2018年11月18日日曜日
二章 二十九話 満月の下で キャロル12歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります
時間的にユーグが今日の内に帰る為には、シュレッサー伯爵と迅速に連絡が取れる必要があった。シュレッサー伯爵は連絡が取りにくいことで有名なことを思い出す。やっぱり間に合わなかった。
「……では、私も泊まります。ユーグに謝りたいですし。私がこんな状態だったので精霊の子の話も伝えていません」
「明朝には旦那様がキャロル様と代わるそうです。それまでに出来そうですか?」
精霊の子であることを告げるだけの対策。でも、これだけでいいの? 父上の考えはどこにあるのだろうか。おばあ様、カミュ様は精霊の子の女の子が晒される危険をきちんと理解して抑えることができる人たちだ。でも、ユーグは同じになるか不安に思う。
「大丈夫です。何とかします。ジルは私とユーグの食事の手配等が終わったら、帰ってください。ノエルの従者ですから、ここに長居はだめですよ」
複雑そうな表情を浮かべるジルに私は胸を張って笑って見せる。それでも心配そうに私を伺うジルは本当に心配症だ。
一日なら雇用主の父上の命令で私の側につくことがあっても、二日もノエルの側を離れることはあり得ない。この先、ユーグとはノエルとしての付き合いがある。私に心を掛け過ぎる印象は残してはダメだ。
「心配です。本当に気を付けてお過ごし下さい」
クララは勿論、じいじにもこちら泊まってもらうから大丈夫だと説得すると、諦めた様に肩を落とした。
窓から見えるワンデリアの夕日が山も部屋も何もかもを赤く染めていく。綺麗で落ちつかない美しさに騒ぐ胸を抑えて、無事に今夜が乗り切れることを願う。
その夜はワンデリアで領民の心づくしの夕食を食べる。素朴で優しい味はなつかしい気がして好きだった。ジルがゲートから王都に戻るのを見送ると、私はユーグの部屋に向かうことにする。
「クララ、ユーグ様は大人しくしていますか?」
「はい。紙とペンを渡したら、とっても静かにお休みです!」
頷いて、ドアをノックする。返事がない。もう一度ノックしても、返事がないので静かにドアを開ける。
目に入ったのは一面に散らばる紙だ。驚いて拾い上げると、そのどれもに、難しい計算式や、図形が描かれている。数枚を拾ってその内容に目を通す。知らない知識が並ぶ紙。魔法弾改良案 参拾と書かれた紙には、丸が付けられた式とバツが付けれた式が並ぶ。違う紙には、魔物の発現の応用と書いた後に人体図が描かれていた。
書いた本人は背を向けてベットに横になっている。食事は済ませたと聞いているが、まだ寝るには早い時間。そっとその背に近づいて顔を覗き込むと、向かい合う時よりもずっと幼い少年の寝顔に思わず笑みが零れた。ちらばった紙を拾い上げてまとめていく。変な人だけど真剣に研究に取り組んでいるのだと思う。
「なんの用?」
整えた書類を鞄の横に置くと、そう問われる。振り返るとベットに腕を投げ出して、横になったまま面倒くさそうにユーグが私を見ていた。怒っているのは分かるけど横になったままそんな表情を浮かべられるのは少し傷つく。
「あの、お話をしたくて。私……」
「出てって。今は眠いんだ。仮眠をとって土の刻に呼びに……き……て」
そう言って、再び瞼を閉じてしまう。土の刻は前世でいうところの夜中の0時だ。また、とんでもない時刻を指定してきたと、ため息を吐く。寝てしまったユーグの毛布を肩まで引き上げてから、私は部屋を出る。
部屋を出ると、乱れのない佇まいに、静かな微笑を浮かべてクレイが私を待っていた。
「お嬢様、良い月夜でございますね。先ほどこちらに到着いたしました。いくつかレオナール様の指示がありますので、付きっ切りとはまいりませんが、できる限りお世話させて頂きます」
時折見せる暴言と笑い上戸な姿はこうしていると嘘みたいだ。まだ何も話せていない事を告げて、仮眠をとるので土の刻に起こしてほしいと頼む。
「畏まりました。今から村で明日のお迎えの方への応接の相談に行ってまいります。クララとじいじでしたね? お二方に留守をお願い致しました。良い夢をご覧ください、お嬢様」
一礼して去る後ろ姿を見守る。その背がなんだかうきうきして見えるのは私の気のせいだろうか? その後ろ姿を呼び止める。
「クレイはお父様から私の事について詳しい話は聞いていますか?」
課された条件はほんの僅か、私はほぼ自分の意志でそれぞれの時間を自由に過ごしている。でも、こんな風にトラブルに巻き込まれると不安になる。
「お答えはできませんので、悪しからずご容赦くださいませ。……一つだけ、レオナール様がおっしゃったなら、それで宜しいかと存じます。責任を取る算段をお持ちなのでしょう。何しろ、アングラードは狸の住処ですから!面白い狸がたくさんおります故!」
可笑しそうに肩を震わせるその背を見送って、私は用意された自分の為の部屋に戻る。狸の中に私もはいるのかしら? 私は毛布を頭まで被ると、額の傷をそっと触る。アングラードの子だぬも頑張っていいはずだ。
誰かの声に呼ばれる。まだ私はとっても眠い。もう少しだけ、毛布を抱え込むように丸くなる。突然、毛布の感触がなくなって、私は、はっと目を覚ます。
「ご機嫌はいかがですか、お嬢様。土の刻になりましたよ」
私の毛布をぐるぐる巻きに手に抱えて。父上の従者のクレイが爽やかな目覚めに相応しい従者の笑顔を浮かべる。もう少し優しく起こしてもらいたい。大きく伸びをして、差し出された冷たい水を飲み干す。
「ごきげんよう、クレイ。私のジルはもう少し優しいわ」
「あの子はお嬢様に甘すぎます。甘さを抑える事も覚えませんと、従者として大切な時に判断を誤ります」
私はふくれっ面でベットから降りると、上からガウンを羽織って鏡の前で髪に小さなお団子を作り始める。クレイに手伝ってもらって、ようやくつけ髪をセットし終えた。おかしなところがないか、簡単にとれないかを念入りに確認して部屋を出る。
クレイを連れてユーグの部屋に向かう。真夜中に起こせと言うんだから、何かしたいことがあるのだろう。起こしてトラブルを起こされるのは困るけど、怒ったまま話を聞いてもらえないのもっと困る。欠伸を噛み殺しながら部屋の前に辿り着くと、同じように欠伸を噛み殺すクララがいた。
長い話にしたくないけど、ユーグが何をしたいのか分からない。クララにはクレイが側にいる間は仮眠をとるように勧めると、嬉しそうにその場で剣を抱いて眠りについた。。その寝つきの良さに感心する。
軽くノックしても、今回も返事がないのでゆっくりとドアを開ける。まだ、ぐっすり眠っているようだ。その肩を軽く揺すると小さく唸り声を上げてから、毛布を引き上げて頭まですっぽりと潜ってしまう。
「クレイ、私みたいにやっちゃってくれません?」
「ご冗談を! 他家のご令息にあのような無礼は働けません」
自分のうちのご令嬢には無礼が働けるのですねという言葉は飲み込む。それではと私は気合をいれると、その毛布を思いっきり剥ぎ取る。
「起きて下さい。お約束の土の刻ですよ」
私の言葉にはね起きるように半身を起こすと、そっと胸に抱きつく。母上、そう呟いた言葉に大人びた表情で発言をするユーグが同じ12歳であることを思い出す。その背を、できるだけ優しく叩く。怖い時にそうしてもらうのは嬉しいから。
「ユーグ様、起きて下さい」
もう一度声をかけるとゆっくりと背に回した腕を放して、私の視線に切れ長の目を会わせる。だんだん目が覚めてきて、状況を理解すると、大人びた顔を崩して顔を顰めた。バツが悪そうな表情でほんの少し頬を染める顔はちょっと愛らしい。
「こんばんは、起こしにまいりましたよ」
「……ありがとう」
グラスに水をいれて手渡すと、素直に飲み干して大きく伸びをする。その表情はいつもの大人びたユーグだ。
「うん。目が覚めた。じゃあ、夜間観測にいこう?」
やっぱり何かを言い出すと思った。夜歩きは禁止ですと告げると、館の中でもいいから地下渓谷が見えるところに行きたいと言う。シュレッサーの研究所はここはど渓谷に近くないらしい。夜間にことさら魔物が出るわけではないし、人の少ないこの村にさして危険があるわけではない。クレイに伺うように視線を移す。
「南の階段から館の屋上に出られます。そちらに行ってみますか? まだ夜は冷えるのでお二人ともケットを持って参りましょう」
ランプとケットをクレイが用意して来てくれる。私とユーグは屋上を目指した。南の階段を上って天井の石造りの扉を開くと、満月が私たちを出迎える。月の光に白い岩肌が照らされて反射して、魔法ランプがいらないくらい明るい。幻想的な夜の景色に見とらる。
「点検のための場所になります。柵もないので落ちないように注意してくださいませ」
そう言って、私とユーグを地下渓谷が見渡せる場所に座らせると一人一人ケットにくるむ。冷たい風が吹き抜けてケットだと思ったよりも寒い。風があるのでこれでは寒いですねと言うと、腕が触れ合うぐらいぴったり私とユーグを並ばせてケットを二重にして頭からすっぽり被るように包んでくれる。小さなかまくらに二人で入っているみたいでなんだか少し面白い。
「ねぇ。これ投げてよ」
ユーグがもぞもぞとケットの中でポケットを漁って、魔法弾を取り出しクレイに渡す。物騒なものではなくて野営用に長い時間辺りを照らす閃光弾だから危なくないよと言う。
クレイが、地下渓谷に投げ入れると、底についた途端一帯が明るく照らされた。白い岩と土と灰色の岩肌が幾重にも重なるのがはっきりと見える。岩肌の色の変化を三百まで数えて、私はようやく切りだす。
「あの……申し訳ありませんでした。シュレッサー家の非難したことをお詫びします。人知れず結果を残した研究者の方達への感謝を表させて下さい」
ケットの中で渓谷を見つめるユーグの横顔を見つめる。一心に谷を見下ろす表情に変化はなく、私の声は届いていないようだった。続ける言葉は少しだけ小さくなる。
「でも、私は犠牲になる人がいるのが悲しいんです。だからこれからも考えます。答えがでたら……」
聞いてもらえますか? その言葉を飲み込む。ノエルの姿でいつかそっと伝えるしかない。
「……考える人は嫌いじゃないよ。探求者の一人としてもシュレッサー伯爵家の一人としても君の感謝を受け取るよ」
谷底を見詰めたまま、ユーグがそう答える。私はほっと息を吐く。振り向いてくれなくても、怒っていても届く言葉があってよかった。
「一応、僕も考えた。犬死にはダメと、昔母に叱られたんだ。昨日の僕は、助けがなければ結果を誰にも伝えず死ぬところだった」
「一時で床を研究でいっぱいにするユーグ様の損失は惜しいです」
「そう思うよ。僕はいつか研究者の頂点に立つから。母がいた場所と同じところに立って、功績の残りを結果につなげなきゃいけない。犬死にはダメだ」
ユーグが崖から初めて顔を上げて空を見上げる。この世界でも亡くなった人は星になると言う。金の月が彼の瞳の中で少しだけ揺れる気がした。ユーグが星に見るのは多くの探求者なのだと思う。その中に過去形で語られるユーグの母もいるのだろうか?
視線をの端に何かが動く、顔を戻すと照明弾の光が大きく陰るのが見えた。大きな影はゆらゆらと照明弾の揺らめきに合わせて、小さくなって大きくなるを繰り返す。
「大変てす!ユーグ様、影です! クレイ、何かいます!」
ケットの中でユーグの腕にしがみつく。こうしておかないと、研究好きが飛び出していきかねない。すぐにクレイが私たちの側に立って警戒してくれる。影が二つになって、どんどん小さくなっていく。初めに異形に見えたその影は、小さくなるにつれて見慣れた形に近づいた。影の正体が渓谷から姿を現わした。
「狸だ」
「狸でしたわね」
くすりと笑う気配を隣に感じる。私は咳払いをして絡めた腕を解く。怖かったわけではない。ユーグの身を案じたのだ。勘違いしないで欲しい。。
渓谷で戯れる狸は前世の狸に少し似た丸い姿をしている。その色は白銀で手足と顔に少しだけ黒い毛が混じる。時折。前世の名前と同じ名前で呼ばれる生き物がいる。似てるけど少しだけ違う。それが何故かと思考するのはのはユーグの影響を受けたのだと思う。姿を弾ませて二匹の狸は走り去る。クレイも警戒をといて元の場所に戻った。
「……夜間観測は悪くないけど、実りはなさそうだ。やっぱり下にあるひずみが直接見てみたいな」
ユーグがまた物騒なことを言い出した。
渓谷の一番最下層には底が見えない深い亀裂が走っている。それをひずみと呼ぶ。魔物はひずみから生まれてくる。遥か昔、そこは魔族の世界と繋がり多くの魔物を生み出した。人と魔の戦い。200年前のエトワールの泉の物語で語られる話だ。
もっとも、昨日ユーグは中腹で魔物ができたのを見ている。ひずみからでなくても魔物は生まれるということだ。預言者で聖女と呼ばれたシーナ王妃の容姿が現実と絵本で異なるように、魔物がひずみから生れる部分も物語を飾る作り話なのかもしれない。
「犬死はだめですよ、ユーグ様」
「まだ、いかないよ。入学して魔法を覚えてからだね。うちの資料や報告には魔物がひずみから生まれる記述が残ってる。普通よりで生まれやすい要因があるなら中を調査しなきゃね」
楽しそうな笑顔で無茶な計画を語る。この人は命がいくつあっても足りないと思う。きっと魔法を覚えたら、もっと自由に世界をその身一つで駆け回るのだろう。それは強ければ強いほどユーグに自由を許してくれる。
「ユーグ様は何を探求してるのですか?」
「締め切り間近は魔法弾の改良。次に控えた約束は毒草の複合品種造り。ライフワークで一番調べたいのは魔物ができる要因の入手」
毒草の複合品種。ゲームの設定に幼くして毒草の複合品種を次々と作り出し天才の名を欲しいままにしたと説明がある。そこからついた二つ名は毒薬伯爵。違う依頼を進めたらユーグの二つ名は変わるのか? 試してみたい気がする。
ようやく私とユーグの間の緊張が解けてきた。今なら私のことについて切り出せる気がする。私はユーグが欲しがるものを一つだけ与えることができる。それを使うならどうでればいいか。
「シュレッサーは情報提供者の秘密を絶対に守ると聞きいてます。私と取引しませんか?」
私は挑むように微笑んでユーグを見つめた
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