2018年10月27日土曜日

一章十二話 心配事 キャロル9歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります



 しばらくジルに庭を歩いてもらって、気持ちが落ち着いたころ別邸にもどった。入口では不安そうな顔でマリーゼが私を待っていてくれた。

「お嬢様、ジルも一緒のようなので大丈夫と分かっておりましたが、心配いたしました」

 庭を散歩してもらっていたと告げるけど、その顔色は晴れない。そんな、マリーゼの腕に飛びついて、耳元でお願いごとをする。ジルにも秘密のお願い。不思議な顔をされたから用意していた小さなサプライズの理由を告げると笑顔で頷いてくれた。
 ごめんね、マリーゼ。この保険が必要になったら、きっと泣かせてしまう。許してね……。

 ダイニングでお茶を入れてもらいお母様を待つ。早く会いたい。でも、お母様はきっと私には何も話せない。力になれない私は、お父様がお母様を慰めてくれることを心から願う。
 暫くしてお母様はお父様と一緒に帰宅した。お父様にも話が伝わり早く帰ってくれたのだと思う。お父様がお母様の肩を抱いていつも通りの帰りの挨拶をする。お母様も変わらない笑顔を浮かべてくれている。お父様はいざという時は頼りになるのだ。そのまま大事な話があるからとお母様とお父様はお部屋に二人で移動する。

「お父様、お母様をちゃんと慰めて下さってるみたいです」

 周囲に誰もいないことを確認して、ジルに話しかける。いつも通りの二人の様子に、さっきまで何の味もしなかったお菓子が急に美味しくなる。
 温かいお茶を飲んで心が温まると、お母様がお父様が望む限り側にいると言っていた時の事を思い出す。あの時のお母様は本当にきれいだった。いつか私も誰かのことを想って、そんな風に言える時が来るのだろうか。そう思うと、未来の誰かに少し胸がどきどきした。
 突然、激しく何かが床に叩きつけられる音が階上からして、私は慌ててカップを置く。ジルを伴って階段を昇れば、お母様の部屋の前でお父様がお尻をさすっている。

「お父様、どうされたのです?」

 珍しく罰の悪そうな顔を浮かべるお父様のシャツはボタンが3つほどなくなって前がはだけてしまっている。ついでにジャケットの片袖は取れかかっていた。

「キャロルお嬢様、レオナール様は、ご自分の失敗の尻ぬぐいをされます。お目汚しですから早くお部屋に。ジル、お嬢様の結婚に対する夢が壊れるとかわいそうだ早くお連れしなさい」

 あきれ顔のクレイの言葉に、ジルが私を抱き上げてお部屋に向かう。ジルの肩越しにこっそり覗こうとしたら、抱き方を変えられて見えないようにされてしまった。でも、お母様のお部屋のドアを叩いて、なんだか必死に話しかけるお父様がちらりと見えた。謝罪の言葉と甘い言葉を重ねているのだろう。こんな時に夫婦喧嘩とは、お父様、なにやってるんですか?!

 一か月がたっても、お父様の謝罪は実らない。毎日抱えるような花束を持って帰り、頑張っているようなのだが、お母様はお父様と口をきかない。こんな事は初めてだ。何を失敗したらこうなってしまうのか。お母様を失うのが、おばあ様がどうにかするのではなくて、お父様に愛想をつかすだったらという考えまで頭をよぎる。
 今朝も、お父様を完全に無視し、お母様は食事が終わると早々に席をたつ。私との剣の練習も最近お休みがちで、若い貴族夫人と頻繁にお茶会を開いているようだ。お父様とは妙な雰囲気だけど、おばあ様に対抗するために頑張っているのだと、私は信じる……信じたい。
 おばあ様はその後、現れていない。ジルが確認したところ現在は海の美しい遠くの領地に戻られているそうだ。問題は解決していないどころか、おばあ様とお母様、お母様とお父様になって九歳にして私は胃が痛い。

「キャロル、いいお知らせだよ。先日選定した職人のワンデリアへの移住が終わった」

 お見送り前にお父様から急な報告。驚いてジルを見れば苦笑いしているので、また私を驚かせるために進捗をジルに秘密にさせたのだろう。最近元気のないお父様の為に、元二十三歳の大人の気遣いで、驚きと喜びを表現して見せる。

「すごいです! 私はもう少し支度がかかると思ってました」

 お父様が苦笑いする。既に有名な者や高い評価のあるものはワンデリアへの移住は断られる可能性が高かったので、技術は高いが工房ではあまり評価を受けていないものを選考に集めたそうだ。合格した3人の職人は新天地へ意気揚々と移住していったらしい。正直、先が思いやられる予感しかしない。

「それでだ。キャロルはワンデリアのあの村にはいつでも行っていいよ。ジルは必ず連れていくようにね! まだ魔法がつかえないから、私の魔力がこもっているお守りを用意した。ジルに預けるので使い方は聞きなさい」

 お父様が、銀の台座に赤ちゃんの握りこぶしぐらいの黒い球が嵌ったものを二つジルに手渡す。魔力をこめると言っていたから、前世で知るお守りとは用途も意味も違うのだろう。

「私まだ公になっていないのに行ってもいいんですか?」
「ワンデリアは人の出入りがないし。あの村は特に地下渓谷が近くて領民も7世帯で少ないし、大丈夫だろう。キャロルはこれから職人との打ち合わせも必要だろ?」

 以前、おじい様もワンデリアは用がなければ立ち寄るものがいないと言っていた。今後職人との綿密な打ち合わせは必要だし、商品の開発も関わりたい。自由に行くことができるようになるのは私にとって良い話だ。私を隠そうとした以前との違いに引っ掛かりを感じながらも頷いく。

「村代表のオルガにはキャロルのことは伝えてある。大爺で耳は遠いがいざという時には頼れる人物だよ。この後、早速向かうかい?」
「はい。行きたいです!」
「では、連絡を入れておくよ。それから、ワンデリアに常駐させているアングラード私兵にいた子を村に一人戻したから着いたら護衛につけるように」

 そこまで言うとお父様が、右手をくるりと回す。いつか、本邸でおばあ様の元に飛んできた小鳥と同じものが現れる。改めてしっかり見るととツバメを少し小さくして真黒にしたような鳥だ。伝達魔法で作られた小鳥はそらを駆けて消えていく。

「お父様。あの小鳥は、なんというの?」
「ああ、ツーガルだよ。暖かい土地を求めて長い距離を旅する渡り鳥だ。機能的な形をしていてアングラードの者はよく愛用しているから覚えてい置くといい」

 朝食のあと比較的動きやすい洋服に着替えて早速ワンデリアに向かうことにする。
 お父様の書斎で引き出しから肖像画を取り出す。肖像画の上にお菓子が一つ置いてあった。これは食べてもいいよ、ってことですね!
 壁にはまだ届かないのでジルに肖像画をかけてもらう。なんだかそわそわしてしまう。非魔法の前世から魔法のある世界に生まれ変わった私の、魔法への憧れはものすごく高い。期待を込めた瞳で手をジルに差し出すとちょっと微笑まれてしまった。

「お嬢様はまだ自分の魔力は自由に出せないので、このお守りの魔力を利用します。片方の手に握ってください。握ったお守りから何か感じたら、ゆっくりでいいので自分の体の中を通して反対の手に伝えていきます。初めは難しいので、お守りから魔力を感じられたら十分です」

 お守りというのは魔力と魔法を溜めるものだそうだ。使い方は二通りある。一つは前世でいうところの電池みたいな使い方溜めた魔力を引き出して様々なものに流用する。もう一つは、魔法発動装置。叩きつけて割ることで、魔力を込めた人間が設定した任意の魔法を発動すること。
 今回の主な利用方法は前者の電池の役割だ。左手にお守りを握りしめる。ちゃんと心地よい温かさを感じる。私は魔法を発動するためのイメージを膨らませる。扉は豆電球、私は銅線、お守りは電池! かっこよさはないイメージだけど私にはわかりやい。壁に手をつく。心地よい感覚が体を流れていく。頭の中の豆電球のイメージが点灯する。いけそう!

「アングラードの闇よ。道をひらけ!」

 私の声に応えて、室内の空気が変わる。私にとって心地よい空気。手の周囲の壁から靄がわき出て、慌てて私は手を放す。あの日と同じように無事、真っ暗な地下に続く通路が現れた。人生で初魔法|(借りモノ)が成功です!

「ジル、出来ました!」
「一度でできるなんて素晴らしい。魔力を流す感覚は初めてでは難しいはずです。キャロル様は才能がありますよ」

 魔力を流す感覚ではなく、小学校理科の豆電球実験の感覚だったのは言えない秘密だ。でも、上手くいって良かった。この調子でゲートもうまく作動させる。ゲートを抜けるときはジルに抱っこしてもらう。やっぱり暗闇の海に飛び込むのはまだ怖い。
 抜けると、すでにワンデリアの領民が待っていてくれた。一人はとてもお年を召した男性で多分オレガだと思われる。もう一人は、坊主頭にきれいにちょび髭を生やした粋な初老の男性。そして、年のころは十四歳ぐらいと思われる少女が一人。

「ようこそおいでくださった、アングラード・キャロル様! こちらが領代のオレガ、私は……オレガの息子ツゥール、あちらは護衛のクララです。」

 三人が膝をついて一礼する。ここで思わず吹き出してはだめと自制。頭を意識してつるさんと呼んではだめです。ツゥールさんです! ジルの腕から降りると心を落ち着かせてて、淑女の礼を返す。思わずツゥールさんの名前に先に反応してしまったが、護衛が若い少女であることに驚く。

「ご覧の通りオレガはすでに老齢ですので。今日は私が案内をさせていただきます。私のことは気軽にじぃじとでも呼んでください」

 やはり名前は気になるのか頭を撫でながらツゥールが提案してくる。私もその方がうっかり間違えないで済みそうなので、頷く。

「こちらの娘はクララです。ワンデリアに常駐しているアングラード家私兵におりましたので魔物討伐はお手の物です。この村の出身で周囲のこともよく存じております」
「こんにちは、キャロル様。お仕えできて、うれしいです。私兵として四年働きました」

 クララは赤茶色の癖髪に日焼けした肌が健康的な少女だ。お日様みたいな笑顔がとても魅力的。年齢が近そうなので後でゆっくりお話をしてみたい。さっそく、ツゥル……じいじに言って工房に案内してもらうことにした。
 館をでると、以前夜に広がっていた光景と違う世界が現れる。広がる果てしない白の世界。

「すごいです。昼間の景色も壮観です!」
「キャロル様! この景色もすごいけど地下渓谷もすごいですよ! 魔物がいます!! いきたくないですか? いきたいですよね? いつでもご案内しますから!!」

 熱のこもった目でクララが私を地下渓谷ツアーに誘ってくれる。地下渓谷もいづれぜひ行ってみたい。でも、いきなり出かけたらワンデリア行きの許可が取り消されそうだ。丁寧に日を改めてと辞退する。

 工房に行く道で現在の状況を説明してもらう。今年は魔物が少なく、今のところ襲撃は一度だけ二体小物が現れただけで済んでいるそうだ。その襲撃での住居の破損は0。丁度、護衛の任務につくためにクララが帰郷していたため、私兵団に来てもらうことなく討伐が完了したそうだ。住居の破損がなかったことを喜ぶ。

「この村は大変実験的な取り組みをさせていただいております。ワンデリアにあるアングラード領で一番厳しい立地の村でしたが、キャロル様が色々ご提案してくださるおかげでこの先が楽しみですなぁ」
「ありがとうございます!じいじ!もっと私も頑張るので、皆さんも頑張りましょう」
 
 実際に住んでいる領民にそう言ってもらえるのはとてもうれしい。もったもっと頑張っていきたいと思う。私の言葉にジィジもオレガもクララも嬉しそうに笑ってくれた。

 岩山に差し掛かると、激しい怒鳴り声が聞こえた。なんだか嫌な予感がする。
工房の前で、若い女性の職人と恰幅のいい職人がにらみ合っていた。

「この、くそ親父ーーーー!!!」
「うるせぇー。はねっ返りが!もう少しまともな細工してから偉そうな口ききやがれ」

 今日もやっていますな、とじぃじが呟く。どうやらこの光景は日常茶飯事になってきているらしい。何が原因なのかと聞けば、作品をお互いに作るのだが全く個性が合わず最後に罵り合いになるとのことだ。他人ならば本来遠慮したり配慮できるけど、親子だから気安くなんでも言い合えるのが裏目に出ているようだ。

「キャロル様。どうにもあの二人には困っております。もう一人の職人は二人の争いには一切関わらない態度で仲裁もいたしません。何とかしていただけませんか?」

 じぃじが頭を下げた。工房の運営は三人のバランスが大事だと思っている。このままではいけない。

「わかりました。頑張ります。ジル、クララあの二人を抑えて工房の中へ。じぃじはもう一人の職人を連れてきてください」



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