2018年10月27日土曜日
一章十一話 お母様の危機 キャロル9歳 ★ 悪役令嬢はやめて、侯爵子息になります
ワンデリアに訪問してから、三か月がたった。剣の稽古や勉強に加えてワンデリアの発展に忙しい日々を過ごしている。
公になる舞踏会の準備も遂に始まった。ドレスのデザインはマリーゼが3年前から日々書きためた渾身のお嬢様デザインノートの中から選んだ。デザイン案の中にはゲームの悪役令嬢を思い起こされるようなものが含まれて冷やりとしたが、全力で却下したので大丈夫。ヒロインに負けないぐらい甘い女の子らしいデザインで2着の仮縫いを既に頼んでいる。
ワンデリアの岩山の家の引っ越しは全戸、無事済んだらしい。自宅の採掘が終わった領民は、誘致する職人の住まいと工房の採掘に取り掛かってくれているそうだ。私の次の役目は、新しい事業を進めること。
ワンデリアから戻ってすぐに、屑石を活用する職人探しを始めた。屑石が銀の硬さに比較的近いので、屑石のことは隠して選考は銀細工で行っている。選考を重ねた中でジル、クレイ、本邸の執事が厳選した職人候補たちの銀細工作品が今、私の目の前に並べられていた。どれも甲乙つけ難い出来栄えで私は目を輝かせる。思わず、自分が欲しくなってしまう作品がたくさんある。
「ジルはどれがいいですか? 私はこちらのデザインは好きです」
私は一つの作品を指す。ブレスレットなのだが、メインの飾りがレースのように線状彫られた繊細な細工になっていて、リボンのように仕立てられている。可愛い感じの仕上がりはきっと若い女性に受け入れられやすい。腕につける部分は真ん中に穴をあけたビーズ状にして繋げてある。前世でおなじみのビーズはこちらで殆ど見たことがない。パールに似た白石宝が唯一真ん中に穴をつけて加工されているのみだ。アクセサリーの主流は彫金加工なのだ。小さな石はビーズにしてワンデリアの女性が手間仕事とし請け負うといいかもしれない。忘れないように心にメモする。
「そちらは、十六歳の職人です。若いですが腕は良いですね。ただ、デザインがまだ幼いので貴婦人むけではないという声があります。ああ、あちらの彫りの細かい彫刻のような細工をつくった者と親子になるので採用するなら一緒にしたほうが良いでしょう」
ジルが示した作品は、小さな飾りがたくさん彫り込まれている作品だ。細かさはこの中でも群を抜いているのだけど意匠が私の好みではなかった。でも、作品自体に迫力があって年配の男の人は好きかもしれない。
「この作品の評価はどうなっています?」
「そうですね。宝飾品のデザインとしては好みがわかれます。ただ、この細部まで彫り込める技術は捨てがたいという評価です」
少し迷って親子の職人を決める。それぞれ技術もあって個性的なのが決め手だ。親子であれば知恵を出し合えるし、ワンデリアの地でも寂しくないだろう。もう一人はこの二人を補えるような職人を選ぶ、控えめだがいろいろな技術をバランスよく作品に配置して貴婦人向けのデザインの指輪を作った二十代の男性職人だ。
現在、本邸で審査の結果を待つ職人のうち、この三人にワンデリアの石を一つずつ渡す。改めて細工をして、出来上がりを見た上で新事業に誘いたい。私が公にデビューする舞踏会で使用することで大々的に宣伝したいので、三か月後には移住して制作に入れるよう話をすすめることをジルと確認する。
慌ただしく廊下を掛ける音がしてノックの後、マリーゼが顔を出した。
「お嬢様、申し訳ありません。審査を中断していただきたいと、本邸より連絡がございました」
すでに審査が終了し、これから対象の職人への説明を行うだけであることをジルが伝える。、
「何かあったのですか?」
「……お客様がいらっしゃいます。申し訳ございません、お嬢様はお部屋で今日はゆっくり過ごすよう、奥さまから事づけを承っております」
私は不穏な空気を感じたがそれ以上の詮索は諦める。マリーゼがそれしか言わないのであれば、それ以上名前は言えない相手なのだろう。
「わかりました。私は今日はジルとお父様の書斎で読書をしますね。マリーゼはお母様や本邸のお手伝いをして下さい」
マリーゼがほっとした表情を浮かべ、一礼してダイニングを去った。ジルには集まった職人に作品を返却し、合格者に説明をするため急いで本邸へ向かってもらう。ついでに本邸の様子を確認するようにお願いした。
私は書斎に先に向かうことにする。ダイニングを出たところで身支度をいつも以上に美しく整えたお母様に会う。お母様は私を一度抱きしめて、いい子にしていてねと言った。私の前だから一生懸命に笑っていたけど、その顔は青ざめていて瞳が不安そうに揺れていた。私の心の中に真っ黒い不安が広がる。一体誰がくるの?
書斎の窓から僅かに見える本邸を見つめていると、ジルが戻ってきた。
「キャロル様、遅くなり申し訳ありません。本邸は今大変な様子で私も手伝いに捕まってしまいました」
私が何もできない分ジルがみんなの力になってくれたら嬉しいと伝える。
「中で知り得た事をご報告させて頂きます。キャロル様にとってあまり気分のいいお話ではありませんがよろしいでしょうか?」
「構いません。できるだけ詳細にお願いします」
アングラードの家の没落は母親を十歳で失う事が始まり。前世の記憶でしりえた未来の最悪な情報。頭をなんどもその言葉がよぎる。
「お客様は、バルバラ・アングラード様です。旦那様のお母上であり、キャロル様のおばあ様にあたられます。すでに、屋敷に到着して奥さまとお話をされております」
私は目の前が真っ暗になった。
「お母様は今度はきっと許してくださらない」
8歳のあの晩、お母様がお父様に言った言葉。あの日からずっと気になっていた。お母様を守ろうと決めて私なりに色々頑張ったけど、この件は誰も口を開いてくれず何も情報がつかめずにいた。まだ十歳まで時間があるのにどうしておばあ様がくるの……。
「ジル、おばあ様とお母様のことで本邸ではなにか使用人たちが話していませんでしたか?」
「バルバラ様は奥さまと旦那様の結婚に反対してらっしゃったそうです。それから、お子様になかなかめぐまれない奥さまに随分つらくあたっていたと。キャロル様がお生まれになる前、旦那様が当主をお継になった時に遠方の領地に隠居を進められてから疎遠になっていたそうです」
「私、お母様のところに急いで行きたいです。何もできないかもしれないけれど……」
両手を握りしめて、俯く。小さな自分の手が恨めしい。できないことがあまりにも多すぎるのだ。それでもここで待っているわけにはいかない。ジルが私の手にその大きな手を重ねて、そっとほどく。
「キャロル様、失礼いたします」
そう言って、私を抱き上げると何かを呟く。ふわりと風が吹いたと思うと滑るようにジルが駆けだした。書斎から廊下を抜けて、屋敷の外に出る。庭の木々が風に吹かれて道を開ける。その間をジルに抱えられ、風に後押を受けて私は駆け抜ける。
ジルのシャツに顔を寄せると、陽だまりの匂いが私に勇気をくれる。大丈夫。まだ大丈夫だ。私の小さな手でもできることが、きっとまだある。
ジルの魔法のおかげで私はあっという間に本邸へたどり着く。本邸に来るのは初めてだ。私を知らない使用人もいるだろう。ジルは音を立てずに壁沿いを進む。大きな硝子窓のある所にたどり着くと、中を指した。
覗き込むとお母様と妙齢の女性が向き合っていた。周囲に残る使用人たちは一様につらそうな顔をしている。妙齢の女性、多分おばあさ様は一方的にお母様を叱責しているように見える。
耳元で風切り音がしたと思うと僅かに中の声が聞こえるようになった。ジルがまた何かの魔法を使ってくれたのだと思う。
「……かしら? 隠しているのなら随分ひどい話だと思わないこと?ソレーヌ」
「……」
「だんまりは感心しないわね。そんなに難しいことを聞いている訳ではないわ。私たちを遠くに追いやって、アングラード当主の妻として居座る以上はその役目をきちんと果たしたのか聞いているだけよ?
本当に強情ね。レオナールに口止めされてる? 本当かしら。
あなたがまた我がままを言っているだけでなくて。私たちを遠くに追い出したのだってあなたがレオナールに入れ知恵をしたのでしょう?」
お母様は、おばあ様をまっすぐ見つめて口をつぐんでいる。不快なものを見るような顔でおばあ様がお母様をにらみつけた。
「倉庫番と陰で笑わる家の娘が役目が果たせぬままアングラードの家にいられると思わないことね。夫が引退し田舎領地に引きこもったとはいえ、私にも夫にもまだ王都に力はあるわ。跡取りがいないことが分かれば、ソレーヌ、貴方にはこの家を出て行ってもらう。今度はレオナールに何もさせない。覚悟なさい」
おばあ様の言葉に私は身を固くした。跡取りがいないことが分かれば……。私はお父様とお母様の愛情に包まれて考えていなかった。女の子である以上、この国の令嬢の多くがそうするようにいつかは家をでることになる。その時誰が、アングラードの名を継ぐのか。
本来であれば当主の直系の息子が代々継ぐはずのものは、傍系の親類に受け渡すことになる。それはこの国では大きな損失を伴い、貴族にとってそれは決して望ましい運びではない。
お母様がようやく口を開いた。いつもの優しい声ではなくて、よくとおる美しい凛とした声だ。
「レオナールは家族で共に過ごすことを愛しています。私はレオナールが望んでくれる限り、彼の側から決して離れません。お母様がどのような手段に出ても、私から倒れることはないでしょう」
おばあ様が唇を噛んだ。さらにお母様を責めようと口を開いたと同時に私とジルの横を、一羽の珍しい形をした小鳥が壁をすり抜けておばあ様の前におりる。
「バルバラ。至急、宿にもどれ。これから、旧知のものと会う。共に参れ」
小鳥はそれだけ告げると、その場で消失した。いつかあの丘でジルが使っていた伝達魔法なのだと思う。ジルを仰ぎ見れば、私の問いたいことが伝わったのか頷いてくれる。
おばあ様が乱暴に席を立つと、連れてきた使用人と思われる人物がその肩にケープを掛ける。どうやら、帰ってくれるらしい。私は一旦、安堵する。握りしめた手には爪の跡が残っていた。
去り際におばあ様がもう一度お母様の方を振り返る。
「また、近いうちにね……アントワーヌ服飾工房に仮縫いを依頼した2枚のドレスは誰が着るのかしら? 楽しみだわ」
私は力が抜けて思わず後ろに倒れそうになる。ジルが抱えてくれなかったら、多分その場に崩れ落ちた。アントワーヌ服飾工房は先日マリーゼがデザインしたドレスを私の為にお父様がが発注したお店だった。そのお店は王家が利用することもある名店だ。簡単に顧客情報を漏らすことはしない。もし、漏らすことがあるならば、それは秘密を守るべき相手よりも強い相手に対してだけだ。アングラードのおじい様、おばあ様にはお父様、お母様以上の力がある事に他ならない。
帰り道もジルに抱かれて帰る。私に歩く気力はない。魔法は使わずできるだけゆっくり歩いて帰ってもらう。まだ、誰にも会いたくない気分だ。
「ねぇ、ジル。跡取りがいなかったらお父様の次は誰でしょうか?」
「旦那様は、下にお一人弟君がいらっしゃりましたが、お亡くなりなっております。直系の方はいらっしゃられないので、親類の方にお任せすることになるかと」
決まりに関する本に書かれた事を思い出す。直径の跡取りがいない場合は領地の半分を返還することになる。アングラードの権威は失墜するだろう。多くのアングラードの関係者の生活は不安定になり、小さな諍いも起きるかもしれない。直系の跡取りがないことは、一族にとって影響は重い。
「おかしな決まりです。急に領地が半分になるのも。女の子が当主になれないことも。文官も騎士もだめなことだってお。子供が十歳まで公になれないことも」
私の前世では、子供は小さいころ友達と遊んで、外を元気にかけまわった。未来に夢をみてなりたいと努力すれば、苦労はあっても道は拓けた。でも、この国は違う。今回、決まりのおかげで私はおばあ様たちの目から隠れることができた側面もあるけれど。男の子でなければ跡取りなれなかったり、とても窮屈に感じる。
ジルが私の背中を優しくなでてくれる。自分の状況だけをみて、批判することはたやすい。勉強したから、わかってる。この国の昔の状況は本当に悪かったのだ。国の中で争いが起きて、身内が身内を陥れる。そんなことが、当たり前に起きていた過去がある。それを立て直すために、子供は隠し、直系の男性しか後を継がせない細かな決まりができた。結果、その決まりのおかげで今は国は安定している。
子供を公にしない決まりが寛容になりつつあると、おじい様が言っていた。いつか少しずつ変っていくのかもしれない。でも、変わることに眉を顰めるものもいると言った。だから、それは今すぐじゃない。
「とても難しいです……」
私は呟いてジルの首に、シャツの襟元に顔を埋めた。
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