2018年11月10日土曜日
二章 二十四話 カミュ キャロル11歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります
何かあったら相談するように、そういったクロードの言葉が頭の中に何度もこだまする。
「ノエル、よく来てくださいました」
数日を置いて、カミュ様より急なお誘いの使者が来た。クロードも来ると書かれていた。なのに、招かれた先は離宮のお屋敷でクロードもアレックス王子もいない。私の前に立つのはカミュ様だけだ。
「あの、どうして今日は私だけ?」
「馬車で、近いうちにお会いしましょうと申し上げましたよ」
こちらへどうぞ、そう言って先導してくれる。カミュ様のお召し物は初めて見る形だ。前世の着物に少し似ているが、帯が細くてもう少しふんわりとした形だ。
「珍しいお召し物ですね」
「そうですね。古いデザインなので着用する者はあまりおりませんね」
カミュ様の私室に案内される。従者も護衛も外で待つように命じられた。不安げな私をジルが気づかわしげに見つめる。その視線を切るように扉が閉じられた。
「ノエルは、果実水は甘味と酸味どちらが好きですか?」
「甘いほうが好きです」
私にグラスを渡すと、カミュ様は一口果実水を含みながら窓辺に身を寄せる。席を進められたけど、いつもと違う様子に私は部屋の中央に立ち竦む。
「どうして、ノエルが私の秘宝を持っていたのですか?」
私はカップを取り落としそうになって、慌てて握りなおす。窓辺にもたれるカミュ様は穏やかな女神さまのような笑顔だ。でも、背中に冷やりとしたものが走る。
「気を配ってらっしゃいましたが、私は貴方をずっと観察しておりました」
「観察ですか?」
「貴方が私の代わりにアレックスの側に立つのに相応しいかを見ていました」
質問は私が秘宝を持っていた理由、だけど咄嗟の質問に私は態勢が整わない。今は少し余裕を持ちたくて、話を別の方向に引いていく。
「相応しくないなら、どうするつもりでしたか?」
カミュ様が愛らしく小首を傾げてから、冷たく微笑んでみせる。
「どうしましょうか?ご希望はありますか?」
「……いいえ。私はアレックス王子に相応しい臣下になります。答えは必要ありません」
期待しますと、応えるカミュ様に私の胸が騒ぐ。あの日のいつもと違うカミュ様。私の代わりに。私より。煩わせて。背負う。感傷的。引っかかる言葉の数々。返ってきた秘宝への複雑な反応。私は思った事をそのまま投げかける。
「まるで、カミュ様がアレックス殿下の側から消えてしまうような言葉です」
「……消えるかもしれませんね」
カミュ様の顔から表情がなくなる、返事は消えるかもという思いがけない言葉だ。
「どうしてですか? いつも一緒にいらっしゃったのに」
「もう秘宝は戻りました。私にわずらう必要がアレックスにありません」
わずらう必要はない。どうしてそんな言葉をつかうのか。窓辺に額を寄せて、向けられる背中からは表情は伺えない。
「……秘宝は見つからない方がよかったですか?」
「見つけてくださって嬉しいですよ。私にも切り札があった方が良いですから」
僅かの時間だけどこれまで行動を共にして、カミュ様は本心を隠すのが上手い事を知っている。優しい笑顔を表に向けて、裏側に抱える感情を殆ど見せない。でも、11歳の子供が全てを隠しきれる訳がない。あの日、滲み出た見せたことのない表情がそうだ。今も背中を向けるのは表に出る感情を隠したいからだと思う。
「アレックス殿下の事が嫌いですか? 秘宝が見つかれば、側にいたくないんですか?」
答えは違うとわかってる。今は、一番嫌な言葉を投げつける。怒って、こちらを向いて本当の気持ちで話してくれたらいい。アレックス王子とカミュ様とクロードと過ごした短い時間が好き。無理を言うアレックス王子を窘めるカミュ様の存在はきっと必要だと思う。
「……嫌いなわけない。臆病な私への罰です」
振り向いた紅潮した頬も、強く睨む目も、初めてみるカミュ様だ。こんな風に怒らせて暴くのは酷い事だと思う。でも、何も知らなければ、何もしてあげられない。私の勝手。だけど、消えるというなら、取り戻したいと思う。
「ノエル。エトワールの泉の絵本はご存知ですか?」
「知っています。私も好きな絵本です」
この国の全ての人が知る二百年前のアルノルフ王とシーナ王妃の悲恋の物語。今も何度も読み返す。王家の家紋の女神に似た美しい人、リュウドラを連れた予言者シーナ王妃。物語を飾るために色々誇張されたおとぎ話的な要素は作り話だとわかっていても憧れた。
「本物のシーナ王妃の肖像画はこの国には珍しい黒い瞳と黒い髪で私とそっくりなんですよ。王家にはシーナ王妃のの特徴を受け継ぐ子が時々生れます。その子には、王位継承権の末席が与えられるんです。私は初めから三位で特例ではありませんがね。どうしてか、わかりますか?」
引きつるような笑顔でカミュ様が私に尋ねる。シーナ王妃の数々の逸話の中で最も特徴的なものは、預言者である事。預言者だからと答えると、苦い笑みを浮かべる。
「私に預言の力はありません。力をもつ者は過去にもおりません。しかし、周りは期待するんです。物心ついた時から、私の言葉の全ては周りの者には預言でした。喜びの言葉も、励ましも、悲しみも、慰めを求める言葉もです。私には称賛か、非難と溜息しか返ってきませんでした」
綺麗な空をみてお天気がいいと言えば日照りがくる予言。美しい田畑に作物が実ることを願えば勝手に豊作の年の予言。怖い夢をみたから抱きしめてと言えば、国に不幸が起こる予言。カミュ様が語るのは、言葉を覚えたての子供に負わされる一方的な言葉の責任。私の言葉はいつも理解と愛情で返されてきた。でもカミュ様は違った。語るたびに悲し気にゆれる瞳に私はかける言葉を見つけられない。
「言葉を捨てました。私の変化に一人味方であった母が、離宮を賜り王城を離れて下さりました。人に触れず言葉のない私が、母以外に唯一言葉を交わせたのが兄弟のように育ったアレックスです」
眩しい笑顔が浮かぶ。自由で自信に満ちた言動と前向きな好奇心。アレックス王子なら素直に全ての言葉に答えてくれるだろう。言葉を捨てたカミュ様にとってそれはどれ程の存在なのか。
「私にとってアレックスは唯一の存在でした。でも、窓から見える貴族の子を見て、行ってみようとアレックスは言うようになりました。彼の好奇心は、ここに留まらないから、いつか失うと怯えるようになりました」
狭い世界に留まって身を守るカミュ様に、自由にあるがままで行動していくアレックス王子を引き留める方法はない。それをどんな思いで見つめていたのだろうか。
「そんな時に秘宝を失う事件が起きたんです。あの日、あの丘に絶対に行くと言ったアレックスに、隠し通路を開けるために私の秘宝を貸しました」
隠し通路は所有者の家族だけが使える。離宮の管理者の子供であるカミュ様は使えたが、アレックス王子は使えない。でも、カミュ様の秘宝を持てば、秘宝に宿るカミュ様の魔力が強くて使うことができた。だから、あの日カミュ様の秘宝をもってアレックス王子は私の前に現れた。
「自分の秘宝と私の秘宝、一緒にして持っていたそうです。余程、慌てていたのでしょう。取り違えは、帰りに隠し通路を使う時まで気づかなかったそうです。表門から戻り、外に出た事を問う使用人を下がらせて、真っ青な顔で責任をとって自分の秘宝を渡すと言いはりました。お断りです。王になんてなりたくありません」
誰かの期待と失望に傷ついた8歳の子供にとって、より大きな期待と失望を背負う王の未来はいらないものだった。なら、なぜ秘宝を再び求めたのか。
「アレックスは秘宝を失った私を気遣うように、今まで以上に側にいるようになりました。それは、秘宝がもどるまで私に失う猶予ができたのと同時に、アレックスにとって私が枷になったということでした」
私は、その言葉を噛み占める。カミュ様の痛みはカミュ様だけの痛み。同じ状況を知らない私の想像はきっと足りない。
語られる言葉を失ったカミュ様と私たちの前で穏やかに言葉を紡ぐカミュ様は違う。怯えるままで失うのが嫌で、足掻く気持ちなら私はよく知っている。多分、その猶予の間にカミュ様は自分の痛みに足掻いたのだ。
「今のカミュ様には、自分の意思を口にして、前に進む、その力があると思いいます。変わられたのですよね?」
私の知っている笑顔をほんの一瞬だけ見せて頷く。秘宝を取り戻したい言ったのは、枷でなくなる事ができたから? でも、それでは見つかった時の態度と矛盾する。私が、口を開こうとするのをカミュ様が遮るように話し出す。
「私は変わりました。自分が枷になったことを自覚して初めて、アレックスの側でこのままではいけないと思ったんです。でも、本心とは簡単に変われないものですね。他の子とは一定の距離を保っていたのに、ノエルとクロードをアレックスは召し上げた。とても楽しそうでした」
カミュ様が諦めたように笑って窓枠に腰をおろす。私の顔を見ずに、外のどこか遠くを見つめる。その目が見つめる先には一体何があるのだろう。
「引き留めたくて枷を見せるかのように、私は秘宝を求める振りをしてしまいました」
返していただきたい。口にした言葉はカミュ様の本心と異なるのに、その言葉が望まない道を切り開く。カミュ様の為にも、自分の願いの為にもと、今まで以上に必死に探そうとするアレックス王子。私のところに届いたアレックス王子の催促の手紙と、とりなして先送りしたカミュ様。戻そうとしても、戻らない。
「失敗は続きます。困惑させようと子供に忠誠心を求めたら、二人そろって捧げてしまう。嫌ではなかったのですか?」
重みと責任を誰より知るカミュ様、私もクロードも戸惑ったけれどカミュ様が考えた重みと責任とは異なった。あの時点で捧げた忠誠にはカミュ様の求める思いには届いていない。
「私とクロードの思いが、カミュ様の求めた忠誠に届いているかは自信がありません。でも、これから必ず届かせます。私もクロードも殿下の未来に必ず役に立ちます。……カミュ様もその時は一緒ですよね?」
首を振って弱々しく微笑む。怯えるように落とす視線も、気が付くと抱きしめるように抱え込んだその腕も、私の知らない閉じた世界を望んだカミュ様だ。
「一番の臣はノエル、二番の臣はクロード。私は枷だから側にいても臣には選んでもらえなかった。ならば秘宝が戻ったその時には、再び離宮に戻ると決めたんです。それでも、最後の悪あがきで護衛の土魔法で壊れたらいいと自暴自棄になりましたが、貴方に止められてしまいました。これで全て終了です」
長い沈黙が落ちる。私は何を伝えたらよいのか。きっとカミュ様は間違っている。悩んで、怯えて、見つめるものに霞をかけてしまっている。誰よりもアレックス王子を知っている、カミュ様の事をそう言った護衛の言葉。近いうちに皆で祝ってやろう、そう笑ったアレックス王子。
「アレックス王子に確認しましたか? ちゃんと声に出して聞きましたか?」
「そんなの聞く必要はありません。聞きたくないのです」
「あります! ダメです! 一方的に勝手に離れていこうなんてダメなのです。アレックス王子とカミュ様の関係は臣じゃないんです。友達です! 私とクロードが友達であるように、アレックス王子とカミュ様も友達なんです! クロードが私からそうやって離れるなら、私は怒って泣きます」
私は大きな声で叫ぶ。弱いカミュ様がどこかに飛んでいくように。私の声が閉じた世界に隠れようとするカミュ様に届くように。
驚いた顔をしてから、小さな声でカミュ様が笑う。
「友達ですか……。秘宝が戻った後、私はクロードに伺いました。ノエルが一番の臣とアレックスに言われるのは悲しくないかと。口下手で不器用で優しい男ですね、クロードは。貴方の良い所を上げて、誰かに好かれるのは当然だと。それでも自分にとって大切な友達なのは変わらないからそれでいい、と言いました」
私は頷く。私にとってもクロードは大切な友達だ。クロードを誰かが一番に思ったり、クロードが私以外を一番だということがあっても、私にとってのクロードの存在は変わらない。
「誰かと比べて、一番でいたいと思うのは我儘でしょうか?」
「我儘ではないと思います。私がクロードを一番の友達だと思っているのに、クロードから見て二番の友達になったらやっぱり悲しいと思います。でも、どんな順番がついても友達って気持ちって変わりません。それに私がクロードを一番だと勝手に思い続けるのはダメじゃないですよね?ならば私もそれでいいです」
「ふふっ、強くて勝手で羨ましいです。結構だと思います」
カミュ様の笑顔に私も笑う。これからたくさんの出会いがあって、好きになって嫌いになって、一番だったり、二番になったり、泣いて、笑って、怒っても繋がり続ければ、私たちはずっと友達として同じところを歩いて行ける。
「不敬ですが、私はカミュ様も友達と思ってます! とても大事です! また泥遊びをしましょう」
「私の中ではノエルは暫定三位の友達ですよ。もっと頑張ってくださいね」
いつもの花の咲くような笑顔で応える。三位って、アレックス王子、クロードの下? 一番最後ってことだ。なかなか厳しい。でも、笑ってくれるならそれでいい。友達にアレックス王子含まれていて、私のことも友達って思ってくれるなら。
「消えないでださいね。友達の帰りを待ってます」
「……善処します。ところで、ノエル。随分横道に逸らされてしまいましたが、私の最初の質問に答えて下さい」
気持ちを引き締める、カミュ様の話に夢中で最初の本題をすっかり忘れていた。友達と言ったその口で嘘をつくのは苦しい。だから嘘は少ないほうがいい。私はノエルとしての自分を守るためにキャロルの自分を隠す言葉を探す。あの日、バルバラおばあ様が退いた言葉。それは、他の人も納得しうる理由になるか。
「……預かりました。精霊の子からです」
「精霊の子ですか?」
「はい。それ以上は私にも申し上げられません。私とカミュ様の秘密にしていてください」
難しい顔でカミュ様が黙り込む。暫く考え込んでから、秘密として預かる事を約束してくれる。もし、アレックス王子に告げる時は必ず相談すると言ってくれた。精霊の子。その言葉の意味を一度きちんと父上に確認しなくてはいけない。
部屋をノックする音がする。カミュ様が入室を許可すると使用人が一枚の手紙を携えていた。封蝋の印は王家の紋。その場で手紙を開いたカミュ様の笑顔に吸い込まれるように見惚れる。今までて一番優しく綺麗な笑顔を浮かべて私に告げる言葉は、閉じようとした世界を開く言葉。
「今度、私の秘宝が戻ったお祝いをアレックスがしてくれるそうです。四人の仲間だけでの秘密の宴だと。ノエルとクロードも一緒にいきましょうね」
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