2018年10月12日金曜日
短編 ★ 心色屋奇譚 ―腐心― ココロガワリ
光があれば、影ができる。裏があれば、表がある。
情熱は怒り、社交は快楽、愉快さは幼さ、寛容は優柔不断、冷静は冷酷、真面目さは束縛、優しさは甘さ、魅惑は自己愛、純粋さは空虚。
いつも人の心は隣り合わせで、欲張りだ。
物音に慌てて顔をあげる。汚れた鏡がスマホのライトを無数に反射して、小さな光源をつくる。それでも、捨て去られたミラーハウスは暗いままだ。
穴の空いた屋根から落ちる月明かりの隙間に、真っ暗な闇が広がって何が隠れているのか分からない。
六つに割れた鏡に映った顔は、怯えて歪む。反射するライトに照らされた顔を見つめて、物音が続かないか身を固くして待った。
――裏野ドリームランドの噂は知ってる?
明るい中庭で交された会話が頭をよぎる。
このミラーハウスがある廃園した遊園地。小さい頃は古いながらも、パレードがあって夜でも明るかった。今は闇と静寂が支配する。
――アクアツアー、メリーゴーランド、ミラーハウス、一番怖いのはドリームキャッスルの拷問部屋。
真子と二人でお昼を食べていた頃の会話。真子は赤い色付きリップを塗った唇に、指を当てて笑った。噂話より真似できない女の子らしさが怖いと思った。
暗い鏡に映る自分の唇は、なんの色も重ねずカサカサしている。
――地下に隠された拷問部屋があってね。頭のおかしくなった前のオーナーが住んでるの。捕まったら大変だよ。
重大な秘密を語る様に小声で話していた真子。
あるはずないと一蹴した噂話を、物音一つで思い出すのは心の底では信じていた証拠だと気づく。
帰ろうか?
ドリームキャッスルとミラーハウスは遠くない。頭のおかしい前オーナーがいたら、一人ミラーハウスにいる私は格好の餌食だろう。
振り返って自分の陰に怯え、横を見て鏡に映る自分に怯える。逡巡しても音が続かない事が分かると、また地面を這う。
――ごめん。
最後に聞いた太輔の声。向き合う事なく、すれ違いざまに呟いた別れの言葉。あまりに呆気ない。
這いつくばって、地面を見つめ続けながら唇を噛む。あの日から連絡のない元恋人の思い出をこんな時間、こんな怖い場所で探している。
――ごめんね。太輔は私と付き合うことになったの。
程なく、親友の真子が告げた言葉。言葉とは裏腹に口元は少しだけ笑ってた。
這う手が砂ぼこりを掴む。行き場がないのは、悲しみなのか、怒りなのか。
「早く見つかって、お願いだから。思い出ぐらいは、もう少し許して……」
這いつくばって探す自分はきっと醜い。
太輔のすれ違いざまの呟きと真子から告げられた言葉で終わった恋は、諦めるきっかけを失った。
忘れるまでは思うだけなら許される。縋ったのは、好きだよと渡された指輪。ネックレスにして、二人の姿が視界に入る度に握りしめた。日に何度も繰り返した行動は、時と共に一日一度に減った。祝福できる日がくると思い始めてた。
――もう、いらないよね?
体育の間に奪れた指輪。冷たく言い放った真子。あんな子じゃなかった。可愛くて明るい私の親友は、もういない。
握りしめた拳を開いて、再び床を這うように探し始める。
「見つける。絶対、見つける。このくらい、許される」
つぶやく言葉は暗闇に吸い込まれていく。
蔑むまなざしに、頭を下げて返してと願った。あと少し忘れるまでだからと訴え続けた。
――肝試しに行った男子に捨てて貰った
背を向けて吐き捨てるように帰ってきた答え。
見上げた夜空には満月が浮かぶ。男子に聞いた肝試しの先は、廃園した裏野ドリームランドのミラーハウス。そこで適当に放り投げられた私の思い出。
ずっと床を這って探す手は砂と埃でボロボロだった。それでも帰ろうとは思えない。
「っつ!」
散らばった鏡のガラスの破片が手を傷つける。指先から溢れて赤い血がぽたり、ぽたりと床に落ちる。
赤い血の横にぽたり、ぽたりと黒い染みを作るのは溢れ出した涙だった。
「うっ、うっ……ど、うして……? な、んで……」
止まらない涙が、止まらない血の上に落ちる。
ぽたり、ぽたり、涙、ぽたり、ぽたり、血
ぽたり、ぽたり、涙、ぽたり、ぽたり、血
痛い指の血も、痛い心の涙も溢れたら、どうやって止めていいかわからない。ただ、歪む視界の先で混ざり合い続けるを眺める。
「……貴方の探しモノはこれ?」
愛らしい声が頭上から降ってきて、慌てて顔を上げる。
僅かな月明かりの下、目の前に突如現れた少女の姿に呆気にとられる。
目鼻立ちの美しい顔に艶やかで真っ直ぐな黒い髪。純白のレースに包まれた華やかなワンピースと同じデザインの真っ白な帽子姿はフランス人形のようだ。革のトランクを持ってた手と、反対の手を私の方に突きだしている。
大きな花で着飾った帽子を揺らして顔を傾げる。その行動が答えを促している事に気づいて、慌てて少女の差し出した手元にライトをを当てる。鏡に反射した光に僅かに目を細める。
「これ! ありがとう!」
白いレースの手袋をした指が摘まむようにかざすのは探していた指輪だった。
「はい。どうぞ」
少女が近寄って来て、指輪を差し出す。落ちてくる指輪を両手で受け取った私に、少女の手が伸びた。薄いレースが頬を這って涙を拭う。
「可哀想ね。こんなに泣いて……」
少女が悲しそうに眉を寄せて私の顔を覗き込む。
周囲からかわれるのが嫌で、付き合っていたことは秘密にしてた。親友の真子にだけ教えた。
なのに、唯一の相手に裏切られて、恋は終わも始まりも誰にも知られることなく消えた。
初めての優しい言葉に、止まりかけた涙がまた溢れ始める。
「あ、あり……が……と。はじめ、て、」
少女が首を傾げて満足げに微笑むと、一筋落ちた黒髪が真っ赤な唇にかかる。白い肌と黒髪と赤い唇のコントラストが美しくて涙を流しながら見とれる。
「貴方のお名前は?」
「美沙」
名乗った瞬間、突然悪寒が走る。何故とか、どうしてとかじゃない。ただ、そこに危険があれば、本能は警告をあげる。
廃園した遊園地の捨て去られたミラーハウスの中。
向き合う美しい人形のような少女。
疲れと見つけた喜びに鈍っていた頭が、悲鳴をあげ始める。
どうして、こんなところにいるの?
あなたは、だれ?
「私は貴方の力になれると思うの」
座り込んだ腰を上げながら、美沙は首を振る。これ以上は聞いてはいけない。少女の背後の闇の向こうに出口があるはずだ。脇をすり抜けて駆け出して立ち去ろう。支える手に力を込める。
「みて」
目の前で少女が皮のトランクを開く。
鮮やかな液体の入った小瓶が宝石のような輝きを放って、溢れるほど転がっている。
一つ一つの鮮やかな煌めきに魅入られて、ゆっくりと足から力が抜ける。
「きれい……」
心の中で呟いた筈の言葉がなぜか自然と口をつく。
「私の宝物。美沙に宝物があるよに私にも宝物があるの」
そう、私にも宝物がある。手の中の指輪が熱を帯びる。
「でも、指輪は本当の宝物じゃない」
また、言葉が滑りでる。声に出た言葉は自分に自分の気持ちを教える。欲しいのは……
「そう。だから、美沙は痛いのね。痛くて苦しい」
警戒していた気持ちが嘘のように消えていくのはなぜだろう。
美しい液体の入った瓶を見ていると、少女の言葉が素直に響く。少女が手を差し出して、その手に引き寄せられるように自分の手をのせる。
「美沙、可愛そうね。指だけじゃなくて、心もいっぱい傷だらけなのね」
優しく手を撫でながら紡がれる言葉が心に触れる。
でも、優しいの言葉なのに心の傷が深くなる気がするのはなぜだろう。
少女が透明な小瓶を傷口に近づける。
血がぽたり。小瓶の中に一滴落ちる。
小瓶を今度は頬に這わせる。
涙がぽたり。小瓶の中に一滴落ちる。
可愛そうと言ったその口で、少女が楽しうそな笑い声を漏らすのは、なぜだろう。
「本当の自分の心を見てみない?」
鼻先を近づけるように少女が美沙の瞳を覗きこむ。真っ黒な瞳を見つめている筈なのにそこには何も映らない。真っ暗すぎて吸い込まれてしまうのだとぼんやり思う。
真っ暗な少女の闇色の瞳は、嫌な事ばかり思い出させる。初めて恋人を秘密を唯一打ち明けたの大事な親友に奪われた。紹介したら、三人で会う事が増えて、最後は私だけが一人ぼっち。
どうしてこんなことになったの?
「見たい」
滑り落ちた言葉は心に答えを求めてた。悪いのは真子なのか、太輔なのか、それとも自分なのか。
もしも心が見えるなら、今の結末に繋がった理由を知りたい。
「心を見せてあげる」
唇に冷たい硝子の小瓶が当てられる。小瓶の中で涙と血が混じるのが見えた。瓶の反対に少女の唇が当てられる。
目を閉じた長い睫毛、美しい少女の顔。キスみたいだと思う。
初めて知った柔らかい唇は、瓶と違って温かく柔らかかった。忘れられない思い出を辿るように瞳を閉じる。
硝子の冷たさが体の中の熱を奪っていく気がした。沈黙の末に唇から硬い硝子の感覚が消えて、ゆっくり瞳をあける。
白 緑 青 桃
四層になった色鮮やかな液体が小瓶に満たされていた。透き通った明るい液体は混ざり合う事なく綺麗に四つの色が並ぶ。鮮やかな色の向こうに透けた少女の目が細い三日月のように歪む。
「美沙の心は綺麗ね。透き通ってる」
その言葉に心から頷く。自分のといわれたモノは、とても綺麗だと素直に思えた。
「でも、この中には美沙が欲しいものが足りない」
自分のほしいもの。それは何?
指輪を握った手が熱い。
「美沙の白は純粋ね。美沙の緑は寛容ね。美沙の藍は真面目ね。美沙の桃色は優しいね」
少女の赤い唇も、あざ笑うかのように大きな弧を描く。
「でも、美沙は沈黙ばかり。美沙はつまらない。美沙は傷つきやすい。美沙は甘い」
「ひ……ど……」
ひどい、優しい言葉は嘘だったのかと抗議の言葉をあげたいのに、それ以上の言葉を繋げない。弱いくて沈黙ばかりを選んでしまう。
瓶の中で白と藍が瞬く。
「大丈夫。私は綺麗な美沙のことが好き。だから、助けてあげる」
晴れやかな笑顔で好きと言われるのは嬉しい。嫌われるのはもう嫌だから。誰かが助けてくるなら甘えたい。
今度は瓶の中で桃が瞬く。
「甘えていいの。甘えて、美沙」
また優しい少女の言葉が蜜のようだ。紡がれる度に溶かされて心地よい。
「助けて……」
どうやって、貴方はだあれ?
そんな疑問は溶けて消えてどうでも良かった。ただ、甘い言葉に導かれるのはとても楽。
小瓶で緑が小さく瞬く。
「私はシンショクヤ。心の色を取り扱う。心色屋よ。貴方の心の色はここにある。なりたい心はどんな色?」
歌うような声で少女な嬉しそうに語る。
「お代はいらない。交換でいいわ。美沙は今日から美沙のなりたい心を作ることができる」
小瓶を少女が美沙の手に渡す。受け取って覗き込めば、白と桃と緑と藍の色が輝いている。透き通ってきらきら輝く液体はとても美しくて、自分の心だと思うと愛しい。
「色には色々意味がある。そう……は白は純真、桃は優しさ、緑は寛容、藍は真面目。他にも色々」
でも、悲しい私の心の色。今の自分を招いた心を素直に喜べない。
どうして真子を太輔との時間に招くことを許したのか、どうして邪魔をしなかったのか、どうしてひどい仕打ちに声を上げなかったのか。
「赤は情熱、黄色は愉快、青は冷静、紫は魅惑を」
そう言って少女は色のついた粉の入った紙包みを取り出して、その手を放す。透明な包み紙の中で粉はさらさらと音を立てて目の前にばらまかれる。
「欲しい? これで貴方は心を塗り替えることが出来る」
欲しいと地面に転がる紙包みに手を伸ばすが、その手をレースの手袋に包まれた手が止める。
「心を塗り替える時は、その粉を涙か血に溶いて液体をつくってね。その小瓶の蓋を開けるには、どの心と交換かを決めて囁いて」
少女の言葉にうなずく。美沙の中でいらないものは決まってる。欲しいものは目の前に手本があった。真子。明るくて魅惑的で欲しいものを持っていく。
少女の手が離れると、美沙はその紙包みを拾っていく。
「新しい色は合わないと濁る、濁ると腐って混ざるから気を付けて」
降る声を聞きながら、赤色、黄色、青色、橙色の粉の包みを集める。緑色に桃色に白色に藍色もある。これで、手に入らないものが手に入るのと思うと自然と口元がほころんだ。
顔を上げると少女が鏡の向こうで出口に向かって歩いていくのが見えた。満月はまだ、屋根の穴の上で輝いていた。
部屋で小瓶を眺める。迷う気持ちはもうない。
帰る道で何度もおかしいと思って捨てようとしたのに、美しい小瓶を見ると不思議と手放す事を惜しいと思った。
何度も繰り返しているうちに、美しい小瓶を掴む自分の手がとても汚いことに気づいた。惨めな自分。手放して何も変わらないなら、縋ってもいいはずだ。私の背を押すように小瓶が瞬いてくれた。
お風呂上がりの自室で小瓶を眺める自分にもう迷いはない。カッターを指先に当てて、刃を引く。自分を傷つけるのは意外と難しい。目を閉じてさっきより力を込めて引くと、痛みが走って血が溢れる。
青い粉の包み紙を一つ開けて、血を垂らす。
ぽたり、ぽたり、血。
一滴、二滴、三滴、吸い込まれるように粉は血に混ざり、赤い血の色を青に変える。
鮮やかな青だけど、瓶の中の液体程の透明感はなかった。でも、濁っているという訳ではないし、もともと透明感のない血だからこんな物なのだと思う。小瓶が瞬いてまた背を押してくれる。
「純粋な白と交換」
そう言って小瓶の蓋を開ける。青の液体をそこに流し込む。白い層が半分になって青い層が新しく上に出来る。
白 緑 碧 桃 青
五層に変わった。
新しい層は冷静。純粋さなんて子供の時だけでいい。
何もかも目に映るものだけを信じすぎた。今度は自分が何をされたのか見つめなおす。
変化は顕著だ。昨日は、歩いているとしか映らなかった通り過ぎる人の顔色を見つめる。嬉しそうな顔、悲しそうな顔、焦る顔、怒る顔。冷静さは周りの心を垣間見せてくれる。
「美沙、おはよう」
同じクラスの鈴木さんに声を掛けられる。おはようと返して、笑う。鈴木さんの良く動く瞳はいつも楽しげで愛らしいと思っていた。今はよく動く目が好奇心に動かされて、周りを盗み見ているのだと気づく。
「美沙は真子と仲良しだよね? 聞きたいことがあるの」
鈴木さんの目が上目遣いに伺う。分かりやすい目は知りたい事を隠さない。昨日までの自分は、表面だけしか見えていなかったた事を知る。
「真子は太輔と付き合ってるって本当? 最近毎日一緒に帰ってるよね。手を繋いでるのを見た人もいるんだよ」
体の芯がすっと冷たくなって、真子と太輔は隠していないんだなと思う。私も隠さなければよかった。隠したせいで、終わった事すら誰にも知られなかった。目の前で笑う鈴木さんも、私と太輔の事を何も知らない。
悔しい。真子は同じ轍を踏まないために周りに見せびらかして狡い。なら、私が狡くなっても許されるはずだ。
「どうやって付き合ったのかな? 美沙と太輔は同じ文芸部だよね? もしかして、二人をくっつけたのって美沙なのかなー?」
鈴木さんは、情報を集めていつでも皆の中心にいる。今から、私が本当の事を教えてあげる。
友達なのに裏切った真子。友達なのに……冷たくなった頭がそれを否定する。もう友達じゃない。
気持ちよく冷やかされる空気なんて真子にあげない。
「ごめん。言いたくないの。色々あったから……」
大げさに眉をしかめてから、視線を落として立ち去る。噂になればいい。付き合っていた間、私と太輔のことを怪しんだ人は僅かでもいたはずだ。語らない方が皆は想像できて楽しいから、きっと素敵な噂が出来上がる。
視線の端に最後にうつった鈴木さんは、驚いた顔なのに口元を楽しそうに歪めていた。私を捨てた二人が悪者になるといい。
三日目にはおもしろいぐらい噂が流れてた。推測の話はどんどん大きくなる。
私の小瓶は緑と桃と藍が半分になって、青が倍になって、橙と赤が加わった。
白 緑 碧 桃 青 橙 赤
七層に変わった賑やかな小瓶の中身は半分が新しい色だ。新しい色は最初の色程の透明感はないけれど、特に問題は感じない。
たくさんの新しい友達に囲まれて、私は否定も肯定もせず曖昧に皆が求める反応を繰り返す。噂が大きくなる程、真子が私をみて逃げるように背を向け、太輔が気にするように私を見つめた。
「美沙。元気出して」
「真子がひどいよね。美沙かわいそう」
私を取り囲んで、気持ちがいい言葉が降ってくる。そして、真子に対するの罵りの言葉が増えていく。
「ありがとう。まだ、太輔の事が好きで忘れられないけど、元気出さないとだめだよね」
笑って見せると、二人の級友が揃って首をふる。やっぱり好きなの?と尋ねる。
以前の私は自分の思いを口に出すことに恥ずかしさがあった。なんて馬鹿な事をしたのだろうと思う。自分の気持ちを言葉に出さずに何が伝わるのだろう。
「突然すぎて太輔とちゃんと話せてないの。本当はもう一度好きっていいたい。でも、真子が怒るし……」
私に掛ける言葉は同情なのに、二人の友達の目は獲物を狩る獣だ。今まで知らなかった簡単な恋愛の方法。さあ、私の為に動いてと願う。欲しい獲物は二つ。一つはボロボロにしていいから、一つは綺麗なままに私のところに連れてきて。
十日目には、ついに真子が孤立した。
白 緑 碧 桃 青 橙 赤 紫
八層。元の色をすべて少しずつ減らして、紫をいれた。
最初の透明だった色が減ってきて、ドロリとした新しい色ばかり増えた。そのせいで、少し暗い感じになったのは残念だけど、今度は明るい色を追加すればいいだろう。
今の私は女の子の中心で、皆が世話をしてくれる。話題は悪い女に恋で勝つ方法。私は逆転ドラマを夢見る子たちのヒロイン。何もかもが集まってくる。似合う色のリップ、肌がきれいになるパウダー。ナチュラルで男の子に受けるメイク。お洒落な髪型。女は簡単に磨かれる。赤い色付きリップを付けて微笑む。
「美沙、太輔に再告白しなよ。絶対獲れるよ!」
口元は自然に綻ぶ。今の私は以前の私よりずっと綺麗だ。気が付くと太輔が私をじっとみている。もうすぐ私のところに戻ってくれるかもしれない。
帰りの廊下で、真子からメモを渡される。体育館の裏で会いたいと書かれていた。握りつぶしてごみ箱に捨てる。いまさら何をいいたいのか。
「美沙!」
人気のない体育館裏に立ち寄ってあげたら、情けない顔で真子が私に駆け寄る。こんな女にとられたのかと思うと腹が立った。
「ごめん。今更だけど酷い事したって、謝りたいの。指輪みつかった?」
「知らない。もう指輪なんていらないから」
そう言えば指輪はどこにしまったのだろう? 最近小瓶ばかりを眺めてる。次は何色を入れたら欲しい自分が手に入るのかを考えるのが楽しい。もう、指輪に縋って口を閉じる必要なんて私にはない。
「見つからないの? ごめんなさい。どうかしてたの。美沙がいい子なのがわかってたから、また太輔が戻るかもって不安で酷い事をした」
今更、小さく震えて謝罪の言葉を重ねる真子に私の心が冷たく冷えていく。
酷い事って謝ったら許されるものなのかと思う。同じところまでおちてと、残酷な気持ちが湧き上がる。
「許さない。このままなら許さない。真子が太輔をくれるなら許してあげる」
私の後ろで人の走る足音がした。こわっ、って女の子の声がして、少し不味いと思う。私の立場が崩れたら困る。
もう、真子に関わる時間が惜しい。それ以上何も言わずに立ち去る。真子がどんな顔をしていたか知らない。だって、頭の中は帰って新しい色を増やすことで一杯だったから。
十三日目が過ぎた。私の周りに人がいない。真子はあの日から学校に来ていない。
何でもいいから交換といって、黄色を足した。
青 橙 赤 紫 黄
五層になった。最初の色がなくなってしまったことに気づいて蓋をする前に白、緑、碧、桃を足してみた。
足してから、少女が何かを言っていたような気がしたけど、色々な気持ちが頭に一杯で混線したようになって思い出せない。
溢れそなぐらい小瓶はいっぱいになった。
青 橙 赤 紫 黄 白 緑 碧 桃 溢れそう……
蓋の縁から溢れて十色が並んだ。
私の中に全部の色が揃って嬉しかったのに、透明じゃない液体に満たされた小瓶はちっともきれいだと思えなかった。
せっかく黄色を足したのに、誰も私を構ってくれない。背後で交わされ囁きに時折、コワイとかヒステリーという言葉が聞こえる。睨みつけると逃げるように去っていく。せっかくの黄色の心がなかなか披露できなくてつまらない。ここまで上手くやってきたのに、今は全然ついていない。
十五日目、私の頭はどんよりと重くて、ずっと頭痛が続いてる。
もう、太輔にもう一度告白をしようと思う。今ならまだ全部の色が揃ってるから、少しぐらい色が濁っても大丈夫。たとえ色の境界線が混ざっておかしな色になってしまっても、全部の色は見える。
さあ、今のうちに楽しかった日々を取り戻そう。
「……噂知ってる。……まじで、ヤバイ。だっ……沙が……変わ…………」
「うっそ! ……園にうちの彼……ったし」
太輔にに会う前にリップを直していると声が聞こえた。私の事を妬んで近寄らない友達の声。こちらを向いて、鏡とかコワイとか囁くばかりだ。でも鏡を覗き込む私の顔におかしなところなんて一つもない。前よりずっと綺麗になった。酷い頭痛を覚えて、頭を押さえる。今日の告白のお守りのつもりでポケットに入れた小瓶をみるとまた境界線のにじみが酷くなる。
例えばすべて混ざったら私の心はどうなるのだろう?
鏡に映る綺麗な私の目の色は、境界線の色によく似ている。
同じクラスの子がトイレに入ってきて、小さく悲鳴をあげて真っ青な顔をする。散々人の話で楽しんで、真子に冷たくしているのを見た途端、雲行きが怪しいと逃げるなんてズルい。
「ねぇ。私に何か言いたいことがある?」
真っ青になって首を振る。ごめんなさいと小さく呟いて走り去る。私は負けない。まだ、大丈夫。新しい色に変わったら新しい事が起こるだけ。全部が混じる色ならばそれはきっと素晴らしい事だ。
今は早く、早く、早く太輔の元に戻ろう。そうしたら何もいらなくなる。
呼び出した中庭に、太輔は現れない。待っても待っても、帰ってこないのは小瓶を手に入れる前と同じだ。何も変わらないなんて許せない。頭が締め付けられるように痛くて、涙があふれる。
空を見上げれば星が輝いている。月はどこにもなくて闇が濃い。闇の色は私の小瓶を思い出させて、ポケットに手を入れる。
「なに、これ……」
小瓶の中は真黒の液でいっぱいだった。
――腐って混ざるから気を付けて
少女の声がようやく蘇る。腐って混ざったらどうなるのだろう? これは私の心の色だと少女は言った。
真黒 闇色 溢れてる……
悲鳴を上げて走り出す。交換だと言った、ならあの少女は私の最初の心を持っている筈だ。真っ暗な夜道をミラーハウスを目指してひたすらに走る。
大きな音と激しい衝撃に体がバラバラになった気がした。早く行かなきゃいけないのに体は一つも動かない。生ぬるいぬめぬめとした感触は何だろう? 最後にみた明るい二つの光は何色だっただろう?
意識は小瓶と同じ真っ黒い闇に色に飲み込まれた。
西の空が赤く染まる逢魔が時。噂の弾む時間。
くるり、くるりと白いパラソルを回して暗くなる空を見つめる。
「ね? 裏野ドリームランドの噂しってる?」
後でスポーツタオルを片手に二人組の女の子が噂話に興じる。
「知ってるー! ドリームキャッスルの拷問部屋!」
「ちがーう! 一番新しい噂……でマジなやつの方」
「隣の学校でおきたやつでしょ? ミラーハウスから出てきたあと別人みたいに人が変わる話ね!」
赤い唇が満足げに歪む。レースのスカートの上には真新しい小瓶は三つ並んでる。
「そう! 黒貝美沙の話。事故にあって死んじゃったけど、ミラーハウスに夜一人で行ったんだってよ! 事故までの15日間は本当に別人みたいに、変わっちゃったらしいよ」
「それ続きで、もう一個新しい噂のあるんだよ」
「え? それは知らないよー」
「もう一人。白升真子って子。急に何もかも投げ出していなくなったらしいよ。美沙って子の事故の五日前に、真子って子もミラーハウスに行ったんだって。変わって消えたって噂になってる」
他にもね。もう一つ新しい噂もすぐ届くのよ。
心の中で呟いてパラソルを回す。くるり、くるりと回す度に黒い髪が僅かに揺れる。
「こわー。で、さ。この噂って、嘘なの本当なの?」
「しらなーい。でも、来週肝試し行こうって皆言ってるよ」
女の子達が楽しげに笑う声が遠ざかる。
手元の小瓶は三つ。
一本目は白、緑、青、ピンクの優しい人。
二本目は桃、赤、橙、緑の明るい人。
三本目は今はまだ三分の二だけ、緑と青と赤と紫、狡い人。
最初の色はいつも美しいのに、人はどうして他のモノを求めたくなろのだろう?
くるりくるりと回していた日傘を止めるて立ち上がる。艶やかに満足の笑みを浮かべて、薄い日傘の影を踏んで歩き出す。
行き先はまだ決めてない。
お気に入りあの場所は最近騒がしい。三本目が今夜いっぱいになるだろうから、そろそろ捨てて新しい場所に行こう。
皮のトランクから、瓶のざわめく声がする。
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