木札を見詰めるアレックス王子は決して嬉しそうに見えない。心配そうに見つめるクロード、陶器なような顔に表情を見せないカミュ様、私はどんな顔をしているのだろう? 自分の表情なのにわからない。
「アレックス。女の子からの伝言と捉えてよろしいですか?」
「まちがいない」
「こだぬきさんへ、ですか。この後に続く矢印は何を指しているかわかりますか」
アレックス王子が首を振る。ただただ、苦しそうに木札を見詰める様子に、カミュ王子が仕方なさそうにため息を吐いた。
「ノエル、クロード。気付いたことがあればおっしゃってください」
クロードが私を見る。私もクロードを見る。誰かが辛い時に声を上げるのがは苦しいのはなぜだろう。私が戸惑う様子に、一つ頷くとクロードが一歩前に出て意見を述べ始める。クロードはいつも頼りにする前に、気付いて先に動いてくれる。その背に頼る癖をつけてはダメだ。
「リボンが少し痛んで切れている様子です。木の何処かに結んであったのではないかと」
別邸で外すとき思い切り引っ張ったかいがあった。木と木札をカミュ様が見比べる。そしてクロードが拾った場所に目を落とす。それから、愛らしく首をかしげると、なんとなくすっきりしない表情を浮かべた。
「クロードのおっしゃる通りなら、矢印の下というのはこの周辺……土の下ということですか」
私とクロードが頷いて見せると、カミュ様がとても嫌そうに顔をしかめる。こんな表情はお会いしてから初めて見た。
「木のどこに結んであったかわからない以上、木の下全てが対象になりますね。困りました。リード、土魔法でこの辺りの土を全部掘り起こせますか?」
カミュ様が護衛に声をかけるのを慌てて止める。魔法で一帯を掘り起こす発想は私にはなかった。カミュ様は無表情で私を一瞥する。態度がいつもと違う。やはり秘宝が手元に戻らないことに憤りや焦りを強く感じていたからなのか。
「壊れたら大変です。無茶をされないでください。私たちと同じぐらいの子がすることです。そこまでの深さではないと思います。手分けして掘っていきましょう」
「……すみません。そうですね。今壊れたらこの辺り一帯が消えます。慎重に行きましょう……」
そう言って、カミュ様は従者と護衛の者に、土を掘り起こしていくように命じる。クロードも従者に銘じる。ジルには小さいスコップを持ってくるように命じて、クロードと私は小さなスコップを手にする。
「私とクロードも掘ってみます。カミュ様、アレックス王子とそちらで休んでいてください」
カミュ様は頷くとアレックス王子を伴って作業が見えるところに移動した。私はジルと人の少ない場所を担当する。後は頃合いを見計らって裾から秘宝の入った箱を出し、見つけた振りををするだけだ。
昨日今日準備したものと分からないように細工しただけの簡単な作戦。警護の荷物確認も切り抜けたし、ここまでは思い通りに運んでると思う。あと少し、最後の仕上げだけだ。何度も周囲に気を配って、ジルも促してくれているのに私は躊躇う。見つからなければいい、そう言ったアレックス王子の言葉と8歳のあの日、木の上から私に手を差し伸べた笑顔が何度も何度も頭の中で繰り返される。
「ノエル様、他に移動しますか?」
心配そうに私をジルが覗き込む。私はもう一度周囲に気を配る。その気配に同じように周囲を確認してジルが頷く。私は裾から、キャロルの思い出を零す。土の中に転がったそれに、一度砂をかけて汚す。涙が出そうになるのを懸命に堪えて、土に汚れた手で掴む。
「ありました!」
私の声に弾かれたように顔を上げるアレックス王子と目があった。私は泣かずに笑う。一歩一歩、王子のところまで、ノエルとして渡すために歩く。私はノエルとしてアレックス王子ともう一度会えた。アレックス王子はキャロルを失った。私より王子のほうが絶対に苦しい。
「土の中から、出てきました」
私はアレックス王子のその手にケースを乗せる。握りしめて白くなった指先で王子が蓋を開くと小さな紙と真赤な包みが現れる。包みを開くと青い猫の宝石、カミュ様の秘宝が出てきた。
「バカだ。この結末もあり得ることはわかってたのに」
そう呟いてアレックス王子はベストのポケットにケースと手紙をしまうと、カミュ様に向き直った。今、精一杯の笑顔を浮かべててカミュ王子の手に秘宝を戻す。
「ずっと、すまなかった。ようやく返すことができた」
「……無事に手元に戻ってきてよかった。これで貴方が私を背負う必要はきえますね」
無理に笑う王子が薄く微笑むカミュ様の手を握って、ごめん、と小さく呟いた。そして、背を向けると一人で丘の反対へ歩き出す。付き従うのは従者と護衛が一名。
私とクロードは特命が終わった瞬間の予想外の空気に、それぞれの思いで立ちすくんだ。
「ノエル、クロード。ありがとうございました。無事に私の秘宝は戻ってまいりました。感謝します」
「お力になれたなら光栄です」
クロードがそう返事をしたが、何かを問いかけようとして止める。きっと、何と言っていいかわからないのだ。アレックス王子の気持ちは私は痛いぐらいわかる。でも大切な探し物をみつけたのに、そこまで嬉しそうじゃないカミュ様の気持ちがわからない。クロードも多分同じように感じるものがあるのだと思う。
「戸惑わせてすみません。考えていたなかで最悪の終わり方にアレックスも動揺してるのでしょう。私も個人の問題で感傷的なってしまいました。特命を成し遂げたお二人には心よりお礼を申し上げます」
そう言って、いつものような花のほころぶような笑顔を浮かべてくれる。でも、目がちっとも嬉しそうではなくて、悲しそうに見えるのは私だけなのだろうか。私とクロードは立礼で応える。頭を上げた時には、もうカミュ様はいつも通りの顔で微笑んでいた。
「ノエル、アレックスの元に行ってください。あちらの小川のほうに行っていると思います」
「でも……、私よ」
「行きなさい。貴方はとてもよく似ているそうです。煩わせてばかりの私よりずっと慰めになる」
私の言葉を遮って、命令する。言葉に従って、私はアレックス王子の向かった小川の方に走り出した。気になる事はたくさんある。でも今は、カミュ様に命令された建前でも許してもらえるならアレックス王子の側で力になりたかった。
丘を反対側に少し下ると涼やかな水音が聞こえる。木々の間に王子の従者と護衛が立つのが見えた。私の姿を認めて二人が礼をとる。
「アレックス殿下は?」
「この下の岩場にお一人です。私たちも降りぬように命じられました」
護衛は心配そうに、岩場の下を気にする。王家の離宮だから誰かに襲われる心配はないが、やはり主の姿が見えないのは不安だろう。
「カミュ様に命じられて、殿下のお力になるように言われております」
「助かります。カミュ様は殿下の事をよくご存知ですから、そうおっしゃったのなら大丈夫でしょう」
ジルにも残るように命じて私は岩場を下り始めた。少し下ると、アレックス王子が膝を抱えて顔を伏せているのが見えた。手には私が書いた短い手紙が握られている。
こだぬきさんへ
無事、手紙が貴方に届いたなら嬉しいです。
私は10歳になっても貴方に会うことができなくなりました。
お預かりしたものをこのような形で返すことを許してください。
あの日は今も大切な思い出です。ずっと忘れません。
書きたいことはたくさんあったけど、私が書いたのはこれだけだった。誰かが来た気配を分っているはずなのに、アレックス王子が顔を上げる様子はない。私はその隣に腰を下ろす。目の前を流れる水の音だけがが響く。この優しい音が王子の心を癒してくれたらいいと思う。
「何しにきた?」
顔を上げずに、アレックス王子が問う。私はできるだけ近くに聞こえるように、同じように膝を抱えて頭を乗せる。そんな事は意味ないかもしれないけど、少しでも届きたい。
「カミュ様にお側についているように言われました」
「帰れ」
「帰りません。私自身、お側にいたいのです」
殿下が黙り込む。アレックス王子と私。王子と侯爵子息。未来の王とその臣下。秘密の場所であった男の子と女の子。今の私はどれだろう?
「殿下が見つからなければいいと言っていたのに、見つけてしまいました。ごめんなさい」
「……特命の条件に認めたのは私だ。王族の命にしたがうのは臣下として当然だ。バカ」
殿下は大人になったのだなと思う。命令を受けた臣下の任務への責任と重みの意味を知っている。
「でも、ごめんなさい」
「……では、悪いと思うなら側にいろ」
殿下が顔を上げる。紺碧の瞳は今にも涙が溢れそうだった。
「会えない事情がるなら、嫌なら無理強いはしない。でも、忘れないというなら、なぜ何かを残してくれなかった? 唯一の繋がりを失ってどうしたらいい?」
くしゃりと顔を歪めると、一筋二筋と涙が零れ落ちていく。
「忘れないって書いても、私はいつか忘れてしまうかもしれない。毎日、毎日、こんなに大切に会いたいと思っているのに! どうして、時間が経つと曖昧で、小さな思い出は少しずつ失っていくんだ」
涙を零すアレックス王子に私は何も答えることができない。ただ胸が苦しくなる。
「あの子が忘れないといってくれるなら、私だって絶対に忘れたくない。でも、二度と会えなくて。思い出だけで、その姿を留めておけと言われるのは失う事と同じに思える……」
殿下が私の頬に手を伸ばす。目の下をなぞるように親指で頬をそっと撫でる。切なそうに泣きながらそんな目で見ないでほしい。胸がすごく苦しくなる。優しく触れないでほしい。切り捨てた自分が嫌になる。
「ノエルは本当に似ているんだ……。初めて会った日は驚いた。忘れたくないから似てる君に側にいてくれなんて、狡いとわかっている。でも、私は小さな欠片も、あの子のことを忘れたくない。だから、ごめんというなら、側にいてよ」
私は胸の奥から溢れそうになる気持ちがなんだかわからない。ただ、溢れるこの気持ちが、自分の瞳に涙になって溜まっていく。でも、その顔はキャロルの顔だから見せてはいけなくて、王子を抱きしめる。
「忠誠をお誓いしました。ノエルは側にいます」
アレックス王子の手が私の背中に回って、強くしがみつくと声を押し殺すように泣き声を上げる。約束とか、狡いとか、どうしてとか、たくさんの言葉が聞こえたけれど私は答えることができない。ただアレックス王子の背中を撫でる続ける。王子の嗚咽が収まって、少しずつ私にも頬に当たる風が涼しいと思いえるぐらい気持ちに余裕ができた頃、ようやく王子が顔を上げる。少し尊大で自信に満ち溢れた魅力的な少年の表情に私は胸の鼓動が早くなる。
「すまなかった、ノエル」
「いいえ……」
さっきまでとは違って見える、見知らぬアレックス王子の姿に私は戸惑う。まぶしいのは水面に映る日差しのせいだ。
「いてくれたら、あの子を忘れずいられる。そういう気持ちもあるけど、臣下として君には本当に期待してる。これからもよろしく頼む」
私はアレックス王子の背から手を放すとその場にただ跪いた。
11歳の私の胸に初めて湧く一瞬の気持ちの意味が理解できない。どうしても、この気持ちの名前に辿り着けない。支配されて溺れて、いつかその名が分かる日が来るならば……それは、ずっと先がいい。
「殿下の御心のままに」
私は息を整えてそう答えた。差し出された手の甲に口づけると、強く引かれて立ち上がる。
「さあ、もどるぞ」
そう言って、殿下は岩場を登り始めるので、私は慌てて後を追う。振り返っ笑う。私の頬に手をのばして、いつものように強く捕まえて、潰す。いつものアレックス王子だ。
「せっかくカミュの秘宝が戻ったのにちゃんと喜んであげられなかったな。近いうちに皆で祝ってやろう。ノエル、手伝え」
「はい!」
木まで戻ると、カミュ様とクロードが柔らかい笑顔で談笑しているのが見えて、ほっとする。いつも通りの雰囲気に戻って、その場で王宮の料理人の手による屋外向けに用意された食事を楽しむ。
秋の清々しい風と高い空、食事の後の初めての泥遊び。きっと帰ったら怒られる。それでも、楽しくて楽しくて時間が止まればいいと思えた。
帰りの馬車は疲れ切ってうとうとしてしまう。最初はヴァセラン侯爵家にクロードを下ろすことになっている。ヴァセラン侯爵家につくとリーリア様が悲鳴を上げた。慌てて、アレックス王子に頭を下げる。確かに息子がどろどろで王家の馬車に乗ってたら悲鳴を上げて謝る。我が家で母上がどんな反応をするか心配になってきた。
「アレックス王子、カミュ様。ノエルを一瞬お借りしてもよいですか?」」
「どうしましたか?」
カミュ様の問いかけに、クロードが私に渡すものがあると言う。どうぞ、と許可を頂いて手招きをするクロードについていく。ヴァセラン侯爵家の玄関ホールに入ると、クロードがリーリア様にノエルへのお礼を持ってくるように頼んだ。
「お礼? 鞘のだったらいいのに」
「違う。お礼もあるんだが。今はそうじゃない」
真剣な表情でクロードが私の肩をつかんだ。
「何かあったら必ず俺を頼れ。一人で抱えるな」
「今でも頼ってますよ?」
「違う。小さなことじゃない。もっと大きなことで」
「クロード。何か気になるなら、いって下さい」
クロードが首を振る。取り越し苦労かもしれないから、言えないと言う。それでも、肩を握る力が強くて、その心配が本気なことが伝わる。
「わかりました。私が何かあったら、一番の友達のクロードに必ず相談します」
ほっとしたように手の力を緩めると、リーリア夫人が可愛らしい包みを手に戻ってきた。包みを受け取り馬車に戻る。
アレックス王子に中身を開けるように命じられて、出てきたのがお菓子とぬいぐるみだったので肩を震わせて笑われた。カミュ様はその様子を微笑ましそうしている。アングラード本邸につくと、お母様が悲鳴を上げて、よろめいた。これは絶対怒られるなと確信する。
「ノエル。今日は感謝する」
「また、近いうちにお会いしましょう」
二人の馬車を見送って、私の「秘宝返還計画」は一度幕を閉じた。
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