振り返す。

「ノエル、上がってこい」

「はい!」

 私はすっかり慣れた王族の住まいまでの道を駆ける。いつもの護衛が中でアレックス殿下がお待ちですと告げる。開いた扉の先にはいつもとアレックス王子が立っていた。

「外を見てたら君がいて、三年前と一緒だね」

「私も驚きました。また、同じになりましたね」

 殿下が柔らかく笑うから、私も自然に笑みが零れる。元気づけたくていたのに、私の方が元気をもらっているみたいだ。

「私、会いたかったんです」

 言葉がするりと飛び出す。何を言えばいいかわからなかった筈なのに言葉は自然と繋がる。

「側にいるってお約束していたから、何もできなくても。殿下に会いたいって思いました」

 アレックス王子が柔らかく、とても満足そうに笑う。見惚れるぐらい優しい顔に吸い込まれそうになって言葉の続きが溶ける。

「従者はここで待機だよ。ノエルはおいで」

 私の手を取ると歩き出す。いつもの遊び部屋を過ぎて、王族の部屋のある方へどんどん進んでいく。本来な踏み込んでいい場所じゃないと分かっていたけど、繋いだ手が解けるのが嫌で引かれるままについていく。

「今日は運がいい。忙しくて人が少ないから咎められずに済む」

「あの、どこに行くんですか?」

 一瞬、振り向いて見せる顔は悪戯っぽく笑う。周りが見えなくなるぐらいに目が離せなくなる。もう一度、振り向かないで欲しい。私が真っ赤になってしまってる。できるだけ俯いて殿下の足元を見つめる。目の端に映るしっかり握られた手が、なかなか顔の熱を下げさせない。
 一室のドアを開ける。白と青の落ち着いた色合いの部屋だ。

「ここ……殿下の部屋ですか?」

「そう。こっちだよ」

 広いバルコニーに出ると、殿下は置かれたオブジェと柱の模様を足場にして屋根に登ってしまう。王族の部屋のあるここはお城の最上階だ。いくらバルコニーから登るとは言え、これは少し怖い。

「ノエルも上がっておいで。そこから上がれば外に落ちることはないから」

 アレックス王子は相変わらず高い所とか登るのが好きだなってぼんやり思う。あの日も高い所にいた。

「怖い? オブジェに乗ったら私の手までなんとか届くから、引っぱってあげるよ」

 そう言って手を伸ばすのは一緒に木登りをした日と同じだ。変わらないと小さなため息をついて、オブジェに足をかける。伸ばした手を取って、柱の模様を足場にし上がっていく。あと少しのところまで来ると、アレックス王子が掴んだ手を強く引いて、素早く反対の腕を私の背に回して引き上げた。

「軽いな。体も柔らかいし、もっと鍛錬しないとディエリに勝てないよ」

 そう言って、くすりと笑う殿下の声が耳元で聞こえる。抱き寄せられるような密着した態勢に胸の音が聞こえてしまわないか不安になるけど、今は顔をあげられない。

「急だったので腰が抜けました。少しだけこのままでいて下さい。今、動くのはダメなんです」

 半分の嘘。腰は抜けてない。でも、今は顔をみられたら多分好きな気持ちを見透かされる気がした。殿下の手が私の背中を叩く。

「すまなかった。ノエルは高いところ苦手なんだな。動きが俊敏だから、簡単に上がってくると思った」

「高い所は嫌いです。木の上で降りれず泣いたことがあります」

 覚えていますか? あの日ジルの風魔法で私が降ろしてもらった事。あれ以来、高い所はそれほど得意じゃない。

「すごいですね。王都の端まで見える」

 少し火照りが収まった顔を上げる。私の背中をたたき続ける殿下の手が心地よい。バルコニーよりも一段高い場所からは遥か遠くまで見渡せる。眼下の街並みは小さいけど人の動きも見渡せる。

「……私の父も母も王族の割りに自由でね。王子の自覚が小さい頃は全然なかった。その所為で大切な人を追い詰めた。追い詰めて去られてしまってから、本来だったら自分が引き受けるべきものを初めて知った。その時に、大事なことを知らず、気づいてもなかったバカな自分の事も知ったよ。知らないことを、知らないでいる。そんな自分が怖いと思ったんだ」

 多分アレックス王子が語る大切な人はカミュ様の事だ。カミュ様の目に映ったアレックス王子とは異なる当時のアレックス王子の思い。

「泣きながら知らないことが怖いから王様になりたくない、と言ったら、おじい様がここに連れてきてくれた。王子が学ぶ秘密の場所だから、一人で知らないことを探したら、国王になることが少しわかるって言われた」

 秘密の場所で私に王都の事を指をさして教えてくれる。この道がミンゼア領に繋がっている道。あの馬車はきっとコーエンに行く商いの馬車。煙が上がるのは畑を焼いている時で、あの畑には小麦ができる。それを国民がパンにする。あの地区は新しい店を中心に発展してるから見るたびに建物が増える。
 一つ一つ、街並みを指さしてアレックス王子は、詳細に語る。

「あ、我が家も見えますね」

「知ってるかい? そばの泉には、光る生き物がいるんだよ。夏になると見られる。今度、行ってみよう」

 近くの土地の事なのに私は知らない。それを知っているアレックス王子。きっと前国王に言われた通り、ここから自分の知らない事を一生懸命探し続けたんだと思う。 

「見える範囲は王都だけだけど、ここからは国民が生活しているのを感じることができる。最初は自分が知らないことを探すためにここに来てた。気付いたら自分の国だと認識できた。今は人が無事に営んでいることに満足を覚えられるようになった。父の次にこの国の王になる、と息を引き取る前におじい様も言えたよ」

 私が心配した思いなんか追い越して、ずっと大人になっている。その横顔は13歳の少年じゃなくて、まっすぐ迷いのない未来の王の横顔だ。

「泣く暇があれば今から最善を尽くせと返された。泣いたのはおじい様が死んだ日だけだ。もう泣かない。他の家族も仕えていた臣も、新しく国を動かすために泣く時間を惜しんで前に進んでる」

 私の背中を抱えるように抱き寄せて叩くのはきっと、亡き前国王がここでしてくれた思い出なのかもしれない。私も一緒にアレックス王子の隣で前に進みたい。
 吹き抜ける風と心地よい手の感触に思わず頭をその胸にもたれさせて、慌てて自分がノエルであることを思い出す。上げた顔の視線がぶつかる。見つめあった一瞬私はキャロルだった。
 口に手を当ててアレックス王子が真っ赤になる。 

「すまない。やっぱりあの子に似てるから、不意討ちだとちょっと……」

 私はその顔を覗きこむ。たまには私がどきどきさせてもいいよね? 泣かないと決めたなら、私は彼の日常でいる。慌てたり、笑ったり、話したり、いつも通りが思いに添えると思うから。私は彼との日常を楽しむ。

「たまには女の子のまねを致しましょうか? なにかご希望があれば?」

 冗談めかして言った言葉にアレックス王子が黙り込む。ちょっと調子に乗り過ぎた? お叱りを待っていた私に小さな呟き。

「だめだから、しっかりしろ。って言ってみろ」

 口を押えてそっぽ向いたままのアレックス王子に畏まりましたと答える。アレックス王子の肩を叩く。振り向いた顔に今一番の私の気持ちを込めた笑顔を向ける。

「ダメです! ちゃんとしっかりしてくださいね、殿下!」

 耳まで真っ赤になって殿下が頭を抱える。それをからかうように笑って見せる。今、私がすごく嬉しいのは秘密だ。

「まったく、君は早くクロードみたいな筋肉をつけろ! 柔らかすぎて女の子みたいだと困る!」

 アレックス王子の真っ赤な顔が落ち着くまでの長い時間。この国を一新させる風が吹く中で、王都の街並みを二人でみていた。



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