2018年12月12日水曜日

三章 三十六話 学園にサクラ舞う キャロル14歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります





――例えば、ほんの少し先の未来を知っていたらどうする?
  何かを阻止したいとか守りたいと思って干渉するのは我儘で、勝手なな考えだろうか? ――

 高窓に繊細なステンドグラスがはめ込まれたレンガ造りの瀟洒な建物を見上げる。中央に配された金色の鐘が穏やかな春の日を返す中、薄紅の花弁が舞い散る。美しいではなくて儚いと思うのは、あの日の言葉が頭の片隅に残るからだと思う。
 私が通う事になるマールブランシュ王立学園、「キミエト」の舞台であった世界。何度も画面の見てきた建物の前にたっているのは不思議な感覚だった。

 突然、背後から腰を引かれて、耳元で癖のある声が私の名前を呼ぶ。

「ノエル、おはよう」

「おはよう、ユーグ。抱き寄せずに挨拶はお願いします」

「ノエルは僕のお気に入りに似てるから、触りたくなるんだよね」

 抱き寄せた手から解放されて振り返ると、制服をきたユーグが笑顔で立っていた。紺青の立て襟のダブルボタンジャケットはボタンが一二年生を表すブロンズで、縁取りとパンツは白。僅かに首元に見えるスカーフは白地にそれぞれの爵位を示す色で細かな刺繍が施される。ユーグは伯爵家の青、私は侯爵の紫。

「かっこいいです」

 すっきりした長めのジャケットに包まれた「キミエト」そのままの姿に思わず言葉が滑り落ちる。心躍るはずのその姿が不安と隣り合わせなのは、前世の私と今の私の気持ちの違いだ。

「君もかっこいいよ。とても似合ってる。でも、制服は窮屈だと思わない? ジャケットだけでも脱ぎたいんだけど、兄さんがダメだって煩いんだ」

 その言葉に初めてユーグと一緒にいる人物に思い至って、慌てて立礼をして名乗る。

「はじめまして。私はイアサント・シュレッサー。こちらは息子のエルヴェ」

 父上よりも年上で白いものが混じる頭髪に、少し眼尻の垂れた優しそうな男性はユーグの父であるシュレッサー伯爵。瓶を抱えてエトワールの泉に強行突入する噂が信じられないくらい紳士的な雰囲気だ。

「弟から貴方の名前はよく聞いています。エルヴェ・シュレッサーです。文官専科の四年生なので何かあったらいつでも頼ってくださいね」

 ユーグと同じ髪色に眼尻の垂れた優しい笑み、でも薄い唇を歪めた口元はよく似てる。低い声にはユーグと違う色気がある。それではと、話題を変えるようにシュレッサー伯爵が呟くと二人そろって父上の方に向き直る。

「アングラード侯爵! 研究所予算の桁が間違ってますぞ! 申請より一つ少ない!」

 シュレッサー伯爵が父上に詰め寄る。身振り手振りを交えた動きに、この人なら瓶を抱えて強行突入すると思わせる行動力を見る。

「一つ少なくて当たり前だ!! 十倍の予算申請が通るわけないだろ?!」

「はぁ? 十倍だしたら、うちの探求者は百倍の価値を出すって書いたでしょ?」

「嘆かわしいです! 国の頭脳に見る目がないなんて……いい仕事しますよ、うちの探求者は! わかっておられますか?」

 シュレッサー伯爵の言葉に援護するようにエルヴェが追従する。なかなかの連携だ。

「結果は大事だが! お前ら、国の予算を考えろ! 」

 父上が返すも、シュレッサー伯爵親子はなかなか引かない。息の合った波状攻撃に父上の顔が引きつる。二人を見て楽しそう笑うユーグのその笑顔は、探求している時と同じ。今日ここに彼の母の姿がなくても、寂しいなんて感じさせない居場所をユーグは持っているのだと知る。

「ユーグ、クラス分け見ました? あと、殿下とカミュ様とクロードに会いましたか?」

 ユーグが首を振る。式典に参加する生徒が保護者や従者と一緒なのはここまでだ。従者のジルは従者同士の連絡体制を作る集まりにに参加する。式典を見守る保護者は別室で待機になる。父上とシュレッサー伯爵親子は意見交換中なので、母上にもう行く事を伝えるとユーグと歩き出す。

 入学者のクラス分けを発表する掲示板に並んで向かう。私たちを中心に自然と人垣が割れて、遠巻きに囁きが交わされる。

「なんか囁かれています……興味半分、悪意半部といった感じです」

「そう? どうでもいいけど、半分ぐらいなら静かにできるよ。やってみる?」

 ユーグが私に作戦を耳打ちする。止める前に、せーのって言い出したから、諦めて指示通りの行動をとる。ユーグが右、私が左。お互い飛び切りの笑顔でにっこり周囲に笑いかけると、女の子の高い悲鳴が上がる。やった自分が恥ずかしいし、静かになるどころか大騒ぎだ。

「ユーグ、話が違います。大騒ぎ発生です」

「でも、半分静かになったよね。悪意をある囁きを交わしてた男は令嬢達の迫力に押されて黙り込んだし」

 敵意のある発言を聞こえよがしに囁いていた一団が、こそこそ遠のいていくのが見える。女の子の視線がさっきの倍以上熱く感じるのだけど、悪意と好意なら後者のほうがずっといい。

 クラス分けの発表がされている掲示板の前で周囲より一つ抜け出す姿を見つけた。

「クロード!」

 思わず大きな声を出してその名前を呼ぶ。こちらを見て大きく手を上げる姿を見るとなんだか、すごく心が落ち着く。私の知る未来と今がもたらす結果に不安だったから、クロードに先に会えてよかった。

「発表はどうですか?」

「順当だな。見てみろ」

 クラス毎に書かれた名前を見ていく。クラスは剣、書、華の三つだ。今は関係ないが、三年目からは剣は武官専科、書は文官専科、華は令嬢専科となる。
 剣クラスにアレックス王子とカミュ様の名前を見つける。寂しいけどそこに私の名前はない。書クラスにディエルとユーグの名前があった。最後の華クラスにはクロードと私、そしてまだ会っていない攻略者ドニ・ラヴェルの名前とヒロインのサラザン・ルナの名前を見つける。

「クロードと一緒でしたね。嬉しいです」

 私が見上げるとクロードが笑って片手をあげる。私はその手に自分の手の平を合わせてを軽く叩く。

「俺も嬉しいよ。よろしく」

 クロードとクラスが一緒なのは嬉しい。それに、この結果は私の最初の小さな勝利だと思う。攻略対象者である6人とヒロインのクラス分けはゲームと全く同じ。でも、私のクラス分けだけはゲームと異なる。
 キャロル・アングラードのクラス分けは書クラスだったのに、ノエル・アングラードは華クラスに振り分けられた。私はキャロルではなく、ノエルという一人の人物としシナリオに認められたのだと思う。

「ユーグはディエルと同じクラスですね。癖のある人だから頑張って下さいね」

「バスティア公爵家は興味ないから、付き合わないよ。僕も華クラスが良かったな」

「仕方ないだろ。伯爵以上は例年バランス配置だ」

  生徒は平等である筈だが、実際はスカーフで爵位が示される。結果、学園は将来の側近探し、引き立ててもらう相手探しの小さな社交場になる。学園もそれを理解し、王族の二人こそ警備の関係で同じクラスだが、他の伯爵以上の貴族は均等に分けている。
 
 掲示板前で増えつつある学生の中に、ピンクの髪の少女を探す。彼女の姿はここに見つからない。もう、アレックス王子に出会っているのだろうか?

 ヒロインは冒頭の入学式典前に校舎、研究棟、訓練所、テラス、噴水、並木、を散策する。慣れない校舎に迷って、遠くに響く馬車の駆ける音を追いかける。飛び出した先、王族専用の馬車寄せでアレックス王子と花弁が舞う中で運命的に出会うのだ。
 君、元気がいいね、そう言ってきらきらした笑顔を向けるアレックス王子のスチルを思い出すと胸が痛くなった。先に来ていたクロードにアレックス王子とカミュ様の事を尋ねる。

「ああ。カミュ様の警護が少し前に式典までお茶を誘いに来た。そろそろ、向かうか?」

「行きます!」

 王族控室は近くにいた教師に声を掛けて教えてもらう。初めて入る校舎の中はゲームよりずっと重厚感があって、美しい。建築の様式を褒めれば、ユーグが細かい説明をしてくれる。何度か改修はされているが、外観や作りは二百年前に賢王と呼ばれたアルノフ国王が建設をした時から変わっていないそうだ。
 最奥の部屋の前にカミュ様とアレックス王子の護衛の姿を見つけて、こんにちはと声をかける。

「ノエル様、クロード様、ユーグ様、ご入学おめでとうございます。実り多い学生生活を心よりお祈り申し上げます」

 騎士の礼で告げられる祝いの言葉に、三人で礼を返す。

「三方が来てくださって良かった。殿下が早く会場に行きたがって困っていたんです。楽しみなのは分かるのですが、警備の事を考えると直前にご入場いただきたい。お相手をお願いしますね」

 王族の控室のドアを開けると、立ったまま窓の外を見つめるアレックス王子の姿を見つける。繊細な金の刺繍が施されているスカーフをつけた制服姿に思わず胸が跳ねる。ユーグもクロードもかっこいいし、隣にいるカミュ様も綺麗なのに、アレックス王子だけが特別なのは私にとって彼が一番特別な人だからだ。

「遅い。君たちに聞きたいことがあった。クラス分けが張り出された場所で女の子を見かけなかったか?」

 開口一番の言葉に胸が痛む。思い浮かぶのは砂糖菓子のような笑顔。シナリオ通りアレックス王子の心を持ってい行ってしまったと思うと、少し先の未来を知っていて動かなかった自分を悔やむ。

「アレックス、まずは挨拶ぐらいしたらどうですか? 朝からそんなに慌てても見つかりませんよ」

 カミュ様が窘める。アレックス王子は困ったように前髪をかき上げて頭を振ると、私たちに入学おめでとうと言って笑う。私たちも礼をとって同じようにおめでとうございますと返す。

「で、見かけた?」

「見かけてません」

 クロードが即答する。私もヒロインのルナには会っていないので、首を振る。満足のいかない答えにアレックス王子が苛立たし気に唇を噛む。焦燥を隠さないその姿に、ドンと落ちる様に恋をする事もあるといったワンデリアの女性たちの言葉を思い出す。

「殿下。女の子って誰ですか?」

 一人会話の意味が分からないユーグの問いかけに、カミュ様が困ったように笑う。

「アレックスには探し人がおります。随分前にお会いすると約束しているのですが現れません。事情があってのことでしょうから、探すべきではないと私は思っているのですがね……」

「?! 殿下が探してるのって……あの子じゃなくて、あの子ですか?」

 思わず声を上げてしまう。私はすっかりヒロインに出会って、もう一度その姿を探しているのかと思い込んでいた。でも、カミュ様の言葉は今日もアレックス王子が探している女の子はキャロルということだ。

「臣下のくせに私の探し物を忘れるなんて、君は相変わらず失礼なところがあるね」

「入学式でいきなり恋をされたのかと先走りました。殿下が恋をしたくなるような可愛い方がいると思って」

 アレックス王子がすごく、すごく、すごーく嫌な顔をする。手招きされたので近寄ると、私の頬をしっかりとつかむ。笑っていないので、これは怒っているなと思う。私の頬をぎゅうぎゅう押しつぶす。怒っているから少し手荒だ。

「どうして、君は私が他のご令嬢に恋をするとか考えるかな?」

「ひゅ、ひ、みゃ、しぇ、ん。でゅ、みょ、早速、誰かに出会ったりしたかなって? 可愛いご令嬢はおりますので、こう偶然出会ってドンと恋に落ちるのは恋愛の定番ですから」

 途中で手を放してくれたので、なんとか思ったことを述べさせてもらえる。でも、殿下の顔をみて失敗した事を悟る。きれいな顔で笑ってみせるのに、その目が全然笑っていないどころか冷たい。この感じはさっきよりも本気で怒っている時の顔だ。顎に手をかけると少しだけ持ち上げる。

「私が簡単に心変わるような男だと思ってるのかい? まぁ、偶然サラザン男爵令嬢にあったけど、別になんとも思わなかった。私の探し人は、たった一人なのを臣下の君には忘れないで欲しいな」

「……良かった」

 滑り落ちる言葉は安堵で泣きたくなるぐらい嬉しい。シナリオ通りのイベントがシナリオ通りの答えを結ぶわけじゃない。殿下の言葉はそれを教えてくれる。そして、アレックス王子の中にキャロルがいる事をその口から聞けるのが嬉しくて、大好きが溢れそうになる。
 アレックス王子が困ったように口元を抑えると、顎をなぞる様にして私の頬をまた掴む。もう目に怒りはないので安心する。柔らかく私の頬を摘まむ。

「私を試すのはやめろ。命令だ、今日はクロードと女の子を探せ。……会いたいんだ、まだ」

 最後の言葉は小さく私の耳元で囁かれる。命令ではなくて願いだと思う。私が頷くのを確認してその手を離すと、行っていいと言うように手を振る。

「あんまり興味は引かれないですが、一人だけ知らないのはつまらないな」
 
 にっこりとユーグが笑う。本人も言っているがユーグは女の子探しに絶対興味なんて持たないし、知ってもも手伝わないと思う。でも、キャロルとは面識があるから、特徴から探し人がキャロルだと気づくだろう。契約があるから、その口から漏れることはないけど避けたい。
 別のユーグが飛びつきそうな話題を探す私の目に、窓の外で花弁が一斉に舞い散るのが映る。この花の名はサクラという。花弁は丸くて幹が白い前世の桜と異なる樹。でも、春に満開の花をつけて風に吹かれて散る様は前世の桜を思わせる。

「ユーグ、サクラってどうしてサクラなんでしょう?」

「うん? どうしたの急に?」

「綺麗で好きな花なんですが、他の花の名前と少し音の印象が違うって気になってたんです。動物にも感じる事があるんです、狸、猫、鼠……。他のものと少し音が違うと感じる言葉はありませんか?」

 少しだけ金の眼を細めると、遠くを見つめる表情になる。ユーグが思考に飲み込まれる時の顔だ。僅かな時間の後、私の目をみてにっこりと笑う。作った笑顔に嫌な予感しかしない。

「悪くない話題だけど、言葉に興味はあまりないな。僕の研究の役に立ちそうな要素も思いつかない。今は女の子の事が聞きたいな」
 
 万事休すと肩を落としたくなる私に、背後から近づいたカミュ様が囁く。

「女の子の事はあまり知る人を増やさない方が良いと、私も思います」

 いつかカミュ様はアレックス王子と会うことはいい結末にならないと言った。そして精霊の子は哀れだと胸を痛めてくれた。彼の出した結論は深入りをしない現状維持だ。カミュ様がユーグに艶やかな笑顔を向ける。

「私はいくつかの言葉が響きの違う理由を少しだけ存じております。でも、もっと深く知りたいですね。調べて頂けるなら、ユーグにご褒美を差し上げましょうか?」

 ユーグが王族に向けるには不適切な値踏みするような眼差しをむける。でも、その眼差しは一転ユーグの興味を攫った証拠。カミュ様が銀の細やかな刺繍をしたスカーフを直しながら提案する。

「そうですね。ユーグの喜ぶご褒美なら、研究を後押しする書状を私がしたためるのは如何ですか?仮にも大公家ですから、きっとお役に立つ場は多いでしょう?」
 
「うん。すごくいい。すごく欲しいご褒美だよ、カミュ様! それならやってもいいよ」

 どうやらユーグにとってはかなり魅力的なご褒美だったようで、カミュ様に抱き着く。相変わらずの距離の近い表現に困ってカミュ様が苦笑いを浮かべるので、私も苦笑いを返す。
 
 入学式までお茶を楽しむ。きらきらとしたアレックス王子、エキゾチックなカミュ様、精悍なクロード、色気が滲むユーグ。「キミエト」の中で私が憧れていた人たちが、制服に身を包んで並ぶ。お茶を飲みながら湯気に隠れて思わずその景色に見惚れてしまう。少しだけ「キミエト」の世界にいる事を楽しむ一時、転生もこの瞬間だけは悪くない。ちょっとだけ興奮で意識が飛びそうになりながら、私は元気をもらう。

「そろそろお時間です。入学式典にお向かい下さい」

 護衛から声がかかった。綱渡りになるであろう学園での生活がついに始まる!




<前の話>    <次の話>

0 件のコメント:

コメントを投稿