2018年11月17日土曜日

二章 二十六話 変身 キャロル12歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 特命捜査が終わってからも、アレックス王子の勉強会に定期的に私とクロードは呼び出されている。月に数回顔を出しているので近衛の人達とも顔なじみになり、王族の住まいに立ち入ることにも緊張することはない。

「ノエル、春の公の儀の舞踏会にクロードと一緒に参加したそうだな」

 歴史書から顔を上げると、すぐにアレックス王子が顔を掴む。ぷにぷに、ぷにぷに。すっかりこの攻撃にも慣れた。

「や、め、ひぇ、く、だゃ、しゃ、い」

「どうして、私とカミュも誘わない?」

 公の儀の舞踏会に参加するのは、自分の儀があった時以来だった。時折、母上の派閥の舞踏会には参加していたけど、やはり子供には少し敷居がたかい。

「俺の妹の公の儀で、急に呼びました」

「そうです。急にきまったので誘えなかったんです」

 参加することになったのは、クロードからのお願いだった。クロードのすぐ下の妹からファーストダンスは是非にと指名があった。本当は公になる前の交渉はダメなんだけど、クロードは頼まれると弱い。そして私もクロードに頼まれると弱い。直前だったけど、その日はどうしても来てほしい、そう言われたら断れない。

「クロードもノエルも大変な人気だったそうですね。ご令嬢の列ができたと伺いました」

「二人とも踊りっぱなしの上に、令嬢に失神者がでたときいたぞ」

 楽しそうにアレックス王子が笑う。列ができたのは大げさだと思う。私もクロードも侯爵家だし、参加すればそれなりに申し込みがある。公になって二年たてば顔も売れてるし、お付き合いもあるのでお断りするのが難しいのだ。確かに私と踊った令嬢が倒れたけど、ダンスの途中から少しぼーっとした様子で、あれは貧血気味だったのだと思う。

「ノエルは、身長も伸びましたし、人気で羨ましい限りですね」

 この一年私は10センチ近く身長が伸びた。小柄なマリーゼにもう少しで追いつきそうなぐらいだ。
 カミュ様はちょっとそれが不満らしい。カミュ様も大きくなっているけど今年は思いのほか伸びなかった。体型も全体的に細くて透明感のある少年らしさが残る。いつも、愛らしい顔で身長の話の時は白い頬を膨らませる。

「カミュ様、一番羨ましいのはクロードです!もう大人と変わらないんですよ!!」

 クロードは体つきもがっちりとして、小柄な男の人と並んでも遜色ない。顔つきだってすごく大人になって、正直ゲームのスチルにかなり近い雰囲気になった。ときおり、間近に覗き込まれると顔が赤くなりそうになる。アレックス王子が急に私の手を引いて立たせる。

「私だって伸びただろ?」

 でも、一番心臓に悪いのはアレックス王子。顔を合わせる機会が増えると、積極的な性格からどんどん私の世界に踏み込んでくる。今だって引いた手を女の子にするように乗せて、腰を引く。向き合ったまま近い位置で背を比べ始めた。私の背はアレックス王子の瞳より少し下。話すたびに王子の吐息が私のおでこをくすぐる。くすぐったくて、温かくて、思わず目をつぶる。

「ふーん。確かに君は去年より大きくなってるね」

 つまらなそうに呟く。早くこの距離を解放してほしい。ほんの少し私の頭の上をのぞき込む気配がして、微かに額に感じる触れそうで触れない感覚が私の思考を止まらせる。目を開けばきれいな首筋が間近だ。

「糸屑」

 そう言って、私の目の前に小さな糸を見せる。糸の向こうの笑顔に負けそうになって、慌てて糸を受けとる。いつまでたってもアレックス王子は馴れない。カミュ様もクロードも大分慣れたのに。
 背比べに満足して席に戻ると、さっさとまた歴史書に目を落とす。こんな時少しだけ置き去りにされる気分になるのは、いつもアレックス王子が勝手気ままで意地悪だからだと自分を納得させる。

「そういえば、バスティア公爵から、ご子息もこちらに呼んでほしいと声をかけられました。どうしますか、アレックス?」

 私たちの勉強会の半分は雑談だ。一応、その日に決めたテーマで本を読むが、飽きてくるとこうして社交界での話を持ち寄って脱線を繰り返す。

「またか? 断ってくれ。あまり好きな御仁じゃない」

「同感です。では、アレックスが嫌がってると伝えます」

「私のせいにするな」

 そう言いあって、穏やかに笑みあうカミュ様とアレックス王子には垣根も距離もない。おかえりなさい。ただいま。口にしていない言葉は、時おり私とカミュ様の微笑みがぶつかって自然と伝わる。

「ディエリ様ですよね。腕が立つと聞きました」

 クロードは少し興味があるようだ。ディエリ・バスティア。私もその名前は度々耳にする。私たちとより後の冬の公の儀に参加している。文武両道のバスティア公爵家らしい優秀な子だと誰もが口を揃える有名人だ。

「会いたければ、君に紹介してやる。でも私は遠慮するぞ」

 どうやらアレックス王子とは反りが合わないらしい。では、今度お願いします、生真面目にクロードが答えたところで、ドアをノックする音が聞こえた。

「そろそろお時間になります」

 従者が勉強会終了の時間を告げる。荷物を整えて、暇を告げる挨拶をすると珍しくアレックス王子もカミュ様も門まで送るという。まだまだ話したりないらしい。

「そういえば、アネモネ石は随分と人気のようですね」

 王城内を玄関ホールに向かって歩きながら、カミュ様が私に問う。お父様が撒いた種が何なのかはわからないけど、あれ以来カミュ様からキャロルに関する直接の問いはない。今の質問がキャロルに繋がる問いかけなのか、ただの興味かはわからないけど私は事前に決めたとおりの回答をする。

「ありがとうございます。父上の力を入れている直轄地なので、評判がよくて嬉しいです」

「うん。アングラード侯爵家のワンデリア領に行ってみたいな。勢いのある事業を見てみたい」

 とんでもない! こちらはカミュ様とバルバラおばあ様の行動を待って、キャロルを終わらせる為に活動している。そこにアレックス王子に登場されたら波乱の予感しかしない。

「何もない所と聞いています。魔物も出ますし、私もまだ行ったことのない場所です。殿下がいらっしゃるならきっと用意も必要になります。ご容赦ください」

 不服そうにしてるが、アレックス王子は自分が行く事に過大な用意が必要なことはよく知っている。だから、無理は言わない。代わりに、王家の直轄のワンデリア領に行くかと言い出す。ワンデリア領は複数の有力貴族が分割して土地を収めている。隣国に接する土地をオーリック辺境伯、そして地下渓谷を挟むように北はベッケル侯爵、我がアングラード、シュレッサー伯爵、南をバスティア公爵、ヴァセラン侯爵、王族だ。
近くはないけど、アングラードの領地と移動ができない距離ではない。

「やめておきましょう、アレックス。私たちはまだ自分の身が守れません。学園に入学して、魔法ぐらいは身に着けないと迷惑になりますよ」

 カミュ様がなだめてくれる。殿下の好奇心を抑えるのにはやっぱりカミュ様がいないと困る。私の方をみてやんわりと微笑んだ気がする。もしかして、私の為にアレックス王子を止めた? お父様とカミュ様のやりとりが気になる。
 突然誰かに後ろから腰を引かれて、抱きしめれるように捕まる。

「ノエル・アングラード?」
 
 耳元でぞっとすぐらい魅力的な声で囁かれる。一度聴いたら忘れられない癖のある声は艶やかだ。私はよく知っている。この世界でなく前世で飽きずに何度も聞いた。私は、頷いて答える。

「アングラード領に遊びに行きたいな」

 耳に触れる唇が囁くたびに耳をくすぐる。鳥肌が立つようにしびれる感覚に力が抜けそうで、両手を握りしめる。

「ユーグ!!」
 
 アレックス王子がその名を呼んで私の腕を強くひく。その胸に倒れこむと肩をしっかり守るように抱きしめられた。慌てて、その胸から逃れて、向き直ると私に囁きかけた人物と対面する。
 紫がかった髪に金の瞳、切れ長で色気のある眼差しと歪めた薄い唇。蠱惑的な表情で私を見つめるのは、ユーグ・シュレッサー。「キミエト」攻略者の一人だった。

「ノエルに突然何をするんだ」

「見つけたので、ちょっと捕獲してお話をしたかったんですよ」

 そう言って肩をすくめて見せる。声は声変わりが済んでるけど、顔にはまだ少し幼さが残る。でも既に動作の一つ一つが優美で色っぽい。自分のしたいことをしているだけなのに、自然に蠱惑的な色気を振りまく。ある意味この世界私が一番会いたくなかったキャラクターだ。

「ああ、ご挨拶を忘れておりました。ごきげんよう、殿下、カミュ様。それから、はじめまして、お二方、ユーグ・シュレッサーです」

 たった今気づいたように、そう挨拶をすると滑らかに立礼をとる。私とクロードも礼を返して名乗る。獲物を見つけたかのように楽しそうに見つめるので、クロードの背中にこっそり隠れた。

「ユーグ。貴方もお帰りですか?」

「ええ、カミュ様。今日も興味深い発見がたくさんありました。研究棟の出入りの許可を戴けたことを感謝いたします」

 そう言って、私たちと共に歩き出す。私はクロードと殿下の間に入って、できるだけユーグとは距離をとる。ワンデリアに遊びに行きたいな、ユーグの言葉。私にとっては歓迎して受け入れる気はない。

「君の家系は相変わらず、研究バカがそろってるね。ノエルは私の大切な臣下だ。おかしな真似はしないでもらいたいな」
 
「おかしな真似ですか? した覚えはありませんが留意しましょう」

 多分、言葉の通りユーグの行動に悪意も他意もない。研究がしたくて、その為に必要なものがあるなら、他は目に入らないだけなのだ。ただ、彼の場合、天然で色気をまき散らすからタチが悪い。私を見つけてアングラードのワンデリア領に行きたいと伝えたかっただけなのに捕獲といって腰を抱く。
 そもそも、シュレッサー伯爵家はこの国の頭脳と呼ばれる。功績だけなら侯爵にいつでもなれる。堅苦しい称号の所為で研究の時間を無駄にしたくない、気楽で程ほどの伯爵のままでいい。王家の打診を何代にもわたり断り続けているのは有名だ。もっとも、処分ぎりぎりの行動が多いのも有名だ。公になった子息がエトワールの泉に侵入するとか、研究棟の壁を吹き飛ばすとか、研究のためにとんでもなく強引に取引するなど枚挙にいとまない。変わり者、研究狂い、そんな名で呼ばれてその行動はどこかシュレッサーなら仕方ないという空気ができあがっている。

「君は本当にほっておくと危険だな」

 アレックス王子は嫌そうな顔でユーグにそう告げると、私の頬を掴む。君も巻き込まれてはダメだよ、そう言って何度か頬を潰した。
 玄関ホールでアレックス王子とカミュ様に別れをつげる。外にはすでにそれぞれの家紋の馬車が待っていた。

「では、ノエルまたな。ユーグ殿、先に失礼する」

 そう言って、クロードが先頭の馬車に乗り込む。私も同じように二人に別れを告げて、急いでクロードに続くように馬車に乗り込んだ。閉じた馬車の扉を軽いノックがされる。はっきり言って開けたくない。
 後ろの従者台からジルが諫める声がするが、お構いなしにもう一度ノックが繰り返された。出るまで、続きそうだと思って、覚悟を決めて扉を開ける。
 伸びた手が私の首を捉えて引き寄せる。前髪が触れ合う距離で怪しく私を見つめる目が楽しそうに細められた。

「ワンデリアの領地はお隣だし、近く遊びに行くからね。連絡は欲しい?」

 連絡なしに来られるのは困るし、連絡をもらったら丁重にお断りするつもりだ。すでに確定事項のように語られる言葉に私は頷く。満足そうに頷くと、薄い唇を赤い舌で少しだけ舐めて嬉しそうに微笑む。 

「楽しみにしているよ。せっかくだし、僕の研究も今度教えてあげるね、ノエル」

 私の首を解放すると、手を挙げて自分の馬車に戻っていった。私も馬車を閉じると、砕けるように腰を下ろす。途端に顔が熱くなるのがわかった。ユーグの距離感が近すぎる。大好きだった「キミエト」の攻略者の一人で今日が初対面。慣れていないのに、艶っぽい言動で至近距離に踏み込んでくる。私の心臓と意識が久しぶりに悲鳴をあげた。

 父上にもユーグの事は話しておいた。事業は立ち上げたばかりで他領のものを入れるつもりがない、書面で正式にシュレッサー伯爵に伝えてもらった。相手はシュレッサーだからと、父上は申し入れの効果に些か不安を口にしてたが、効果はあったようでユーグから新たな打診はない。

「はい。お嬢様できました」

 久しぶりのお嬢様の呼びかけにほんの少し心が躍る。鏡の中の私はくるくるの縦ロールを高く両端に結い上げたキャロルだ。本日、三か月振りのワンデリアだ。父上の指示をうけてから既に二回足を運んでいる。一回目に訪れた時は、私の元気な姿にたくさんの人が喜んでくれた。三人の職人とオレガ、じいじは涙を流してくれて、私も少しだけ一緒に泣いた。どのくらいこの姿でみんなといられるかわからない。だから、最後のキャロルの時間は大切に全力で取り組みたい。

「今回は少し、付け髪の櫛に新しい工夫をしてあります。前より取れにくくなりましたが、行動には注意してくださいね」

 短い髪で無理やり作ったお団子に、私の切った髪で作った付け髪を櫛で差し込んでいる。私がノエルになった日に切った髪はマリーゼが残していた。いつか、お人形さんみたいこっそり着飾らせてもらう事を目標に水面下で用意し、母上に直訴していたらしい。頭を振って、その長い髪の感触を楽しむ。

「ドレスは動きやすいようにひざ下の短いものに致しますね」

 マリーゼが、大人しい色合いのドレスで動きやすいシンプルなものを選んで出してきてくれる。私の今着ているのはすべて母上のお下がりだ。キャロルの存在を隠してから、服の注文は控えている。
 
「コルセットは一番緩いのにして下さいね! ノエルの時は頑張ってぎゅう詰めなので、キャロルの時は楽なのが一番です」

 少しずつ女の子の体から女性の体に変化してきている私は、ノエルの時は特注のコルセットを使うようになった。コルセットもピロイエ家にもらった。ピロイエ家に何故そんなものがあるのかと思う。母上が騎士になるために男になろうとしたとしか思えない。ピロイエ家は本当にいろいろ自由で寛容だ。
 今日は一番楽な胸だけの下着にしてもらう。ドレスを着て、ソックスを履き、可愛い丸い靴を履く。
 鏡の中の私は上から下まで、女の子。精霊の子キャロルへの一時の大変身。おかえりなさい、キャロル。私は鏡に向かって女の子の笑顔を浮かべる。
 


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