2018年11月20日火曜日

二章 三十話 契約とキス キャロル12歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります




 ユーグの目つきが変わった。興味深そうに値踏みする眼差しの奥に好奇心が見える。薄い唇の端を上げて艶のある声で宣言する。

「シュレッサーは、研究の為ならどんな事でもする。情報提供者が望むなら秘密は絶対に守る。僕たちにとって情報は宝だよ」

 不法侵入やら、器物破損の事例は枚挙にいとまながなく悪名高いシュレッサー。だけど、情報管理の厳重さでは高い評価を受けている。提供者の流出も研究の経過の流出も一切聞かない。

「シュレッサーとではなくユーグ様個人との取引です。保証してくださりますか?」

「僕と君の取引? 内容によるね。僕が全力で守ることを約束できるのは有用な情報だけだよ」

 すっと目を細めて警戒するようにユーグが口を結ぶ。当然といえば当然だ。つまらないかもしれない情報に簡単には飛びつかない。情報はユーグが絶対に求める自信がある。ただし、価値を本当に評価できるまで二年が必要だ。真偽が分からなくても、この情報のを欲しいと思わせれば私の勝ち。

「真偽が分かるは学園入学後になります。でも真偽が分かってからでは、有用性がありません」

 ユーグが唇の端をほんの少し舐める。あえて、何かは伝えずに断片だけを伝える。私を見つめるユーグの目は私自身を見ていない。断片だけの情報が何かを探し当てようとすぐに自分の思考に沈み込む。

「うん。これかなっていうのは見つけた。正解なら、欲しいな。すごく欲しい」

 ケットの中で私の手に指を絡ませて、上目遣いにうっとりに呟く。わざとじゃないとは思う。でも、どうして一つ一つの行動が人を惑わすようなのか。一度、自分の行動について研究して欲しい。

「でも、どうして君がその情報を持っているのかがわからない」

 私はとりあえず意味ありげににっこり微笑む。はったりは大事。余計なことは省いて、勝手に行きたいところに辿り着いてもらうのがその人の一番納得のいく答えになる。親狸の得意技。今日はもう一押し。

「それも探求してみてはいかがですか?どんな方法があるか。ただし、私に迷惑はなしです」

「うん。探求は好きだよ。でも、君が持っている答えを信じるのは難しいよね? それに、長い年月をもつ貴族は案外その情報を必要としないと思わない?」
 
 うっとりとした目をほんの少し細めてユーグが挑むような光を目に宿す。駆け引きも真偽の揺さぶりも、きちんと私の提示する情報の答えに気づいている証拠。

 私が彼と取引するつもりの情報はユーグの属性だ。

 学園入学前の判別は体調で判断できる精霊の子以外は難しい。判別方法の秘密が暴きたいのか、シュレッター伯爵家歴代当主は毎年果敢にエトワールの泉へ不法侵入を繰り返す。そして、毎年警備に叩きだされて国王に叱られる。伯爵子息のユーグにしてみれば、彼らが手に入れられない秘密の先を、私が知るのはあり得ないことだ。
 そして、長い貴族は一族の属性が偏るため、何もせずとも身内の属性の恩恵を受けて魔力の総量は上がるのが普通だ。シュレッサー家も古い貴族だ。真偽が分からないから、僕にはいらないよと私に揺さぶりを掛ける。

 でも、私は知っている。ユーグはそれに当てはまらない。

 観賞用以外に珍しく役に立った私の能力。ベットの中で変顔を代償にした。ファンブックよりユーグページ記載事項。

 ユーグ・シュレッサー。彼の属性は内に秘めた情熱の証。しかし、魔力の容量は環境の恩恵を受けず非常に少ない。シナリオでは魔力が少ない故の苦悩が描かれる。 |(君にエトワール@ファンブック)

 シュレッサー家の属性は土、もちろんシュレッサーが持つ王都の研究所も土属性だ。王城の研究棟は王家の管理の光属性。そしてワンデリアの研究所はひずみの影響で闇属性。ユーグが過ごす場所には彼の属性はない。

「私の情報は有益です。貴方にとっては特にですわ」

 情報の経路は明かす必要なんてない。前世の記憶だなんて明かせないし。何よりシュレッサーは謎解きはお好きでしょ?
 私は彼の色気に負けないぐらい艶やかに見えるような笑顔を自信たっぷりに浮かべて見せる。
 さぁ、不安になって。僅かな可能性の落とし穴は探求者である貴方なら知っている。聞きたいでしょう? ユーグ、貴方にとってこの情報はなくてはならないものよ?
 私が煽る言葉の可能性に惑う。鋭い瞳の光が揺れる。魔力は貴族の力の証。ユーグの探求をより自由にする力。強がったって、知りたくない者なんていない。私は促すように笑みを深めて見せる。
 一度瞳を閉じると舌で唇をゆっくり湿らして開く。瞳は欲しいものを手に入れる期待の色。

「情報提供者の秘密と条件を……君の秘密が僕は欲しい」

「では、私の全てを隠してください。私の事は誰にも話さない。同じ探求者にも、ノエル様にもです。あと、私にもう近づかないでください」
 
 毛布の中でもぞもぞとユーグが何かを取り出す。彼のポケットはどれだけ色々なものが詰まっているのか。出てきたのは白い紙で紙の端を持ってと言う。言われた通りに反対の端を私が持つ。

「シュレッサーの契約を始めるよ。契約者は、ユーグ・シュレッサーと」

「あ、キャロルです」

 紙が緑色に光る。魔法道具だ。毛布の中でユーグのポケットから同じ色が漏れてるので、きっとお守りが入っていてその魔力を利用しているのだろう。

「求める情報は、ユーグ・シュレッサーの魔力属性。契約条件としてキャロルに関わる全ての情報を許可がない限り完全に秘匿する事を約束する」

 ユーグが絡ませたままだった空いた手を繋ぎなおすようにそっと撫でる。艶っぽい流し目に思わず見惚れかける。ぐっとお腹に力を込めて耐える私の耳に唇を寄せると、癖のある艶っぽい声で囁いた。

「君自身の秘密だけだよ。情報の真偽が確定するのは二年先だもの。欲張らないでよ」

 耳に軽い音を残してほんの一瞬触れた柔らかな感触に負けた訳じゃない。ゲームのファンブックを読み込んてしまった後だし、ユーグの声はゲームそのままだし、ちょっと契約が乗りかけて気が緩んだせいだ。気付いたら二年ぶりに真っ白になって、その言葉に頷いていた。ユーグが12歳なんて絶対におかしいと思う!
 紙を掴んだ親指に小さな傷みが走ると、契約書が一段輝きを増してから、その光を納める。

「契約書ができたよ」

 確認してと渡された契約書には、私とユーグの血判が押されている。契約者は私とユーグの名前。内容は希望通り秘匿すること。私にもう近づかない約束は含まれない。最後にしてやられる。

「君が僕の属性を教えてくれた時点で執行される。シュレッサーの探求者たちが使う魔法で縛った契約だ。お望みどおりに僕は君に縛られるんだ。君のことに関しては言葉を一切発することができなくなる。解除にはお互いの血判が必要になるからね。それから、契約書はシュレッサーのだから僕が預かるけどいい?」

 私は頷く。シュレッサーの情報を守る秘密は魔法による契約だったとは驚いた。これなら、ほぼ完全に秘密を守ることができるだろう。今日は子だぬき頑張りました! 胸の中で快哉を叫ぶ。
 最後に契約発動の為に私はユーグに彼の属性を伝える。探求者としての情熱、秘めたる恋の情熱、一族の属性とは異なる属性に導くほど、彼の性分に最も近い属性。

「ユーグ様の属性は、火 です!」

 契約書が再び強く輝いて緑の光が私とユーグに降り注ぐ。小さなきらきらした緑色の光の粒は夜空にとてもよく似合う。

「きれいです。星が降ってきたみたい」

「契約の執行にシュレッサーの探求者から星の祝福だよ」

 光の粒か消えるまで私とユーグは静かにシュレッサーの星が降る夜空を眺める。月の下での契約はこうして無事に交わされた。

「それにしても僕の属性が火って、本当? なんか全然実感がない……」

「本当です。今の生活のままだと火の属性に触れる機会がないんじゃないですか?」

 ユーグがちょっと考え込んでから頷く。ゲームのシナリオの中で、才能も知識も誰よりもあるはずなのに、下位貴族より低い魔力で魔法が発動できないユーグ。魔力の低さを補おうと多くの研究に没頭するも満足のいく結果に届かず、苛立ちを感じて苦しみ続ける。もし魔力があればもっとできることがあるのに。辛いシナリオは切なくて、縋る様にヒロインを傷つける描写も嫌いじゃないかった。

「今のままだと、ユーグ様の魔力はあまり伸びません。伸び率は最低に近い。今からたくさん火の属性に触れて下さい。そうしたら、上級魔法を操って探求の為に自由にお望みのままに駆け回ることができるようになります」

 苦しむことなくユーグが大好きな探求に没頭する未来、こちらのシナリオの方が私は見たい。ぎりぎりの計画で無茶をして、心配かけて。それでも、研究の成果は必ずただいまと持ち帰ってくれる未来を祈る。

「うん。頑張ろうかな。そうだね。キャロルも一緒に探求の旅に連れて行ってあげるよ」

 契約書をポケットにしまいながらユーグが言う。私はその言葉に全力で頭をふる。ユーグの探求の旅なんて、無理無茶の連続なのが簡単に想像がつく。

「遠慮します。命がいくつあっても足りません」

 ユーグが怪訝そうな顔をする。また思考に沈み込んだ時の光のない目だ。自分の危険な行動を振り返って自省してくれるならありがたい。
 閃光弾が短く一度瞬いた。渓谷に目を落とす。もう少ししたら明かりが落ちる合図だと教えてくれる。消える間際になると何度か短く瞬いて教えてくれるそうだ。

「なんで、キャロルは自分のことが隠したいのかな?」

 もう契約は成立しているので言わないくてもいい。でも、伝えておけば私がここにいない時の言い訳になる。私は用意してあった説明を口にする。

「ユーグ様は精霊の子はご存知ですよね? 私はここかでることができません」

 私は悲しそうに目を伏せて見せる。ユーグのことだから精霊の子のことも絶対知っているだろう。これで、私がここから出ない理由としていろいろ推察してくれると助かる。嘘は好きじゃないから。

「だから旅にでられないんだ? なら、大丈夫。僕の最終目標は精霊の子の治癒だから」

「はい?」

 精霊の子だから出られないというより、命がけになりそうなユーグの旅はご遠慮したいだけだ。それよりも、最終目標が精霊の子の治療だということにに驚く。私の顔を見て嬉しそうにユーグが笑う。

「母の友達が精霊の子の恋人だったから、最期の探求に精霊の子の治療を目指す事にしたんだよ。僕はその目標を継ぐから、必ず治すよ。だから、まってて」

 子供らしいすごくいい笑顔を見せた後、ユーグが急流のように早口で話し始める。

「今ね研究しているのは元々精霊の子の魔力の減少は外から攻撃を受けるっていうのが定説だったんだけどそれは僕たちと同じ状態であるっていう見方でこの状態で例えば一つの魔力に対して別の魔力を色々な環境で圧力を加えて反応をみる実験があって………………………………という形で頓挫してしまって今はが基本をもう一度考え直すことにしてて魔力の溶解性について考えてるんだけどそれは」

「ちょっと、ちょっと待ってください!!そんなに一気に説明されてもわかりません!!」

 研究について生き生きと語るユーグの説明は半分も聞き取れない。とにかく途中から専門用語も多いし、早いし、私の頭は大混乱中だし。さっきよりしっかり握られた手が絶対逃がさない問われているようで、お願いだから私を被験者として数えないでしいと途方に暮れる。

「今度、レポートでせつめいするね。きっと楽しい時間にしてあげる」

「それも、ご遠慮します。とにかく! 私の方はそんな訳なので、魔力が欲しい人に攫われると困るから秘密にしたいんです。いつもこの村にいるわけでもありません。いいですね?」
 
 嘘は嫌いだけど、嘘も方便という言葉に縋りたいと思う。だって、研究狂いのシュレッサーのユーグに捕まりそうで怖い。悪役令嬢回避の前に、ユーグの被験者回避が急務になるのはやめて!
 ちょっと不服そうなユーグのことは無視する。閃光弾がまた、瞬く。きっともうすぐ明かりが落ちる。

「じゃあ、キャロル。キスしてみていい?」

「ふぁい?!」

 突然の方向転換に変な声が出る。ちょっと待って!

「キスの仕方は一応わかるし」

 ユーグ、12歳だよね?! 甘えてねだるような瞳で私の顔を覗き込む。困るよ。ユーグの事は見直した、悪い人じゃない。でも違う。だって、私は……

「キスは好きな人とするものです」
 
 言い切る自分の言葉に誰かを見る。思いつくのが、勝手気ままで意地悪で私の事はそんな風に見てくれない人だった。

「僕は多分、キャロルの事は好きになれるような気がするよ」

 唇の端を艶っぽく上げた笑顔で私の顔を覗き込むユーグ。でも違う。私の中にある笑顔は、少し尊大で自信に満ち溢れた笑顔。

「私……」

 言いかけた名前を飲み込む。少しずつ気づいてた。気付かないふりをしてないと、明日からが辛くなりそうだから。堕ちるように気づいた答えに、唇を噛んで打つむく。

「実際魔力のやり取りの感触が確認できたら、もう少し溶解性の感覚が掴めるとおもうんだ……」

 頬にそっと男の子にしては長い指がかかる。それは嫌い。他の人にされるのがとっても嫌だから。

「探したら、好きってきっとこんな感じの先にあるのかな」

 呟いて私の唇にその唇をそっと近づける。触れる寸前に私の前からユーグの気配が突然消える。クレイが子猫を捕まえるみたいにユーグを引き離す。

「ユーグ様。当屋敷に滞在中のご令嬢にそのような真似はご遠慮下さいませ」

 クレイの声に私はようやく自分を取り戻す。戸惑って混乱して固まった気持ちがようやくはっきり現実を認識し始める。私何してた? 何をおもったの?
 そして、漸くユーグの発言も思い出す。あれ、ちょっと、思いっきり実験じゃない?

「ユーグ様!! 実験の為に私から魔力を貰うのを試そうとしましたね? 今度そういう事したら、全体に! 今後何かあってもユーグ様の力になんて、絶対、絶対、ぜーーーーーったいなりませんから!!」

 私は崖の方を向いて口を膨らませる。ユーグはクレイに滾々と女性の扱いについて説明と注意を受ける。いわく、魅力的だけで押し切るのではだめですとか、本音は絶対口に出してはいけませんとか。やっぱり私の従者はクレイよりジルがいい。

 ため息を吐いて、さっきより光の弱くなった渓谷を見る。きっともうすぐ明かりが落ちる。光がまた瞬く。一瞬の暗闇の後に私はそこに人影を見る。こちらで見慣れぬ褐色の肌に真っ赤な長い髪。見つめる私に振り向いた真っ赤な瞳。声を上げようとした瞬間、再び光が瞬く。もうその場所には人影はなかった。
 幻か、見間違えか、私は上げる言葉を失って、ただひたすら光が弱くなる渓谷が闇に飲み込まれるのを眺めていた。
  

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